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第475回 ワイマール憲法と麻生発言の真意~「ナチスの手口」とは何なのか?~など、政治・経済を中心とした日常的な情報を、独自な視点で解析します。

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この記事のカテゴリー >>ナチスドイツは一体なぜ誕生したのか?


<継承する記事>第471回 ヴェルサイユ条約と敗戦後ドイツの「ハイパーインフレーション」

第468回の記事 では、敗戦後のドイツ社会主義について、第351回の記事 及び 第354回の記事 で話題にしたことを理由に、これ以上追いかけることはしない、と記したのですが、ベーベルとリープクネヒトが処刑された後のドイツ。

「右傾化」が進んでいくわけですが、社会主義ではなく、「右傾化」について、その様子を改めてドイツのシリーズでも記事にしていきたいと思います。

その中でも、今回は「ワイマール憲法」にポイントを絞って記事にしたいと思います。


ワイマール憲法の成立

ワイマール憲法

個人的に、いつ成立したんだろう・・・と思っていたこのワイマール憲法。成立はスパルタクス団蜂起の結果ベーベルとリープクネヒトが処刑された1919年と同じ年の7月末。公布されたのが8月11日でした。

第468回の記事 で少し話題にしましたが、元々独立社会民主党がレーテによる独裁を目的として結成した「大ベルリン労兵レーテ執行評議会」。

この評議会を中心として開催されたはずの「大レーテ大会(ドイツ全土の「レーテ」が集まって開催された大会)」において、独立社会民主党ではなく、「社会民主党」が多数派を占める「レーテ大会」が全権力を掌握することとなり、また更に同大会において1919年1月19日、「国民議会選挙」が開催されることが決定されました。

その後、「スパルタクス団蜂起」が勃発するわけですが、右派義勇軍(フライコール)が結成され、全権を委任された国防大臣「グスタフ・ノスケ」の下、同蜂起は鎮圧。

大レーテ大会にて決定した通り、1月19日の「国民議会選挙」は予定通り開催されました。

同選挙において政権第一党となったのは社会民主党(得票率37.9%)、第二党が中央党(同19.7%)、第三党がドイツ民主党(同18.6%)で、この3党が連立政府を形成しました。

この時の投票率は82.7%だったんだそうですよ。すごいですね。

ちなみに第4党がドイツ国家人民党、第5党が独立社会民主党、第6党がドイツ人民党。共産党は選挙そのものをボイコットしたのだそうです。

この選挙ではドイツで初めて比例代表制が採用されたほか、女性の参政権も求められたのだそうです。

選挙権年齢も25歳から20歳に引き下げられ、議席も人口が集中している地域に多く配分されるようになったのだそうです。現在の日本の選挙制度ととてもよく似ていますね。

2月11日には元々社会民主党党首であり、選挙前の共和制政府の首相であったエーベルトが大統領として選出されました。

エーベルトはドイツ革命時、勝手に共和制政府の樹立を宣言したシャイデマンを首相として指名しました。

その結果、採択されたのが「ワイマール憲法」です。

ワイマール憲法の事。私は一度記事にしたいとずっと考えていました。ですが、私自身がワイマール憲法について論じるほどの十分な知識を有していませんでしたし、ワイマール憲法成立に至った流れを十分に把握するも至っていませんでした。

その背景も知りませんでしたし、だからこそ私自身がこの話題を記事にすることはありませんでした。

「この話題」何のことを言っているのか、ページタイトルからご推察いただけると思います。そう。以下の動画で麻生さんがおっしゃった、「ワイマール憲法」と「あの手口」に関する話題です。




一番最初に申し上げたように、うわぁっとなった中で、狂騒の中で、狂乱の中で、騒々しい中で、決めてほしくない。

ちょっと皆さんよく、落ち着いて。我々を取り巻く環境は何なんだと、この状況をよく見てくださいと、いう世論というものの上に憲法改正というものは成し遂げられるべきなんだと。そうしないと間違ったものになりかねないということを思うわけです。

最後に、僕は今、3分の2っていう話がよく出てきますけど、じゃあ伺いますが、ドイツは、ヒトラーは、あれは民主主義によって、きちんとした議会で多数を握って、ヒトラー出てきたんですよ。

ヒトラーっていったらいかにも軍事力でとったような形、全然違いますよ。ヒトラーは、選挙で選ばれたんだから。ドイツ国民はヒトラーを選んだんですよ。間違えんでくださいよこれ。

そして、彼はきちんとワイマール憲法という、当時ヨーロッパでもっとも進んだ憲法下にあって、ヒトラーが出てきたんだから。だから常に、憲法はよくても、そういうことはありうるということですよ。

ここはよくよく頭に入れておかないといけないんあって、私どもは、憲法はきちんと改正すべきだとずっと言い続けてきてますけど、その上で、これをどう運営していくかは、かかって皆さん方が選ぶ、投票する議員の行動であったり、その人たちがもっている見識であったり、矜持であったり、そういったようなものが最終的に決めていくんだから。

私どもは、周りに置かれている状況は、極めて厳しい状況になっていると認識していますから、それなりに予算で対応しておりますし、事実、若い人の意識は、今回の世論調査でも、20代、30代の方が、極めて前向き。一番足りないのは50代、60代。ここに一番多いけど。

ここが一番問題なんです。私らから言ったら。なんとなくいい思いをした世代。バブルの時代でいい思いをした世代が、ところが、今の20代、30代は、バブルでいい思いなんて一つもしていないですから。記憶あるときから就職難。記憶のあるときから不況ですよ。

この人たちの方が、よほどしゃべっていて現実的。50代、60代、一番頼りないと思う。しゃべっていて。おれたちの世代になると、戦前、戦後の不況を知っているから、結構しゃべる。しかし、そうじゃない。

しつこく言いますけど、そういった意味で、憲法改正は静かに、みんなでもう一度考えてください。どこが問題なのか。きちっと、書いて、おれたちは(自民党憲法改正草案を)作ったよ。べちゃべちゃ、べちゃべちゃ、いろんな意見を何十時間もかけて、作り上げた。そういった思いが、我々にある。

そのときに喧々諤々、やりあった。30人いようと、40人いようと、極めて静かに対応してきた。自民党の部会で怒鳴りあいもなく。

『ちょっと待ってください、違うんじゃないですか』と言うと、『そうか』と。偉い人が『ちょっと待て』と。『しかし、君ね』と、偉かったというべきか、元大臣が、30代の若い当選2回ぐらいの若い国会議員に、『そうか、そういう考え方もあるんだな』ということを聞けるところが、自民党のすごいところだなと。何回か参加してそう思いました。

ぜひ、そういう中で作られた。ぜひ、今回の憲法の話も、私どもは狂騒の中、わーっとなったときの中でやってほしくない。

靖国神社の話にしても、静かに参拝すべきなんですよ。騒ぎにするのがおかしいんだって。静かに、お国のために命を投げ出してくれた人に対して、敬意と感謝の念を払わない方がおかしい。静かに、きちっとお参りすればいい。

何も、戦争に負けた日だけ行くことはない。いろんな日がある。大祭の日だってある。8月15日だけに限っていくから、また話が込み入る。日露戦争に勝った日でも行けって。といったおかげで、えらい物議をかもしたこともありますが。

僕は4月28日、忘れもしません、4月28日、昭和27年、その日から、今日は日本が独立した日だからと、言って、月曜日だったかなぁ。靖国神社に連れて行かれましたよ。それが私が初めて靖国神社に参拝した記憶です。

それから今日まで、結構年食ってからも毎年1回、必ず行っていると思いますけれども、そういったようなもんで行ったときに、わーわー、わーわー騒ぎになったのは、いつからですか、これは。

昔はみんな静かに行っておられましたよ。各総理もみんな行っておられたんですよ、これは。いつから騒ぎにしたんです。マスコミですよ。違いますかね?(大きな拍手)

いつのときからか、騒ぎになった。と、私は思う。騒がれたら、中国も騒がざるをえない。韓国も騒ぎますよ。だから、静かにやろうやと。いうんで、憲法は、ある日気づいたら、ドイツもさっき話しましたけれども、ワイマール憲法がいつの間にか変わってて、ナチス憲法に変わっていたんですよ。だれも気がづかないで変わったんだ。あの手口学んだらどうかね。

もうちょっと、わーわー騒がないで。

本当に、みんないい憲法と、いや言って、みんな納得して、あの憲法変わっているからね。だから、ぜひ、そういった意味で、僕は民主主義を否定するつもりはまったくありませんし、しかし、私どもはこういった物は重ねて言いますが、喧噪の中で決めないでほしい。

「ヒットラー」という人物について私が論じるのは、第471回の記事 でもお伝えしましたように、彼自身の著書である「我が闘争」。

この上下巻を読破してからにしようと思っています。

現時点ではまだ上巻の3/4程度までしか読めていません。ですが、ヒットラーという人物の為人についてはおぼろげながら把握しつつある、という状況だと現時点では思っています。

「ワイマール憲法」が成立した後の経緯についてもこれから学んでいこうとは思っているのですが、その上で、前記した麻生さんの発言について、本日は話題にしていきたいと思います。



麻生発言のポイント

多くの人が勘違いしていて、マスコミや野党陣営が必死に印象操作に利用した部分が麻生さんの発言の内

 憲法は、ある日気づいたら、ドイツもさっき話しましたけれども、ワイマール憲法がいつの間にか変わってて、ナチス憲法に変わっていたんですよ。だれも気がづかないで変わったんだ。あの手口学んだらどうかね

という部分だと思います。

麻生さんの発言の内、着目していただきたい部分は、実は二つありまして、一つ目が次の部分。

 ①ここはよくよく頭に入れておかないといけないんあって、私どもは、憲法はきちんと改正すべきだとずっと言い続けてきてますけど、その上で、これをどう運営していくかは、かかって皆さん方が選ぶ、投票する議員の行動であったり、その人たちがもっている見識であったり、矜持であったり、そういったようなものが最終的に決めていくんだから。

という部分です。この言葉がどういった表現に続いて登場しているのかと申しますと、以下の通り。

 ②ドイツは、ヒトラーは、あれは民主主義によって、きちんとした議会で多数を握って、ヒトラー出てきたんですよ。

ヒトラーっていったらいかにも軍事力でとったような形、全然違いますよ。ヒトラーは、選挙で選ばれたんだから。ドイツ国民はヒトラーを選んだんですよ。間違えんでくださいよこれ。

そして、彼はきちんとワイマール憲法という、当時ヨーロッパでもっとも進んだ憲法下にあって、ヒトラーが出てきたんだから。だから常に、憲法はよくても、そういうことはありうるということですよ。


麻生さんはこのスピーチを、どちらかというと麻生さんを支持する層。そして、憲法を改正すべきだと考える人たちに向けて行っています。

ですから、①についても、②についても、それは憲法を改正すべきだと考える人たちに向けて発信しているメッセージだということがわかります。


「ワイマール憲法」はどのようにして「ナチス憲法」へと変化していったのか

ワイマール憲法の中身にまで詳細に触れることはしませんが、麻生さん自身も言っているように、「ワイマール憲法」とは、「当時は世界で最も民主的な憲法とされ」ていて、第1条において「国民主権」が規定されていたり、その他「114、115、117、118、123、124、153」の条文では「基本的人権」が規定されていたりします。

ですが、この憲法で問題があったのは

「公安に著しい障害が生じ或いはその虞がある時は、大統領は障害回復のために必要な措置を取り、また武力介入が出来る。このために大統領は基本的人権を一時的に停止出来る」

との条文が含まれていたり、体制として大統領制がとられていて、大統領には「憲法停止の非常大権などの強大な権限」が与えられていたこと。

そして、大統領は、「国家宰相(首相)の任免を行う」ことができました。

大統領制をとっていましたが、大統領にはかつての「皇帝」のような役割が充てられていたんですね。

と言っても、このような制度は現在の米国などにも存在しますよね?

これに対し、麻生さんは

『私どもは、憲法はきちんと改正すべきだとずっと言い続けてきてますけど、その上で、これをどう運営していくかは、かかって皆さん方が選ぶ、投票する議員の行動であったり、その人たちがもっている見識であったり、矜持であったり、そういったようなものが最終的に決めていくんだから』

と言及しているわけです。つまり、同じ「憲法」でも、それはこれを運営する側によっていかようにでも変化していくことを指摘しているんです。

当時世界一民主的だと言われたワイマール憲法でさえ、これを運用する側の判断によって、最終的には「ナチス憲法」へと姿を変えてしまったわけですから。

「ナチス憲法」に姿を変える経緯としては、

1.世界恐慌の勃発による、社会民主党内閣の辞任
2.ヒンデンブルク大統領の「大統領緊急命令権」の発動。議会内少数派の首相就任(議院内閣制の停止:1930年)
3.1933年1月、ヒットラー内閣の誕生(ヒンデンブルク大統領の任命による)
4.国会議事堂放火事件の勃発(ヒットラーはこれを共産党員の仕業であると断定)
5.大統領により「民族と国家を防衛するための大統領緊急令」の発令(対共産党員:基本的人権の停止)
6.社会民主党議員の議会からの追放、及び弾圧
7.全権委任法の成立

という流れです。詳細は後日記事にします。

5~7は事実上ヒットラーによって行われたものですが、やり方としますと、ビスマルクによって「社会主義者鎮圧法」が実行された経緯 と非常によく似ていますね?

まだ途中ではありますが、「我が闘争」に記されている内容を見てみますと、ヒットラーの目指した「社会」とは、ビスマルク体制下、ヴィルヘルム1世の時代のドイツ帝国を復活させることにあったのではないか、と思われる節が多々見られます。

今回は麻生さんのスピーチを分析することを目的としていますので、この事について多く言及することは控えますが、多分、ビスマルクが行った「社会主義者鎮圧法」を批判する人は、そう多くはないのではないかと思います。

ではヒットラーの取った行為はどうでしょうか? ビスマルクの時は何も批判しなかったのに、ヒットラーの仕業になると急に批判に転じている人はいませんか?

そういった視点で、例えばネット上の記述なども見てみると少し違った見方ができるのではないかと考えています。


話が逸れましたが、ワイマール憲法が「ナチス憲法」へと変質していく過程が、「うわぁっとなった中で、狂騒の中で、狂乱の中で、騒々しい中で」進んでいっているように見えませんか?

また、このようなやり方を積極的に推し進めたのがあたかもヒットラーであるかのように見えてしまいますが、実はヒットラーが権力の座に就く以前より、大統領となったヒンデンブルクは「大統領緊急命令」を多用することで政権を運営していました。

そして、何よりドイツ国民は既に「議会制民主主義」に対して失望しており、大衆はヒンデンブルクのこのような権威主義的な政権運営を支持していました。

ここを一つ、押さえておきたいと思います。


改憲論者への忠告とマスコミ批判

もう一つ、着目していただきたいの以下のフレーズです。

 ③本当に、みんないい憲法と、いや言って、みんな納得して、あの憲法変わっているからね。だから、ぜひ、そういった意味で、僕は民主主義を否定するつもりはまったくありませんし、しかし、私どもはこういった物は重ねて言いますが、喧噪の中で決めないでほしい。

このフレーズを、「ナチス憲法が、みんないい憲法だと納得して成立したんだ」と勘違いしている人も多いのではないでしょうか?

ですが、ここでいう「憲法」とは、「ナチス憲法」のことではなく、「ワイマール憲法」のことです。

そして「変わった」というのは「全権委任法」がワイマール憲法下で国会審議を通過したということ。憲法に賛成した政党は、

「国家社会主義ドイツ労働者党(所謂ナチス)」、「ドイツ国家人民党」、「中央党」、「バイエルン人民党」、「ドイツ国家党」、「キリスト教社会人民運動」、「ドイツ人民党」、「ドイツ農民党」、「ドイツ農民連盟」の合計9つの政党で、合計441の投票数。

唯一反対したのがドイツ社会民主党でしたが、その票数は94票。

441票対94票で「全権委任法」は成立し、「ワイマール憲法」は「ナチス憲法」へと姿を変えたのです。

ここは私の推測ですが、この時ドイツの「マスコミ」、即ち新聞社は大騒ぎしていたんじゃないでしょうか?

いつのときからか、騒ぎになった。と、私は思う。騒がれたら、中国も騒がざるをえない。韓国も騒ぎますよ。

だから、静かにやろうやと。いうんで、憲法は、ある日気づいたら、ドイツもさっき話しましたけれども、ワイマール憲法がいつの間にか変わってて、ナチス憲法に変わっていたんですよ。

だれも気がづかないで変わったんだ。あの手口学んだらどうかね。

「全権委任法」が成立したとき、ドイツの憲法の名前は、「ワイマール憲法」という名称でした。

「ナチス憲法」などという名称ではありません。

ですが、「ワイマール憲法」を成立させたのは「全権委任法」の成立に反対したはずの社会民主党を中心とした政党です。

「ワイマール憲法」は気が付いた時には、いつの間にか「ナチス憲法」へと姿を変えていたわけです。


 あの手口に学んだらどうかね

という麻生さんの言葉は、ほかでもありません。靖国参拝を「わーわー、わーわー」と「騒ぎ」にしてしまった、マスコミに向けて放たれた言葉です。マスコミと、おそらく「野党陣営」に対しても。

麻生さんは、きっとこういったドイツの歴史を非常によくご存じなのでしょう。ですが、このようなドイツの歴史を全く理解していない連中が、浅はかな知識で麻生さんの歴史解釈を批判し、「イデオロギーの攻撃」のために利用する。

無知なのはどちらかと、私は本当に訴えたい!


 我々を取り巻く環境は何なんだと、この状況をよく見てくださいと、いう世論というものの上に憲法改正というものは成し遂げられるべきなんだと。そうしないと間違ったものになりかねないということを思うわけです。

という麻生さんの言葉って本当に重いと思います。

現時点で、安倍さんは憲法9条に対して、第3条を書き加える、「加憲」という方法で妥協せざるを得なくなっています。

なぜでしょう? 真剣に議論して、自民党は自民党として、良し悪しは別として、きちんとした「改憲案」を持っているにも関わらずです。

「わーわー、わーわー」と騒ぎ立てる人たちがいるからですよ。

マスコミはまた、同じ歴史を繰り返したいんでしょうか?


この批判は、私がこれから記していく記事の中でも多々、登場することとなると思います。

ハッキリ言えば、「第二次世界大戦」という大惨事を引き起こした最大の理由は、敢えてこの言葉を用いますが、「左翼」と「マスコミ」の存在があったからです。

もちろん、人間にも、社会にも、国家にも様々な失敗を経て、成長する必要がありますから、そういう時代もまた必要だったのだと思います。

ですが、であればその失敗を糧に、人間は成長する必要があるのではないでしょうか?

ですが、あれほどの大惨事を引き起こしたにもかかわらず、未だに成長せず、前時代的な思考のまま固まっているのが「マスコミ」と「左翼」です。これはつくづく思います。

今更何を言っているんだと思う方もたくさんいらっしゃると思いますが、このシリーズのクライマックスに向けて、これから作成していく記事の中で、徐々にその理由をご理解いただけるようになると思います。

次回記事では、更に第一次世界大戦後ドイツの「右傾化」について記事を進めていければと思っています。



このシリーズの次の記事
>> 第483回 バイエルン・レーテ共和国の誕生とアドルフ・ヒトラーの登場
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