FC2ブログ
第377回 バイエルン人と「オストマルク」~オーストリアの誕生~など、政治・経済を中心とした日常的な情報を、独自な視点で解析します。

ランキングサイト

この記事のカテゴリー >>ナチスドイツは一体なぜ誕生したのか?


<継承する記事>
第376回 バイエルン人とフランク王国〜ドイツ人の誕生

前回の記事では、バイエルンを支配した「フランク王国」。これを建設したフランク人について主に記事にしました。

また一方で、フランク王国の支配下にありながら、「五大公国」の一つとして自治権を認められたバイエルン公国。

この「バイエルン公国」が東方へと進出し、「オストマルク」。後の「オーストリア」に「植民」を行っていく様子もまた記事にしました。

今回の記事の舞台はこのバイエルン公国と「オストマルク」。ここを舞台として記事を作成したいと思います。

オストマルク東方辺境伯

「オスト」とは「東方」の事。「マルク」とは「辺境区」の事を指すのだそうです。つまり、「オストマルク」とは「東方辺境区」の事。

バイエルンの「東方」の「辺境区」であったことから名づけられた名称です。「オストマルク東方辺境伯」とは「東方辺境区東方辺境伯」という、同じ言葉を繰り返し使っていることになりますね。

第374回の記事 で「パンノニア」という地域について記事にしたことがありますが、「オストマルク」とはこの一部です。オストマルクの更に東側に「ハンガリー」という地域があります。

フランク王国のカール大帝は、この地域にいたアヴァール人を打ち取ると、ここ地域に「辺境伯」を設けます。ですので、この役職の事を記事によっては「パンノニア辺境伯」と記されているものもあります。

バイエルンを占領したカール大帝は、自分の臣下であったバイエルン貴族、ヴィルヘルム家に、「オストマルク東方辺境伯」の爵位を授けます。(799年)

そして、この地域にバイエルンからの「移民」を誘致したんですね。

ウィーン

こちらは、現在のオーストリアの首都、ウィーン。

一方、東フランク王カールマンの時代に、彼の側近を務めた人物、ルイトポルト(バイエルン人と思われます)は東フランク王アルヌルフの時代に、バイエルン辺境区であるケルンテン辺境伯としての爵位を授けられます。

ケルンテルン

こちらは「ケルンテルン」。現在ケルンテルンはオーストリアの一つの「州」となっています。

彼は息子を東フランク王と同じ「アルヌルフ」と名付け、ルイトポルトの息子であるアルヌルフは後に「バイエルン公」としての爵位を授けられます。

926年、彼の弟であるベルトルトは「ケルンテン辺境伯」としての地位を与えられるわけですが、938年、ベルトルトが「バイエルン公」の座につくと、ケルンテルンは一時的にバイエルンの一部となります。

ということは、この「ケルンテルン」という地域は「オストマルク」には含まれていなかった、ということですね。

少し話が脱線しました。


ヴィルヘルム家によって統治されることとなった「オストマルク」ですが、カール大帝が目的としたように、この地域は東方より異民族によって攻め立てられることとなります。

828年にはスラブ民族が侵入してきたことにより、フランク王はこの地域を「特別区」として指定。907年にはハンガリーよりマジャール人(のちのハンガリー人)が攻め込んできます。

オストマルクはマジャール人に撃破され、マジャール人はバイエルンにまで侵入してきます。

ここに当時の東フランク王であるオットー大帝いる親衛隊が到着するわけですが、この軍もまた窮地に陥ります。

そんなオットー大帝軍の援軍に駆け付けたのがオットー大帝の娘婿であるロートリンゲン大公のコンラート赤毛公。コンラート公はこの戦いで戦死してしまいますが、ついにハンガリー軍を退けることに成功します。(レヒフェルトの戦い)

この当時のバイエルン公はアルヌルフの娘と結婚したハインリヒ1世(オットー大帝の弟)。そして、レヒフェルトの戦いの後、ハインリヒ1世の後を彼の息子、ハインリヒ2世が継ぎます(当時まだ4歳)。

973年、オットー大帝の息子であるオットー2世が皇帝の座につくと、ハインリヒ2世はオットー2世と対立するようになります(お互いに従弟)。

ハインリヒ2世はオットー2世に対して反乱を起こします。

彼はバイエルン公であったわけですが、バイエルン軍はオットー2世軍に敗北。ハインリヒ2世はバイエルンから亡命し、オットー2世は代わりに自身の従弟(ハインリヒ2世も従弟なんですが)である「シュヴァーヴェン公オットー1世」をバイエルン公として即位させます。

【シュヴァーヴェン】
シュヴァーヴェン

同じ名前がいっぱい出てきてややこしいですね。

この時、バイエルンの一部はオストマルク辺境伯とケルンテルン公によって分割されることになります。

オストマルク辺境伯にはドネガウ伯レオポルト1世は(バーベンベルク家)へと与えられることになります。この時、「オストマルク」は「オーストリア」へと正式に改められます。


さて。前回の記事では、この記事で「ハプスブルク家」の誕生まで行きつくことを示唆したわけですが、ハプスブルグ家が登場するまでにはもう少しかかりそうです。

今回の記事は、ここでいったん終わりにします。



このシリーズの次の記事
>> 第380回 オーストリアとハプスブルグ家
このシリーズの前の記事
>> 第376回 バイエルン人とフランク王国〜ドイツ人の誕生

にほんブログ村 政治ブログへ にほんブログ村 経済ブログへ

このシリーズの一覧をご覧になりたい方は>>ナチスドイツは一体なぜ誕生したのか? よりご確認ください


このエントリーにお寄せ頂いたコメント

URL:
コメント:
 

スポンサードリンク

Copyright © 真実を問う!データから見る日本 All Rights Reserved.
ほったらかしでも稼げるFC2ブログテンプレート [PR]