第63回 第二インターナショナルと第三インターナショナルなど、政治・経済を中心とした日常的な情報を、独自な視点で解析します。

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<前回の記事 第62回 「共産主義」と「社会主義」

さて。前回の記事に於きまして、「共産主義」と「社会主義」の違いについてご説明いたしました。
現在において「共産主義」が目指す究極のところは「無政府社会(完全なる平等で、『格差』が存在しないため、争いそのものが起きない社会)」であり、「社会主義」とはその過程である、と解釈されているようです。

また、マルクスが述べたように、「社会主義」とはブルジョワ層から見た平等社会であり、「共産主義」とはプロレタリア層から見た平等社会である、という考え方もできるようです。
マルクスもまた、共産主義を実現する過程においては「プロレタリアによる独裁」が必要であると述べており、つまり「社会主義社会」には「管理者としての政府」が必要であるということを主張しました。

第二インターナショナル

第一インターナショナル(国際労働者協会)において、マルクスは「権威者」として存在した様です。
「権力」を否定しながら「権力者」として第一インターナショナルを牛耳ったマルクス。そして、その権力を否定し、「無政府主義」を訴えたロシア人の「バクーニン」という人物。この両者を中心とする派閥抗争により第一インターナショナルは分裂し、崩壊します。

この時「無政府主義」を訴えたバクーニンらの主張は「アナーキズム」と呼ばれ、彼らのことを「アナキスト」と呼ぶのだそうです。

第一インターナショナルは崩壊しますが、その後も労働者や社会主義者たちによる国際組織を必要とする機運は絶えず、1889年「第二インターナショナル」が誕生します。
ここには「アメリカ」の名前も登場します。

第一インターナショナルが世界初の「労働者の国際組織」であったのに対して、第二インターナショナルは「社会主義者の国際組織」とされています。

この時に訴えられているのが
・フランスにおける社会主義者たちの統一
・8時間労働制の主張
・常備軍批判と民兵制の推進
・普通選挙権と議会への社会主義者の参加
・メーデーを国際労働運動のための休日とする

そして
・労働条件のための立法を要求
・国際的な労働組合運動の組織化

といった内容です。これは現在にも通ずるものであり、また「フランス革命」によって生み出されたものですね。
この内容には一定の評価をすることができると思います。

この第二インターナショナルの中心となったのが前回の記事 で登場した「ドイツ社会主義労働者党」改め「ドイツ社会民主党」。この政党は現在のドイツでも存在しているのだそうです。


「第三インターナショナル(コミンテルン)」と「労働社会主義インターナショナル」

さて。社会主義者の国際組織として誕生した「第二インターナショナル」ですが、第一次世界大戦の勃発により崩壊してしまいます。
「政府」とはまた別の階層にいたはずの第二インターナショナルですが、いざ戦争が始まってしまうと、国際組織より自国を重要視し、また「戦争派」「反戦派」にも分裂したりして、うまくまとまりきることができなくなったんですね。

開戦に伴う崩壊は、すなわち「戦争を肯定する」ということ。
これに反対した社会主義者たちによって開催されたのが「ツィンマーヴァルト会議」。

この時に登場するキーワードとして、「革命的祖国敗北主義」という言葉があります。
これって後々の、私たちの祖国である日本における、いわゆる「左翼」の活動とも共通する部分があるのではないかと思われたりするのですが・・・。


革命的祖国敗北主義

この言葉、つまりは「戦争に反対することによって国力を弱体化させ、革命を起こして政権を乗っ取る」という考え方です。
これ・・・ちょっと末恐ろしいですね。この考え方を唱える人物たちの中心にいたのが「ウラジーミル・レーニン」。後のロシア共産党の党首となる人物です。

この考え方の源流にあるものこそ「マルクス」の思想。つまり、革命によってしか共産主義を実現することはできず、その過程においてプロレタリアによる独裁が必要だ、という考え方です。

ツィンマーヴァルト会議の中でもさらに「左派」に位置づけられ、少数派であった彼らの意見が通ることはありませんでした。

そして、ロシア共産党の党首となったレーニンによって提案されたのが「第三インターナショナル」。正式名称は「共産主義インターナショナル」。別名「コミンテルン」です。

レーニンの死後コミンテルンを引き継いだヨシフ=スターリンによって「一国社会主義論」が打ち立てられ、各国の共産党がロシア改めソヴィエトを支援するような体制が出来上がってしまいます。

レーニンの時代は「すべての先進国、または複数の先進国のプロレタリアートが共に立ちあ上がり、革命を起こすことが必要だ(革命は一国ではできない)」とされていましたが、スターリンは「そんな考え方は時代遅れだ。個々の国のプロレタリアートが単独で立ち上がり、革命を起こすことは可能だ」という考え方を主張しました。

コミンテルンは、世界革命を理想とし、各国のプロレタリアートが同時に立ち上がれる状況を作り出そうとしていたわけですが、スターリンが権力の座について以降、ソヴィエトを支援する支援機関としての様相が強まっていったようです。

労働社会主義インターナショナル

一方、ツィンマーヴァルト会議を継承した「国際社会党委員会」とオーストリアのマルクス主義者によって形成された「国際社会党行動同盟」が合流し、「労働社会主義インターナショナル」という組織を形成します。
流れからみると、こちらのほうが正式な「第三インターナショナル」ではないかと思います。

第二次世界大戦下、コミンテルンは次第にその存在意義を失いはじめ、終戦前に解散したことに対し、労働社会主義インターナショナルは「社会主義インターナショナル」と名称を変え、現在でも存在しています。

日本からも現在、「社会民主党」が所属しているようです。
福島瑞穂氏が副議長を務めたりしていたのですね・・・。

一方、日本共産党はその設立に至って、1922年、コミンテルンからその承認を受け、「日本共産党」として発足。
24年にいったん解散するものの、26年に再結党。面白いのは、日本の「社会主義政党」はこの「日本共産党」から派生して誕生している、という点。他国は「社会主義政党」から分離する形で共産党が生まれている過程と大きく異なっていますね。

改めまして『「第三インターナショナル(コミンテルン)」と「労働社会主義インターナショナル」』。
この二つの組織について、次回記事ではもう少し深めて掲載したいと思います。

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