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第488回 「アドルフ・ヒトラー」と「アーリア人至上主義」など、政治・経済を中心とした日常的な情報を、独自な視点で解析します。

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この記事のカテゴリー >>ナチスドイツは一体なぜ誕生したのか?


<継承する記事>第487回 「我が闘争上巻」より見るアドルフ・ヒットラーという人物像

前回の記事では、「アドルフ・ヒットラーという人物像」というタイトルの下、アドルフヒットラーという人物の幼少期。生い立ちについて簡単に記事にしてみました。

「我が闘争上巻」全体を見ていると、このヒットラーという人物が、非常に熱心な勉強家であり、本人が書籍中で「大好きな科目」として挙げている歴史以外にも、所謂素粒子物理学の事や遺伝の事なども、比較的俯瞰的に見る方法として学んでいることがわかります。

ただ・・・例えば遺伝の話であれば近親者同士が関係を持つと遺伝子的に異常がある子供が生まれたりするわけですが、そういった発想がないなとか、そういうツッコミどころも多分にある人物だとも思います。


アーリア人至上主義とは?

彼が批判される要素として登場するのが、この「アーリア人至上主義」という言葉。

私も このシリーズ を作成し始めた当初に出会った言葉なのですが、シリーズをスタートするとき、まずはドイツ人の中でも「プロイセン人」と「バイエルン人」という二つの民族に着目し、両民族の違いから記事を進めていきました。

前回の記事にも記した通り、ヒットラーは自身を「バイエルン人」だと考えており、またヒットラーが総統を務めた「ナチス」もバイエルンから登場しています。

で、この「プロイセン人」と「バイエルン人」に着目する最初の動機となったのがこのサブタイトルである「アーリア人至上主義」に含まれる、「アーリア人」という言葉が原因です。


「アーリア人」って何?

「アーリア人」という言葉は、実は私、ドイツ人の事を調べる以前から知っていまして、以前に作成していたブログで「インド」のことを調べていた時に初めて出会いました。

「アーリア人」とは元々現在のアフガニスタン辺りに住んでいた民族で、これが南下してパキスタン辺りに到着し、ここで宗教的な考え方の違いから分裂し、東に進んだのが「インド・アーリア人」。西に進んだのが「イラン・アーリア人」です。

インド・アーリア人たちが信仰していた宗教がバラモン教。イラン・アーリア人たちが信仰していたのがゾロアスター教です。

バラモン教は後にインド土着の民族であるドラヴィタとの融合を図り、例えば「シヴァ神」などはドラヴィタの土着の神様なのですが、バラモン教はこれを主神に据えたりしています。

で、バラモン教には「デーヴァ神族」という善の神族と「アスラ神族」という悪の神族がいるわけですが、「デーヴァ」はゾロアスター教では「ダエーワ」という悪魔となり、逆に「アスラ」は「アフラ=マズダ」というゾロアスター教の最高神となります。

この辺りでもインドとイランに別れたアーリア人が、なぜ別れることとなったのか。何となく想像がつきますよね。「ダエーワ」はヨーロッパまで渡ると更に「デビル」と名称を変えます。

ちなみに「イラン人」とは「ペルシャ人」の事。

アケメネス朝ペルシャ

こちらの地図は「世界の地図マップ」様サイトより拝借いたしました。

当時のペルシャの最大領土はここまで拡大したんですね。

ヒットラーは、現在の「インド・ヨーロッパ語族」のルーツがこのアーリア人にあると考えており、また更に、その中でも他の地域との混血が少ない地域=ドイツ(ゲルマン)人こそがそのアーリア人の血統をより濃く引き継いでいる、と考えていたのだと思われます。

では、ヒットラーはそもそもなんでそんなややこしいことにこだわったのか。ここに登場するのは「ユダヤ人」という存在です。


「ユダヤ人」って何?

現在のアフガニスタン辺りから南下し、「インド・アーリア人」と別れて西側を目指したのがヒットラーの考える「アーリア人」なのですが、では一方、「ユダヤ人」とはどのような人種なのでしょうか?

シュメール

こちらの地図も、「世界の地図マップ」様サイトより拝借しています。

ユダヤ人っていうのは、元々「チグリス=ユーフラテス川」の河口付近の「シュメール」という地域に住んでいた人たち。もともと、この地域にはユダヤ人とは別の民族がすんでいたのですが、ある時この地域が大洪水襲われ、元々シュメールの地に住んでいた人たちがいなくなってしまいます。

この、誰も住む人がいなくなった地域に、「どこからともなく」やってきたのが現在「シュメール人」と呼ばれている人たち。のちの「ユダヤ人」です。二番目の地図が、その「シュメール」の地図です。

シュメール人・・・っていう民族って、

1.同族間で争いを繰り広げる
2.負けた方がその地を追われ、別の地に移住する
3.移住した先でまた同族間で争いを起こし、負けた方が移住する
4.移住した先でまた同族間の争いを起こす

この歴史を繰り返します。

で、最終的にたどり着いたのがこちら。

イスラエル

そう。現在の「イスラエル」です。

ここでもシュメール人は「北イスラエル王国」と「南ユダ王国」に別れて争い、北イスラエルは南ユダ王国に敗れ、北イスラエルの住民は歴史から忽然と姿を消すこととなります。「失われた10支族」なんていわれたりします。

勝利した「ユダ王国」の名称が後の「ユダヤ人」という名称のルーツになるわけですが、ユダ王国もバビロニアによって滅ぼされその後、バビロニア→ペルシャ→エジプト→シリアからの支配を受けた後、一時的に自治を取り戻すのですが、再びローマからの支配を受けることとなり、ローマとの間で「ユダヤ戦争」が勃発。

ローマに敗北したユダヤ人は、その後散り散りになり、ヨーロッパ各地へと分散していくこととなります。


「アーリア人至上主義」

さて。ではいよいよの本題、「アーリア人至上主義」ですが、つまりヒットラーはヨーロッパに居住する民族を「アーリア人」と「ユダヤ人」に分けて考え、過去の歴史から考えても、文化を発展させてきたのはアーリア人であり、アーリア人の優秀な血筋こそ残していくべきだと考えました。

その中でもユダヤ人との間の混血が進んでおらず、より純粋性が保たれている民族こそゲルマン人=ドイツ人である、と考えたんですね。実は、ヒットラーはイギリス人に対しても同じ評価をしています。

イギリス人も純潔なアーリア人だと考えていたんですね。「ユダヤ人に対する差別だ」と言われればそれまでなんですが、ではヒットラーは一体なぜ、そこまでにユダヤ人とアーリア人を「区別」する必要性がある、と考えるに至ったのでしょうか?

前回記事から引っ張っている感じになってますが、次回記事ではそこにスポットを当ててみたいと思います。




このシリーズの次の記事
>> 第489回 ヒットラーはなぜ左翼とユダヤ人を嫌ったのか?
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>> 第487回 「我が闘争上巻」より見るアドルフ・ヒットラーという人物像

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