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第388回 ナショナリズムとは?/日本にとっての民族主義と国家主義など、政治・経済を中心とした日常的な情報を、独自な視点で解析します。

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この記事のカテゴリー >>なぜ日本は第二次世界大戦(大東亜戦争)を起こしたのか


現在、シリーズとしてはナチスドイツは一体なぜ誕生したのか? の途中なんですが、前回の記事を作成する中で私自身が気付かされた一つの「事実」。

これって、私が今まで全く意識してこなかった考え方でもありますので、このことを今回は「番外編」として、親シリーズである なぜ日本は第二次世界大戦(大東亜戦争)を起こしたのか に紐づける形で記事を作成してみます。

その「考え方」とは何なのか。タイトルにも掲載している通り、「ナショナリズム」という言葉についての考え方です。

「ナショナリズム」というより、ナショナリズムの日本語訳である「民族主義」という言葉についての記事になります。

難しい・・・と感じても、良ければ頑張ってついてきていただけると嬉しいです。


第387回の記事 を作成している途中で、私、実はものすごい違和感に襲われました。

流れ的に、

フランス革命戦争の勃発→ナポレオン戦争への転換→ライン同盟の結成→ナポレオン戦争の経過→ライン同盟の崩壊とドイツ連邦の結成→ドイツ連邦の崩壊

へと単純に進んでいく予定でした。で、ドイツ連邦が崩壊した理由に、どうも「普墺戦争」というキーワードが関係がありそうだ・・・ということで、この「普墺戦争」というキーワードの調査を行おうとしていたわけですが・・・。

こんな中で登場したのが「民族主義」というキーワードでした。

私が作成しているブログの中で、「民族主義」という言葉が登場するのは、「共産主義」というキーワードの関連付けられている記事です。

余談ですが、遡ってみると、「民族主義」という言葉をこのブログで初めて登場させたのが 第60回の記事

この記事で、第387回の記事 に記したような内容を既に掲載していますね。

ただ、 第60回の記事 では、あたかもナポレオンが欧州全体に「国民主義(民族主義)」を押し広げたかのようにして掲載していますが、第387回の記事 の内容を参考に考えますと、国民主義を広げたのはナポレオンではなく、ナポレオンが姿を消した後のフランスで再び勃発した革命、「フランス二月革命」によって立ち上がったプロレタリアートたちであることがわかります。

話を本筋に戻しますと、私が意図している意味で「民族主義」を用いているのは、シリーズ十五年戦争(日中戦争)の原因と結果 における、第121回第125回第130回の記事 がまさしくこれに該当すると思います。

特に、第130回の記事 で記しています、

彼が国民党を代表して行った演説の席で、孫文の『三民主義:民族主義(韃虜の駆除・中華の回復)・民権主義(民国の建立)・民生主義(地権の平均)』という演説がソ連から公然と批判されてしまったことで、蒋介石は逆にソ連への不信感と共産党に対しる警戒感を強く抱かせることとなります。

考えてみれば、「民族主義」や「民権主義」という考え方は、所謂「共産主義」とは真っ向から対立する考え方ですもんね。

という言い回しがそうです。

つまり、「民族主義」とはフランス革命を発端として始まった「共産主義」がまさしく否定するもの(共産主義の原理主義的な考え方は、そもそも「国境」そのものを否定しています)であり、貴族や王族に反旗を翻した欧州人は皆、この「民族主義」そのものを否定している、と私自身が思い込んでいたわけです。


日本にとっての民族主義と国家主義

日の丸

例えば、日本で「民族主義」と言いますと、これは即ち「大和民族」の事。大和民族の頂点にいらっしゃるのが天皇陛下です。

ですから、「民族主義」と言えば天皇陛下の下、大和民族が一致団結して国難に臨む・・・といった発想になります。

ですので、少なくとも大和民族である私たちにとって、「民族主義」と「国家主義」、または「愛国心」といったものは同じ意義で受け止めることが出来ます。

この考え方を受け入れられない人たちがいわゆる「グローバリズム」を語ったり、天皇陛下という存在そのものを否定したり、あるいは「日本はアメリカの属国だ」という主張を行って大和民族の「民族性」をのものを否定しているのが現在の日本だと思います。

例えば元々「琉球王国」であった沖縄を日本から切り離し、日本から独立させよう・・・などという考え方を展開する人たちもそうなんだと思います。(その多くが日本人のふりをした中国人だと思いますが)

ですが、これを「ヨーロッパ」に置き換えて考えてみるとどうでしょうか?


欧州における「民族主義」と「国家主義」

日本では、「古事記」や「日本書紀」の時代から脈々と受け継がれている「天皇陛下」の系譜が存在し、陛下が私たちの国、「日本」を統治なされる明確な理由が存在します。(日本国憲法上「統治」なされているわけではありませんが、あくまでも考え方の問題ですので、ご理解ください)

ですが、ヨーロッパという国はどうでしょうか?

例えば、現在のシリーズで解析している、「バイエルン」という国はどうでしょうか?

「バイエルン」という地域に居住する住民は、元々中央アジアからやってきた「ブイイ族」という民族がルーツ(バイエルン人=ブイイ人という意味)となっており、また更に元々ブイイ族であったバイエルン人が現在のバイエルンという土地に移住してきたとき、元々バイエルンに居住していたケルト民族もまた中央アジアから移動してきた民族です。

そんなバイエルンが「フランク人」によって支配され、フランク人カール大帝の命により植民したのが「オーストリア」。

しかしそんなオーストリアもまたバイエルンとともに異民族である「ハプスブルグ家」によって支配され、神聖ローマ帝国が崩壊した後のドイツでは「ナポレオン帝国」によって支配されるわけです。

バイエルンという一地域で考えてもそうなんですから、つまり「欧州人」にとっての「民族主義」は、必ずしも「国家主義」とは一致しませんし、民族主義と「愛国心」もまた一致しないわけです。

欧州では、「民族」と「国家」とは全く別物だということですね。

第387回の記事 で、私は

「ウィーン会議」で取り決められたヨーロッパの「ウィーン体制」とは、「フランス革命以前の状態」にヨーロッパを戻すことにあり、自由主義・国民主義運動を抑圧することにありました。

日本にいると違和感を覚えますが、この当時のヨーロッパでは、「支配する側(国王・皇帝)」は必ずしも支配する民族を代表する人物ではありませんでしたから、「国民主義運動」の弾圧とは、異民族である国王に対する抵抗勢力を抑圧する効果があった、ということですね。

と記しました。

あくまでも「国民主義運動」であり、「国民主権運動」ではありません。「国民主義運動」=「民族主義運動」の事です。

同じ「民族主義」でも、神聖ローマ帝国の前身である東フランクは、「フランク王国」の時代に「西フランク王国」や「中フランク王国」と違い、そもそも「統治者」と「国民」が一致していませんでした(東フランク王国はフランク王国が領土を拡大した地域)から、西フランク王国から発展した「フランス」や「中フランク王国」から発展した「イタリア」とはまた事情が異なっていたことも想像されますね。

フランスは「フランク人」の国家ですが、ドイツは「多民族国家」です。しかもドイツ連邦は「国家」ですらありません。「ドイツ人」という概念にそもそも無理があります。


中国における「民族主義」

ここにはあえて「国家主義」という言葉は含めていません。

中国で「民族主義」を提唱したのは孫文です。

孫文が初代大統領となった「中華民国」は、「中華民国」として成立する以前は「清国」。異民族である満州人による「征服王朝」でした。

アヘン戦争によって開国させられる以前の中国は、対外的に「鎖国」していましたから、国境が複雑に変化する欧州とは異なり、少なくとも「中国大陸」という広い意味での領土の中での「民族意識」は非常に高かったのではないかと考えられます。

古くは「秦」という国に始まり、閉ざされた「中国」というエリアの中で陣取り合戦を繰り広げていた国が「中国」ですから、中国人の中でもやはり日本人と同じように、「民族」と「国家」の一致性は非常に大きいと思います。

清国末期以降の中国は、結局「国家」についての考え方が違う欧州勢が、元々一つのまとまった地域であったはずの「中国」をバラバラにしてしまった結果、生まれてしまったものだと考えることもできるのではないでしょうか?

それと、もう一つ感じるのは、欧州という地域を席巻したのは、元から欧州に居住していた人たちではなく、中央アジアから欧州に攻め込んだ、そもそも「国境」という概念を持たない中央アジアの騎馬民族たちだということ。


「ナショナリズム」の意味

「ナショナリズム」=「民族主義」という考え方は、第387回の記事 で記した通り、「フランス二月革命」を皮切りとして欧州全体に広がっていきました。

ですが、同じ「ナショナリズム」でも、これが日本語に訳される際は「国家主義」や「国粋主義」と訳されることもあるわけです。

しかし、今回の記事でも記しました様に、逆に日本語である「国家主義」や「国粋主義」を欧州人が自国語に訳そうとしたとき、決して「ナショナリズム」とは訳さないはずです。

第267回の記事 の中で、日本の対米開戦に至る経緯の中で、1941年6月21日にコーデルハルとの間でやり取りをされた米国側の「対案」に関して、これに添えられていた「オーラルステートメント」の一文として、ハルが欧州戦争への「参戦」を「自衛のための参戦である」と述べていることをご紹介しました。

日本側とすれば、あくまでも「日本」は「日本人の居住する『国家』」(日韓併合下にありましたから、朝鮮人も『国民』と考えていました)ですからにすぎません。

ですから日本は華北や満州、内モンゴルをいったんは占領しておきながら、その後は統治権を地元人に任せ、軍隊こそ駐留させるものの、それらの地域を「日本領である」とはしなかったわけです。

ですが、欧州勢はどうでしょうか?

米国にしても、イギリスにしても、フランスにしても、オランダにしても、そしてドイツやロシアにしても、「領土拡大」にまい進している様子が見えてこないでしょうか?

彼らにとって、「自分たちが支配下に置いている地域」こそ「国家」であり、「国家」と「民族」は必ずしも一致しない・・・という考え方が根本にあったのではないでしょうか?

ですから、アメリカにとってたかがフィリピンにおける自国の「権益」を守るための参戦を、「自衛のための参戦」であると表現したのではないか・・・と考えると・・・。

満州戦にしても、華北戦にしても、上海・南京戦にしても、そもそも日本がこの様な戦闘を行ったのは、現地の邦人や日本企業が安心して居住し、商売を行うことが出来るようになることを目的としたものです。

ですが、欧米各国は、「自国領土を拡大するため」に東南アジアや中国、アフリカに対する植民地政策を繰り広げました。

ロシアは満州や内モンゴルに対して領土を拡大しようとしましたが、日本はロシアに対して満州や内モンゴルに領土を拡大させないための「緩衝地域」を築くことに専念していました。

九カ国条約が締結されたとき、欧米は日本に対して、「中国の内政に干渉しないこと」を約束させました。

ですが、実際には中国の内政に干渉していたのは日本ではなく欧米各国。日本はあくまで「自国を守るために必要な措置」を取っていたにすぎません。

彼の大戦は、ひょっとするとこのような日本と欧米間での「国家」に対する認識の違いが生んだ悲劇だったのではないか・・・と思えてきました。

このことも含めて次回以降の記事では検証していきたいと思います。



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