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第503回 ルール占領と「ハイパーインフレーション」の影響など、政治・経済を中心とした日常的な情報を、独自な視点で解析します。

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この記事のカテゴリー >>ナチスドイツは一体なぜ誕生したのか?


<継承する記事>第502回 ジョン・メイナード・ケインズの警告とルール占領までの経緯

前回の記事では、ヴェルサイユ条約以降、ドイツと連合国との間で行われた賠償額の決定に向けた経緯を特にジョン・メイナード・ケインズの視点を通して、更にその後のドイツの対応と関連国、特にフランスの反応について記事にしました。

なんとか「ルール占領」が実行される伏線までは到達できたかと思います。

復習として、

・コンスタンティン・フェーレンバッハ首相は連合国側からの無茶な賠償金額を受け入れることができず、退陣。

・続いて就任したヨーゼフ・ヴィルト首相は、とりあえず無茶な要求を受け入れて「払えない」ことを実証する作戦に出た。

・ジョン・メイナード・ケインズはドイツが受け入れた賠償額を「支払いが著しく困難である」ことを警告。

・ケインズの警告通り、ドイツは償還が困難となる。

・ヴィルトはこの賠償問題及び「共和国防衛法」をめぐって財務大臣と対立し、退陣。

・ヴィルトは退陣と共に「賠償金・現物払いの3-4年免除を求める覚書」を連合国側に提出。

・続いて就任したヴィルヘルム・クーノはヴィルトの見解を継承する。

・フランスの首相ポアンカレはドイツに「生産的担保」を求める。

ドイツ首相の交代劇を中心に、ザっとまとめましたが、こんな感じです。

で、この「生産的担保」がルール地方の事だ、ってところで話題を今回に委ねました。


フランスとベルギーによるルール占領

という事で、今回は改めてフランスとベルギーによって実行された「ルール占領」の具体的な経過と、その収束についてまず記事にします。

改めて、この時点でのドイツ国首相は「ヴィルヘルム・クーノ」です。ちなみにこの当時のドイツの国名は「ドイツ国」が正式名称ですが、後の歴史では「ワイマール共和国」としても認識されています。

前首相であるヴィルトの下でドイツは連合国側に対して資金調達が困難になったことを理由に「賠償金・現物払いの3-4年免除を求める覚書」を提出しました。

クーノはこの認識を引き継ぎ、また連合国側でもイギリスはこの要求に一部応じるのですが、フランスはこれに反対し、「生産的担保」として「ルール地方の鉱山管理権」をドイツに要求しました。

この後のドイツについてWikiでは

「その後、ドイツの賠償支払いは遅れ、石炭引き渡し額が200万トン足りないなど、現物支払いを履行しなかった」

と記されています。この「現物払いの遅れ」がドイツによる故意のものであるのか、あるいは本当に不足し、履行することができなかったのかといった内容についての記載はないのですが、これに対し、「12月26日、賠償委員会はイギリスの反対を押し切ってドイツの賠償不履行認定を宣言した」とあります。

賠償委員会の構成国はアメリカ・イギリス・フランス・イタリア・日本・ベルギー・ユーゴスラビアの7カ国。この当時のユーゴスラビアはユーゴスラビアとい名前ではなく、「セルブ・クロアート・スロヴェーン王国」という名称だったのだそうです。

この内、評決に加わることができたのはアメリカ・イギリス・フランス・イタリアの4カ国。日本は日本に直接関係する問題について、ベルギーはそれ以外の問題について評決に加わることができたのだそうです。

ところが、実際にはこの内アメリカは前提となるヴェルサイユ条約に批准しておりませんので、賠償委員会そのものには参加していません。

ユーゴスラビアに関しては委員会に参加することはできるけど、評決にかかわることはできなかったという事でしょうか。

この内容から考えると、欧州の問題に関連して実際にドイツの賠償に関与することができたのは「イギリス・フランス・イタリア・ベルギー」の4カ国だけですね。

で、フランスとベルギーは直接被害を受けており、イギリスは両国に請求権を持っています。

「賠償委員会はイギリスの反対を押し切ってドイツの賠償不履行認定を宣言した」とありますが、これはつまりフランス・ベルギーの両国がイギリスの反対を押し切ってドイツの「賠償不履行認定を宣言した」という事に他なりません。

この時点、つまり1922年12月26日の時点でも既に連合国側によってドイツはデュースブルクをはじめとする3つの都市を占領されています。

これに加えて1923年1月4日フランスの首相ポアンカレはついにルール地方の占領を宣言。ベルギーととともに1月4日よりルール地方の占領を開始します。

ここからは私のブログでも何度も記事にしていますが、この両国のルール占領に対し、ドイツ国首相ヴィルヘルム・クーノは「消極的(または受動的)抵抗を行います。

即ち、ルール地方の労働者に対するストライキの呼びかけ。ストライキ中の労働者に対する賃金は政府が保証しましたが、これは財源がなかったために「紙幣増刷」で補っています。

本日は令和2年6月21日ですが、この時のドイツ国政府の対応、どことなく今回の日本の「コロナ対策」を彷彿させますよね?

政府が国民に対して「自粛」を呼びかけ、で国民からは「保証の要求」が行われ、これに応じる形で全国民に10万円が支給された、あの様子です。

今回は事情が非常に特殊でした。というのは、「自粛」を要求されていたのは日本だけでなく全国的に同様であったこと。かつ他国から日本への移動が制限されていました。

このおかげで仮に日本国内でお金をばらまいてもこれを狙って国外の企業が日本にたかるようなことはありませんし、また仮に同様の政策を今後継続し、日本国内で「生産活動」そのものが休止に追い込まれたとしても、代替品として海外の生産物が選択されるような状況にはありませんでした。

ですから日本国内で「物・サービスの値段」が高騰するようなことはありませんでしたが、長期的に見ると、あるいは日本国内だけがこのような状況に追い込まれていたとすると、安易に国債発行・・・というよりも「通貨発行」に頼った政策をとると、それは日本国民の生活を破綻に追い込みかねない政策であるってことを私たちははっきり認識しておく必要があると思います。


話題が逸れました。ドイツ政府とすると、フランスの武力による占領に対し、武力で抵抗する方法ももちろんありました。ですが、実際は占領政策によってドイツ軍は縮小、及び廃止を余儀なくされていますし、敗北し、ドイツ全土が占領されてもおかしくない状況だったかと思います。

この事から、当時の軍総司令であるハンス・フォン・ゼークトは義勇軍の拡充や鵜は独立政権の樹立まで計画していたのだそうです。

フランスのこのような行動は、イギリスやフランス国内の左派政党などからも批判を受けていましたが、フランス国内の右派、及び新聞機関等がさらに強硬な姿勢をとる様煽っているような状況にありました。

この時の状況を再びWikiから引用して掲載してみます。

5月8日に占領軍はクルップ社の社長や幹部を不服従の罪で訴追し、数ヶ月から20年の禁固刑を科した。

5月末にはクルップ社の工場で、占領軍の実力行使による衝突が発生し、13人の労働者が死亡した。

抵抗運動全体では250名の死傷者が発生し、占領軍は対抗手段としてルール地方から14万5000人のドイツ人労働者を追放して、ベルギー人・スイス人労働者を導入してこれにかえようとした

この他、既に連合国の占領下にあったラインラントなどでは占領軍に対するテロも発生するようになっていたそうで、客観的に見てフランス・ベルギーの行動は「侵略」の様相を呈していたんですよね。

「過ぎたるは猶及ばざるが如し」です。


「ハイパーインフレーション」の影響

改めてハイパーインフレーションの影響にさらされたドイツの様子を見ていて、ハイパー・・・というより「インフレ」という言葉の本当の意味を認識させられた思いがしました。

なので、少しそのお話をしてみます。

前回の記事 でドイツの通貨価値について、ヴィルヘルム・クーノが就任した直後、1922年12月の時点で「マルクの対ドル相場はなんと1919年比で1807.8倍にまで到達していた」ことを記事にしました。

1807倍ですと、日本で考えますと、1919年には500円くらいで買えていた米国産の牛肉が90万円以上出さないと買えなくなるレベルの話ですから、これだけでも半端ないです。

ここから更に、「生産をストップし、賃金だけばらまく」ことを実行しましたので、ドイツの通貨は1923年1月と比較して11月には対ドル相場でなんと2億3606万倍にまで跳ね上がりました。

感覚がわかりにくいかもしれませんが、例えばドイツが通貨を発行してばらまくわけですから、別に1月の時点で1マルクで買えていたものが11月に2億3606万マルクださなければ買えなくなっていたとしても、これをドイツ政府がきちんと支給してくれれば問題はないのです。

ですが、それが問題になってくるのは、例えば11月1日の時点で1000マルクを政府から受け取って、11月1日に500マルクで販売されていたものを11月3日に買おうとすると5000マルク出さなければ買えなくなっていた・・・というのでは話にならないってことです。

売れなくなれば値段は下がるんじゃないかと考える人もいるでしょうが、購入対象が命や生活そのものを左右するような品物で、在庫が入荷する見通しが全く立たず・・・っていう話になると、たとえそれにどのような値段がついていたとしても販売した瞬間に売り切れる。これは、実は私たち日本人もかなり最近体験しています。

そう。「マスク」や「トイレットペーパー」というものを通じて。

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結果、「高いマスクしか買えなくなった」と実感されませんでしたか?

あれが数日ペースで、更に何百、何千倍というペースで進んでいくと考えてみてください。

パンを買いに行っても陳列されていない。陳列されていても高値で一瞬で売り切れてしまう。今日用意した金額ではとても足りない。

足りない分を次の日に政府から受け取ったとしても、買いに行くとない。陳列されているものは昨日の10倍くらいになってる。そんな状況が続いていたわけです。当時のドイツでは。

「インフレーション」の言葉の意味は、「物価が継続して上昇し続ける」ことを言います。

で、同じ「物価の高騰」でも、販売数そのものが増えることによって起きる「物価の高騰」と、販売数が一定で、値段のみが吊り上がっていくことによる「物価の高騰」の2種類があります。

前者ですと、仮に商品単価が下落したとしても「物価」事態は上昇することがあります。全社ですと「商品単価」事態は上昇したとしても「物価」は下落する事もあります。

ですが、数量そのものが限られている状況で単価が高騰すると、それはおのずと「物価の高騰」へとつながっていきます。

限られた経済圏に対して通貨のみを無条件給付した場合、その消費力を受け止めるだけの生産力がその経済圏になければおのずと物価は高騰します。物資が不足すれば、おのずとその経済圏の外にその生産力を求めるしか方法がなくなります。

勿論、その経済圏の内側の生産力を高めることが最良の手段ですが、それはそう早急にできることではありません。不足した「マスク」の供給が需要に追い付かず、必要とする場所に最良の生産物を届けるため、政府が海外から調達した生産物を全戸配布しましたよね?

あれにはそういう意味があります。

更に、海外の生産力のみに頼るようになれば、海外で何かあったときに、当然国内では急激な「供給不足」が起きてしまいます。通貨を供給する仕組みのみに着目し、日本国内の「生産力」を置き去りにした思想。これが「MMT(現代貨幣理論)」という考え方です。

例えば、MMTの考え方の中に「貨幣の信用・価値は、国家の徴税権によって保証されている」という考え方があるようですが、これは大きな誤りです。通貨の信用や価値は、その国内の「生産力」。日本人であればその「勤勉さ」によって保障されています。

これを忘れて通貨の供給のみに着目した思想に私は全く賛同することができません。

少しコロナの問題に関連させ「ハイパーインフレーション」のテーマを掘り下げてすぎてしまいました。

改めまして、次回記事ではこの後ドイツがどのようにして「ハイパーインフレーション」という状況から脱却することができたのか。ハイパーインフレーション下のドイツで起きたことと絡めまして、次回はこのテーマで記事を進めてみます。




このシリーズの次の記事
>> 第504回 ドイツはどのようにしてハイパーインフレーションを終息させたのか
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>> 第502回 ジョン・メイナード・ケインズの警告とルール占領までの経緯

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