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この記事のカテゴリー >>ナチスドイツは一体なぜ誕生したのか?


<継承する記事>第465回 第一次世界大戦までのドイツ社会主義~社会民主党の中の火種~
ドイツ社会民主党内部において、修正主義に対する歩み寄りを見せたベーベルやカウツキーら党指導部(中央派)と、これに迎合することができなかった「急進左派」の面々との対立が顕在化したのは1908~1910年にかけてのことなのだそうです。

第324回 等の記事で、私は「第二インターナショナル」のことを記事にしました。

この、「第二インターナショナル」が誕生したのは1889年7月のこと。ビスマルクが失脚したのが1890年3月のことですから、ビスマルクが失脚する、その前年のことになります。

マルクスら共産主義者が実際に参加してその設立にかかわった第一インターナショナルに比べると、第二インターナショナルはよりブルジョワ的で、「共産主義」というよりは、「社会主義」的な素養を備えています。つまり、ラッサール的な要素ですね。

第324回の記事は後に革命後のロシアのリーダーとなる「レーニン」が、当初目指していた第二インターナショナルの在り方として、「非暴力、反戦の姿勢」を記しています。

戦争に対する姿勢として、第二インターナショナルでは、1907年の「シュトゥットガルト大会」において、以下のように決議しています。
1 社会主義者は議会で軍備縮小と常備軍撤廃のために努力すべきである

2 関係諸国の労働階級は、戦争勃発を阻止するよう全力を注ぐべきである

3 戦争が勃発したならば、労働者階級は戦争の速やかな終結をめざして干渉するとともに、戦争によって引き起こされた危機を利用して、資本主義の廃絶を促進すべく全力をつくして戦うべきである

1912年に行われたバーゼル大会でも同様の宣言が行われ、特に3番の内容は、第一次世界大戦勃発後、スイスに亡命していたレーニンの「革命的祖国敗北主義」という考え方にも影響を与えています。

そして、対戦勃発当時、この第二インターナショナルを導く立場にあったのがドイツ社会民主党。ですが、このドイツ社会民主党が自国の帝国議会において戦争を支持し、政府に協力する方針を示しします。

これに仏、墺の社会主義者が続き、第二インターナショナルそのものが分裂することになりました。

つまり、第二インターナショナルが分裂したのはドイツの社会主義者たちのせいだったわけです。レーニンも批判していた部分です。

では、第一次世界大戦勃発を受け、ドイツ国内で社会主義者たちはどのような姿勢を示したのでしょうか?


第一次世界大戦勃発時のドイツ

前回の記事 でお伝えしましたように、この当時のドイツ社会民主党は、特に南ドイツにおいて同党の議員たちが自由主義者たちと連携するようになったことを通じ、ここで「修正社会主義」が醸造されるようになっていました。

世代交代が進み、かつてマルクス主義者たちがリーダーとして率いていたドイツ社会民主党は、「修正主義者」たちによって率いられるようになっていました。

かつてビスマルクによって「ナショナリズム」を煽られ、フランスに打ち勝った「自由主義者」たちです。第一次世界大戦勃発前夜の自由主義者たちの中には、あの時と同じような「ナショナリズム」が高ぶっていました。

ドイツ社会民主党は、この様な自由主義者たちと友好的な立場をとる政党へと姿を変えていました。


マルクスたちの幻影

マルクスやエンゲルスらは、ロシア帝国の「ツァーリズム(帝国主義)」を「社会主義運動の最大の敵」と定義づけていました。(根拠を調べる方法を現時点では保有していませんので、Wikiベースで記事を進めていきます。)

開戦時、皇帝であるヴィルヘルム2世は議会において、「余は党派なるものをもはや知らない。ただドイツ人あるのみだ」という演説を行いました。後に「城内平和演説」と呼ばれるようになった演説です。

「城内平和」とは、元々は中世のドイツで、「城壁内での私闘」を禁止する意味を持つ言葉だったのだそうです。

ドイツ社民党は、この言葉を受け、帝国政府の開戦を支持し、他党との抗争を停止しました。この事はドイツ国内のみならず、世界を驚かせたのだそうです。

Wikiには、社民党にこの姿勢をもたらせた理由として、前述したマルクスやエンゲルスらの「定義」があったのではないか、と記されています。


開戦後のドイツ社会民主党

社会民主党の前進の一つで、「マルクス派」であった「社会民主労働者党」。

この政党を結成したのは「ベーベル」と「リープクネヒト」であったわけですが、第一次世界大戦開戦の段階で、「ベーベル」は中央派、リープクネヒトは「急進左派」に位置していました。
※失礼しました。等を結成したのは「ヴィルヘルム=リープクネヒト」、急進左派に位置していたのは「カール=リープクネヒト」であり、両者は親子関係にあります。誤った記述、失礼いたしました。

私、第456回の記事 におきまして、開戦当初のドイツの「戦略」を記事にしました。

で、その「戦略」がいかにお粗末なものであったのかということも記事にしました。

ビスマルクがフランスに普仏戦争を吹っ掛けた時は、非常に綿密な戦略が練られていて、事前準備もかなり周到に行われていた事も記事にしました。そして、そんなビスマルク軍の快進撃に、あのマルクスさえナショナリズムに煽られて昂揚していたのだということも記事にしたと思います。

ヴィルヘルム2世がロシアに宣戦布告をした時の社会主義者たちの心境は、きっとあの普仏戦争当時と同じような心境だったのだと思います。

ですが、この時の大将はヴィルヘルム2世。参謀は小モルトケ。普仏戦争の時とは大違いです。

社会主義者たちは、対ロ、対仏戦争が普仏戦争の時のようにドイツの快進撃で終結するとでも思っていたのでしょうか?

ですが、現実は違いました。彼らはドイツ軍の「圧勝」を期待してヴィルヘルム2世の開戦の意思を支持したわけですが、いざ蓋を開けてみると、現実は全く違っていたわけです。

最初はヴィルヘルム2世を支持していたくせに、どうも雲行きが怪しいと感じると、彼らは手のひらを返すように議会と対立し、「場内平和」を批判し、党の指導者として「中央派」を構成し、修正主義者たちと和合しようとしていたカウツキーだけでなく、「修正主義」を訴えて自由主義者たちと連携する姿勢を示していたいたはずのベルシュタインまでもが党内の方針に対する「反対派」へと加勢するようになりました。

ですが、この段階でもまだ「反対派」は少数派で、多数派であった党の指導者たちは、この「反対派」たちに対する締め付けを強化し、「反対派」の急先鋒であった「フーゴー・ハーゼ」らは1916年3月24日、戦争のための予算の成立に反対したことを受け、社民党から除名されることになります。

ハーゼ

リープクネヒトも1916年に社会民主党を離脱したとありますので、おそらくこの時に離脱したのではないかと思われます。


スパルタクス団の結成

後に「ドイツ共産党」へと姿を変えるスパルタクス団ができるのはこの頃です。

ややこしいのですが、第一次世界大戦開戦後のドイツ社会主義者として、様々な人物の名前が登場するのですが、そのほとんどが「ドイツ社会民主党」の「党員」です。

ですが、必ずしも「議員」であるとは限りません。そんな「社会民主党党員」の一人が「ローザ・ルクセンブルク」です。

ローザ・ルクセンブルク

彼女は元々ロシアの属国であった「ポーランド立憲王国」の出身。1898年、彼女はドイツ人と「偽装結婚」することによってドイツ市民権を取得し、ドイツに移住してきます。

ここで彼女はドイツ社会民主党に入党し、前述した「急進左派」の筆頭として活動することとなります。彼女の行動を見ていると、根っからの「マルクス主義者」であることがよくわかります。

彼女は修正主義者であるベルシュタインと対立したときも、「プロレタリアートによる独裁」が必要だと訴えていますし、ベルシュタインらと歩み寄りを見せた指導者であるカウツキーとも対立します。


少し国家をまたぎます。彼女がドイツへと移住してきたのは1898年の事。その6年後、ロシアでは「ロシア第一革命」が勃発します。

レーニンらが姿を見せ始めるのもこの頃で、1907年、彼女はレーニンと初対面することになります。ちなみに、前半でお示しした「シュトゥットガルト大会」における決議の決議案を考えたのはローザ・ルクセンブルクとレーニンです。

決議案は、反戦を訴える内容であり、彼女はその後も、戦争の危機が近づいていることへの確信を深めており、等に対して「ゼネスト(ゼネラルストライキ)」を組織するよう要求するのですが、これを党指導部に拒否されます。

「ゼネスト」を全国的に組織することで、政府の方針に対していわゆる「職務放棄」を行う労働者を組織的に拡大しようと考えていたんですね。

私の個人的な意見ですが、途中、マルクスやエンゲルスらが、

『ロシア帝国の「ツァーリズム(帝国主義)」を「社会主義運動の最大の敵」』

だと定義づけたことをお話ししました。ですが、おそらくそれはビスマルクがまだ健在であった時代のことだったのではないでしょうか? 実際、マルクスが死亡したのは1883年3月14日、エンゲルスは1895年8月5日ですから、第一次世界大戦が勃発した時点で、両名は既に他界しています。

「ロシア帝国のツァーリズム」といいますが、その当時、ドイツも「帝国主義」という形態をとっていました。第一次世界大戦開戦時と異なるのは、その当時のドイツには「ビスマルク」がいたということ。

ビスマルクが健在であれば、おそらく彼は「第一次世界大戦」などという愚かな戦争を引き起こすことはなかったはずです。

ヴィルヘルム2世の「世界政策」こそまさに「帝国主義」そのものであり、マルクスやエンゲルスらが批判した「ロシア帝国主義」と全く同じ性格を持っていたのではないかと思います。

私は社会主義者ではありませんし、マルクスやエンゲルスらの考え方を肯定するわけではありませんが、少なくとも「社会主義者」の立場に立って考えるとするならば、マルクスやエンゲルスらの「定義」がまるで「思想」のようにして自由主義者と連携した社会主義者たちに「開戦」の決議を支持させたのだとすれば、それは非常に愚かなことだったのではないか、と思います。

そのくせ、ドイツにとって形成が不利になったと見るや否や、手のひらを反して反戦を訴え始める。あまりにも身勝手すぎるのではないでしょうか。

そういった意味で、ローザ・ルクセンブルクの姿勢は一貫していて、マルクス主義的な「暴力革命」を起こすことを意図さえしていなければ、決して非難されることでもないように思います。


「グルッペ・インターナツィオナーレ」の結成

英語的に表現すれば、「グループ・インターナショナル」ということでしょうか。「スパルタクス団」のことです。

ローザ・ルクセンブルクとリープクネヒトら、社会民主党左派は、第一次世界大戦開戦直後、この「グルッペ・インターナツィオナーレ」を結成します。

このグループが、どういった性格を持っているのかということは、何となく想像できるかと思います。

ローザ・ルクセンブルクはたびたび投獄されるのですが、「グルッペ・インターナツィオナーレ」は、彼女が獄中で起草した方針に従い、非合法の冊子を刊行することを決定しました。

その冊子の名前が「スパルタクス書簡」。「スパルタクス」とはグルッペ・インターナツィオナーレメンバー共有のペンネームで、「共和政ローマで奴隷たちによる反乱を率いたトラキア出身の奴隷剣闘士」の名前です。

この事から、「グルッペ・インターナツィオナーレ」は「グルッペ・インターナツィオナーレ」という名前ではなく、「スパルタクス団」という名前で知れ渡るようになりました。


「ドイツ独立社会民主党」の結成

一方、プロレタリアートによる独裁を訴えるスパルタクス団の面々とは別に、フーゴー・ハーゼら社会民主党を除名された面々は、「社会民主協働団」という、新たなる議員団を結成しました。彼らは、「急進左派」とも対立する構造にあり、中央派の中でも「平和主義的中央派」という位置づけにあったようです。

文面から読み解くに、ハーゼらは「社会民主党議員団」からは除名されたものの、「社会民主党党員」としての党籍は保有していたということでしょうか。そのうえで、同じ「社会民主党の議員」でありながら、新たに「社会民主協働団」という議員団を結成したと、そういうことだと思います。

1917年1月7日にも、今度はカウツキーらが「反対派」として除名されており、この時彼らは、新たに「ドイツ独立社会民主党」という政党を結成しています。

先に除名されたフーゴー・ハーゼのページを見てみますと、「ドイツ独立社会民主党」を結成したのは彼で、彼が党首に就任したことになっていますので、「社会民主協働団」がカウツキーらを吸収した形になるのでしょうか。

ハーゼ自身は、開戦直後に戦争に反対する声明を発表していたようで、彼が戦時予算への賛成票を投じたのは、「党議拘束に従った」と記されていますね。


まとめ


大戦中、「スパルタクス団」と「ドイツ独立社会民主党」という二つの「社会主義勢力」が誕生したわけですが、実際に革命につながる「レーテ蜂起」を起こしたのは彼らではなく、キール軍港の軍人たちでした。

ドイツの社会主義運動って、意外と「拍子抜け」する部分が多いですね。

次回記事では、第一次世界大戦の終戦~終戦後の社会主義の動向を見ていきたいと思います。




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<継承する記事>第462回 ドイツ革命までの経緯~キール水兵の反乱と一次大戦直前の社会主義~

第462回の記事 の続きです。

前回の記事の文末で、ビスマルクが自身の信念に違って南ドイツに「自由都市」として自治権を認めたことが原因で、これらの都市で「普通選挙制度」が確立したこと。そしてその結果、これらの自由都市には「社会主義者」が議員として当選しやすい状況が生まれていたことを話題にしました。

そして、
このことが南ドイツ自由都市において社会主義者たちと「自由主義者」たちが連携する関係を生み、ドイツ社会民主党の中に、かつてのラッサールの様な考え方をする勢力が生まれるようになっていました

と。


「修正主義」と「社会改良主義」

「ドイツ社会民主党」の前身である「社会民主労働者党」と「全ドイツ労働者協会」。この二つの派閥が合併することで「ドイツ社会民主党」が出来上がったのは既に記事にした通り。

「社会民主労働党」は元々マルクスの考え方を踏襲しており、ラッサールの考え方を踏襲した「全ドイツ労働者協会」とは対立する立場にありました。

ラッサールの後継者となったシュバイツァーは、ラッサール同様、ビスマルクのことを信頼しており、マルクス派のように共産主義を「暴力による革命」によって実現するのではなく、権力者と議論することによって正当性を訴え、「社会主義社会」を現実的に政策に反映させていくことが大切なのだと考えていました。

そしてビスマルク自身がそれを跳ね除けることはせず、むしろ積極的に耳を傾け、受け入れるタイプであったこと。ビスマルクの政策に、かつてラッサールが訴えた「社会保障政策」が取り入れられたことが、その何よりもの証です。

そして、「社会民主労働党」、つまりマルクス派はそんなラッサールらのやり方を「王党的プロイセン政府社会主義」であるとして批判したわけです。

ところが、親ビスマルク路線をとっていたシュバイツァーが、選挙での敗北を受け、代表を辞任した後、「全ドイツ労働者協会」から、徐々に「親ビスマルク」としての性格は失われ、むしろ「全ドイツ労働者協会」は、「社会民主労働党」とともにビスマルクが制定した「社会主義者鎮圧法」によって排除される対象となり、両派閥はやがて目的を一にするようになりました。

両派閥は「ドイツ社会主義者労働党」として合併し、ビスマルク失脚後、「ドイツ社会民主党」とその名称を改めた・・・というのがビスマルクが失脚するまでのドイツの「社会主義」の動向です。


さて。問題となるのは党名を改め、「社会民主党」なった後の話。

南ドイツは北ドイツに先んじて「男子普通選挙制度」を実現し、議員に数多くの「社会主義勢力」を送り込むことに成功したわけですが、その結果、送り込まれたはずの「社会主義勢力」が、「自由主義者」たちと連携するようになり、「かつてのラッサールの様な考え方」をする様になったわけです。

もう一度言いますと、「ドイツ社会民主党」は、「ラッサール派」が、マルクス的な考え方に軌道修正することによって誕生した政党です。

にもかかわらず、南ドイツで議員として政治にかかわるようになると、逆に「ラッサール」的な考え方に軌道修正されてしまいました。

このような「ラッサール的な考え方」をマルクス主義者たちは「修正主義」と呼んだわけですが、ラッサール派が鳴りを潜め、「ドイツ社会民主党」が誕生した後でこの考え方が始めて登場したのは1891年10月の事。社会主義者鎮圧法が廃止されたのが1890年9月のことですから、ちょうど改名した1年後のことになります。

この時、社会民主党の「綱領」、つまり党としての方針を決めるための党大会、「エルフルト党大会」が開催されました。

この時制定されたのが「エルフルト綱領」というものですが、この綱領は大きく分けて2つの内容から構成されていました。

1つが「原則綱領」、もう一つが「行動綱領」と呼ばれるものです。

「原則綱領」を作成したのがカール・カウツキーという人物。「行動綱領」を作成したのがエドゥアルト・ベルンシュタインという人物でした。

問題となったのは「原則綱領」ではなく「行動綱領」。ここに、
国家に対する当面の要求、すなわち普通選挙、比例代表選挙、表現・結社の自由、宗教と教育の分離、男女平等、累進課税強化、間接税廃止、八時間労働制、児童労働・夜間労働禁止、団結権保障を求める

といった内容が記されていました。

「原則綱領」はマルクス主義そのまんまで、要は「革命によって権力を崩壊させ、プロレタリアによる独裁体制を築く」といった系統の内容が掲載されていたわけですが、肝心の行動綱領には「権力との話し合いによって社会主義国家の体制づくりを行いましょう」といった内容が記されていたのです。

そして、この「行動綱領」を作成した「エドゥアルト・ベルンシュタイン」という人物は、アイゼナハ派(ドイツ社会民主労働党を結成する中心となった派閥。マルクス派)の党員で、ベーベルやリープクネヒトとともに中心となって「ドイツ社会主義労働者党」の結成に尽力した人物です。

彼は、エンゲルスに近しい人物で、所謂「マルクス主義者」であったはずなのですが、1895年にエンゲルスが死去すると、、その後、マルクス主義とは真っ向から対立する、ラッサール的な、所謂「修正主義」に繋がる内容の論文を発表するようになります。

この考え方は、実はベルンシュタイン以前にドイツ社会民主党の支持母体である、「自由労働組合」の間で既に主張・実践されていた考え方で、それそのものが既に大きな「社会勢力」となっていました。

ベルシュタインの論文ははこれを理論的に体系化したもので、当然自由労働組合はこのベルシュタインの考え方を支持しました。

ベルシュタインが論文を発表した時点ではまだドイツ社会民主党党内では社会主義革命や階級闘争を起こす必要がある、とするマルクス主義の「正統派」が多かったため、1903年に行われた党大会でこの「修正主義」は圧倒的多数で否決されます。

ですが、この頃から特に「南ドイツ」において「ドイツ社会民主党」が、地方自治体における「議会」に進出するようになり、前述したように、自由主義者たちと連携するようになった彼らは「かつてのラッサールの様な考え方」、つまり「修正主義」を主張するようになりました。

そして彼らが「自由労働組合」と連合して正統派が中心となっていた党の指導部を抑え(1906年)、修正主義=社会改良主義社たちが党の指導的な役割を担うようになりました(1912年)。この時に世代交代も行われたんですね。

ということで、元々「マルクス主義者」たちによって誕生したはずの「ドイツ社会民主党」は、「ラッサール主義」、つまり「社会改良主義」政党へと方向転換することとなりました。


「ドイツ社会民主党」の中の「火種」

さて。特に「南ドイツ」において醸造された「社会改良主義」は、1906年以降ドイツ社会民主党の「主流」となっていくわけですが、だからといってこれまで主流であった「正統派」が党内から一掃されたわけではありません。

党指導部の面々こそ社会改良主義者たちに歩み寄りを見せ、両派閥の和解を訴え(このことによって指導部を掌握した)ます。彼らは正統派の中で「中央派」と呼ばれる派閥を形成するのですが、当然そう簡単に考え方を変えることができない面々も存在します。

ローザ・ルクセンブルク、フランツ・メーリング、クララ・ツェトキンといった人物らが中心となり、彼ら、彼女らは「急進左派」を形成し、中央派と激しく対立するようになります。

ローザ・ルクセンブルク

第351回の記事 の中で、後にドイツ共産党を結成する、「スパルタクス団」のことを話題にしたと思います。

この「スパルタクス団」を結成したのが前記したドイツ社会民主党内の「急進左派」の面々です。

第161回 「共産主義」と「社会主義」の違いをわかりやすく説明します の記事の中で、私は「共産主義」と「社会主義」との違いを以下のように記しました。

1 ブルジョワによる運動が「社会主義」であり、プロレタリアートによる運動が「共産主義」である。
2 平和的に「完全平等主義」を実現するのが社会主義であり、これを暴力によって実現するのが「共産主義」である。
3 「社会主義社会」とは、「資本主義」から「共産主義」へと移行する途中の「プロレタリアートによる独裁」がおこなれている社会である

と。

この時点では、私はしかしまだ正確に「共産主義」と「社会主義」の違いが理解できてはいなかったのではないかと思います。

1番、3番はまさしく「マルクス」が訴えた「共産主義」と「社会主義」であり、現在の日本の共産主義者たちもまだその違いを3番のように理解しています。

ですが、この時点ではっきりしたのではないでしょうか。二つの違いはまさしく2番。

 『平和的に「完全平等主義」を実現するのが社会主義であり、これを暴力によって実現するのが「共産主義」である』

というのが現実に即した「社会主義」と「共産主義」の違いなのではないか、と。

「完全平等主義」という考え方も、本来は共産主義者たちが目指す社会の在り方で、社会主義者たちが目指す社会の在り方ではありませんね。「社会主義者」たちが目指した社会とは、まさしくラッサールが目指したような「社会改良主義」であり、プロレタリアートによる独裁を目指す「共産主義」とは一線を画するものです。

そして、現在の日本もまた、そのような「社会改良主義」の延長線上にあり、所謂「社会主義革命」が行われた後の社会構造です。

現在の日本で、そんな「社会改良主義」の延長線上にあるはずの政権を倒し、実験を握ろうとする連中。必ずしも政党には限らないわけですが、これはあたかもブルジョワによる「社会主義革命」が起きた筈の後の社会であたかも「プロレタリアート革命」を起こし、プロレタリアートによる独裁社会を目指しているように感じませんか?

しかし、ドイツの歴史を見ていれば、そんな「プロレタリアートによる独裁社会」を目指すことが、いかに時代遅れで非現実的な社会であるかということが理解できるはずです。

さて。それではその後、ドイツ社会民主党の中に生まれた「急進左派」勢力は、第一次世界大戦の陰で一体どのような道筋を歩むことになるのでしょうか。

この記事の中で第一次世界大戦中の社会主義に話題を進めようと思ったのですが、分けて記事を作成したほうが理解を深められるのではないか、と思いますので、対戦中のドイツ社会主義は次回記事にゆだねようと思います。




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<継承する記事>第459回 実質賃金を日本一わかりやすく解説~勘違いからの脱却!~

「しつこい!」と言われそうですが・・・。

日本の将来に向けて、大切なことだと思いますので、私の頭の中で整理できてきたことを、改めて記事にしたいと思います。(大げさだ、思うかもしれませんが、その理由は文末に記します)

前回の記事 で、「完成版」と銘打って記事を作成したわけですが、頭の中で整理していますと、まだ「完成」にはどうやら至っていなかった様ですので、今度こそ、「完結編」として、本当に正しい「実質賃金の正体」について記事にしていきます。

前回の記事 では、以下の二つのグラフを用いて記事を作成しました。

名目賃金比較
実質賃金比較
(※実質賃金のグラフは正確なグラフではありません。何が正確ではないかといいう部分を捕捉すのが今回の記事の目的です)

上が「名目賃金」、下が「実質賃金」を示したものです。グラフは、「昨年」と「今年」を比較したものです。

今回は、前回作成した「名目賃金」のグラフを、項目ごとにもう少し詳細に分析しまして、「物価から見る名目賃金」と銘打って記事にします。


物価は世帯によって異なります。

たどり着いた最終結論はこれ。「物価は世帯によって異なる」ということです。

改めて、先ほどの「名目賃金」のグラフを見てみます。

名目賃金比較

名目賃金の総額が、昨年は25万円、今年は32万円となっています。

昨年の「名目賃金」の内訳は、以下のようになっています。

総額 25万円

 食料品 5万円
 授業料 5万円
 通信費 1万円
 電話代 1万円
 交通費 3万円
 その他 5万円

 消費に回さなかった金額 5万円

この内訳を、もう少し細かく見てみましょう。

総額 25万円

 食料品 5万円

  野菜 5品(キャベツ2玉、ニンジン5本、もやし1袋)
  肉類 3品(豚肉3パック)
  惣菜 10品
  カップラーメン 3個
  ポテトチップス 2袋
  チョコレート 4個
  外食 5回(20品)

 授業料 5万円

  パソコン教室授業料10か月分
  
 通信費 1万円

  インターネット接続料1か月分

 電話代 1万円

  携帯電話代1か月分

 交通費 3万円

  ガソリン代 90リットル
  船舶    1往復
  バス    9回

 その他 5万円

  散髪 1回
  パソコンの修理費 1回
  友人のお誕生日プレゼント 36品

 消費に回さなかった金額 5万円

詳細な内訳の金額はあえて記していません。あと、「物価」を集計するときの単位は詳しく知りませんので、私基準で上記のような単位を用いました。(お誕生日プレゼントは、後で数を分かりやすくするための数を多くしています。)

物価を出す場合は、各項目ごとに「加重平均」を行います。

例えば、「交通費」で考えてみます。

ガソリン代は1か月間、ずっと130円だったとします。その他、船舶が1往復15800円、バス代が1乗車辺り固定で2500円だったとします。高いとか安いとかいう判断はとりあえず無視します。

そうすると、まずガソリン代が総額で130円×90で11700円。船舶が21200円×1で15800円。バス代が2500円×9で22500円です。

ガソリン代、船舶、バス代の総額をすべて足すと5万円になりますね。

「加重平均」を行うときは、この5万円をガソリン代の購入総数60、船舶の購入総数1、バス代の購入総数6をすべて足したもので割ります。式は以下のようになります。

 {(130円×90)+(15800円×1)+(2500円×9)}÷(90+1+9)
=(7800円+21200円+21000円)÷100
=50000円÷100=500円

これが、この人の昨年の交通費の「物価」です。

同じような理屈で考えますと、他の「食料品」や「授業料」、「通信費」、「電話代」、「その他」の項目もすべて、大切なのは何円のものを消費したのか、ではなく、「何個」消費したのか、ということであることがわかりますね。

「食料品」であれば、「野菜」が合計で9。肉類が3、カップラーメンが同じく3、ポテトチップスが2、チョコが3、合計で20です。

食料品の消費額は合計で5万円、消費数量が50ですから、50000円÷50で1000円。
授業料・・・50000÷10=5000円
通信費及び電話代・・・・・10000÷1=10000円
その他・・・50000÷5=10000円。

これがそれぞれの項目の「物価」です。ここから、更に全体の「物価」を求めます。

名目賃金の内、「消費に回された額」は総額で20万円。アイテム数は食料品が50、授業料が10、通信費が1、電話代が1、交通費が100、その他が38。消費総数は50+10+1+1+100+38=200になります。

ということで、この人の昨年の「物価」は20万円÷200=1000円となります。

「物価」というと、政府が目指している物価が「消費者物価指数」という数字ですし、何となく全国一律なのではないか、とイメージしてしまいそうですが、実際には「一人ひとり」物価は異なります。

政府の「消費者物価指数」のホームページを見てみても、先行して「東京の消費者物価指数」の情報が掲載されています。この事から考えても、まず各地域ごとの「物価」が存在することはご理解いただけると思います。

ですが、実際には「地域」だけでなく、各世帯ごとの「物価」が本来存在するのです。


「実質賃金」は「金額」ではなく「数量」を表す数字です。

と、記しますと、意外に思われるでしょうか?

ですが、私は既に 前回の記事 におきまして、以下のように記しています。

「実質賃金」とは、では一体何なのかと申しますと、「受け取った名目賃金で、一体いくつ物やサービスを消費することができるのか」という、「個数」もしくは「量」で賃金を測る方法です。

と。

先ほどの物価の事例で示しました「昨年の物価」から昨年の「実質賃金」を考えてみます。

この人の昨年の「物価」は1000円でした。そして、この物価は名目賃金から「消費に回された金額」から計算しました。これは先ほど皆さんに見ていただいた通りです。

では、この人の、昨年の「実質賃金」はいくらになるのでしょうか?


実質賃金=名目賃金÷物価

そう。実質賃金とは、名目賃金を物価で割ったものです。

こんなことを言いますと、「いや、割るのは物価ではなく『消費者物価指数』だろう!」という人が現れそうですが、そうではありません。

あの公式は、あくまでも「実質賃金指数」を求めるための公式。

 『実質賃金指数=名目賃金指数÷消費者物価指数(持家の帰属家賃を除く)』

です。私が何を言っているのかということも、も少ししたらご理解いただけると思います。

実質賃金を求めるための公式は、あくまで「実質賃金=名目賃金÷物価」ですから、この人の場合の実質賃金は、名目賃金である「25万円」を、この人の「物価」である「1000円」で割ったもの。

25万円÷1000円=250

これが、この人の「実質賃金」です。では、この「実質賃金」の単位は「円」なのでしょうか?

違いますね。この250というのは、この人が購入した商品やサービスの数を合計した、「品目数」です。

そして、もう一度思い出してみてください。この人の昨年の物価、1000円という数字は、この人が名目賃金から「消費に回した金額」から算出されましたね?

では、その金額はいくらだったでしょう。そう。「20万円」です。

では、この人が仮に20万円しか賃金を受け取っておらず、上記の事例と全く同じ「消費」を行っていたとしたら、「実質賃金」はいくらになるでしょうか?

そう。「20万円」÷「1000円」ですから、200です。

当たり前ですよね? この人が消費した「品目数」は合計で200だったのですから。では、残る50という「実質賃金」はどこから出てきたのでしょう?

いうまでもありません。この人が消費しなかった金額。つまり「貯蓄に回した金額」から出てきています。

ですが、仮にこの人が、20万円分を消費に回さなければ1000円という物価は生まれていません。そろそろご理解いただけたでしょうか?

20万円を消費に回した結果生まれた物価「1000円」で、消費に回されなかった5万円を割ったもの。これが「実質賃金の正体」です。

実質賃金は、厳密に言えば5万円を1000円で割った50という値に既に消費に回されたはずの200を加えていますから、250がこの人の「実質賃金」です。ですが、この計算結果から、「実質賃金」に求められている定義は、「その月に、消費者が消費に回さなかった賃金で、翌月にいくつその月と同じものを購入することができるのか」という定義です。


物価が高い月は過小評価され、物価が低い月は過大評価される「実質賃金」

ですが、個人的に、「賃金」と呼ぶ限りは、やはり実質賃金は「金額」で表記するべきだと思うのです。

ですので、「実質賃金」の正体が「受け取った名目賃金から消費に回されなかった金額」である以上、実質賃金は「貯蓄に回された額」であると、はっきり定義づけるべきだと思うのです。

もう一度、冒頭に掲載した「名目賃金」の事例を掲載します。

名目賃金比較

「今年」の名目賃金を見てみますと、賃金の額は32万円と増えていますが、その増えた賃金の一部を10万円の「テレビ」の購入に充てています。

もう一度詳細に事例を考えて計算してみても構わないのですが、ちょうど「今年」の消費額の内、「テレビ」の購入に回した10万円を除いた部分の金額が、昨年と同じ「20万円」ですので、今年も昨年と同じように、テレビ以外は200の品目が購入されており、物価も同じ1000円であったと考えます。

昨年と同じ20万円分の物価1000円に加えて、今年は新たに「テレビ」が加わっていますから、改めて「テレビ」を物価に加えてみます。

(1000円×200+10万円×1)÷(200+1)
=30万円÷201
≒1493円

これが、今年の「物価」です。

それでは今年の「実質賃金」はいくらになるでしょうか。

この年受け取った名目賃金は32万円ですから、この金額を物価である1493円で割ってみます。

32万円÷1493≒214

これが今年の「実質賃金」です。前回の記事でも検証していますから、当たり前ですね。当然、昨年より少なくなっています。

では、このうち「消費に回された部分」はいくらでしょうか?

そう。「201」です。214の内、201が消費に回された「実質賃金」。残る13が「消費に回されなかった実質賃金」です。

では、「消費に回されなかった名目賃金」はいくらかと申しますと、「32-30」で2万円。では、もし「消費に回されなかった名目賃金」が昨年と同じ5万円だったとするとどうでしょう?

「消費に回されなかった実質賃金」は、「5万円÷1493」ですから、約「33」になります。

昨年、「消費に回されなかった実質賃金」は「50」でしたね? 今年は10万円余分に消費したのに、なぜか実質賃金は昨年より少なくなってしまったのです。なぜでしょう?

そう。答えは簡単です。昨年に加えて10万円余分に消費を起こしたため、この人の「物価」が493円分高くなったからです。

ですが、既にお示ししましたように、「実質賃金の正体」。つまり、実質賃金に対して最も大きな影響を与えているのは賃金の内、「消費に回されなかった金額」です。

名目賃金が増え、消費を増やした上で、昨年と同じ金額貯蓄したとしても、「実質賃金」の世界ではなぜか昨年より貯蓄が減ったことになってしまっているのです。

これっておかしいですよね?

そう。物価が上昇すると、「実質賃金」は「過小評価」されてしまっています。逆に物価が下落すると実質賃金は「過大評価」されているのです。

このようなデータを用いて実質賃金が下落することを野党連中のように批判するのであれば、それは国民に「値段が高いものは消費するな」と言っているに等しい。

それではいつまでたっても国民の経済は成長しません。

また、「テレビ」の事例でもわかるように、高額商品は本来数年に一度しか購入しないようなものが多く、仮に「自動車の物価が高くなった」ことが理由で物価が上がったのだとしても、車なんで高価なものは、皆が毎月購入するようなものではありません。

一般家庭の生活には関係のないところで物価が上昇し、そのことが原因で実質賃金が下落したとしても、それは「世相を反映したもの」であるとはとても言えません。

物価が上昇したことは喜ぶべきことですが、これと実質賃金は分けて考える必要があるのです。


まとめますと、「実質賃金」は本来数量を表す数字ですので、それが「何円で売れたのか」ということは全く考慮されていません。

高価なものを購入すればおのずと跳ね上がるのが「物価」ですが、そんな高額な商品を毎月購入する人などそうはいません。

グラフに示した事例で考えますと、「今年」貯蓄に回された金額が2万円しか残らなかったのは、高額商品である「テレビ」を購入したことが理由です。

ですが、来月もまたテレビを購入するのかというと、そんなことは通常ありえません(ない、とは言えませんが)。

とすると、「実質賃金」を考える場合も、この人の「物価」から「テレビ」は取り除いて考えるのが本来あるべき姿なのではないでしょうか? ですが、実際は違います。こんな数字が「生活の実感に近い」と本当に言えるのでしょうか?

物価が上昇すれば「過小評価」され、下落すれば「過大評価」されているのが「実質賃金」の真実です。


私は当然自民党を応援していますし、安倍内閣を応援しています。安倍さんを党首とする自民党が目指す「憲法改正」。これを実現するには8月の参議院議員選挙でなんとしても、できれば自民党単独で議席の2/3を獲得する必要があります。

ですが、当然野党は次期参院選において自民党を攻撃する材料として私が記事にした「実質賃金」のネタを使ってきます。

しかし、私の記事を読んでいただければ、「実質賃金」にこだわって安倍内閣を批判し、国会を停滞させようとする行為が、いかに的外れであり、税金の無駄遣い以外に何者でもないのかということがご理解いただけるのではないでしょうか?

ぜひ私の記事をご一読いただき、安倍内閣を支持する皆さんが、憲法改正を実現したいと考える皆さんが、野党の的外れな批判に振り回されることなく、冷静に誤りを指摘できるようになることを、私は心の底から願っています。




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<継承する記事>第459回 実質賃金を日本一わかりやすく解説~勘違いからの脱却!~

どうしてもこの記事だけは作成しておきたかったので、第459回の記事に引き続き、作成することにしました。

第459回の記事で、実質賃金について、

 実質賃金=「月間手取り給与」-「月間消費支出」

という式で表すことができるのではないか、という私の考え方をお示ししました。ですが、記事中にも記しています通り、『ズブの素人の私の「憶測」』であり、私自身も記事にしながら完全な「確信」を持てずにいました。

「根拠」こそ示していますが、「証明」としては不十分だ感じていました。

で、ずっと頭の中検証を行っていたのですが、私の中で「腑に落ちる」答えにたどり着きましたので、459回の記事の「続編」という形で記事にしてみたいと思います。


実質賃金とは何か?

第39回の記事 でもふれたことがあるのですが、政府の統計データの中で、「実質賃金」という言葉が登場する厚労省の「毎月勤労統計」の中に、実は「実質賃金」という名称のデータは一つも登場していません。

多くの人が「実質賃金」だと思い込んでいるのは、実は「実質賃金」ではなく、「実質賃金指数」です。計測年の実質賃金を、「基準年」の実質賃金で割った数字です。

では、そもそも「実質賃金」とは何なのか。これを、第459回の記事 の中では、「手取り賃金総額-総消費支出」、つまり「貯蓄高」なのではないか、との予測を立て、これを検証しました。

結果として確かに「実質賃金指数」と「貯蓄高」の相関関係を見てみますと、一致性を見ることができました。

例えばA年とB年、C年を比較したとき、A>C>Bだったとすると、この順位が実質賃金指数と貯蓄高の間で逆転することはない、ということです。

A年よりB年、C年の貯蓄高が低ければ、同じように実質賃金指数も低くなっていますし、同じ順位の中でC年の貯蓄高がB年の貯蓄高を上回っているのであれば、これも逆転することはない、ということです。

ですが、どうもその上昇幅、または下落幅において、「貯蓄高」の方が、その傾向が大きく出ているような、そんな印象を抱いていました。これが実質賃金指数の計算式から生まれる「バイアス」なのかな、とも思っていたのですが、どうもしっくり来ていませんでした。


実質賃金の考え方

名目賃金比較

さて。こちらはある年に計測した、とある人の「名目賃金」と、その「支出」の内訳です。仮に今年、2019年2月に受け取った「名目賃金」とします。

「名目賃金」ですから、即ちこの人が2019年2月に受け取った「月間給与所得」です。単位は「万円」です。

左から順に、「テレビ」、「食料品」、「授業料」、「通信費」、「電話代」、「交通費」、「その他」、「貯蓄」と並んでいます。

いかがでしょう。例えばテレビの内訳を見ますと、今年は「10」となっていますが、昨年は「0」となっていますね。

これは単純に今年は10万円のテレビを購入しましたが、昨年は購入していませんよ、ということです。テレビなんて毎年買うもんじゃありませんからね。ずっと使い古していたテレビを、この人は今年、「買い換えよう」と思ったわけです。

一方、「授業料」の項目を見てみますと、昨年は「5」となっていますが、逆に今年は「0」となっています。この人、昨年は通信教育を受けて、年払いで2月に5万円、支払いました。昨年末でこの通信教育は終了しましたので、今年は通信教育の「授業料」が発生しなかったんですね。

「食料品」の金額は2万円ほど増えています。授業料がなくなったこともあるのでしょうが、何より給与所得の総額が増えたこともあり、この人、少しだけ食費に余分なお金を出す余裕が生まれたんですね。

その他、「交通費」は1万円ほど少なくなっていますが、それ以外の項目に対して4万円ほど余分に支出しています。

総額で比較すると、昨年は20万円しか支出に回していませんが、今年は30万円支出しています。その結果、昨年は貯蓄が5万円残りましたが、今年は2万円しか残りませんでした。


「実質賃金」における「物価」の考え方

「実質賃金」とは、では一体何なのかと申しますと、「受け取った名目賃金で、一体いくつ物やサービスを消費することができるのか」という、「個数」もしくは「量」で賃金を測る方法です。

つまり、

 名目賃金=実質賃金×物価

という式で表すことができるわけですが、肝心なのはこの時考えるべき「物価」です。「物価」は、「店頭にこの値段で陳列されているから、今月の物価はこの金額になるだろう」という「未来予測」の数字ではなく、

 「この月に、この店で、何円の商品がいくつ売れたからこの金額になった」

という、「過去を検証した数字」です。私がよく言う、「消費されなければ物価にならない」という言葉は、それを指したものです。

逆に言えば、「消費に回されていない賃金は、物価には反映されない」と言い換えることもできます。

なぜなら、消費に回されていない賃金が、仮に消費に回されていたとしたら、「物価」は変動するからです。単純な理由ですね。

さて。以上の考え方を下に、先ほどの「名目賃金」のグラフをもう一度見てみます。

名目賃金比較

色んな式を出して申し訳ないのですが、実質賃金指数を求める際、「名目賃金指数」を「消費者物価指数」で割りますね?

これは、どういう作業をしているのかと申しますと、「名目賃金」を構成する「物価」を、同じ年の「消費者物価指数」で割ることによって、「基準年の物価に戻す」という作業を行っていることになります。

消費者物価指数は、基準年の消費者物価指数を100と考え、1%成長したのであれば101、3%成長したのであれば103となります。

良く似た事例で考えますと、消費税についての考え方が非常ににわかりやすいかと思います。

例えば目の前に100円の商品があったとして、消費課税前の金額をだそうと思えば100%をかけますので、当然金額は100円になります。

課税後の金額を出そう思えば108%をかけますから、108円になります。

では、目の前に課税後、108円の商品があった場合。課税前の金額を出そうと思えばどの様にすればよいでしょう?

そうです。課税前の金額に108%をかければ課税後の金額が出るのであれば、当然課税後の金額を108%で割れば、課税前の金額がでてきます。

消費者物価指数は、基準年を100、これに物価上昇率を加えて調査年の消費者物価指数を出しています。

例えば今年の消費者物価指数が105であれば、基準年と比較して今年は5%物価が上昇したということです。そして、今年の物価を105で割る、ということは…

ここまで言えばお分かりですね。当然消費者物価指数が100であった基準年の値に戻されます。

上のグラフで考えるのなら、例えば今年、「テレビ」が売れていますが、昨年は売れていません。売れていないということは「0円」ですから、基準年の物価に戻しますと、10万円のテレビは「0円」になります。

基準年に存在しないものは、そもそも購入することができませんからね。(数学的に0で割ることはできない、という考え方はここでは無視します)

逆に、昨年は支出されていた「授業料」が、今年はなくなっていますが、これも同じ考えで、今年の授業料は「0円」ですが、昨年の授業料は5万円ですから、「5万円」に戻します。

「食料品」も「同じ金額の食糧が、同じ数消費された」と考えますので、やはり7万円を5万円に戻します。

「数も変わるのか」というツッコミを受けそうですが、これは第459回の記事 でも掲載しましたように、例えば昨年100円で7個売れたものが今年5個しか売れていないんだとしたら、減少した2個分は「0円で売れた」と考えます。

その上で「(100円×5+0円×2)÷7」で計算しますので、今年の物価が下落した、と考えます。ちなみに、このような計算方法を「加重平均」といいます。

逆もまた然りです。(消費者物価総額を計算した後、「10万分率」、つまり「消費者物価の合計値が10万であったら」という仮定で計算しなおされる際に調整されています)

もちろん、これは個人ベースで考えているので通用する計算方法です。実際にマクロベースで考えるときは、例えばAさんはテレビを購入しなかったとしても、BさんかCさんはテレビを購入している、と考えます。そしてその購入総数を「重要度(ウェイト)」と考えて、計算式の中に組みこまれています。


このように考えますと、当然「その他」という分野も結果的に消費に回された金額は昨年と同じ金額になります。

つまり、実質賃金を考える場合、既に消費された、今年の購入金額と昨年の購入金額は「同じ金額である」と考えるわけです。「消費者物価指数で割る」とは、即ちそういうことです。実質賃金指数を求める際には、「今年の賃金指数」にも「昨年の賃金指数」にも同じ処理が施されています。

このように記しますと、「じゃあどうして『実質賃金(指数)』は毎年違うんだ!」という怒りの声が上がってきそうですが、もう一度思い出していただきたい。

そう。私は、「消費に回されていない賃金は、物価には反映されない」とお伝えしていますね?

「消費に回されていない賃金」。即ち「貯蓄高」の事です。

実質賃金比較
(このグラフも、100%正しいグラフではありません。詳細を第464回の記事 にて補足しています。)

第459回の記事 では、私は実質賃金の事を、「名目賃金-総消費支出」であると記しました。

ですが、これは間違っていますね。正確には、「名目賃金-総消費支出」に、「比較年の総消費支出」を加えたものが「実質賃金」だということで間違いないと思います。実際の「実質賃金」は、この「名目賃金-総消費支出」の部分も消費者物価指数で割っていますが、割った後の金額よりもむしろ、割る前の金額の影響の方が大きいことはご想像いただけると思います。

結果的に、実質賃金のプラスマイナスを左右しているのは、「名目賃金の内、貯蓄に回すことができた額」であるということは間違いないのですが、=「実質賃金」だと表現すると、これは誤りであったと思います。失礼いたしました。
(※正確には、この「実質賃金」を更に「物価」で割る必要があります。この事を 第464回の記事 で補足しています)

ですので、名目賃金を上昇させた上で、更に実質賃金まで上昇させようと考えるのなら、賃金を増やした上で、更に貯蓄に回す金額まで増やせるようになってようやく実質賃金は安定して上昇し始めるということです。

ですが、私個人的な感想としては、わざわざそんな政策をあっせんすることに全く意味はないと思います。貯蓄高を増やさずとも、安心して消費を行うことができる社会を築くことこそ、本当に政府が求められている政策であると、私は思います。




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