第12回 「冷戦の終結」と「バブルの崩壊」など、政治・経済を中心とした日常的な情報を、独自な視点で解析します。

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<前回の記事 第11回 デフレを脱却する方法⑥

前回の記事では、「デフレの歴史」というサブタイトルの元、日本のデフレの元凶であるバブル崩壊。
そのさらに元凶といえる、「バブル経済」。デフレを生み出す元凶の元凶となったバブル経済はいったいいかなる過程で発生したのか。

米国の「財政」と「貿易」における「双子の赤字」。これを解消するため、その責任をすべて日本に押し付けるかの如く行われたG5各国によって合意された「プラザ合意」。

先進国が協調して行われた1ドル240円の日米為替水準が、その半額の120円にまで急上昇した為替介入。

けれども、日本は同時に財政出動政策と減税政策による内需拡大政策を行った結果、空前絶後のバブル経済へと突入したということをご説明しました。
バブル経済は1989年末まで続き、東西冷戦構造の終結とともにバブル経済も終結したことを説明しました。

では、なぜ東西冷戦構造の終結とともに、バブル経済は崩壊したのか。本日はバブル崩壊をテーマにお伝えしたいと思います。

「冷戦構造」の終結と「バブル崩壊」

テーマに入る前に、二つのグラフを比較して見ていただきたいと思います。バブル崩壊 地価
バブル崩壊 株価
二つのグラフは、バブルが崩壊する時期を含む、二つのグラフです。
上が地価の推移、下が株価の推移です。月次での推移を比較できるのが一番良いのですが、土地価格に関しては月次のデータを見つけることができませんでしたので、土地に関しては年次データとなっております。

一般的に、「バブル崩壊」の理由として挙げられるのが、「総量規制」と呼ばれる、海部俊樹内閣下、橋本龍太郎当時大蔵大臣によって行われた政策だといわれています。

「総量規制」とは、バブル経済により、際限なく値上がりするのではないか、とも考えられた土地の売買を抑制するために行われた政策です。
不動産会社へ向けた金融機関からの融資に上限を設け、不動産会社への貸出金額の伸び率を、他の業種を含む総貸出金額の伸び率以下に抑えるよう、大蔵省から各金融機関に対して行政指導が行われました。
1990年3月に実施され、翌年12月に解除されるまで実施されます。

この結果、不動産バブルが崩壊し、これから後に続くデフレ不況の真っ只中へ突入するためのきっかけを作った、と言われているのです。

ところが、上のグラフをよく見ていただきたいのです。
まず気づくのが、1990年3月に実施され、翌年12月まで続けられた政策であるにもかかわらず、地価は90年、91年と伸び続け、総量規制を解除したその翌年から崩壊を始めている、ということ。

ですが、実は私が見ていただきたいのはそこではありません。
地価と株価のグラフを二つ並べたのには、そこに意味があります。

株価のグラフを見ていただきますと、画面中央よりやや斜め左上。縦軸と横軸の点線があり、クロスしたところにグレーの●がプロットされています。

この●から点線をたどって年数のところを見ますと、「Jan 1'90」と記されています。つまり、このプロットは、1990年1月1日の時点での株価ですよ、ということです。Yahooファイナンスから引っ張ってきました。
もちろん、1月1日は市場が開いていませんから、実質的には90年1月の大発会の日のデータ、ということになります。
89年12月に空前絶後の最高値を付けた後、株価は文字通り「急落」し、同年5月にやや持ち直すものの、そのまま同年9月まで急速に下落し続けます。

前年大納会で38,957円の最高値を付けた株価が、翌年9月には20,671円にまで一気に下落します。
その下落幅たるや、実に18,286円。2015年10月1日13時27分現在の株価が17,759.65円ですから、アベノミクスによって回復したといわれる株価、その額を更に上回る下落幅を、たった9ヶ月の間に記録しているのです。これは「空前絶後の下落幅」です。

総量規制が行われたのは1990年3月です。ですが、株価バブルは既に同年1月から崩壊が始まっていることを如実に示しています。

1990年3月に総量規制が行われているのに、その影響が2か月も前から及んだりするでしょうか。

その様なことはあり得ません。抑々、総量規制により、最も顕著な影響を受けると考えられる「地下」は、翌年1991円まで上昇し続けているのですから。

つまり、バブル崩壊の原因は総量規制以外にある、ということをこのデータは示しているのです。

では、「総量規制以外の原因」とは何か。考えられるのは、やはり前年12月に行われたマルタ会談。そして冷戦構造の崩壊です。

明確な根拠はありませんし、私がほしいと考えているデータは手に入っていません。
バブル期、土地バブルに関係していたのはほぼ100%日本国の投資家です。80年に外資系証券会社が大量に入ってきたという情報は見つけることができますが、当時の株式を保有していたのもまた日本国企業です。

対日投資額はバブル崩壊前よりもバブル崩壊後のほうが増加しています。
バブル期はむしろ日本が米国を中心とする海外に投資していて、国際収支は明らかに日本の大幅な黒字です。

考えられるのは、投資家の「心理」に対して与えた影響。
冷戦構造の崩壊は、実に「歴史的」な一大イベントでした。冷戦が終結するまで、日本は世界経済の中心地でした。
ですが、冷戦構造が終結したことにより、脱共産化を果たした「東欧諸国」に「投機対象」としての魅力が生まれたこと。

日本株を売り、東欧に投資を行うような流れが生まれたのではないか。
そして、そんな中で総量規制が行われたことにより、一気に日本市場に「投資先」としての魅力が失われたのではないかと、そんな風に思うのです。

全ては推測にすぎませんけれどもね。

とはいえ、所謂「日本のデフレ」は、このような経済構造の中で生まれました。
「土地バブル」は「株価バブル」に遅れて1992年にスタートするわけですが、次回はバブル崩壊の陰で動いていた、もう一つの「デフレ」に向けての流れを生み出した、「日米構造協議」というテーマについて掲載したいと思います。

このシリーズの過去の記事
>> 第13回 緊縮財政政策がもたらしたもの
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