第72回 なぜ日本は大東亜戦争を起こしたのか①など、政治・経済を中心とした日常的な情報を、独自な視点で解析します。

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<前回の記事 第71回 「パナマ文書」流出〜何が問題なのか〜

今回はこのテーマで話を進めてみたいと思います。
まずみなさんに見ていただきたい動画がございます。それが、下記の動画になります。



最後まで見ていただくとよくわかるのですが、この動画では、私たちが住んでいるこの「日本」という国が、かつてどのような経緯であの悲惨な大戦へと突き進んでいったのか。そのことがとてもよくわかる内容となっています。

この動画に出会って、私自身すでに4年~5年以上たっているとは思うのですが、この動画を見たときは衝撃的でした。
麻生内閣当時だったか、民主党に変わった後だったか・・・。私自身が、世の中にありあふれている『情報の異常さ』に気づき、太平洋戦争についても勉強してみたい、と考え始めた時期ではありました。

「そういうことか」というのが当時の正直な感想です。
ただ・・・その後、この情報をベースとして、様々な情報と比較していくうち、どうもこの見方は『一つの側面』に過ぎないのではないか、という疑問が起きるようになりました。

決してこの動画で言っていることが「間違い」と言っているわけではありません。
ですが、どうも肝心な部分がごっそり抜けているように感じるようになったのです。

その理由の一つが、第68回の記事でも掲載した、「2.26事件」のことです。

第58回の記事でもお伝えした様に、「2.26事件」によって一人の人物が暗殺されます。
暗殺されたのは高橋是清。是清が暗殺されたことが後世に与えた影響として一番大きいのは、

「2.26事件により是清が暗殺されたことにより、軍拡の為の資金投与を止めるものが誰も存在しなくなってしまいました。
という、この部分に尽きます。

2.26事件に関しては、第68回の記事でもお伝えしていますが、事件はそもそも、北一輝の唱えた「国家社会主義」という思想を狂信した『皇道派』と呼ばれる軍部の一派閥によって引き起こされました。

是清政策によってインフレに傾きかけた経済をセーブするために、是清が「国債発行による資金調達」をやめ、「投資先」として選んでいた「軍部」へ投じていた資金を縮小したことによって、彼は軍部、特に陸軍から恨みを買い、暗殺されるわけです。

総辞職した岡田内閣の後を引き継いだ「広田内閣」ですが、この広田内閣が成立した経緯を見ると、是清が暗殺された影響が見て取れます。

組閣にあたって陸軍から閣僚人事に関して不平がでた。好ましからざる人物として指名されたのは吉田茂(外相)、川崎卓吉(内相)、小原直(法相)、下村海南、中島知久平である。吉田は英米と友好関係を結ぼうとしていた自由主義者であるとされ、結局吉田が辞退し広田が外務大臣を兼務し(かわりに吉田は駐英大使に任命される)小原、下村らも辞退、川崎を商工相に据えることになり3月9日、広田内閣が成立した。

就任後は二・二六事件当時の陸軍次官、軍務局長、陸軍大学校長の退官・更迭、軍事参事官全員の辞職、陸軍大臣・寺内寿一ら若手3人を除く陸軍大将の現役引退、計3千人に及ぶ人事異動、事件首謀者の将校15人の処刑など大規模な粛軍を実行させた。しかし軍部大臣現役武官制を復活させ、軍備拡張予算を成立させるなど軍部の意見を広範に受け入れることとなる。(Wikiより)

完全に組閣に軍部が干渉していますし、是清が縮小しようとした軍事費は逆に拡大されています。
つまり、「是清が暗殺されたことにより、軍部の暴走を止めるものが誰もいなくなった」ということです。

組閣時、広田内閣は軍部より圧力を受け、軍部の以降にそぐわない政治家を組閣から排除。
「意に添わなければ陸軍より大臣を出さない」と脅されたのだそうです。

広田内閣総辞職となったのも、立憲政友党の代議士である浜田国松と陸軍大臣である寺内寿一との言い争い、「腹切り問答」が原因で、寺内は切れて広田総理に衆議院解散を要求。受け入れなければ辞職すると訴え、広田内閣は「閣内不一致」により総辞職。

昭和天皇により「組閣」の大命を受けたのは「宇垣一成」という人物でしたが、陸軍の反対により宇垣は拝命を辞退。
変わって大命を受けたのが予備役陸軍の大将であった「林銑十郎」という人物でした。

ところが、この林内閣は完全に「軍」の操り人形であり、「軍財抱合財政」と呼ばれる予算を成立させた後、親軍政権を作る目的で突如衆議院を解散。しかしこれは却って国民の反発を買い、「政党の大勝、内閣の惨敗」となったようです。

この時の戦況制度についてはもう少し調べてみたいところですね・・・。
しかし、この状況を見るにつけ、基本的に明治憲法下の日本の政党政治は本当に民主的なんだな・・・と思い知らされますね。

何しろ国民の選挙によって内閣を総辞職に追い込めるのですから。
そして、近衛文麿氏が「内閣総理大臣」としての大命を受け、近衛内閣が成立します。その直後に起きたのが「盧溝橋事件(ろこうきょうじけん)」。

簡単に言えば、中国側に事前に通知して行われた日本軍の演習現場に、中国兵が実弾を打ち込んできたため、日本軍は盧溝橋から撤退し、中国側にクレームを伝え、中国兵の撤退を要求している最中、交渉中に再度中国兵が実弾を打ち込んできたため、やむを得ず日本軍はこれに応戦。双方に被害者を出した・・・という事件です。

これがいわゆる「日中戦争(支那事変)」の発端となります。
ここから彼の「太平洋戦争(第二次世界大戦)」へと発展していくわけですが・・・あれ?ってなりませんか。

国際情勢の視点から見れば、日本が第二次世界大戦に巻き込まれていく経緯は、まさしく動画で述べているとおりです。
ですが、そもそも発端となったのは欧米各国からの経済封鎖ではなく、中国との些細な対立じゃありませんか?、と。

ちなみに「盧溝橋」っていうのはここです。

朝日新聞さんの画像を拝借していますので、リンクを掲載しておきます。

事件が起きたのは1937年7月7日です。
ただ、過去に遡ってみると、「張作霖爆殺事件」で、日本政府から庇護されていた張作霖という人物が、日本の関東軍によって殺害されていたり、同じく関東軍によって鉄道が爆破される、自作自演の「柳条湖事件」が引き起こされていたり、これが「満州事変」の発端となったり・・・。

どうも動画中では「きれいごと」の様に描かれている部分に、はっきりとは記されていない部分もあるように感じられてなりません。
ちなみに「張作霖爆殺事件」が起きるのは、2.26事件によって是清が暗殺される8年ほど前の話。
1934年には日本国内では「5.15事件」と呼ばれる、暗殺未遂事件も起きています。

このあたりを整理しながら、「第二次世界大戦」に至る日本の系譜を、情報を複合的に見ながらまとめていきたいと思います。
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