第137回 高橋是清の経済政策と昭和金融恐慌/北伐時代の日本など、政治・経済を中心とした日常的な情報を、独自な視点で解析します。

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この記事のカテゴリー >>十五年戦争(日中戦争)の原因と結果

高橋是清経済第一次世界大戦後の日本
<継承する記事>
第136回 高橋是清の経済政策と第一次世界大戦後の日本の首相~日本はなぜ大東亜戦争を起こしたのか~

【前回までの振り返り】

前回の記事では、第一次世界大戦中の日本の経済状況、および第一次世界大戦後の経済状況を振り返った上で、高橋是清 が大蔵大臣を務める 原敬 内閣で、戦時中の戦争特需を利用して日本の鉄道および交通インフラ・教育システムの整備を一気に行おうとしていた事。

欧米がアジア市場で復活したために輸出産業がとん挫し、日本を「戦後不況」が襲ったこと。
これを「原敬内閣 のせいだ!」と勘違いした共産主義者により 原敬 が暗殺されてしまったこと。

そして、その後の日本の首相の変遷を順に追いかけてみました。
なぜこのような内容にしたのか、というと、実は中国で張作霖爆破事件が勃発し、またその後の満州事変へとつながる状況。

その中心となる 「関東軍」 が暴走していく背景に、このような日本本国における不景気と、そのような中で鬱積する国民の不満の矛先が日本国政府へと向けられ、「国家社会主義者」 という「右翼マルクス主義者」たちを生み出す原因となっているため。
日本国内における事情を理解しいただくことが目的です。

【本日のテーマ】

戦後、原内閣においても、戦争特需の終了で、一気に不況に転じることは想定されていました。

ですが、戦後に至っても尚、思いのほか戦争特需は継続し、日本は重篤な不況に陥ることはありませんでした。
戦後、半年間は一時的な不況も続いたのですが、原内閣ではこれを半年間で終結させることに成功していました。

戦後不況が勃発するのはこの後。経済が、実体経済から仮想経済。すなわち「株」や「土地」などに対する「投機」へと変質してしまっていたことがその原因でした。1920年3月15日。この「戦後バブル」が崩壊するんですね。

更にアジア市場に欧州が復活し、日本の輸出産業は崩壊。
彼の後を引き継いだ 高橋是清内閣 も含め、その後の歴代内閣にこの様な課題を解決する能力がありませんでした。

それどころか、「政策」よりも「政局」に没頭し、国民の生活そっちのけで政権争いを繰り広げていた様子は、決して日本国民にとって好ましく受け止めあられることはありませんでした。この様な政治状況がまた、国民の間に「マルクス主義思想」を醸造したのです。

ですが、そのような社会の中でも、決して日本国経済を救う能力のある人間が登場しなかったわけではありません。

高橋是清
高橋是清

首相としての 是清 は、確かに思う存分その能力を発揮することはできなかったかもしれません。
ですが、大蔵大臣としての 高橋是清 は、このような当時の政治が抱えていた経済に対する課題をことごとく解決していきます。

今回の記事では、加藤高明内閣 を引き継いだ 若槻禮次郎 内閣と、若槻内閣を引き継いだ田中義一内閣を比較する形で、改めて昭和金融恐慌が勃発した背景。そしてその当時の中華民国について並立して掲載していきたいと思います。

第一次若槻内閣の政治

前回の記事でも掲載しました通り、第一次若槻内閣とは、加藤高明首相の死去に伴い、これを引き継ぐ形で発足した内閣です。

加藤高明内閣から立憲政友会が離脱した理由は「税制」の問題。
即ち、経済政策に対するヴィジョンの違いが理由であったものと思われます。

例えば、原敬内閣において大蔵大臣を務めた高橋是清は「積極財政派」。
戦後、戦争特需の終了による不況が予測される中で、あえて積極財政政策に突き進み、もちろん軍事費の増強も行いましたが、それだけでなく「教育産業」や、特に「交通機関の整備」に関しては公債を発行してまでこれを急がせました。

これは予測にすぎませんが、その理由として、彼はいつ来るかわからない戦後不況に備えて、いつ来てもその不況に耐えられるよう、「戦争特需に頼らずとも、日本国内で自律的に回転させることができる経済システムの確立」を目指していたのではないでしょうか。

彼の政策は「金持ちや大企業のための政策だ」と批判されたわけですが、彼が急いでいたのは中央部よりも地方。
「公債を発行してでも急ぐべきだ」としたのは地方の鉄道敷設でした。つまり、地方経済の救済をもその想定に入れていた、ということです。

ところが、若槻内閣において初代大蔵大臣を務めた濱口雄幸という人物。
彼は是清とは真逆で、「緊縮財政派」でした。後に第27代内閣総理大臣を務めることとなる人物ですが、彼は「積極財政政策」=「軍拡」であると考え、軍事費の増大は国民の生活を貧困にし、また軍拡はアメリカやイギリスとの「軍拡競争」につながるとも考えていました。

彼は日本の国力を過小評価し、イギリスやアメリカには到底叶うわけがない、と考えていたんですね。
ですが、よくよく考えてみると・・・


【ワシントン海軍軍縮条約】

前回の記事で、高橋是清が首相を務めた時代に結んだ条約として、「九カ国条約」の名称をあげました。
ですが、この時は九か国条約だけでなく、日英同盟を解消し、代わりに日・英・米・仏の4か国で同盟関係を形成する「四カ国条約」、また、日・米・英三国の間で戦艦の保有比率に縛りを設けるための「ワシントン海軍軍縮条約」も同時に結ばれました。

これ、アジアにおける日本の勢力拡大を懸念する米国としては日本の軍拡にを抑制する意図がありました。
一方で日本とすると、戦後不況の影響で財政規模が縮小せざるを得ない状況にありましたから、これは、実は渡りに船だったようです。

実際、原敬内閣時代も財政規模を拡大する代わりに、ロシア革命に伴ってシベリアに対して行っていた「シベリア出兵」の規模を縮小し、これを経済成長に充てようとする考え方を持っていましたから。

ちなみにその保有比率の割合はアメリカ(5):イギリス(5):日本(3):フランス(1.75):イタリア(1・75)。
日本はいつの間にかヨーロッパ諸国を上回り、英米に次ぐ第3位の軍力を保有する立場へと成長していたんですね。

この条約の締結で、各国はこの時点で建造中であった軍艦はすべて廃棄することになります。
日本はさらに建造中であった軍艦「陸奥」を「完成済み」であることを認めさせ、この当時の軍艦の中で最も性能の優秀な戦艦(16インチ砲搭載)を二隻保有することとなります。(アメリカ4隻、イギリス2隻)

【軍艦:「陸奥」】
軍艦「陸奥」

日本が廃棄することとなった戦艦は低性能の「摂津」一巻のみ。
イギリスは4隻、アメリカは2隻廃棄することとなり、結果的に日本が一番得をする形となりました。

この、「ワシントン海軍軍縮条約」を成立させたのが高橋是清。このことで浮いた予算を他の経済政策に充てようとしていたのです。

原内閣当時から一貫して言えることですが、是清は何も無制限に軍拡を行うようなタイプではなく、ポイントを押さえて経済全体のことを考えて財政出動を行うタイプであったことが分かります。

一方で濱口雄幸大臣は、その経済政策として「軍縮余剰金を財源に、国民負担を軽減する施策を提示した」とあります。
「国民負担を軽減する」・・・「減税」でしょうか?

ですが、彼のとった緊縮財政政策はかえって日本経済を悪化させ、日本をデフレ不況へと突き落とし、国民の生活を圧迫します。

「戦争から平和へ、軍拡より軍縮へ、積極財政から緊縮財政へ」
う~ん・・・どこかで聞いたような内容ですね。言っていることは立派ですが、ねぇ。


「昭和金融恐慌」

さて。理由はよくわかりませんが、第一次若槻内閣の途中で財務大臣を交代しています。(1926年6月3日)
彼の後を引き継いだのが早速整爾氏(はやみせいじ)。ですが、早速は同年9月14日、病没。

この後を引き継いだのが「片岡直温」という人物で、昭和金融恐慌を引き起こした張本人です。

あくまで忘れちゃいけないのは、この当時は「戦後不況」の影響の真っただ中。さらに1923年に起こった「関東大震災」の影響を受け、経済状況は悲惨な状況にあった、ということです。

原敬が暗殺された後の「首相」の座を担った人物にろくな人物はおらず、唯一加藤高明は「普通選挙法」を成立させる・・・など政策らしい政策を実現させるのですが、こと経済に関しては前述したとおり。
濱口雄幸は、加藤高明内閣でも一貫して「大蔵大臣」の役職を担った人物です。

話を本題に戻します。昭和金融恐慌が勃発したのは1927年3月14日ですが、恐慌の勃発する前。
1926年12月25日、大正天皇が崩御なさいます。

政府と立憲政友会は対立する構造にあったのですが、若槻首相はこのことを受け、立憲政友会総裁田中義一と政友会から分派した政友本党総裁床次竹次郎を招き、崩御前日に招集された帝国議会が閉会した後、退陣することを条件として3党で今後の議会運営について協力し合うことを約束します。

ところが、若槻のこの行為に対して不信感を抱いた憲政党(若槻が党首を務める政党)の有志が政友本党に接近、連携し、政友会に世間が移ることを阻止しようと画策し、このことが3月初めに政友会にばれてしまいます。

約束が違う、とこの後政友会は態度を硬化させ、3党が協力して衆議院を通過させた「震災手形関係二法」の利用目的を明らかにするよう迫ります。

結果的に震災関連2法の利用目的が「台湾銀行(日本統治下の台湾にある、紙幣発行権を持つ銀行)」と「鈴木商会(当時の財閥)」の救済にあることが明るみとなり、予算のその大部分がこの2社の救済にあったことがわかってしまいます。

台湾銀行と鈴木商会が癒着構造にあったこと、またこの2社を政府が救済しなければならないような状況に陥っていたことは、国民をさらに不安にさせます。


片岡蔵相の失言

昭和金融恐慌を引き起こしたのは、そんな折、片岡大蔵大臣が、政府資金による救済を求めて政府に懇願に訪れた「東京渡辺銀行」。この銀行が、実際には破たんしていないにも関わらず、「破たんした」と誤って予算委員会に於いて発言してしまったこと。

片岡蔵相としては、「このくらい危機的な条項にあるんだから、早く法案の成立に協力してくれ」というくらいの気持ちで行った発言であったわけですが、このことで取り付け騒ぎが起こり、東京渡辺銀行は休業状態に追い込まれます。

【取り付け騒ぎの様子】
取り付け騒ぎ

この余波は他の銀行にも飛び火し、取り付け騒ぎが起こったことで 中井銀行・左右田銀行・八十四銀行・中沢銀行・村井銀行 などが休業に追い込まれます。

結果的に日銀が救済に入り、また震災関連二法は貴族院を通過して可決。事態は一旦沈静化しますが、翌四月。
台湾銀行が抱える借金や鈴木商店への貸し出しが多額に上ることが明らかとなり、最終的に台湾銀行は鈴木商店と絶縁。

鈴木商店に貸し出していた3億5000万円の貸し出しが不良債権化しかねない状況に追い込まれ、破たんの危機に追い込まれます。
政府からの追加融資を受けられなかった台湾銀行は休業に追い込まれ、近江銀行、泉陽銀行、蒲生銀行(滋賀)、葦名銀行(広島)、西荏原銀行(岡山)、広島産業銀行、そのほか東京の大手行であった十五銀行までもが休業します。

これらの責任を取って、若槻内閣はついに総辞職。(4月20日)
組閣の大命が田中義一に下ります。


高橋是清の財政政策(昭和金融恐慌Ver.)


この段階に至って、ついに高橋是清大蔵大臣が登場します。

彼が行ったのは、

 1.全国の銀行に対し、「モラトリアム(支払い猶予令)」を発令します。(閉会中であったため、憲法の規定に基づき、天皇陛下による『緊急勅令』を行うことで対応します)

 2.発令されるまでの間2日間、彼は全国の銀行に対して一斉に休業することを要請し、銀行側はこれを承諾。

 3.造幣局に命じて片面だけ印刷された200円札を500万枚急造させ、休業日である日曜4月24日、すべて銀行に届けさせます。

 4.銀行は届いた片面印刷紙幣を店頭に山積みし、支払いに滞りがないことをPR。

 5.翌4月25日にモラトリアム法を施行。

 6.銀行に取り付けに来た人は山積みされた片面紙幣を見て安堵。

 7.さらに750万枚の紙幣を発行して銀行に届け、モラトリアム終了後の返済にこれを充てます。

このような方法を用いて、是清はあっという間に昭和金融恐慌を収束させてしまいました。
現在は「日銀の独立」が法によって定められているため、このような方法を用いることはまずできません。

ちなみに、このとき是清が行った「銀行の店頭に紙幣を山積みにする」という行為は、現在で考えると、アベノミクスによって発表された「異次元の金融緩和」政策と同様な効果があります。

私が時折用いている言葉。「期待インフレ率」を上昇させる効果があります。
(※ 第81回の記事 をご参照ください)

期待インフレ率が上昇させることにより、現金を銀行に預ける、という「投資」行動を継続させたのです。
現在の黒田日銀総裁が口にしている「2%の物価上昇を目指す」という言葉も、つまりはこのような「期待インフレ率」を維持させることにあります。

【次回テーマ】
前回の記事では、この「第一次世界大戦後の日本」についての記事を「2回に分ける」とお伝えしたのですが、もう少しかかりそうです。
今回の記事では、「経済」の側面から第一次世界大戦後の日本についての検証を行ったのですが、次回記事ではまた一つ、別の側面。「外交」に着目して記事を作成したいと思います。

中国の歴史ともリンクさせながら進める予定ですので、日本の軍隊に「一夕会(国家社会主義者)」がかかわってくるまでの様子が、もう少しわかりやすくなると思います。



このシリーズの過去の記事
>> 第136回 高橋是清の経済政策と第一次世界大戦後の日本の首相~日本はなぜ大東亜戦争を起こしたのか~
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