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<継承する記事>第450回 ヴィルヘルム2世の「世界政策」に巻き込まれた清国と日本

前々回 までの記事で、ヴィルヘルム2世が誕生し、ビスマルクが失脚するまでのドイツを、前回の記事 で日本が第二次世界大戦に巻き込まれていくまでの経過と、その遠因としてヴィルヘルム2世が与えた影響を記事にしました。

今回の記事では、少し外伝的な内容で、少し意外な? 日本とビスマルクとの関わりを記事にしてみたいと思います。

多分、歴史に興味がある日本人であれば、普通幕末辺りから勉強をスタートするのでしょうが、私は少し違っていまして、実は幕末の日本に関しては全くといっていいほど知識がありません。

このブログでは

十五年戦争(日中戦争)の原因と結果」において
 1 清国が崩壊していく様子 
 2 清国の崩壊と袁世凱
 3 袁世凱亡き後の軍閥政府と孫文
 4 孫文亡き後の蒋介石と北伐
 5 北伐によって中国の歴史へと巻き込まれる日本
 6 満州事件後の中国における日本
 7 日中開戦に至る経緯と日中戦争(支那事変)
 8 援蒋ルートと天津英租界封鎖事件(イギリスとの和解)
 9 北部仏印進駐と日米諒解案
 10 南部仏印進駐と日米開戦に向けた交渉

を、

ロシア革命とソビエト連邦誕生に至る経緯 において

 1 ロシア人の正体
 2 ヨーロッパV.S.モンゴル帝国(ポーランドとドイツ騎士団)
 3 ロシア誕生までの経緯→ロシアV.S.ウクライナ
 4 日露戦争とロシア第一革命
 5 第一次世界大戦勃発に至る背景(バルカン戦争)
 6 第一次世界大戦の勃発とロシア二月革命(マルクス主義者の台頭)
 7 レーニンの登場から10月革命の勃発に至る経緯
 8 コミンテルン(第三インターナショナル)の誕生からソビエト連邦誕生に至る経緯
 9 ドイツ革命
 10 トロツキーとスターリンの対立~レーニンの死去

といった内容で、「中国」及び「ソ連」について私なりの「検証」を行ってきました。

そして現在 ナチスドイツは一体なぜ誕生したのか? というタイトルで「ドイツ」についての歴史を検証しています。

そう。中国近代史の中で一部深めてこそいるものの、実は私が検証したのは第一次世界大戦後~第二次世界大戦勃発前までの日本。しかもその舞台は、第一次世界大戦後の一時期を除き、そのほとんどが日本ではなく中国ですから、「日本の近代史」についてはほぼ検証していないに等しいのが現状です。

ですので、今回の記事は日本の近代史に詳しい方からしてみれば、「そんなことも知らないのか」と思わせるほど稚拙なものとなってしまうかもしれませんが、どうぞご容赦いただければありがたく思います。


岩倉使節団

岩倉使節団の「岩倉」とは「岩倉具視(ともみ)」の事。

中学校の時の教科書で名前程度は知っているものの、じゃあ何をした人かと聞かれると、私には全くわかりません。

ネット上では、色んな方が同人物について記事を書かれているのですが、今回は非常に短文でまとめている国会国立図書館のホームページを参考にしてみます。

岩倉具視
父は権中納言堀河康親。岩倉具慶の養嗣子。

安政元年(1854)孝明天皇の侍従となる。

5年日米修好通商条約勅許の奏請に対し、阻止をはかる。

公武合体派として和宮降嫁を推進、「四奸」の一人として尊皇攘夷派から非難され、慶応3年まで幽居。

以後、討幕へと転回し、同年12月、大久保利通らと王政復古のクーデターを画策。

新政府において、参与、議定、大納言、右大臣等をつとめる。

明治4年(1871)特命全権大使として使節団を伴い欧米視察。欽定憲法制定の方針を確定し、また皇族、華族の保護に力を注いだ。

そういえば、2018年度の大河ドラマは「西郷どん」。大久保利通なども登場していたので・・・と思ってNHKのホームページを見てみますと、はっきり書いてますね。「岩倉具視」の名前が。

「西郷どん」登場人物としての岩倉具視

しかも、「欧米視察団」の一人として紹介されています。たまには大河ドラマも見てみなきゃいけませんね。

さて。そんな「欧米視察団」としての「岩倉使節団」。そのメンバーは実に総勢107名。そしてその「特命全権大使」が岩倉具視です。

岩倉使節団
こちらがその「岩倉使節団」の全権大使と副使の面々。

真ん中のちょんまげをした人物が岩倉具視。

左端が「木戸孝允」。彼はむしろ「桂小五郎」の名前の方が知られているかもしれませんね。武田鉄矢さん原作の「お~い竜馬」などにも名前が登場していたので、私でも知っていたりします。



左から二番目が「山口尚芳」。この人のお名前は初耳です。

右から二番目は「伊藤博文」。言わずと知れた日本の初代総理大臣です。

一番右が「大久保利通」。私が大好きな麻生太郎さんはこの大久保利通の子孫です。


岩倉使節団とビスマルク

彼らが派遣された先の一つが「ドイツ帝国」。彼らがドイツ訪問中、ビスマルクは使節団を夕食会に招きます。この席上で、ビスマルクは使節団に対し、以下のような話をします。(内容はWikiからのコピペになりますが、ご容赦ください)

貴国と我が国は同じ境遇にある。

私はこれまで三度戦争を起こしたが、好戦者なわけではない。それはドイツ統一のためだったのであり、貴国の戊辰戦争と同じ性質のものだ。英仏露による植民地獲得戦争とは同列にしないでいただきたい。私は欧州内外を問わずこれ以上の領土拡大に興味を持っていない。

現在世界各国は親睦礼儀をもって交流しているが、それは表面上のことである。内面では弱肉強食が実情である。

私が幼い頃プロイセンがいかに貧弱だったかは貴方達も知っているだろう。当時味わった小国の悲哀と怒りを忘れることができない。

万国公法は列国の権利を保存する不変の法というが、大国にとっては利があれば公法を守るだろうが、不利とみれば公法に代わって武力を用いるだろう。

英仏は世界各地の植民地を貪り、諸国はそれに苦しんでいると聞く。欧州の親睦はいまだ信頼の置けぬものである。貴方達もその危惧を感じているだろう。

私は小国に生まれ、その実態を知り尽くしているのでその事情がよく分かる。私が非難を顧みずに国権を全うしようとする本心もここにあるのだ。

いま日本と親交を結ぼうという国は多いだろうが、国権自主を重んじる我がゲルマンこそが最も親交を結ぶのにふさわしい国である。

我々は数十年かけてようやく列強と対等外交ができる地位を得た。貴方がたも万国公法を気にするより、富国強兵を行い、独立を全うすることを考えるべきだ。さもなければ植民地化の波に飲み込まれるだろう。

この文章を読めば、はっきりとわかりますね。もしヴィルヘルム2世がビスマルクを敵対視せず、祖父であるヴィルヘルム1世と同様にビスマルクの考え方をきちんと理解することができていたのならば、清国の山東省がドイツの植民地になどなることはなかったでしょうし、これを原因として日本が大国との争いに巻き込まれていくこともなかったであろうということが。

ビスマルクが彼らに語ったことは、まさしく自分たちが(実はドイツを含め)欧米各国から受けていた「外圧」、まさにそのままだったようです。

使節団の面々は、このビスマルクの言葉に、非常に感銘を受け、後の日本の政治をビスマルク政治を手本とすることを志すようになります。

中でも大久保利通は特に感銘を受け、明治天皇と自分たちの関係は、ヴィルヘルム1世とビスマルクの様であるべきだ、と考えたのだそうです。

そしてまた伊藤博文も、ビスマルクのことを尊敬し、大日本帝国憲法を作成する際にもドイツに渡り、ビスマルク憲法を研究し、ドイツ帝国の様な「立憲主義」、そして議会制の導入を目指したのだそうです。

明治時代の日本の政治システムは、軍事制度まで含めてビスマルク時代のドイツを参考にして作られたもの。そういった意味で、もしビスマルクがいなかったら、日本は日露戦争に勝利することができていなかったかもしれません。

ビスマルクは、ロシアがアジア地域に進出する事を未然に防ぐため、日本に教師を派遣し、ドイツの軍事システムを日本人に教えたのだそうですよ。

そういった意味で考えても、ビスマルクがロシアと共同で日本に三国干渉を行うこともまずありえません。むしろ遼東半島に日本の軍事拠点を築かせ、ロシアのアジアに対する影響力を削ぐことの方にビスマルクであれば邁進したのではないでしょうか。


ビスマルクのイズム

大久保利通
伊藤博文

さて。この二人の人物。誰と誰かわかるでしょうか?

上が大久保利通。下が伊藤博文です。

もう一度岩倉使節団の画像と比較してみます。岩倉使節団

左側2名が伊藤博文と大久保利通です。

上二つの写真と比較して、一体何が違うでしょうか?

そう。「ヒゲ」です。

ビスマルク

こちらはビスマルク。ありますね、「ヒゲ」。

何となく思うのですが、二人がヒゲをはやすようになった理由って、ビスマルクの影響が非常に大きいのではないでしょうか?

ビスマルクが失脚した後、「ビスマルクイズム」はヴィルヘルム2世によって途絶えてしまいます。

ですが、そんな「ビスマルクイズム」を最も引き継いだのは、岩倉使節団が帰国した後の日本だったのではないでしょうか?

「侍魂」と「ビスマルクイズム」。とても相性の良いものだったのかもしれないですね。


総括

このところ、お向かいでは韓国が、戦前の徴用工問題を持ち出して日本の企業に賠償金を要求したり、自衛隊の航空機に対して火器管制レーダーを照射したり、安倍首相との間で「最終的かつ不可逆的に」締結されたはずの慰安婦問題日韓合意を一方的に破棄しようとしたり・・・。

遡って竹島占領もそうですし、韓国も含めた「大日本帝国」が連合軍に敗れ、朝鮮半島から日本人が日本に引き返す際、彼らが現地の女性たちに行ったあまりにも残虐すぎる大集団強姦事件もそう。

彼らが日本人に対して、自分たちの悪事を謝罪したことなど一度もありませんね?

清朝やロシアにこびへつらい、満州を占領し、南下を企むロシアの脅威に日本を晒し続けた大韓帝国。

日本は日本を守るため、同国に清朝から独立させることを目指していました。法整備や交通網の整備をいち早く進め、近代化をしてもらわなければ、日本がロシアからの脅威を取り除くことができないのです。

当時の日本には、大韓帝国の日本併合に対し、「賛成派」と「反対派」に分かれていました。

あくまでも大韓帝国の「自治」にこだわっていた人物が伊藤博文です。彼は朝鮮人である安重根によって暗殺されてしまいます。

その結果、併合賛成派が優勢となり、結果として「日韓併合」が行われました。

何度も言いますが、日本にとって、韓国は「法整備」の面でも「インフラ」の面でもいち早く近代化してもらわなければ困るわけです。

その選択肢としての「日韓併合」であったことを忘れてはならないと思います。ですから併合した後も日本は大韓帝国を日本と同等に扱い、教育も同等に行ってきました。

欧米が植民地に対して行ってきたように、現地人を発展させることを阻害し、奴隷同然に扱うような真似をすれば、まさしく朝鮮人の人としてのレベルが低下し、ロシアからの脅威をより増大させてしまいますから、そんなことは絶対にできません。

ですから日本は併合した朝鮮半島、朝鮮人に対し、その民度を高めるため、日本人と同等の教育を施したのです。

これは、北支事変後、勃発した日中戦争後、似非共産主義者に代表される、所謂「匪賊」を駆逐した後の「中華民国汪兆銘政権」でも同等のことが行われました。

あくまでもこれは現地に居住する日本人のため。中国人や朝鮮人のためではありません。日本人のために行ったことが、結果的に両地域を平和にし、住民の生活水準を上げる結果となっただけのこと。

彼らはそれが嫌だったのでしょうか? いいえ。決してそんなことはないはずです。


ビスマルクは、プロイセンを不安定化させる自由主義者たちをプロイセンと同じ法制度化におき、管理できる体制を作るために「普墺戦争」を仕掛け、「普仏戦争」を仕掛けました。

その結果としてプロイセンは「ドイツ」として領土を広げ、安全な統治を行うことが可能になりました。

日本が韓国を併合し、中国東部を占領した後、自治を任せたやり方はこのプロイセンのやり方と非常によく似ています。

日本は決して「侵略」するために朝鮮半島を併合したわけではありませんし、中国東部から匪賊を駆逐したわけではありません。あくまでも「ロシア」という驚異、「共産主義」という脅威から自国を守るために行ったのです。

それはまさしくビスマルクがプロイセンを守るために行ったことと同じことです。この事を忘れるべきではないと、私は思います。


次回は時計を進めまして、「ヴィルヘルム2世」の政策とその結果について記事にしたいと思います。



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初めまして。「のんき」です。

ブログ的には、二つ目のブログ。前回のブログを完全に「移転」するという形ではなく、前回のブログも残しながら、改めて新しいブログを作ってみよう、と考えました。

ちなみに、現在も稼働中ではありますが、前回作成していたブログはこちら。

忙しいほうがいい。でも本当は・・・
更新がかなり長い間できていません。(;'∀')

リアル生活が少し忙しくなり、ブログに関心を注ぐことができなくなったことがその理由なのですが、少しだけ時間に余裕が生まれたので、その時間を利用して、改めてブログをスタートしようと考えました。

前回のブログは、最初ボランティア活動を中心に動いていた時代にスタートしたのですが、関心がだんだんと他のことに移り変わった結果、様々な分野の内容が混在してしまい、統一性のないものとなってしまいました。

特に途中から、関心ごとがもっぱら「政治」や「経済」に移ってしまい、ほぼ政治経済系の内容で構成されるようになります。
改めて、ブログをスタートした当時の趣旨ともずれ始めていることから、これをきっかけに「政治経済ネタ」を独立させ、重複する内容も含めて新しくブログをやり直そうと思います。

ある程度記事内容がストックされ、充実したころに、前回のブログからの誘導も行っていこうと思います。 また、私自身経済の専門家でも政治の専門家でも何でもありませんから、あくまでも「個人のんき」としての視点から記事を作成していきます。

目標は、政治や経済に詳しくない人が見てもそこそこ「わかりやすい」と感じられるような、そんな内容を目指しています。

整理しますと、このブログは

〇政治・経済問題を中心に取り上げるブログです。
〇多くの人が「わかりにくい」と感じることを、より「わかりやすい」と感じられるブログとなることを目指しています。

頻繁な記事の更新は難しいかもしれませんが、少しずつ記事を増やし、多くの人に関心を持ってもらえるブログとなることを切に願っております。

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