第14回 『阪神大震災』と『アジア通貨危機』など、政治・経済を中心とした日常的な情報を、独自な視点で解析します。

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<前回の記事 第13回 デフレを脱却する方法⑧

前回の記事では、第11回の記事、または第10回の記事で、話題を振りつつ、そのままにしてあった二つの話題について掲載しました。

「デフレを生み出した小心者」とは故橋本龍太郎総理であること。
その理由として、彼が用いた「緊縮財政政策」、そして「金融引き締め政策」の二つをあげました。

また、「金融機関がデフレを止めるための本来の役割を果たせなかった理由」として、バブルの崩壊により、金融機関が企業等に行った貸付金が返済不能となり、本来デフレを止めるための役割を担うべき銀行そのものが倒産に陥るような状況に陥ったことを説明いたしました。

そして、今回の記事への付託として、「歴史的側面から見るデフレ」ではなく、もう少し無機的な、「経済から見るデフレ」についてご説明することをお約束しました。


「デフレ」の犯人

実はデフレを深刻させたのは、バブルが崩壊したことだけが原因ではないのではないか、というのが私の考え方です。
少しだけ歴史を振り返ります。

第13回の記事で、1991年、総量規制が実施された折、金融機関が日銀からお金を借りる際の金利、「公定歩合」が継続的に引き上げられたことをお示ししました。

ところが、1992年には公定歩合は一転して引き下げに転じます。93年、94年と年に2回ずつ、継続して引き下げるのですが、1995年1月17日に阪神大震災が発生します。

財政支出に関しては、歳出額については1980年以降継続して増額し続けているのですが、1991年までは「対GDP比」で1984年以降、1990年まで下落傾向にあるのですが、1991年以降、一転して上昇に転じます。
(以下、画像の出展は、世界のネタ帳さんからの引用です)
歳出の推移

歳出の推移(GDP比)

1991年に歳入が鈍化し、92年よりマイナスに転じます。歳入がマイナスであるにもかかわらず、歳出がプラスという財政運営状況が、この時からスタートします。

歳入の推移

この傾向は1996年まで続き、1997年には歳出のGDP比が一旦マイナスに転じます。

この期間、1997年まで、継続的に「名目GDP」は上昇を続けるのですが、
名目GDPの推移

一方で「物価の推移」を示す「GDPデフレーター」は1995年にマイナスに転じ、以降下落し続けます。

GDPデフレーターの推移

1997年、いったん上昇したように見えますが、同年は5%への「消費増税」が行われた年であり、このことによって見かけ上の「物価」が上昇しますので、GDPデフレーターはプラスの値を示していますが、事実上のマイナスです。(GDPデフレーターに関しては、第9回の記事 で詳しく掲載していますのでご確認ください)

つまり、経済が本当の意味で「デフレ」、つまり「継続的に物価が下落し続ける状況」に陥ったのは、1995年。
阪神大震災が起きた、まさにその年であったことがわかります。

政府としては財政支出も増やしていますし、公定歩合も引き下げています。いわゆる「財政出動」と「金融緩和」というデフレ不況時に行われる政策をとっています。
ちなみにこのときの政権は「自社さ」連立政権。自民党、社会党、新党さきがけが政権を担っていた時代です。
このときの首相は村山富市さんです。

実は、消費税が3%から5%に引き上げられることが決まったのは、その前年。1994年11月。
阪神大震災が起きたのがその翌年です。

ちなみに、1995年には所得税率もその対象となる年収がやや緩和されています。

阪神大震災のからの復興を加速度的に行わなければならない事情があったため、財政出動、金融緩和、減税の3つを同時に行ったわけですから、当然名目GDPの値は増加します。

ですが、その伸び率は明らかに鈍化しており、94年をピークに95年、96年と明らかにそれまでの伸び率を下回っていることが、GDPデフレーターの動きから読み取ることができます。消費増税が行われたのは、そんなデフレ経済の真っ只中。
橋本龍太郎内閣では、消費増税を行うだけでなく、グラフを見てもわかる通り、財政についても歳出額を減らしています。
つまり、一気に緊縮財政政策へと移行したのです。

消費増税が行われたのが97年4月だったのですが、実は同年7月。「アジア通貨危機」と呼ばれる金融恐慌がタイで発生します。
アジア通貨危機とは何ぞや、という説明は後日別の記事に委ねますが、その結果日本は、「株価の急落」と「急激な円安」とう二つの経済現象に襲われます。

株価推移(アジア通貨危機)
こちらはYahooファイナンスさんから。97年7月1日の20605円から、翌年1月の13406円まで急落しています。

為替相場(アジア通貨危機)
こちらはinvesting.comさんから。
97年7月1日の1ドル114.22円から翌年7月の144.70円まで急落しています。

「円」が売られ、「株価」も急落する。これは、完全な「日本売り」です。
リーマンショック後、民主党内閣の折は確かに株価は急落していましたが、円は高騰していました。

円が高くなるということは、少なくとも投機筋から、日本はまだ捨てられていなかったということ。投機対象として魅力があると考えられていた、ということです。
ただし、一瞬だけ「日本売り」、つまり「円」と「株」の同時売りが行われようとした瞬間がありました。
それが東日本大震災です。この内容はまた後日に委ねたいと思います。


話を戻しますと、アジア通貨危機により、海外の投機筋が、「ドル」を必要とした。
このため、日本では株が売られ、株を売ることによって調達した日本円を、今度はドルに換え、海外での損失の補てんに充てられた・・・という形でしょうか。

5%増税とは、このような状況の中で行われた典型的な緊縮財政政策だった、ということです。

前回の付託内容を補てんしておきたいと思います。

前回の文末では、
『次回はいよいよ「デフレを脱却する方法」。根源のテーマへとシフトします。

バブルはなぜ崩壊したのか。日本国政府はなぜバブル崩壊を終結させることができなかったのか。
次回は「歴史的側面」ではなく、「経済的な側面」から、客観的に記事を記していきたいと思います』

というように掲載しました。
「歴史的側面ではなく」と言いながら、大部分が歴史的側面となってしまいました。
「日本国政府はなぜバブルを終結させることができなかったのか」という問いかけに対しては、日本国政府もバブル崩壊の兆候に気づいてから、きちんと財政支出を増やし、金融緩和も実施しています。

ですが、その要所要所で、阪神大震災やアジア通貨危機のような自然災害、金融恐慌が発生し、日本の経済回復の足を引っ張っているということがわかります。ですから、政府は何もしていないわけではありません。
ですが、そんな政府の予測を上回る自然災害や経済問題が発生したことが、日本政府がバブル崩壊を終結させることができなかった理由といえるのではないでしょうか。

ではいよいよ、「デフレを脱却する方法」。第4回の記事 でお伝えした、「流動性の罠」という言葉に着目して、あと少しだけ歴史を振り返りながら、記事を進めたいと思います。
このシリーズの過去の記事
>> 第15回 『財政政策』と『金融政策』
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