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第438回 ラッサールとビスマルクの邂逅と全ドイツ労働者協会の結成など、政治・経済を中心とした日常的な情報を、独自な視点で解析します。

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この記事のカテゴリー >>ナチスドイツは一体なぜ誕生したのか?


<継承する記事>第436回 マルクスとの断絶。現実主義者ラッサールと「夜警国家」批判

ということで、前回の続きです。

全ドイツ労働者協会の結成

自由主義者たちの政党である「ドイツ進歩党」に見切りをつけたラッサールの下を、当時「全ドイツ労働者大会」開催の準備をしていた「ライプツィヒ中央委員会」の議長である「ユリウス・ファールタイヒ」と「オットー・ダマー」が訪問し、ラッサールに今後の労働運動の方針について指導を求める、という出来事がありました。

ラッサールが自由主義者たちに対し「憲法問題」を訴え、労働者たちに向けて自由主義者たちの政治方針を「夜警国家」であると批判した演説 は、「労働者綱領」として出版されました。

労働者たちはラッサールのこの考え方に感銘を受け、ファールタイヒとダマーは彼の裁判を膨張した上で、ぜひラッサールの指導が必要である、と考えての両者の訪問でした。

ラッサールはこれに対し、『公開答弁書』を出版することで答えるのですが、彼はこの答弁書の中で、企業が労働者に対して賃金を支払うやり方では、企業側がいくら物価を下げる努力をしても、結局下がった物価に合わせて労働者の賃金も下落することに言及します。

これを、「賃金の鉄則」というのだそうです。リカードという人物の考え方です。

で、これを解消するために、労働者自らが「企業家」となることを提唱し、「企業家」である労働者同士が自由に「同盟関係」を気づき、また国の援助を受けることで、「生産組合」を結成することを提案しています。

要は、企業かから賃金を受け取る仕組みだと企業家が利益を搾取するので、労働者自らが企業家となり、組合を作ってその組合から生活に必要な最低限の賃金を受け取り、年間を通じて得た利益を組合員同士で分配する仕組みを作ることを提案したわけですね。

で、これを労働者だけでやってしまうと公平性に欠く事態が生まれかねませんし、国からの援助も受けられなくなりますから、この「組合」に対して国家が介入する必要性も訴えています。

しかし、今のブルジョワ(資本家)たちが作っている政府では労働者たちが望む形にはなりませんので、これを実現するために、当時のブルジョワに有利な 三等級選挙制度 ではなく、国民が自ら立法府を選ぶ選挙、つまり「普通選挙」の実現が不可欠である、と訴えました。

そして、これが「ライプツィヒ中央委員会」、続く「全国労働者会議(3月24日)」でも採択され、ついに「全ドイツ労働者協会を結成するための新委員会創設」が決議されることとなりました。

同盟の結成のため、ラッサール自らがドイツ全土を駆け巡り、ラッサールの答弁書が綱領として採択され、ラッサールを指導者とする「全ドイツ労働者協会」が発足しました。

ラッサールがビスマルクと接触するのはこの後です。


ラッサールとビスマルクの邂逅

ラッサールとビスマルクとの会見は、なんとビスマルクの側からラッサールに対して要請されます。

プロイセン首相ビスマルク

ビスマルクがラッサールに充てて、

「現在の労働者階級の状況に関する諸懸案について、この問題に関係ある独立の緒家の専門的な意見が聞きたい」

とする文面の手紙を送ります。


ラッサールとビスマルクの「会談」は、Wikiベースでも、「グスタフ・マイアー」という人物が編纂した「遺稿集」が元となっていまして、他の資料でも同様の内容を現時点で発見できていませんので、いわゆる「一次ソース」ではありません。

とはいえ、歴史関係、特に海外の歴史関係の情報は私自身の記述も「一次ソース」となっていないケースがほとんどですので、今更ではありますが。

Wikiの記述でも「伝聞系」で書かれていますので、グスタフ・マイアーの「主観」が含まれている可能性は否定できない、ということでしょうね。

ですので、あくまでその前提で私の記述も読んでいただければと思います。


マイアーの記述によれば、ビスマルクとラッサールは最低でも5回、会談の機会を持っているようです。

最初の会談(1863年5月頃)で、ラッサールはビスマルクに対し、「労働者階級は必ずしも君主制に否定的ではない」と伝え、ビスマルクを喜ばせたのだとか。最初の階段ですから、ラッサールもビスマルクと対立関係を生まないような配慮もあったのだとは思います。

ですが、ビスマルク側からラッサールと同じく「三等級選挙制度」を廃止し、普通選挙を制定することを望んでいることを伝えられていることもあり、おそらくこの時両者はある程度意気投合していたのではないでしょうか。

ビスマルクからすれば、軍制改革に否定的な自由主義者たちに有利に働く「三等級選挙制度」に否定的でしたし、ラッサールもまた、「生産組合」を結成し、その管理を任せられる政府を誕生させるためには、普通選挙を実現させる必要性がありましたから、両者とも、意見が合致したんですね。

で、おそらくなんですが、「両者の思惑が一致した」というよりも、両者が、双方の考え方を理解したのではないか、と。

両者が一致したのは、単に「普通選挙制度」を体制として整える事のみならず、自由主義者たちが取り組もうとしない「社会政策」。今風に言えば「社会保障」についての取り組みが必要である、と考えていましたので、その点でも両者は一致したんだと思います。

Wikiベースでは、ビスマルクが社会政策への取り組みが必要だと考えていた理由として、「賃金労働者を親王室にする手段」となることを挙げていますが、ドイツ統一後のビスマルクの動きを見ていると、もっと素直に考えてもよいのではないか、とも思います。

2度目の会談がおそらく同年6月。ビスマルクはこの頃、国王を通じて「新聞並びに雑誌の禁止に関する勅令」というものを発令させており、「自由主義ジャーナリズム」に対する弾圧を行っています。

2度目の会談はラッサール側からの要請で行われており、ラッサールはビスマルクに対し、この弾圧を「社会改良主義ではなく暴力革命に道を開くもの」としてビスマルクを諫めたのだそうです。

面白いのは、同年9月にラッサールがライン地方遊説を行った際、「ゾーリンゲン市」の演説で、自由主義者である同市長が、憲兵と警察官を率いて集会場に現れ、集会の解散を命じた時の事。

ゾーリンゲン
↑ゾーリンゲン市

ラッサールは市長の行為が「結社法を無視する」行為であるとしてなんとビスマルクに電報を送り、ビスマルクはラッサールに対し、関係部局に取り計らってラッサールの救済を行っているのです。

この時点で、ビスマルクとラッサールとの間に、ある一定以上の信頼関係が築かれていることがうかがえます。

この事をきっかけとして、ラッサールはビスマルクに再度会談を申し入れており、これが実現しています。

この時は、ビスマルクの

「保守派と労働者は進歩党という共通の敵を持つのだから次の選挙では保守派を支援せよ」

という問いかけに対し、ラッサールは

「今は保守派と労働者は等しく進歩党と闘争しているが、本来両者は激しい敵同士である」

とも答えており、ラッサールの姿勢はビスマルクに対し、まだ慎重であったことがうかがえます。


「普通選挙法」をめぐって

1864年1月12日、ラッサールが、「普通選挙法が制定される」とのうわさを聞きつけた事をきっかけとして、四度目の会談の機会が持たれます。条文が決定される前に会談をしたい、との申し出をビスマルクに対して行ったことでした。

会談の翌日、ラッサールはビスマルクに対して手紙を送っています。
・昨日閣下に申し上げるのを忘れたが、選挙資格は是非あらゆるドイツ人に与えてほしい。それが道徳的なドイツ統一となる。

・選挙の具体的方法と棄権防止の成案をまとめるのでもう一度会談してほしい

この時点で、ラッサールとビスマルクは、ある程度意気投合しているように見えます。そして、3回目の会談ではビスマルクと組むことをやんわりと拒否したラッサールが、明らかにビスマルクに協力する姿勢を示していることもうかがえます。

このラッサールからの要望を受け、ビスマルクは1864年1月末頃、ラッサールと最後の会談を行うことになります。

1864年1月は、ちょうどあの「第二次シュレースヴィヒ=ホルシュタイン戦争が勃発したまさにその時に当たります。

第435回の記事 で記した通り、この時点で既にラッサールはこの戦争の勃発と、その結末までを「予言」していましたね。

ビスマルクとラッサールが最後の会談を行ったのがいつなのか、明確に記されてはいない(わからない)のですが、会談の前後でラッサールは再び官憲の強制捜査を受け、逮捕されています(1月29日)。

労働者を扇動した、というのがその理由なのですが、この時もビスマルクはラッサールの要請に応じて彼を助け、ラッサールは同日夜に身柄を釈放されています。

そして、この時彼が受けた裁判において、ラッサールは

 「ビスマルク氏は恐らく1年もたたないうちにロバート・ピールの役割を演じて普通選挙を欽定するだろう」

との演説を行っています。ロバート・ピールはイギリスの政治家で、「穀物法廃止」が彼の手柄として情報が上がっては来るのですが、現時点ではラッサールが何を意図して「ロバート・ピールの役割」と発言したのか、私にはわかりません。

ただ、重要なのは彼がこの時点でビスマルクの事をとても信頼していることがうかがえるということ。

最後の会談について、Wikiベースでは

最後の会談におけるビスマルクの態度は全体的に冷淡だったが、これはビスマルクが対デンマーク戦争を通じて進歩党をナショナリズムのもとに屈服させることを目指すようになり、さしあたって労働者勢力との連携の必要性は薄くなったためと考えられる

と記されているのですが、「労働者勢力との連携の必要性は薄くなった」ことが最後の会談においてビスマルクが冷淡であったとする、その理由とすることには少し疑問があります。

というのも、ビスマルク自身が、その後の社会政策として、ラッサールの政策を取り入れていること。そして理由はもう一つあるのですが、この話題はこの記事の中で後述する予定ですので、少しお待ちください。


ラッサールの死

ラッサールは、彼自身の恋愛関係をめぐって、「恋敵」との「決闘」で、決闘相手の放った銃弾を受けて命を閉じることになります。

詳細は割愛しますが、ラッサールの恋愛を邪魔したのは彼女(ヘレーネ)の父親(デンニゲス)。決闘を申し込んだ相手はデンニゲスであったのですが、デンニゲスはラッサールの恋敵であったラコヴィツアを決闘相手として指名し、ラッサールはラコヴィツアとの間の決闘に敗れることになります。

決闘を申し込んだ時点でラッサールは失恋しており、彼は決闘に当たっていわゆる「身辺整理」を済ませており、命を落とす覚悟がすでにできていたのではないかと考えられます。


ラッサールの死を受け、彼と袂を分かったはずのマルクスとエンゲルスもまた弔意を示します。

マルクスはラッサールの死に対し、ラッサールに歩み寄りを見せるのですが、ラッサールがビスマルクと会談していたことを知り、ラッサールに対する憎悪の感情を再燃させ、その後は生前以上にラッサール批判を行うこととなりました。


ラッサールの意思を引き継ぐもの

さて。「普通選挙をめぐって」との小見出しの章で、
「労働者勢力との連携の必要性は薄くなった」ことが最後の会談においてビスマルクが冷淡であったとする、その理由とすることには少し疑問があります

と記し、その二つ目の理由を記すことをお約束していたと思います。

第436回の記事 で、ラッサールがマルクスよりも連携を深めていくこととなったベルリン革命における革命家の中で、特にラッサールと親交の深かった人物として、「ローター・ブハー」という人物の名前を紹介しました。

そして同記事で、
現段階でローター・ブハーの情報を深めることはしませんが、この人物の名前をご記憶いただきたいと思います。

と記しました。

ラッサールの死後、ビスマルクは彼、つまりローター・ブハーを外務省に招き、彼を自身の側近として重用していくこととなりました。

ビスマルクは、やはりラッサールの考え方をとても信頼していたのですね。ブハーを側近としたのは、その何よりもの証拠といえるのではないでしょうか。


また更に面白いのは、ラッサールの死後、彼の後を継ぎ、全ドイツ労働者協会の指導をすることとなった「ヨハン・バプティスト・フォン・シュヴァイツァー」。彼が指導した全ドイツ労働者協会は、ラッサールの意思を引き継いで親・ビスマルク路線をとったこと。

そして第433回の記事 で話題にした、1869年、ベーベルとリープクネヒトによって結成された「ドイツ社会民主労働者党(アイゼナハ派)」は純粋な共産主義を目指していましたから、当然親マルクス派。

両者は当然のごとくして対立していくこととなります。


第431回 以降の記事では、ドイツ帝国首相となったビスマルクが、カトリック政党である「中央党」と和解し、協調せざるを得なくなった理由の一つ、「社会主義者の台頭」。その理由を深めるため、「ドイツに社会主義者が浸透した理由」を探る事を目的に作成してきました。

ドイツ帝国では、本来敵対関係にあったはずの「全ドイツ労働者協会」と「ドイツ社会民主労働者党(アイゼナハ派)」が結合することとなります。

両グループがどのようにして出来上がったのか。「全ドイツ労働者協会」とは何なのか、「ドイツ社会民主労働者党(アイゼナハ派)」とは何なのか。この事についての検証は今回までの記事で十二分に深めることができたと思います。

次回以降の記事では、ビスマルクの脅威となる「ドイツ社会主義労働者党」結成までに至る経緯を追いかけてみたいと思います。




このシリーズの次の記事
>> 第439回 ドイツ社会民主労働党と全ドイツ労働者協会が合併した理由
このシリーズの前の記事
>> 第437回 ラッサールとビスマルク~「必然」だったと考えられる出会い~

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