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第507回 ベルリン進軍を決行するのは誰か?カール政府のドタバタ劇など、政治・経済を中心とした日常的な情報を、独自な視点で解析します。

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この記事のカテゴリー >>ナチスドイツは一体なぜ誕生したのか?


<継承する記事>第506回 ミュンヘン一揆の主犯、「ドイツ闘争連盟」結成に至るまで

纏め方の難しい内容ですが、前回の記事のポイントをまずはまとめてみます。

前回の記事では、ミュンヘン一揆の「主犯」となるドイツ闘争同盟にスポットを当て、これが結成される経緯について記事にしてみました。

ポイントとなるのは、まず「ドイツ闘争連盟」の中心となる「突撃隊」。その結成に寄与したのが元エアハルト海兵旅団のメンバーであった「エルンスト・レーム」であり、彼が突撃隊に元エアハルト海兵旅団のメンバーを次々に送り込んだこと。

そして彼の説得で突撃隊が政府軍である第7軍管区司令部の指揮下、「祖国的闘争同盟共働団」に配属されたこと。更にヒットラー自身が突撃隊への指揮権をそのまま軍に持っていかれることを危惧し、体調をレーム推薦のハンス・ウルリヒ・クリンチュからヘルマン・ゲーリングへ挿げ替えた事。

ゲーリングの力で突撃隊のメンバーから元エアハルト海兵旅団が一層され、ヒットラーに忠誠を誓う隊員が集められたこと。

このタイミングで首相シュトレーゼマンによるルール地方の「受動的抵抗政策の中止の発表」がなされた事。

ミュンヘンにいよいよ「ベルリン政府打倒」への機運が高まったことを受け、ヒットラーは「ドイツ闘争連盟」を結成します。

そしてさらに、私からすると自身の功績をないがしろにされた、とも感じられない状況にレームは切れるんじゃないかと思ったのですが、逆にレームは軍じ除籍願を提出し、正式にヒットラーの下へと馳せ参じることとなりました。

なんか、こうしてみるとヒットラーってずいぶん人望のある人物だったんだな、と現時点ではとても感じさせられますね。

前回のポイントをまとめるとはこのような内容になるでしょうか。

この当時のバイエルンでは、「11月革命という屈辱の精算」というスローガンが叫ばれるいました。

「11月革命」。つまり、レーテ蜂起によってヴィルヘルム2世が亡命、退位し、ドイツが帝政から共和制へと移り変わったあの「ドイツ革命」の事です。

この後のドイツに発令されたのが「非常事態宣言」であり、オイゲン・フォン・クニリングバイエルン州首相より前首相であるグスタフ・フォン・カールが「バイエルン州総督」として任じられ、彼に独裁的権限が与えられることとなりました。

カールはバイエルン州の独立を志しており、カール政府とベルリン政府の関係は緊迫した状況にありました。

一方、ヒットラー率いるナチスはベルリン政府そのものを打倒してドイツ全土の政権を担う事を志していましたので、バイエルン州の独立を志すカールはナチスとも緊迫した関係にありました。

前々回の記事 ではここまで抑えていましたね。

という事で、今回はこの続きから記事を纏めてみます。


ナチス機関紙「フェルキッシャー・ベオバハター」を巡って

少しだけ時系列を整理します。

ドイツ闘争連盟が結成されたのが9月2日。

カールが州総督に命じられたのが1923年9月20日。この時カールはバイエルン駐在の第7師団司令官オットー・フォン・ロッソウ少将、州警察長官のハンス・フォン・ザイサーの3名で「三頭政治体勢」を取っています。

シュトレーゼマンによる受動的抵抗政策の中止が発表されたのが26日。

レームが辞表を提出し、改めてヒットラーの下、ドイツ闘争連盟に参加したのが27日の直後。

レームはこの時「帝国戦闘旗団」なるものを結成していますね。この時、社会民主党党員らで構成される軍事組織、「国旗団」がドイツ闘争連盟を離脱しており、更に「レーム一派が分裂した」とありますので、これはおそらくレームがこの時「国旗団」に所属していて、ここから分裂して「帝国戦闘旗団」を結成したという事なのだろうと思います。

で、レームが闘争連盟に再加入する直前、9月27日、ナチス機関紙である「フェルキッシャー・ベオバハター」に、受動的抵抗政策を中止したシュトレーゼマンと、軍総司令であるハンス・フォン・ゼークトを批判する記事を掲載しました。

これに対し、カールと共に三頭政治の一端を担っている第7師団司令官オットー・フォン・ロッソウに、ベルリン政府国防相より「フェルキッシャー・ベオバハターの発刊中止」が命じられます。

ロッソウはこれをカールに相談したところ、カールはナチスを敵に回すことを恐れてこれを拒否し、ロッソウはこれに従います。

ところが一方でカールはナチスに対し、同日に行われる予定であった集会の禁止を通告します。

このいきさつについて、10月1日、カールは記者会見にて、

「フェルキッシャー・ベオバハターの批判記事と反ベルリン姿勢には賛同できないものの、ドイツ闘争連盟の協力を求め、発禁措置を行わない」

との発表を行います。


ここでこの時点で私が感じた「感想」を少し挟みます。私、この時点ではカールが「バイエルン州の独立」を志して「反ベルリン」の意思を貫いている・・・にしては少し弱腰だ感じました。

まあ、「政治」っていうのは表面に見えることだけじゃなく、その裏側でうごめいていることについても目を向ける必要があると思いますので、額面通りに受け取るのは正しくない、とも思うのですが。

と、ここで「この時点での私の感想」を挟んだのは、この後のカールの姿勢が180度転換するからです。

サブテーマとしてはやはり「ナチス機関紙フェルキッシャー・ベオバハター」を巡る経緯から派生するのですが、10月4日、同機関紙が「蜂起の切迫を示す告示」を掲載したところ、カールはこれに対し「10日間の発禁処分」を行います。

こうしてみると、「ひょっとしてカールはベルリン政府よりなんじゃないか」と勘繰りたくなるほどです。

ところが、この事をロッソウが軍総司令であるゼークトに報告したところ、ゼークトは寧ろ10月1日にカールが「発禁措置は行わない」と発表したことの方を重要視しており、ロッソウに対し、「政府の命令を拒否した」として辞職を要求する手紙を送り付けます。(10月9日)

これに対し、ロッソウはミュンヘンの国民主義団体、ドイツ闘争連盟、州武装警察の幹部を集め、自分たちへの支持を求めています。これに対し、彼らは

「ベルリン進軍のためのロッソウとカール政府の支持」

を明らかにしています。Wikiを参考にしているのですが、文章が回りくどく、事実が見えてきづらいですね。

これに対し、中央政府がロッソウに対して罷免通告を下しているのですが、これを「カールが拒否した」とあります。

ここまででわかるのがロッソウが集めた幹部らとのやり取りの中で「ベルリン進軍」に言及しており、これが参加者らの間で話として纏まっている事。

更にベルリン政府は彼らが「ベルリン進軍を画策している」という前提の下、ロッソウに対して罷免通告を出しており、これを理解した上でカールがベルリン政府からの通告を拒否しているという事ですね。

更に、これに加え、カールを州総督に命じたクニリング首相がロッソウを「バイエルン地方国防軍司令官」に任命しています。

ここまでくるとドイツ闘争連盟、カール政府の垣根など全く関係なく、バイエルン州の実力者たちの間で既にベルリン進軍という考え方でまとまっているという事実に疑いの余地などありません。

人物名を挙げると、首相であるクリニング、総督であるカール、地方国防軍に任命された第7師団司令官ロッソウ、州警察長官ザイサー、そしてドイツ闘争連盟の指導者であるヒットラー他、です。

あと、私はあまりイタリアの歴史については突っ込んで記事にしたことはないのですが、1922年の時点でイタリアではムッソリーニが「ローマ進軍」を行っており、これが「クーデター」と認定されていますので、つまり政権の奪取に成功しているという事。

深く追求しませんが、この革命により、イタリアに「ファシズム」という理念を掲げる政党「ファシスト党」が政権をになる新政権が誕生していたんですね。(1922年10月)

外伝的にまとめる可能性はありますが、現時点でこの話題の追及はしません。ただ、この時バイエルン州政府一派はこのムッソリーニによる「ローマ進軍」を念頭に「ベルリン進軍」構想を描いていたようですね。


カール政府のドタバタ劇

グスタフ・フォン・カール
Bundesarchiv, Bild 183-R41120 / CC-BY-SA 3.0, CC BY-SA 3.0 de, リンクによる

よもや、カール政府とドイツ闘争連盟がここまで纏まってしまう、という展開は私、予想していませんでしたが、この後も想定を上回るドタバタ劇が展開されていきます。

ゼークトはこれを受け、三頭政治を担う指導者3名と、ヒットラーを含むドイツ闘争連盟やその他この計画に加担する軍事組織の指導者たちに対し、武力を用いることを通達しました。(10月20日)

一方、「バイエルン地方国防軍司令官ロッソウ」は24日、国防軍、武装警察、民間武装団体の指導者を集めた上で、今後取りうるべき方策として、以下の3つの選択肢を示します。

 ・ベルリン進軍による独裁政権の樹立

 ・現状を維持して妥協を図る

 ・バイエルン州の独立

この内、ロッソウは一つ目の選択肢を取ることを示したのですが、なんとこの集会にナチス関係者(つまりヒットラーも)は招待されていなかった、とのこと。これはさすがに肩透かしを食らいましたね。

この後、クリニング、カール、ロッソウ、ザイサーらを中心に中央政府との間でドタバタ劇が演じられることになるのですが、結局最終的にカール政府はバイエルン州民や他の指導者らからの信頼を失うこととなります。

一貫してナチス抜きでのベルリン進軍が画策されていたわけですが、ヒットラーらは業を煮やし、ついにドイツ闘争連盟単独でのクーデター決行を志すこととなります。


どこを端折り、まとめるべきか苦心しましたが、漸くミュンヘン一揆本番直前まで歴史を進めることができました。

という事で、次回はいよいお「ミュンヘン一揆」本番へと記事を進めてみたいと思います。






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