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第452回 ヴィルヘルム2世の政策~場当たり的な政策が醸し出す未来~など、政治・経済を中心とした日常的な情報を、独自な視点で解析します。

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この記事のカテゴリー >>ナチスドイツは一体なぜ誕生したのか?


<継承する記事>第451回 近代日本の礎を築いたビスマルク〜岩倉使節団との邂逅〜

ここからまた難しくなりますね。

ヴィルヘルム2世が行ったことを理解するためには、まずヴィルヘルム2世という人物の人となりを理解する必要があると思うのですが、ざっくりとヴィルヘルム2世がやったことしかまだ私の知識の中にはないので、現時点では困難さを覚えています。

単に彼が執り行ったことをここに列挙し、「この政策がこんな結果を招いた」と批判するだけであれば簡単なのですが、ヴィルヘルム2世はヴィルヘルム2世なりに、各政策を行った理由というのが存在するはずなんです。

現時点で情報としてあるのは、ヴィルヘルム2世は自身の祖父であるヴィルヘルム1世がビスマルクの陰に隠れて、ヴィルヘルム1世の政策ではなく、ビスマルクの政策がプロイセンだけでなくやがて誕生する「ドイツ帝国」まで含めてその方向性を決めていたことに子供ながら疑問を覚えていたということ。


社会主義者鎮圧法の廃止と労働者保護勅令

ビスマルクの考え方も理解していたし、祖父ヴィルヘルム1世を尊敬こそしていたものの、どことなく「なんでおじいちゃんが皇帝なのに、配下であるビスマルクの言うことに従っているんだろう」といった疑問を彼は持ちつ続けていたんじゃないかと思うのです。

そんな彼が皇帝としてまず実現しようとしていたのは「労働者保護勅令」を成立させること。

けれどもビスマルクは、「いや、それをやるんだったら先に社会主義者鎮圧法を無期限で延長させなきゃ」という主張を行っていたわけです。

だからこそビスマルクはヴィルヘルム2世との謁見の中で感じた手ごたえを根拠に「社会主義者鎮圧法の無期限延期」とともに『「労働者保護勅令」が反映された「労働者保護法案」』を提出する方針を示したのです。

ビスマルクは別にヴィルヘルム2世が主張する「労働者保護勅令」を軽んじていたわけでもなんでもなかったのではないか、と私は思うのです。

ですが、この一点で両者は対立し、ビスマルクは首相を辞職し、表舞台から去ってしまうことになります。

誤解なき様に記しておきますと、「社会主義者鎮圧法」においてビスマルクとヴィルヘルム2世が対立していたのは、同条文から「社会主義者を住居から立ち退かせる権限を警察に認める条項」を削除するかどうかということについてであり同法案を無期限に延長するのかどうかということではありません。

結果的にヴィルヘルム2世は社会主義者鎮圧法の延長を認めず、同法案は廃止されることとなりました。これが、第449回の記事 で記した内容です。


ヴィルヘルム2世とレオ・フォン・カプリヴィ

ビスマルク失脚後のドイツでは、「レオ・フォン・カプリヴィ」という人物が首相となり、ヴィルヘルム2世の政策を支えることとなります。

Wikiを中心に見ているのですが、現在私の頭の中にはいくつかの疑問が沸き起こっています。

カプリヴィの政策として、どうもビスマルクの政策と対立する政策がとられたかのような記述が目立つのですが、私は決してそうではないような気がするのです。

ヴィルヘルム2世の下、彼が実行した政策の一つとして、「労働者保護政策」が挙げられています。これはヴィルヘルム2世が実行していようとしていた政策と同じもので、

・産業裁判所を設立(労使紛争の調停)

・13歳未満の子供の雇用の禁止

・13歳から18歳の労働時間を1日10時間以内に定める

・日曜日の労働禁止

・最低賃金制度の導入

・女性の労働時間を1日11時間以内とする

といった内容です。ですが、既に私は述べていますように、ビスマルクは「これをやるんだったら「社会主義者鎮圧法の無期限延長を先に行うべきだ」主張していたのであって、この内容そのものに反対していたわけではないと思うのです。

何よりビスマルクは

・「労災保険制度」
・「疾病保険法」
・「障害・老齢保険法案」

という3つの法制度を実現した人物であり、実際にビスマルクも同じ「労働者保護法案」を提出する方針を示しています。

ですから、これを以てカプリヴィがビスマルクの方針を転換したかのように記すのはミスリードなのではないかと私は思います。


また、

「ビスマルク時代に徹底的に分離された教育と教会を再び結びつけようとして、カトリック教会の教育への介入を大幅に認める学校教育法の法案を議会に提出した」

とも掲載されているのですが、ビスマルクが徹底的に教育と教会を分離しようとしていたのは「ドイツ社会民主労働党」と「全ドイツ労働者協会」が統合して「ドイツ社会主義労働者党」が誕生し、議会でもその議席数を増やしたことを受け、社会主義者対策の必要性を実感させられるまでのこと。

それ以降はカトリック政党である中央党とも和解することを目指すようになっています。

ですので、ここもまた、ビスマルクと方針を大きく転換したように掲載されており、「ミスリード」であるのではないかと思います。

ただ、これは結果的に議会の自由主義者たちから痛烈な批判の的とされ、またヴィルヘルム2世からも強硬に反対され、カプリヴィは議会から大きく信頼を失ってしまうこととなります。


ヴィルヘルム2世の外交政策

時系列順なので、あくまでこれはビスマルクが失脚した直後に当たる時期の外交政策です。

第450回の記事 で、ヴィルヘルム2世が「世界政策」と呼ばれる外交政策を推進したことを記事にしました。

彼が行った外交政策の中で、最初に目にするのは「独露再保障条約」の更新を行わなかった、という記述です。

独露再保障条約とは、第447回の記事 でも掲載しましたが、1881年に成立した「三帝協定」がバルカン半島をめぐる墺露の対立で三帝同盟に引き続き崩壊した後、ロシアとフランスを接近させないためにビスマルクがロシアとの間で締結したもの。

1887年6月18日のことです。期限が3年とされ、1890年に更新時期を迎えたのですが、ヴィルヘルム2世はこれを更新しませんでした。

ビスマルクは、フランスとロシアを接近させないために同条約を締結したのですが、ヴィルヘルム2世はこれを理解しておらず、条約の更新を拒否します。(ロシアは更新を望んでいました)

その理由としてWikiベースではヴィルヘルム2世がロシアよりもロシアと対立関係にあるオーストリアやイギリスとの関係を重視したからだ、とあるのですが、これを具体的に裏付ける資料は今のところ見つけていません。

ですので、現時点では「ヴィルヘルム2世が独露再保障条約の更新を拒否した」という事実だけご認識いただければと思います。

そしてその結果、ビスマルクが恐れていたようにロシアはフランスと接近し、「露仏同盟」を締結することとなります。

改めてこちらの地図をば。

1900.jpg

ロシアはともかく、フランスはドイツに対して恨みを抱いている国です。そしてそのフランスとロシアが同盟関係となり、完全にドイツは両国に挟まれていますね。

ただ、フランスがドイツと敵対することは理解できるんですが、ロシアがそこまでフランスに執心した理由がいまいちはっきりとしません。

推測するとすれば、ドイツがオーストリアとの結びつきが強いことはビスマルク時代から継続していることですし、ロシアはバルカン問題をめぐって、そんなオーストリアと対立関係にあります。

一方でフランスはドイツと対立関係にありますから、そんなフランスとロシアとの利害関係が一致したということでしょうか。

そんな中ドイツはその主役がビスマルクからヴィルヘルム2世に移行しており、ロシアとの結びつきの裏付けとなっていた再保障条約の更新を拒否されたわけですから、ある意味当然の結果であったといえるのかもしれないですね。

つまり、ロシアはフランスを助けるためにドイツと対立関係に陥り始めていたということでしょうか。

しかし、そんなロシアとフランスがドイツと組んで日本に「三国干渉」を行うわけです。意味が分かりませんね。ちなみにこの時ロシアはフランスやドイツだけでなく、イギリスにも声をかけています。乗ってきたのはフランスとドイツだけだったということですね。


ちなみに、日本とドイツに対立構造が生まれるキーパーソンとなっているのが、マックス・フォン・ブラントという人物。

彼の略歴を掲載しますと、
伯爵の率いるプロイセン王国東アジア使節団に武官として随行。

1861年(文久元年)1月24日の日普修好通商条約調印に立ち会う。

1862年(文久2年)12月、プロイセン王国の初代駐日領事として横浜に着任、北ドイツ連邦総領事

1868年(明治元年)駐日プロイセン王国代理公使

1872年(明治5年)、駐日ドイツ帝国全権公使

1875年(明治8年)、清国大使となり、離日

とあります。日本とも非常に縁の深い人物です。

彼は、プロイセンが「北ドイツ連邦」になった当時、ビスマルクに対し、北海道をドイツの植民地とすることを提案した人物でもあります。しかし、ビスマルクはドイツ統一に必死で、当然のようにしてブラントの提言を突っぱねています。

この事は、実は日本が欧州の事を意識し、近代化する必要性を意識するきっかけともなった事件であったようです。

そして、そんなマックス・フォン・ブラント。彼はヴィルヘルム2世に対して、「黄禍論」という考え方を吹き込みます。

ブラントがヴィルヘルム2世に吹き込んだ考え方ですので、ヴィルヘルム2世に関する記述を引用しますと、ブラントがどのようにヴィルヘルム2世にこの「黄禍論」を吹き込んだのかということが推察できますね。

【ヴィルヘルム2世の主張する『黄禍論』】
かつてのオスマン帝国やモンゴルのヨーロッパ遠征にみられるように、黄色人種の興隆はキリスト教文明ないしヨーロッパ文明の運命にかかわる大問題でああり、この「黄禍」に対して、ヨーロッパ列強は一致して対抗すべきである。

特にロシアは地理的に「黄禍」を阻止する前衛の役割を果すべきであるから、ドイツはそのためにロシアを支援して黄色人種を抑圧する

多分これ、一種の「陰謀論」のようなものだと思うんですよね。
黄禍

Wikiから拝借した画像ですが、説明書きとして以下のような文章が記されています。

右手の田園で燃え盛る炎の中に仏陀がおり、左手の十字架が頭上に輝く高台には、ブリタニア(イギリス)、ゲルマニア(ドイツ)、マリアンヌ(フランス)などヨーロッパ諸国を擬人化した女神たちの前でキリスト教の大天使ミカエルが戦いを呼び掛けている。

中二病か、と。

ヴィルヘルム2世が歴史画家ヘルマン・クナックフースという人物に命じて描かせた「寓意画」なのだそうです。

タイトルは、「ヨーロッパの諸国民よ、諸君らの最も神聖な宝を守れ」。

ビスマルクなら絶対にしない発想ですね。ちなみに、ビスマルクはユダヤ人に対しても非常に寛容で、能力のある人物は重用していたのだそうです。偏見を持たない人物だったんですね。

一方のヴィルヘルム2世は・・・。簡単にマックス・フォン・ブラントの口車に乗せられ、こんな中二病的な発想の下、三国干渉を行い、山東省への植民地化政策を行っていくのです。


少し暴走しました。

ヴィルヘルム2世は、イギリスとの間では「ヘルゴランド=ザンジバル条約」を締結し、自国領の一部と引き換えにアフリカの南方のある「ザンジバル」という領土を獲得します。

この事をきっかけとして、ビスマルク時代よりドイツがオーストリア、イタリアとの間で締結していた「三国同盟」にイギリスを引き入れようとするのですが、イギリスはこれを拒否。しかしこれ以降ヴィルヘルム2世は「親英反露」政策をとるのだとか。

にもかかわらず、「1894年11月にロシア皇帝に即位したニコライ2世とは親しくしていた」とか、意味が分かりません。

この後、ヴィルヘルム2世はそれこそビスマルク時代とは大きく方針を転換し、「植民地政策」を推進し、その一環として山東省も事実上植民地化することになります。このヴィルヘルム2世の政策を「世界政策」と呼びます。

ビスマルクは、イギリスやフランスの植民地政策を促進させることで、両国の視線がドイツに向かわないように努力していたのですが、ヴィルヘルム2世は逆位両国に肩を並べようとして植民地政策に邁進することで、やがて両国を敵に回すことになるんですね。

ビスマルク政策以降、ドイツに住民が増えていたため、ドイツ住民を植民地に移住させたい、という思いもあったようです。


ビスマルクを退陣させてまで実行した「労働者保護法」ですが、ヴィルヘルム2世が期待したほど労働者からの支持が伸びず、以降逆にヴィルヘルム2世は労働者を弾圧する方向へ方針転換します。

一方でプロイセンの宰相となったボート・ツー・オイレンブルクという人物と組んで「転覆防止法」という、「政府への政治的反対行為の処罰を強化する法律」を提起するのですが、これはドイツ宰相であったカプリヴィが反対し、ヴィルヘルム2世は両者を宰相職から罷免します。1894年10月26日のことです。

なんだか滅茶苦茶ですね。じゃあ一体何のためにビスマルクが主張した社会主義者鎮圧法無期限延長を拒否したのか。

やってることが悉く場当たり的であるように感じます。

カプリヴィに続いてドイツ首相となったクロートヴィヒ・ツー・ホーエンローエ=シリングスフュルストの下、「転覆防止法案」が議会に提出されるのですが、否決。

以降、たびたび同種の弾圧法案が議会に提出されるのですが、悉く否決されます。

なんだかこの先が見えてきそうな流れです。ヴィルヘルム2世は、やはり国家を統治する器ではなかったということでしょうか。

グダグダ感漂う今回の記事ですが、長くなってまいりましたので、いったんここで記事を閉じ、次回記事へと続きは委ねることにします。



このシリーズの次の記事
>> 第453回 諸悪の根源? ヴィルヘルム2世がもたらす災厄
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>> 第450回 ヴィルヘルム2世の「世界政策」に巻き込まれた清国と日本

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