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第443回 ビスマルクのとった社会主義者対策~社会主義者鎮圧法~など、政治・経済を中心とした日常的な情報を、独自な視点で解析します。

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この記事のカテゴリー >>ナチスドイツは一体なぜ誕生したのか?


<継承する記事>第442回 ビスマルクの恐れた社会主義~パリ・コミューンの樹立~

前回までの記事で追いかけてきましたように、ドイツ帝国が誕生し、ようやくヨーロッパ全土に「平和」が訪れた頃、ドイツ帝国内で台頭し始めた「社会主義勢力」。

その最も顕著なグループが「ドイツ社会民主労働党」と「全ドイツ労働者協会」と、その両勢力が統合して誕生した「ドイツ社会主義労働者党」。

そこにはすでに「全ドイツ労働者協会」を発足させ、ビスマルクと一定以上の信頼関係を築いたラッサールの思いは既になく、隣国フランスで発足した「パリ・コミューン」の支持を真っ先に表明した両党が統合し、たかが12議席とはいえこれまでの総選挙を大きく上回る議席数を獲得した「ドイツ社会主義労働者党」。

この政党の躍進は、ビスマルクに危機感を覚えさせました。

ビスマルクは社会主義者であったラッサールと一定以上の信頼関係を築きましたし、彼の死後、ラッサールの同意であったローター・ブハーを自身の側近とするほどでしたから、「社会主義」そのものには一定以上の理解を示していたものと思われます。

実際、ラッサールの目指した社会保障政策は、「普通選挙制度」まで含めてビスマルクの手で次々と実現されていきました。

ですが、それでもビスマルクが「ドイツ社会主義労働者党」を恐れた理由は、同政党がラッサールではなく、マルクスの影響を強く受けた連中で結成されていたこと。

ラッサールの目指していた社会主義は、政府との「対話」との中で生み出されるものであったのに対し、ベーベルやリープクネヒトが発足させた「ドイツ社会民主労働党」やシュバイツァーが会長職を辞任した後の「全ドイツ労働者協会」が目指していた社会主義は、あくまでも「共産主義社会」を目指す途中経過にすぎず、彼らが目指していたのは「プロレタリア独裁政府の発足」。

つまり、プロレタリアートによる「革命」を起こすことです。

ビスマルクからすれば、そんな「革命」を起こす必要のない社会を作ろうと、(矛盾しているようですが)2度の戦争まで起こして「ドイツ帝国」を作り上げたわけです。


話題は逸れますが・・・

第67回の記事等 におきまして、私は「2.26事件」という日本で起きたクーデター未遂事件について何度か取り上げたことがあります。

その犠牲者の一人として有名なのが「高橋是清」です。彼は、第一次世界大戦後、「昭和金融恐慌」及び「昭和恐慌」という二度の不況に襲われた日本を、奇抜な財政政策によってその不況の渦より脱却させた人物です。

ですが、2.26事件を起こした「皇道派」と呼ばれる軍人たちは、是清のおかげで当時の日本国経済が立ち直りつつあるにも関わらず、それを信じることができずにいましたから、自分たちの生活が苦しいのは政府のせいであると考え、是清もそんな自分たちの生活を苦しめる政府側の人間の一人である、と思い込んで暗殺してしまいました。

自分たちがクーデターを起こし、「天皇を輔弼(助言)する役割のある政府側の人間」を全滅させ、自分たちの考える政治を実現することで、自分たちの生活が豊かになると考えたのです。

ですが、皇道派(北一輝らの受けた日本版共産主義を妄信した軍人たち)の軍人たちが望む生活は、今まさに高橋是清の政策のおかげで実現されようとするその真っ只中にあったのです。

日本軍の中でもう一つの派閥を構成していた統制派が、陸軍大学校出身の、いわば「エリート層」で構成されていたのに対し、行動派の中にそのような陸軍大学出身の者はほとんどおらず、農村出身の者も多い派閥でした。つまり、仕事がないから軍人となっている者も多かったわけです。

欧州風に考えれば、彼らは「プロレタリアート」的な存在でした。

ビスマルクの政治から考えてもそうなのですが、プロレタリアートたちは、自分たちの生活が向上する兆しを見せ始めた、もしくは自分たちが実現したいと考える社会が実現され始めた頃に革命に向けた動きを見せ始める傾向がある様に感じます。

現在の日本の共産党や社会主義政党の動きを見ていても同様に感じられるのですが、彼らは自分たちがやろうとしていることを、権力側の手で実現することを好ましく思わない傾向があるのではないでしょうか? 結果ではなくプロセスを重視しすぎる余り、「国民」にとって本当に大切なものが何なのか。これを完全に忘れてしまった存在。

それが「共産党」や「立憲民主党」、そして「自由党」や「社民党」といった正当なのではないか・・・と、そう思われてなりません。

ビスマルクのとった対社会主義政策

「ビスマルクのとった対社会主義政策」とは、即ち「社会主義者鎮圧法」の事。正式名称は、「社会民主主義の公安を害する恐れのある動きに対する法律」。

この法律が制定されたきっかけとして、ビスマルクにとっての君主であるドイツ帝国皇帝ヴィルヘルム1世が、2度にわたって暗殺未遂事件に巻き込まれたことがあります。(1878年5月11日及び6月2日)

これをきっかけとしてビスマルクは「社会主義者鎮圧法」を制定しました。

1度目の発砲事件の犯人はマックス・ヘーデルというブリキ職人で、元ドイツ社会主義労働者党の党員。

2度目の発砲事件の犯人はカール・エドゥアルト・ノビリングという人物で、「博士」だったのだそうです。

1度目の発砲事件の弾丸は誰にも命中することはなかったのですが、ビスマルクはこれを社会主義労働者党の策略であるとし、この時に初めて「社会主義者鎮圧法案」を帝国議会に提案するのですが、この時は保守政党である国民自由党(議会多数派)が反対し、否決されました。

ただし、反対した理由は同政党が原則として「例外法」には反対していたためで、心情的には賛成はが多数いたことは事実であるようです。

2度目の発砲事件では弾丸がヴィルヘルム1世に命中し、その後数日間ヴィルヘルム1世は危篤状態となったのだそうです。

その後、彼は息を吹き返すものの、5か月間の入院生活を送ることとなりました。犯人は逮捕される直前に自殺を試みますが、即死には至らず、事件から3か月後、この時の傷が元で獄中死したのだそうです。

ですが、この犯人はそもそも何らかの政治思想があるわけではありませんでした。

ですが、ビスマルクはこれを受け、帝国議会の解散を宣言します。

ビスマルク政権寄りの新聞社が更に社会主義の危険性を訴える記事を掲載し、社会主義者への恐怖が煽られる中で、解散総選挙が行われ、ビスマルクは「社会主義者鎮圧法の是非」を訴えました。

このやり方は、「郵政民営化の是非」を問うて解散総選挙を行った小泉内閣のやり方とよく似ていますね。更によく似ているのが、この選挙の真の目的が、社会主義者鎮圧法に反対した「国民自由党」から、社会主義者鎮圧法に反対した議員を一掃することにあったこと。

国民自由党は、常にビスマルクの支持政党でったわけではありませんが、ドイツ帝国首相としてビスマルクが就任後の「最大多数政党」であったことを考えると、小泉内閣時代の自由民主党とよく似た存在であったと思います。

そしてビスマルクは、国民自由党から反対勢力を一斉するため、を「政府系・保守系の新聞」を利用しました。つまり、法案に反対した国民自由党を、「皇帝を守らなかった」と喧伝し、その結果、国民自由党からの立候補者のほとんどが社会主義者鎮圧法への賛成を公約として掲げたのだそうです。小泉内閣も同様にマスメディアを利用したところもありましたね。

結果、1876年7月にビスマルクの支援を受けて結成された「ドイツ保守党」、そしてプロイセン時代の「自由保守党」が名を変えた「ドイツ帝国党」が議席数を伸ばし、両政党の合計議席数が国民自由党と肩を並べるほどになりました。

国民自由党の面々も社会主義者鎮圧法への賛成を公約として掲げたわけですから、結果的に保守党、帝国党だけでなく国民自由党もまた同法案に賛成することになりますが、国民自由党左派は、同政党の「例外法の制定に原則として反対する」という理念が捻じ曲げられた、と感じていたようです。

例外法の制定は、「憲法で保障された国民の権利は放棄したり、縮小されたり」することになる、と彼らは考えていたようですね。

そして、第428回の記事 の文末でお伝えしました通り、1879年2月に成立した「保護関税法」の制定を受け、国民自由党左派は国民自由党から分裂。ドイツ進歩党と合流し、「ドイツ自由思想家党」を結成することとなりました。(1884年3月5日)


社会主義者鎮圧法とは?

さて。それでは、ビスマルクによる社会主義者対策として制定された「社会主義者鎮圧法」とは、いったいどのような法律だったのでしょうか?

社会主義者鎮圧法

どの資料もほぼ同様の記述がなされていますが、「社会主義者鎮圧法」とは、

 「社会主義的傾向をもつすべての結社,集会,出版を禁止」

したもの。ただし、彼らが議会の立候補することそのものは禁止しませんでしたので、社会主義者が活動を行える場所は唯一帝国議会のみとなり、表向き、彼らの活動は議会以外の場では禁止されてしまいました。ですが、この事が結局社会主義者たちの結束を深めるきっかけともなっていたようです。


引き続き、ビスマルクがとった「社会保障政策」を記事にするつもりなのですが、上記内容と合わせて記しますと、また記事が長くなってしまいそうですので、いったん記事を分け、次回記事にて続きを掲載します。






このシリーズの次の記事
>> 第444回 アメとムチ? ビスマルクの社会保障政策~社会保障の創始者~
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>> 第442回 ビスマルクの恐れた社会主義~パリ・コミューンの樹立~

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