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第417回 ベルリン三月革命から見るオットー・フォン・ビスマルクとヴィルヘルム1世など、政治・経済を中心とした日常的な情報を、独自な視点で解析します。

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この記事のカテゴリー >>ナチスドイツは一体なぜ誕生したのか?


<継承する記事>第416回 第二次シュレースヴィヒ=ホルシュタイン戦争で連合した普墺が分裂した経緯

前回の記事で話題にしたオーストリア外相ベルンハルト・フォン・レヒベルク。彼については、個人的にはもう少し情報を深めたいんですが、残念ながら現在ネット上では、彼の情報を深められそうな投稿は全く見つけられません。

唯一Wikiでビスマルクの検索をかけたときに他のサイトに比較すれば詳細だと考えられる情報が出てくるのですが、これだけですね。

他のサイトでは、彼が外務大臣就任後、ビスマルクと激しく対立した・・・というところまでしか情報として出てきません。ですが、きっとこれは歴史的に考えると「本質的」な情報ではないんだと思うんです。

ビスマルクに関しても、彼が武力によってドイツの統一を成し遂げようとした人物・・・という印象が強いのですが、実際には彼は統一ドイツの達成にはそもそも反対(というより、重要視していない)していて、プロイセン王国という国がどうあるべきなのか。ここを深く考える人物であったのではないか、という印象を私は受けるのです。

関税同盟に関してもレヒベルクは「大ドイツ主義」の立場から、ビスマルクは「小ドイツ主義」の立場からの主張を行っているように見えるのですが、ビスマルクは別に小ドイツ主義に固執しているわけではなく、プロイセンの主張に従うのか従わないのか。ただそれだけを重視していたのではないか、と。

関税同盟に関して、ビスマルクがレヒベルクに歩み寄る余地があったということは、レヒベルクも関税同盟に関して、同じような考え方をしていたのではないかと思うのです。つまり、関税同盟としてどうあるか、以前にまず、「オーストリア」としてどうあるべきなのかを考えることのほうが大切なのではないか、と。

ただ、現時点では私にはレヒベルクの考え方を検証する方法がありません。もしどこかでその方法を見つけたとしたら、その時再びレヒベルクについて触れてみたいと思います。


レヒベルク失脚後のオーストリアとドイツ

レヒベルクは関税同盟でプロイセン側に敗北したことから、1864年10月に失脚するのですが、翌1865年8月14日にオーストリアは、第二次シュレースヴィヒ=ホルシュタイン戦争において両国が手にしたシュレースヴィヒ、ホルシュタイン、及びラウエンブルクの扱いをめぐって、「バート・ガスタイン協定」を締結します。

同協定締結に至るまでの経緯として、デンマークが普墺に敗北し、両国に講和を申し出たのが1864年6月18日の事。講和条約が結ばれたのは10月3日です。ドイツ関税同盟が更新されたのが翌11月12日の事。

レヒベルクが失脚したのは講和条約が結ばれてから関税同盟の更新に参加国が署名するまでの間であったことがわかります。


ビスマルクが首相に任じられた目的の一つとして、実は当時の国王が実現しようとしていたプロイセンの「軍制改革」を実行することがあげられます。

プロイセンが自国の権益のため、したたかに実行していた「関税同盟」をめぐって、ロシアの仲介を受けて対オーストリアで大幅な譲歩を迫られることとなった「オルミュッツ協定」。

これを締結せざるを得なくなったのは、プロイセンの軍事態勢がナポレオン戦争当時のままであり、この旧態依然とした軍事態勢がヘッセン=カッセル選帝侯内での武力衝突(オルミュッツ協定を締結する元となったもの)においてプロイセンが武力を撤退せざるを得なくなった最大の理由である、とビスマルクではなく、1861年1月に国王の座へと就いたプロイセン王ヴィルヘルム1世が考えていたのです。

ですが、この当時衆議院の多数派を占めていたのは「自由主義派」の議員。

「自由主義派」とは、ビスマルクたちのように、きちんとした軍事態勢を整えた上で外交交渉に臨むべきだとする「保守派」議員に対し、「武力ではなく、話し合いで解決すべきだ」と考えていた人たちのことをいうわけですね。なるほど。。。

で、この状況を打開するため、プロイセン陸軍大臣であるアルブレヒト・フォン・ローン中将が目をつけていたのがオットー・フォン・ビスマルク。

ヴィルヘルム1世は、ローン中将の推薦を受ける形でビスマルクを首相へと任じました。


ベルリン3月革命とビスマルク

時代を少し遡ります。

すでに記事にしています通り、プロイセンではナポレオン戦争の講和条約である「ウィーン議定書(1815年)」を受け、手に入れたラインラントが、自国本土とは飛び地になっていることを受け、物資の輸送に他国に税金を支払わならなければならないリスクを回避するため、他のドイツ諸国との間で「ドイツ関税同盟」を締結しました。(1834年)

これは、プロイセンとしては後に起こる「統一ドイツ」へ向けた動きとは関係なく、すでに産業革命等で発展する過程にあったイギリスやフランスに対して遅れをとらぬよう、自国経済の発展に向けた動きであったわけです。

ところが、その「産業革命」が原因でフランス国内に資本家と労働者との間での「格差」問題が深刻化し、これが「フランス第二革命」を引き起こしました。

考えてみれば、現在の日本で蔓延している「右翼」だの「左翼」だの言ったレッテルとこれに基づく(敢えて言いますが)「(似非)左翼陣営」たちが巻き起こしている社会問題は、ここを根源としていたのだな、ということが今はよくわかります。ほんと、ようやく真理に行き着いた思いです。

話を本筋に戻します。

この、フランスで勃発した「フランス第二革命」の余波がドイツにも「ウィーン三月革命」や「ベルリン三月革命」という形で影響を与えることとなります。

ウィーンで起きた「ウィーン三月革命」は、ハンガリーやチェコの「独立戦争」という形をとるのですが、では「ベルリン」では何が起きていたのでしょうか。

「ベルリン」とは、もうお気づきの方も多いと思いますが、「プロイセン」の首都の名前です。

フランス第二革命の影響を受け、ベルリンでもいわゆる「国民主権」というものを求めて活動を起こす活動家たちが開く集会が頻繁にみられるようになります。

ベルリン三月革命とは、このような活動家たちに向けて国王軍が発砲をしたことから始まります。

これが3月18日の事なのですが、国王軍はなんと翌19日に降伏し、国王は市民軍の管理下に入っています。この時国王ヴィルヘルム4世は、市民に対して自由主義者による内閣を構成することを約束させられています。

で、この時市民軍の管理下に入った国王を救出すべく軍を組織して進軍を開始したのがビスマルク。ですが、この時点で国王軍は撤退を開始しており、ビスマルクは進軍を断念せざるを得なくなります。

この時、ビスマルクは王位継承権者を持つヴィルヘルム王子(ヴィルヘルム4世の弟)の妃であるアウグスタに対して、この国王の決定を取り消すための許可を得ようとしているのですが、彼女はこれを拒否。

実は、彼女こそ「自由主義的思想」の持ち主であり、この後もビスマルクとは対立していくことになります。アウグスタって、結構この当時のプロイセン宮廷の中で影響力のある人物だった・・・ということなんでしょうね。


ベルリン三月革命の影響を受け、ドイツ各国の「自由主義ナショナリスト」たちは、ドイツ連邦議会に対して「ドイツ国民議会」の設置を要求。3月27日に開催された同国民会議において、なんと「ドイツ帝国憲法」が決議され、ドイツ帝国の皇帝としてプロイセン王であるヴィルヘルム4世が選出されます。

まだ「ドイツ帝国」などできていないにも関わらず・・・。で、ヴィルヘルム4世は当然これをやんわりと拒否します。

ベルリン三月革命を受けて、ドイツ国内でも「自由主義政府」が出来上がり、のちにビスマルクを首相として指名するヴィルヘルム王子の周りも「自由主義者」たちで囲まれ、妃の影響も受け、ヴィルヘルム王子自身もやがて自由主義へと傾倒していくこととなります。

ヴィルヘルム1世


しかし、そんな彼がな反自由主義の急先鋒ともいえるビスマルクを首相に指名することとなったのか。

それが、前半部分でも触れた「軍制改革」の問題。

実は、ベルリン三月革命の後出来上がった自由主義政府(衆議院)でも、ヴィルヘルム王子と同様、軍制改革が必要だという認識では一致していたようなんです。

ですから、双方が歩み寄りを見せ、最終的には軍制改革の面でも一致するのですが、「選挙」が繰り返される中で、同じ「自由主義者」たちの中でも、この軍制改革とその予算に対して否定的な党派が主流となり、こういった状況を打開するために選ばれたのが「オットー・フォン・ビスマルク」でした。

このような経過を見ると、ヴィルヘルム1世という人物も、自由主義者たちに傾倒し、歩み寄る素振りを見せる中で、それ以上に譲れないものを守るためにあえてそのような中に身を投じていたのではないか・・・ともとることができますね。


記事としては、「普墺戦争」に向けた動きを掲載する予定だったのですが、「ビスマルク」という人物を追いかける中で、どうしても抑えておかなければならないと感じる部分が多々登場してしまいましたので、今回は前回と重複する部分もありながら、あえて再度ビスマルクが首相となるまでの経緯を追いかけてみました。

次回こそ、「普墺戦争」に向けた動きを記事にしてみたいと思います。

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