第131回 孫文の後継者「蒋介石(しょうかいせき)」~なぜ日本は大東亜戦争を起こしたのか~など、政治・経済を中心とした日常的な情報を、独自な視点で解析します。

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<継承する記事>
第130回 蒋介石という人物(後編)~なぜ日本は大東亜戦争を起こしたのか~

それにしても、袁世凱没後の中国って本当にややこしいですね。

前回の記事では、特に第121回の記事と対比させる形で、清朝崩壊後の中国を第121回の記事では孫文の視点から、前回の記事では蒋介石の視点から追いかけてみました。

孫文の視点から見ただけではわからなかった部分が、蒋介石の視点も交えて見ることで、少しずつ風通しがよくなってきた気がします。

また、第124回の記事では、同じ時代とりわけ五四運動以降の中国を、北京政府(北洋政府)側の視点から、追いかけ、最終的に孫文の歴史と北洋政府の歴史が繋がる場面まで掲載しました。

また、第125回の記事では、五四運動がきっかけとなり中国に誕生した中国共産党について掲載しました。

まるでパラレルワールドの様にして展開してきたこれらの歴史が、いよいよ一つにつながる場面まで到達しました。

【国民革命軍を率いる蒋介石:Wikiより】
国民革命軍を率いる蒋介石

【本日のテーマ】
ソ連による影響力がとても大きくなる状況の中で開催された『中国国民党第1回全国代表大会(党大会)』。

「革命」という思想に憑りつかれて中々冷静な判断ができない孫文に対して、時に反発し、政治や軍事の場面から頻繁にフェイドアウトする蒋介石ですが、共産党の勢力が浸透しつつある中国国民党の中で、彼は『黄埔軍官学校』の校長として就任し、その生徒たちとも絶対の信頼関係を築くことになります。

ですが、孫文からどれほどの信頼を得ているとは言っても、彼の立場はまだまだ政治の舞台の中心として活躍できるほどの地位にはありませんでした。

特に孫文亡き後の中国において、一体蒋介石がどのようにして政権の中心にまでのぼりつめ、果ては中国統一を成し遂げるほどの実力者となりえたのか。
今回の記事では、そんな蒋介石のたどった軌跡を追いかけてみます。

蒋介石の出世街道

校長としての蒋介石もまた非常に優秀であった様で、例えば 1924年8月 に勃発した「商団事件」において、武装して陳烔明の残党と手を結んだ商人団が起こした武装蜂起を鎮圧したのは、蒋介石が黄埔軍官学校の学生たちを中核として結成した国民党軍。

ちなみにこの「商団事件」を引き起こしたのは中国が赤化(共産化)することを恐れたイギリスが、自国系列の銀行の代表者に働きかけて引き起こしたもの、なのだそうです。

この「商団事件」の最中に北京では第二次奉直戦争が勃発し、北京政変を引き起こした馮玉祥らの呼びかけに応じて孫文は北京に入城することになります。( 第124回の記事 参照)

孫文は、自分がいなくなった後の広東軍政府でも、蒋介石がいれば大丈夫だと感じるほどに蒋介石のことを信頼していたようです。

北京に赴く前に孫文は一度蒋介石の下を訪れています。
孫文は北京で病没しますので、この時の出会いが蒋介石にとって、孫文との最後の出会いとなりました。


【蒋介石V.S.陳烔明】

【広東省】
広西省

1925年2月、陳烔明軍が勢力を挽回し、再び広東に侵攻を開始します。

ちなみにこの時の蒋介石の役職は
『陸軍軍官学校校長兼広東軍総司令部参謀長』
です。

参謀長として彼は国民党軍に出動命令を出し、軍を3つに分けて陳烔明の本拠地である「東江」に攻撃を開始します。

【東江】
東江
結構広いんですが、川全体を拠点にしていたということでしょうか?

この時最も活躍したのが「南路軍」という部隊で、この部隊の中核を構成していたのが黄埔軍官学校の出身者たち。
彼らは陳烔明軍を追い詰め3月7日には広東省の大部分を制圧します。

陳烔明らが最終的に逃げ込んだのは赤丸で囲っている地域、「香港」です。
結果、蒋介石軍の大勝利に終わります。

しかし、それから1週間と立たずして、3月12日、孫文は北京にて病没します。
同21日、孫文の死の知らせを受け取った蒋介石は、すぐさま学生部隊を召集し、

「三民主義による中国統一という孫大元帥の遺志を達成するのが我々に課せられた使命である」

との訓示を行いました。


【「中華民国国民政府」樹立】

1925年7月、孫文が生前に残していた「国民政府建国大綱」に基づいて、国民党は軍政府を解体した後、「中華民国国民政府」を作ります。

これまで混乱続きだった中国のことを考えると、「孫文」という人物が、国民党員たちからいかに信頼されていたのか、ということがうかがい知れますね。「らしくない」といえばらしくない気もしますが。

この時採用された政府システムが『五権(立法・行政・司法・監察・人事)分立』。16人の委員からなる合議制。

ふ~む・・・・やっぱり「らしくない」ですね。
非常に民主的なシステムだと思います。軍隊は再編され、改めて「国民革命軍」と名称を変えて、蒋介石は「第一軍司令官」に任命されました。

そんな折、8月20日。中華民国国民政府の中で「財政部長」の役職を務める立場にあった『廖仲愷』という人物が暗殺されます。

【廖仲愷:Wikiより】
廖仲愷

元々「国民党」の内部では、中国共産党との連携を第一に考える「左派」と、逆にこれを潔しとしない「右派」とが対立する「対立構造」がありました。

「右派」の代表格は当然のことながら蒋介石。
逆に暗殺された廖仲愷は、「左派」。共産党との連携が必要である、と考える立場にありました。
彼は孫文の側近であり、孫文の有力後継者としても名が挙がる人物でした。

暗殺者そのものはすでに逮捕されていて、事件そのものの糾明にはそれほど手間はかかりませんでした。
背景として、国民党の「右派」。国民党が左傾化していくことを快く思わない勢力の一部による左派勢力の『粛清計画』がありました。

この粛清計画にかかわっていた人物の一人として、「胡漢民(こかんみん)」という人物の従兄の名前が上がりました。
胡漢民もまた孫文の側近であり、中華民国国民政府では「外交部長」を担う役割にありました。

【胡漢民:Wikiより】
胡漢民

蒋介石にとって、彼は陳其美が暗殺される以前からの『同志』でもありました。
ですが、つまり彼は『反共右派』。彼自身に首謀者としての嫌疑がかけられることになるのです。

蒋介石は、胡漢民に対して、ソ連へ出国することを勧めます。
胡漢民は、ソ連へと去り、政治の表舞台から姿を消します。

またもう一人、中華民国国民政府において、「常務委員兼軍事部長」、「広東省政府主席」、「広東省軍事庁長」等の役割を担っていた人物で、許崇智という人物がいました。
今回の暗殺事件の調査委員会の構成員でもあります。

【許崇智:Wikiより】
許崇智

北伐」の折、クーデターを起こして広東軍政府を乗っ取った陳烔明。
彼を討伐する際に活躍したのがこの「許崇智」です。

ですが、蒋介石としては、上海から孫文の命に応じて福建省に渡った際、この「許崇智」と衝突し、上海へ戻ってしまった・・・という経緯のある相手でもあります。

蒋介石は、もう一人の中心人物である汪兆銘の了解を取り付けたうえで、許崇智の側近を逮捕。
許崇智に対して事件の責任を取るように要求し、さらに許崇智配下の軍を武装解除までしてしまいます。
事実上の「失脚」ですね。

この様にして、蒋介石の立場はみるみる上昇していきます。
更に1924年10月、蒋介石は再び陳烔明の本拠地へと攻め入ります。

陳烔明の本拠地、「恵州」を陥落し、陳烔明の勢力を一掃。広東省の軍事的勢力を見事統一してしまいます。

口だけではない「実力者」として彼は台頭し、左派の巨頭である汪兆銘と共に、右派の最巨頭として、中華民国内でのツートップとしての座を築き上げます。

翌1926年1月に開催された第2回党大会でも、選挙にて「党中央執行委員会常務委員」に選出され、名実共に「汪兆銘」に次ぐナンバー2としての地位を確立させます。2月1日には「国民革命軍総監」にも就任します。


蒋介石のジレンマ

「革命」という思想に取りつかれた孫文による「北伐」にあれほど反対していた蒋介石ですが、孫文の後継者として、その遺志を引き継ぐ覚悟をして以降、彼は孫文の悲願でもあった「北伐」をできるだけ早く実施したいと考えるようになっていました。

ですが、ソ連の軍事顧問団、中国共産党等からの反対により、これを実現できずにいました。
蒋介石自身は、確かにソ連からの援助の必要性はいやというほど痛感してはいたのですが、国民党政府に対する共産勢力の影響力の拡大は、彼にとって看過できないほどに大きなものとなっていました。

この後、1926年3月、国民党内の左派・共産党による蒋介石拉致未遂事件が発生するのですが・・・・
記事がだいぶん長くなってまいりましたので、この内容は次回記事へと委ねたいと思います。

【次回テーマ】
次回記事に於きましては、国民党内の左派・共産党による蒋介石拉致未遂事件のいきさつから、最終的に「北伐」による蒋介石の中国統一というエピソードまで勧められればと考えています。


このシリーズの過去の記事
>> 第130回 蒋介石という人物(後編)~なぜ日本は大東亜戦争を起こしたのか~
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