第106回 対華21か条要求とは何だったのか(日本と中国の軋轢)~なぜ日本は大東亜戦争を起こしたのか~など、政治・経済を中心とした日常的な情報を、独自な視点で解析します。

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この記事のカテゴリー >>十五年戦争(日中戦争)の原因と結果


<継承する記事 第95回 なぜ日本は大東亜戦争を起こしたのか~辛亥革命後の中国~

このシリーズを続けている目的は、第二次世界大戦が勃発する以前に、なぜ日本と中国は戦争状態に至ったのか。
これを解明することが一つの目的です。

中国の日本に対する「反日感情」。
ですが、袁世凱が設立した「中華帝国」が生み出されるまでの過程において、比較的日本と中国の関係は良好で、特に中国からは様々な要人たちが亡命先として日本を選んだり、中国人と日本人が協力して団体を立ち上げたり、日本人が中国人に対して勉強を教えたりと、どうも対立する様子が見当たらないように感じます。

日清戦争や義和団の乱などで、確かに時折対立する構図も時々見かけはするものの、中国は日本に対して、「学ぶ」という姿勢を貫いているように見えます。ですが、そんな中国において、初めて「反日感情」なる文言を目にしたのが、タイトルにもある「対華21ヶ条要求」です。

【加藤高明外務大臣:Wikiより】
加藤高明

第95回の記事では、「対華21か条の要求」について、以下のように掲載しています。
1914年7月に発生したのが第一次世界大戦。大戦に参戦した日本は、中国国内、膠州湾岸のドイツ領を占拠。

袁世凱はこのタイミングで日本に対して日本が占領したドイツ領膠州湾岸を返還するよう求めるのですが、受け入れられず、逆に日本から「対華21か条要求」を突きつけられます。(このあたりは後日記事にて深めたいと思います)
袁世凱は拒否することができず、「対華21か条要求」は成立。

このように記すと、あたかも日本が強硬的に中国に対して要求を突き付け、ドイツ領膠州湾岸の返還を拒絶したかのように受け止められるかもしれませんが、実際には、日本がこれを拒否し、代わりに「対華21か条要求」を中国に突きつけるに至ったのにには、相応の理由があります。

【本日のテーマ】
本日は、日本が中国に対して「対華21か条」を突きつけるに至った経緯と、その過程において生まれた、日本と中国との間における「軋轢」について記事にしてみたいと思います。

対華21ヶ条要求

では、そもそも、「対華21ヶ条要求」とはいったいどのような要求だったのでしょう。まずはその内容から振り返ってみたいと思います。
(※例によって、内容そのものに重要性はないので、読み飛ばしてください)
第1号 山東省について

・ドイツが山東省に持っていた権益を日本が継承すること

・山東省内やその沿岸島嶼を他国に譲与・貸与しないこと

・芝罘または竜口と膠州湾から済南に至る鉄道(膠済鉄道)を連絡する鉄道の敷設権を日本に許すこと

・山東省の港湾都市を外国人の居住・貿易のために新しく開放すること

第2号 南満州及び東部内蒙古について

・旅順・大連(関東州)の租借期限、満鉄・安奉鉄道の権益期限を99年に延長すること(旅順・大連は1997年まで、満鉄・安奉鉄道は2004年まで)

・日本人に対し、各種商工業上の建物の建設、耕作に必要な土地の貸借・所有権を与えること

・日本人が南満州・東部内蒙古において自由に居住・往来したり、各種商工業などの業務に従事することを許すこと

・日本人に対し、指定する鉱山の採掘権を与えること

・他国人に鉄道敷設権を与えるとき、鉄道敷設のために他国から資金援助を受けるとき、また諸税を担保として借款を受けるときは日本政府の同意を得ること

・政治・財政・軍事に関する顧問教官を必要とする場合は日本政府に協議すること

・吉長鉄道の管理・経営を99年間日本に委任すること

第3号 漢冶萍公司(かんやひょうこんす:中華民国最大の製鉄会社)について

・漢冶萍公司を日中合弁化すること。また、中国政府は日本政府の同意なく同公司の権利・財産などを処分しないようにすること。

・漢冶萍公司に属する諸鉱山付近の鉱山について、同公司の承諾なくして他者に採掘を許可しないこと。また、同公司に直接的・間接的に影響が及ぶおそれのある措置を執る場合は、まず同公司の同意を得ること

第4号 中国の領土保全について

・沿岸の港湾・島嶼を外国に譲与・貸与しないこと

第5号 中国政府の顧問として日本人を雇用すること、その他

・中国政府に政治顧問、経済顧問、軍事顧問として有力な日本人を雇用すること

・中国内地の日本の病院・寺院・学校に対して、その土地所有権を認めること

・これまでは日中間で警察事故が発生することが多く、不快な論争を醸したことも少なくなかったため、必要性のある地方の警察を日中合同とするか、またはその地方の中国警察に多数の日本人を雇用することとし、中国警察機関の刷新確立を図ること

・一定の数量(中国政府所有の半数)以上の兵器の供給を日本より行い、あるいは中国国内に日中合弁の兵器廠を設立し、日本より技師・材料の供給を仰ぐこと

・武昌と九江を連絡する鉄道、および南昌・杭州間、南昌・潮州間の鉄道敷設権を日本に与えること
福建省における鉄道・鉱山・港湾の設備(造船所を含む)に関して、建設に外国資本を必要とする場合はまず日本に協議すること

・中国において日本人の布教権を認めること

このうち、第5号は、「要求」ではなく、「希望」なのだそうです。
ですから、正確には21か条の要求ではなく、「14の要求と、7か条の希望」だったのだそうですよ。

「対華21か条要求」という文言は、日本国政府が用いていたものではなく、中国が「日本からこんなにもたくさんのひどい要求を突き付けられた」というイメージ操作を行うために用いたプロパガンダ。
7か条の希望とは、すなわち第5号の文言のことで、これは対外的には秘密にするように要請していたものだったのだそうです。

日本はなぜ対華21か条の要求を行うに至ったのか

前段では無機的に、日本が第一次世界大戦に参戦し、ドイツ領であった膠州湾岸(青島)を占領した、と記していますが、日本はそもそも第一次世界大戦に参戦することは当初拒んでいましたし、膠州湾岸を占領するに至った経緯も、ドイツに対して「中国に返還することを前提として、無条件に膠州湾岸地域を日本に引き渡すよう求めたのです。

ですが、当然それをドイツが了承するわけがありませんから、日本は武力によって膠州湾岸を占領したわけです。
また、第一次世界大戦に参戦するに至っても、再三イギリスより参戦の要請を受けた挙句の参戦であり、元々は参戦そのものに消極的でした。

前提条件として、日本が宣戦布告した相手はドイツであり、中国ではない、ということを頭においておく必要があります。
この戦争に対して、中国は日本・ドイツ・イギリスの三国に対して、「戦争は自分たちが決めたこの地域の中で行うように」という通告を一方的に行ってきます。

ですが、当然そんなルールを守っていては相手に勝利することなどできません。
当然日本は戦略上、中国が許可していない地域においてもドイツとの戦闘行為を行います。

もう一つの前提条件として覚えておいてほしいのは、日本は膠州湾岸(青島)を占領した後、この土地を中国に返還させることを意図していた、ということです。もちろん何も条件を付けずに、というわけではありませんが、当時ヨーロッパ諸国が中国に対して行っていた要求内容に比べれば、よほど良心的なものです。

ですが、中国(袁世凱)は、日本を含む三国が、自分が指定した区域以外で戦闘行為を行ったことに抗議し、日本が占領している地域から出ていくことを要求してくるのです。
そう。中国はドイツに対しては行うことができなかった要求を、日本に対して行ってくるんですね。
日本がドイツに対して宣戦布告を行わなければ州膠湾岸はドイツ領土のままだったはずなのです。ですが、日本がここを取り戻すやいなや、その返還を日本に対して要求してきたのです。

ですが、日本としてはイギリスからの要請を受け、ドイツを相手に宣戦布告を行ったのであり、ヨーロッパではまだ第一次世界大戦が続いています。
大戦が終結し、休戦状態に入った上で講和条約を結ぶまでは、領土を返還することはできない、と中国に伝えます。
しかし中国は、「ドイツとの租借条約の文言の中に、他の国に譲渡することはしない」という文言が含まれており、直ちに中国に返却すべきだ、と言ってきたのです。

そう。日本が中国の為に、ドイツから取り返してあげた州膠湾岸(青島)が、いつの間にか中国の権益にすり替わっていたのです。

このまま中国に、州膠湾岸をそのまま返却したのでは、逆に中国から賠償金を請求されかねない状況に陥ってしまったのです。

そこで日本が考えたのが「対華21ヶ条要求」。これをもとに、加藤高明外務大臣は袁世凱との交渉に乗り出したんですね。その内容は、袁世凱と対立構造にある孫文が、日本から革命を支援してもらうために結んでいた「密約」を参考にしたものだったのだそうです。

袁世凱の欲望が生み出した日中の軋轢

このタイミングで出てくるのは「アメリカ」と「ドイツ」の二つの国。

・この当時のドイツは、中国に対して権益を保有しようとしていて、中国をそそのかして日本との間で戦争を起こさせることまで考えていてもおかしくないような状況にあった。(グレイ英国外相)
・アメリカはロシア戦争に勝利して以来、アジアにおける日本の勢力の拡大を脅威に感じていた。

袁世凱は、この二国に働きかけ、中国国内の世論を煽り、外国に対しては21カ条の要求(正確には14か条の要求と7か条の希望)に、さらに尾ひれはひれを付けて吹聴し、日本に対する反感を煽ったのだそうですよ。

ドイツやアメリカのマスコミはあることないこと吹聴して報道を行い、ドイツとアメリカの反日世論を惹起し、中国国内でも反日感情が一気に高まったようです。

袁世凱は自分が「皇帝」であることを求めさせるため、この21か条要求に関連した一連の流れ自作自演し、自分で国内世論を煽っておきながら、譲歩する際、日本に対して国民に対する体裁を整えるため、「最後通牒」を行うよう加藤外相に懇願し、要求が締結された直後に袁世凱はなんと「懲弁国賊条例」なる法律を交付します。

その内容は、「日本人に土地を貸したものは公開裁判なしに死刑に処す」というもの。
調印と同時に条約に違反する・・・という体たらく。

ちなみに、Wikiによりますと、
1915年の懲弁国賊条例は1929年に強化され「土地盗売厳禁条例」「商租禁止令」などおよそ59の追加法令となり、日本人に対する土地・家屋の商租禁止と従前に貸借している土地・家屋の回収が図られた。

間島や満州各地の朝鮮系を中心とした日本人居住者は立ち退きを強要されあるいは迫害された。このことは満州事変の大きな要因となる。

とのこと。どうも中国の反日感情が高まり、後に日本と戦争状態に陥った過程として、この「21か条要求」に関連した一連の流れは、非常に重要なターニングポイントとなったようですね。

なぜ日本と中国が戦争状態に陥ったのか、その片鱗を見たような気がします。
次回記事に於きましては「五四運動」という中国における民衆の運動に着目して、中国国民の中に広がっていく「反日感情」の高まりを追いかけていきたいと思います。


このシリーズの過去の記事
>> 第95回 辛亥革命後の中国と袁世凱(えんせいがい)~なぜ日本は大東亜戦争を起こしたのか~
このシリーズの新しい記事
>> 第107回 五四運動の影響をわかりやすく考える(中国人の反日感情)~なぜ日本は大東亜戦争を起こしたのか~ にほんブログ村 政治ブログへ にほんブログ村 経済ブログへ

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at 2016/11/22(火) 14:44 |

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