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第431回 カール=マルクスという人物~「唯物史観」と「剰余利益論」など、政治・経済を中心とした日常的な情報を、独自な視点で解析します。

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この記事のカテゴリー >>ナチスドイツは一体なぜ誕生したのか?


<継承する記事>第430回 ビスマルクと自由主義左派の対立~「イデオロギー」の危険性~

前回の記事で記しました通り、今回の記事はビスマルクがカトリック政党である「中央党」と和解し、その力を借りることを選択肢に入れざるを得なくなった理由。

一つ目は「自由主義左派」との対立、そして二つ目が「社会主義者の台頭」。

この二つの理由のうち二つ目、ビスマルクが先導して築き上げた「ドイツ帝国」で台頭した「社会主義者」たちのことを記事にすることを目的としています。

ですが、ここまでドイツの近代史 を検証してみて、ずっとのどの奥に骨のようにつっかえていた、タイトルにもある「カール=マルクス」という人物のことを深堀せずに、やはりドイツにおける「社会主義者」のことを深めることはできないのではないか、と考えているのです。

伏線として 第416回の記事 にてカール=マルクスの話題に触れましたが、これは今回「ドイツの近代史」をここまで振り返ってみなければ気づかなかったことです。

私は「共産主義」の根源がフランス革命にある、とずっと考えていましたし、「社会主義」という考え方もまた、共産主義者たちの暴力的な振る舞いに対し、これを否定的にとらえた共産主義者たちが、共産主義からその暴力的な部分を排除して作り上げたもの、とするとらえ方をしていました。

この考え方は誤りではないわけですが、共産主義が「暴力によってのみ実現可能である」と表現したのはほかならぬカールマルクス」という人物。彼は、共産主義者による国際的な秘密結社である「共産主義者同盟」を結成する際、彼が中心となって作成した「共産主義宣言」の中で、これを以下のように表現しています。

共産主義者はこれまでの全ての社会秩序を暴力的に転覆することによってのみ自己の目的が達成されることを公然と宣言する。

支配階級よ、共産主義革命の前に恐れおののくがいい。

プロレタリアは革命において鎖以外に失う物をもたない。彼らが獲得する物は全世界である。

万国のプロレタリアよ、団結せよ。

実際にマルクスの時代=ビスマルクの時代までの間、「民主主義」という概念を作り上げる上で現実的に功を奏したのがフランス革命を筆頭とする「暴力」であったことは否定できません。記している内容を読むと、マルクスが主張しているのは「プロレタリアが暴力によって世界を支配する」といっているようにしか読めませんけど。

ただ、私が「共産主義」というものを考える中で、完全に理解の外に置いていた・・・というよりも理解する能力がなかったのが、

「マルクスという人物は一体どのようなタイミングで登場したのか」

ということ。

つまり、彼が登場するまでの社会の中で、暴力的なものが共産主義であり、そうでないものが社会主義であったのかどうかという線引きが本当になされていたのか・・・という検証は全く行えていなかったわけです。

そこで、今回の記事ではマルクスが登場する前の「共産主義や社会主義」にも最終的にスポットを当てようと思ってはいるのですが、その前にまずはマルクスという人物について深堀することを目的として記事を進めていきたいと思います。


マルクスについての仮説

カール=マルクス

記事を記す前に、少しだけマルクスの情報にざっと目を通してみたのですが、現時点で私にはいくつかの「仮説」が存在します。

仮説の中に登場するのが、「唯物史観」と「剰余価値論」という言葉です。意味が分かりにくいので、事前にこの二つの言葉についてネット上の記述を参考に、「私なりの定義」を記しておきます。

【唯物史観】
この世の中の社会構造は、必ず変化する。しかもある一定の決まったパターンに従って。

そして、その基準は「物質的生活の生産様式」である。

ある一つの生産方式で物質的な生産力を高めるには、ある一つの決まった社会システムが必要になるが、物質的な生産力が社会システムの限界を上回ってしまうと、その生産方式は社会制度的、政治的にその生産方式と矛盾するようになる。

生産方式が変化し、生産力の上限が社会システムの上限を上回ったとき、社会革命が起こり、一つの社会システムを管理する上部組織は転覆することになる

わかりやすく記したつもりなんですが、読み直してみるとやはり難しいですね。ただ、後程ある一つの「キーワード」とともにもう少し砕いた解釈を記しますので、少しお待ちください。

【剰余価値論】
「剰余価値論」の前提条件として、それは「ブルジョワ社会」であること。

「ブルジョワ」とは資本家を意図していて、これに対比する言葉として「労働者(プロレタリアート)」が存在する。

労働者の条件=自身の頭脳や体力以外に売ることのできるものを所有していないこと。

「労働者」は労働によって実際の労働以上の価値を生み出しているが、資本家は労働者に対して実労働分の賃金しか支払っていない。労働者の「労働力」を「商品」であると考えると、その商品が生み出した価値が実労働を「超過」した場合、その超過した価値のことを「剰余価値」と考える。

資本家はこの「剰余価値」分を労働者には支払っておらず、労働者から剰余価値分の賃金を「搾取」している。

難しいですよね・・・。ということで、ここからは私の「マルクス」という人物に対する「仮説」を中心に記していきたいと思います。

マルクスはこの「剰余価値」を資本家が「搾取」していることを「悪」であると考えています。

「剰余価値」って、即ち「利益」のこと。多分、マルクスの「唯物史観」や「剰余価値論」って、イギリスを中心に発展した「産業革命」を目の当たりにしてようやく気付いたのだと思います。

あくまでもマルクスの考え方に従えば、ですが、産業革命によって生まれた「剰余価値」は、本来「労働者」の「労働力」から生まれたものであって、本来労働者に対して「賃金」として支払わられるべきものだ、ということになります。

資本主義は逆の考え方をしますよね。資本家にとって労働者の労働力は、あくまでも「投資対象」ですから。マルクスはこれを資本主義の「矛盾」であると考えたんですね。

産業革命によって、これまで労働者が自身の「労働力」で開発し、作り上げていたもの以上のものを開発したり作り上げたりすることが可能になりました。そうすると、資本主義の考え方でいけばわざわざ「労働者の労働力」に頼らずとも、機械を操作することのできる人が何人かいれば、労働者の何十人分の働きをしたりするわけです。

こうなると、当然労働者の人数は少なくて済むようになりますから、当然人件費は削減され、失業者の数も増えることになります。

これって結局その当時の「ブルジョワ社会」、つまり社会構造が「資本家」と「労働者」に分かれているから起きる現象であって、産業革命による成果物は元々「労働者」の「労働力」が価値を生み出したものなんだから、その価値は労働者に還元しろ、という声が大きくなるのはある意味当然です。

そうすると当然「資本家」と「労働者」との間の垣根はだんだん低くなりますし、むしろ取り払われてしまってもおかしくはありません。

整理しますと、投資家が支払っているのは労働者の労働力に対する「賃金」と、労働者が労働するために必要な環境の整備、あとは原材料費程度のものです。

それ以上の利益はすべて「労働者」の「労働力」が生み出しているわけですから、資本家がこれを搾取するのはおかしい・・・というのがマルクスの主張するところ。このような矛盾が生じるのは「資本家」と「労働者」という垣根が存在するのがおかしいのであって、この矛盾を解消するには社会構造そのものを変えるしかない・・・とこうなるわけです。

そして、それを達成する唯一の方法が「暴力」であると。

しかし、 第416回の記事 を参考にしますと、暴力などに頼ることなく、そのマルクスが理想とする状況をいち早く達成していたのが産業革命を起こした「イギリス」なんですけどね。


ですが、マルクスの時代より考えれば、ずっと遠い「未来」に住んでいて、数多くの戦争やたくさんの犠牲を経て、現在に住む私たちから見れば、このマルクスの考え方に、既にいくつかの「矛盾点」が含まれていることがわかります。

例えば、確かに産業革命による「成果物」を生み出したのは労働者による労働力であったのかもしれませんが、ではそんな労働者たちを統率する人間の「統率力」に価値はないのかとか、そんな人間を見つけ出し、抜擢する人の能力に「価値」はないのか、とか。

「労働者の生産物」というけれども、どの労働者がどの生産物にかかわったのかなど細かく分けることができるのかとか。じゃあ生産にかかわっていない人たちの生活はどう保障するんだとか。

で、となると、当然このような疑問を解消するために、当時の「ブルジョワ社会」に代わる新しい社会が必要になります。当然そこには「管理者」が必要となりますが、マルクスはこの役割を「ブルジョワ(資本家)」ではなく、「プロレタリアート(労働者)」が担うべきだとしたわけですね。

そしてそのような社会が「社会主義社会」である、と。ですが、最終的にはそのような「管理者」さえいない社会が理想的ですから、その目指す先を「共産主義」であるとしたのでしょうか。


マルクスは、私が前期したうち、「プロレタリアートによって管理される社会」を作り上げるための革命を、より短期間で起こそうとしていた節が見られます。この様子は次回以降の記事で記したいと思います。

ただ、何となく思うのですが、ビスマルクの起こした「革命」と、マルクスが起こそうとしていた「革命」って、その発想が結構似通っているように感じるんですよね。

ビスマルクもマルクスも、「自由主義者たちの起こした革命」を批判していますし、マルクスはプロレタリア革命を「暴力によってしか成し遂げられない」として結局ドイツを追放されましたが、ビスマルクは自身による改革を「シュレースヴィヒ=ホルシュタイン戦争」や「普墺戦争」、そして「普仏戦争」といった「暴力」によって半ば強引に成し遂げています。

ビスマルクは元商人の家系で、「ユンカー」と呼ばれるプロイセンの地主貴族の出。マルクスはユダヤ人の司祭である「ラビ族」と呼ばれる家系の出。

共に大学まで進学していますし、学生時代の素行や勉学に向けた姿勢などもよく似ています。

最終的にビスマルクが目指したのは「司法」の場であり、マルクスが目指したのは「哲学」の道。

その後ビスマルクは政治家に、マルクスは革命家としての道を歩むことになります。時代も結構近い時代を生きてるんですね。

ビスマルクが生まれたのは1815年4月1日、マルクスが生まれたのは1818年5月5日。共にプロイセンの出身です。

ビスマルクが目指したのは「上からの改革」。マルクスが目指したのは「下からの改革」。

ビスマルクがドイツを統一したとき、既にマルクスは国外に追放されていますから、その後、両者が交わる接点は全くありません。

ですが、ビスマルクはその後マルクスの影響を受けた社会主義者たちとも対立することになります。革命嫌いのビスマルクと、革命家マルクスですから、もし同じ空間を共有することがあったとしても、何となく「犬猿の仲」となっていたのではないか・・・・と思われますね。

次回記事では、そんなマルクスが結成した「ドイツ労働者クラブ」というキーワードを中心に、マルクスのドイツ社会主義勢力へのかかわりと彼が追放された後の社会主義勢力について、ドイツ帝国におけるビスマルクの対社会主義政策とともに検証してみたいと思います。


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