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この記事のカテゴリー >>日本国債の問題


私のブログにおきまして、もはやその代名詞ともなっているのが以下の記事です。

第27回 国債を返済する仕組み~60年償還ルール~

第358回の記事 では、「次回記事では改めて『それでも消費増税を行わなければならない理由』について、改めて記事にしてみたいと思います」と掲載しました。

ですがその前に、改めて「60年償還ルールで財政が破綻しない理由」についてご説明しておきたいと思います。

60年償還ルールを端的にご説明しますと、
日本国債を60分割で返済するためのルール

です。ここは今更解説するまでもありませんね。
(※60年償還ルールそのものがわからない、という人は第27回 国債を返済する仕組み~60年償還ルール~ の方へどうぞ)

問題となるのは、ではなぜ「60年償還ルール」を用いれば日本国債は破綻しないのか、ということ。この理由を端的に説明しますと、
60年償還ルールとは、国債を1円でも発行すれば、60年間は永続的に国債発行残高は上昇し続け、60年目を迎えた時点で増加額が頭打ちになるルールだから

ということになります。

逆に言えば、国債を1円でも発行する限り、国債発行残高は増え続けなければおかしい、とも言えます。

で、「60年目を迎えた時点で増加額が頭打ちになる」と掲載しましたが、これは何も60年目を迎えれば、国債発行残高が1円も増えなくなるとか、そういうことを言っているわけではありません。60年目を迎えると、あとはその年に発行された新規国債の額がいくらなのか、ということに左右されることになりますよ、ということです。

といってもやはりわかりにくいかもしれませんね。実際にこのことを巡ってとあるSNS上で議論になりましたので、この内容をシェアしてみたいと思います。


60年償還ルールの基本的な考え方

重ねてご説明しますと、60年償還ルールとは、今年発行された新規国債を、60年間分割払いにすることを可能としたルールの事です。

事例としてわかりやすくするため、今年発行された新規国債が仮に30兆円であったとします。

今年(2017年)に30兆円の国債を発行した場合、2018年にはいったん全額返済し、29.5兆円分の「借換債」を発行します。つまり、0.5兆円だけ返済したことになります。

2019年にはまた更に0.5兆円のみを返済し、29兆円分の借換債を発行。2020年には28.5兆円、2021年には28兆円の借換債を発行し、60年経過すると全額返済されることになります。


では、仮に2年目も同額、つまり30兆円分の「新規国債」を発行したとするとどうでしょう。

実際には「新規発行国債」として最も多く発行されている国債は「長期国債」と呼ばれる10年物国債で発行されていますので、毎年10年物国債が30兆円ずつ発行され続けると考えます。

そうすると10年後にはこんな感じになります。


60年償還ルール①

10年間、1円も返済されないまま国債が発行され続けますから、1年目に発行さえた国債が償還期を迎える時には30兆円×10年分、つまり300兆円の「国債発行残高」が蓄積されることになります。

11年目を迎えますと、1年目に発行された国債は、本来であれば1年間に、30兆円の1/60である0.5兆円を返済する必要がありますが、これを返済しないまま10年間経過していますので、0.5兆円×10年分=5兆円を返済する必要があります。

60年償還ルール②

ですので、政府はいったん30兆円全額返済した後、25兆円の借換債を発行します。
11年目も30兆円分の新規国債は発行されていますから、300兆分の「国債発行残高」は蓄積されたまま。ここに、新たに25兆円分の「国債発行残高」が蓄積されることとなります。

借換債は償還期が1年の、いわゆる「短期証券」で発行される場合が多いですから、25兆円の「借換債」の償還期は仮に1年であると考えます。


60年償還ルールのマジック

では、12年目はどのようになるのでしょうか。面白いのはここからです。

12年目に発行される国債(A)は、

1.新規発行国債30兆円
2.2年目に発行された国債の借換債25兆円
3.1年目に発行された国債の借換債24.5兆円

の3つ。


12年目に返済される国債(B)は

1.2年目に発行された国債の償還額30兆円
2.1年目に発行された国債の償還額25兆円

の2つ。

です。数学が得意な人なんかは「なんでそんなに難しく考えるんだ!」という突込みが入りそうですが、あえてこのような考え方をします。

よく見ていただきたいのですが、発行される国債Aの1番と返済される国債Bの1番、そして発行される国債Aの2番と返済される国債Bの2番が同じ金額になっていますね?

つまり、A-1とB-1、A-2とB-2は全く同じ金額になりますから、お互いに相殺されてしまいます。

A-1+B-1=0円
A-2+B-2=0円

となるわけです。残ったのはA-3番。「1年目に発行された国債の借換債24.5兆円」のみです。
つまり、12年目に増えた国債発行残高は、1年目に発行された国債のための借換債として発行された24兆円分の国債だけだということになります。

13年目はどうでしょう?
13年目に発行される国債(A’)は、

1.新規発行国債30兆円
2.3年目に発行された国債の借換債25兆円
3.2年目に発行された国債の借換債24.5兆円
4.1年目に発行された国債の借換債24兆円

の4つ。


13年目に返済される国債(B’)は

1.3年目に発行された国債の償還額30兆円
2.2年目に発行された国債の償還額25兆円
3.1年目に発行された国債の償還額24.5兆円

の3つ。

13年目もやはり

 A'-1=B'-1
 A'-2=B'-2
 A'-3=B'-3

となっており、唯一A'-4、つまり「1年目に発行された国債の借換債」の金額だけが上積みされていることがわかりますね?


では、14年目はどうでしょう・・・・と、もう言うまでもないですね。

14年目もやはり1年目に発行された国債の借換債分である23.5兆円だけが上積みされることになります。
ということは・・・と私が述べるまでもありませんね。1年目に発行された国債が60年目を迎え、償還額0円となった時点で、「国債発行残高」が上積みされることはなくなります。

もっと言いますと、上積みされる金額そのものも、1年目に発行された国債の「残高」に依存するわけですから、1年目に発行された国債は毎年残高も毎年縮小している以上、その増加幅は毎年縮小することになります。


国債発行残高はいつまで増加し続けるのか?

SNS上で議論になった内容として、相手方が主張していたのは60年償還ルール初年度の新規国債発行額と今年度発行されている国債発行残高の「ギャップ」の話です。

現憲法下の日本において、初めて「国債」が発行されたのは今から53年前。昭和40年(1965年)の事です。
この時に発行された国債は1972億円でした。

今年発行される国債は、仮に補正で発行されなければ34兆3698億円になります。

実に34兆円を大幅に上回る「ギャップ」があるのです。

相手方が主張していたのは、これだけのギャップがあるのに、私の言う「60年目で償還額が頭打ちになる」という理屈はおかしいんじゃないか、という主張です。

これには2つの側面からの反論が存在します。


1.「国債」は単年度に全額返済されるわけではない。

これが、一つ目の反論です。

この記事のタイトルそのものがそうですが、そもそも「国債」は60年間で分割されて返済されます。

では、昭和40年に発行された1972億円の国債は、60年経過して、最後の償還期を迎えたとき、いったいいくらになっているのでしょうか。

1972億円÷60年=33億円
34兆3698億円÷60年=5728億円

いかがでしょう?

1972億円という初年度に発行された国債は、毎年33億円ずつ額は減らすものの、母体となる金額は60年間存在し続けています。

34兆3698億円という数字も一緒です。5728億円毎年その額を減らし続けるものの、その母体となる金額は60年存在し続けるのであり、60年経過する前に、ある日突然特別会計の会計帳簿上から消えてなくなるわけではありません。

そしてそれぞれの数字は、60年間経過すると1972億円は33億円に、34兆3698億円は5728億円にまでその額を減らしています。

一般の生活をしていれば、額が大きすぎてあまりイメージしにくいかもしれませんが、当初34兆円もギャップがあったはずの額も、60年経過すると5000億円を上回る程度の金額にまで縮小しているのです。

もっと言えば、昭和40年に発行された国債は、1年に33億円しかその額を減らしませんが、平成29年度に発行された国債は毎年5728億円ずつその額を減らし続けるのです。その影響はどちらが大きいのかは一目瞭然ですね。


国債発行額は、償還期が隣接する年度との間で相殺される

もう一度、「毎年30兆円の長期国債が新規で発行された続けた場合の13年目」の国債の発行及び償還状況を見てみます。
13年目に発行される国債(A’)は、

1.新規発行国債30兆円
2.3年目に発行された国債の借換債25兆円
3.2年目に発行された国債の借換債24.5兆円
4.1年目に発行された国債の借換債24兆円

の4つ。


13年目に返済される国債(B’)は

1.3年目に発行された国債の償還額30兆円
2.2年目に発行された国債の償還額25兆円
3.1年目に発行された国債の償還額24.5兆円

の3つ。

このケースでは、

 「1年目に発行された国債の償還額」と「2年目に発行された国債の借換債」

 「2年目に発行された国債の償還額」と「3年目に発行された国債の借換債」

そして

 「3年目に発行された国債の償還額」と「新規国債」

との間で金額がバランスしていることがわかります。

では、この「バランス」はどのような場合に崩れるのでしょうか?
答えは簡単です。

例えば「1年目に発行された国債」とバランスが取れているのは「2年目に発行された国債」ですから、1年目と2年目の間で発行額に相違があれば、これが「国債発行残高」全体に影響を与えることになります。

つまり、考えなければならないのは「昭和40年に発行された国債」と「平成29年度に発行された国債」との関係性ではなく、昭和40年であれば翌年の昭和41年、平成29年であれば前年の平成28年、または来年発行される国債とのバランスだということになります。


昭和40年と平成29年を比べてみると・・・

それでは改めて考えてみましょう。

昭和40年目に発行された国債が13年目を迎えた時

発行される国債(A)

1.昭和53年の新規国債10兆6740億円
2.昭和42年に発行された国債の借換債5793億円
3.昭和41年に発行された国債の借換債5325億円
4.昭和40年に発行された国債の借換債1545億円

返済される国債(B)は

1.昭和42年に発行された国債の償還額7094億円
2.昭和41年に発行された国債の償還額5436億円
3.昭和40年に発行された国債の償還額1578億円

昭和40年の国債を考えるとこんな感じです。それ以外の期間のものはまだ償還期を迎えていない、と考えますので必要な数字はこれだけです。

A-1とB-1、A-2とB-2、A-3とB-3が本来バランスべきポイントです。

A-1-B-1=9兆9646億円
A-2-B-2=357億円
A-3-B-3=3747億円

合計10兆3750億円

一方、今年の国債で考えると、
発行される国債(A)

1.平成29年の新規国債34兆3698億円
2.平成18年に発行された国債の借換債22兆4338億円
3.平成17年に発行された国債の借換債25兆152億円
4.平成16年に発行された国債の借換債27兆8005円

返済される国債(B)は

1.昭和18年に発行された国債の償還額27兆4707億円
2.昭和17年に発行された国債の償還額25兆5364億円
3.昭和16年に発行された国債の償還額28兆3920億円

となります。

A-1とB-1、A-2とB-2、A-3とB-3が本来バランスべきポイントとなりますので。

A-1-B-1=6兆8991億円
A-2-B-2=-3兆1026億円
A-3-B-3=-5915億円

合計3兆2020億円



いかがでしょうか。意外かもしれませんが、「国債発行残高への影響」だけで考えると、国債発行初年度である昭和40年以降13年間の影響よりも、最新年度である平成29年度より過去13年の影響の方が、より少ないことがわかります。

合計10兆3750億円 と 3兆2020億円

ですから、その差は歴然としています。

もちろん計算式自体がここまで単純ではありませんから、あくまでも一つの「例」として考えていただければと思います。


念のため、下となる数字は政府が公表しているデータを用いていますし、前提として、

「新規国債が必ず10年物国債で発行され、借換債が必ず1年物国債として発行された場合」

としています。新規債がすべて10年物で発行されるわけがありませんし、借換債も必ず1年物で発行されるわけはありませんから、このあたりも誤解なさらぬよう、お願いいたします。

このほか、一般会計において毎年「利息」だけは全額返済されていますので、このあたりも誤解なさらぬよう。


「国債が破綻しない理由」はこれ以外にもたくさんあります。ですが、60年償還ルール以外の「破綻しない理由」は、抽象的なものも多いので、破綻論者を一撃で黙らせるためには「数字」できちんと把握することのできる60年償還ルールが一番効果的だと私は思っています。

何が言いたいのかといいますと、私はここまで具体的に日本国債が破綻しない理由を説明できる人間である、ということです。ですが、そんな私でも「消費増税」が必要だと考えているわけです。

もちろんいつ増税するのかとか、増税する前にやることがあるだろうとか、そういったことはすべて踏まえた上で、です。

次回記事ではそんな私が考える「それでも消費増税を行わなければならない理由」。これを記事にしたいと思います。


この記事のカテゴリー >>アベノミクスを問う


さて。いよいよ行われましたね、衆議院解散会見。

【安倍首相、衆院解散を表明【記者会見ノーカット】/産経ニュース】
(※引用文は長文になります。ピックアップするポイントは後ほど掲載しますので、まずは読み飛ばしてください)


【安倍総理冒頭発言】
 5年前、国民の皆様のお力を得て政権を奪還しました。当時、私たちが公約に掲げた大胆な金融政策には大変な批判がありました。しかし、総選挙で勝利したからこそ実行に移すことができた。アベノミクス三本の矢を放つことで日本経済の停滞を打破し、マイナスからプラス成長へと大きく転換することができました。

 今、日本経済は11年ぶりとなる6四半期連続のプラス成長。内需主導の力強い経済成長が実現しています。雇用は200万人近く増加し、この春、大学を卒業した皆さんの就職率は過去最高です。この2年間で正規雇用は79万人増え、正社員の有効求人倍率は調査開始以来、初めて1倍を超えました。正社員になりたい人がいれば、必ず1つ以上の正社員の仕事がある。

 この5年近く、アベノミクス改革の矢を放ち続け、ようやくここまで来ることができました。今こそ最大の壁にチャレンジするときです。

 急速に少子高齢化が進むこの国が、これからも本当に成長していけるのか。この漠然とした不安にしっかりと答えを出してまいります。それは、生産性革命、そして人づくり革命であります。この2つの大改革はアベノミクス最大の勝負です。国民の皆様の支持を頂き、新しい経済政策パッケージを年内に取りまとめる考えであります。

 4年連続の賃金アップの流れを更に力強く、持続的なものとする。そのためには生産性を高めていくことが必要です。ロボット、IoT、人工知能、生産性を劇的に押し上げる最先端のイノベーションが今、世界を一変させようとしています。この生産性革命を我が国がリードすることこそ、次なる成長戦略の最大の柱であります。2020年度までの3年間を生産性革命集中投資期間と位置づけ、中小・小規模事業も含め、企業による設備や人材への投資を力強く促します。大胆な税制、予算、規制改革。生産性革命の実現に向かってあらゆる施策を総動員してまいります。

 生産性を押し上げ、今年より来年、来年より再来年と、皆さんの所得を大きく増やしていく。デフレ脱却へのスピードを最大限まで加速してまいります。

 もう1つの最大の柱は人づくり革命です。子供たちには無限の可能性が眠っています。どんなに貧しい家庭に育っても、意欲さえあれば専修学校、大学に進学できる社会へと改革する。所得が低い家庭の子供たち、真に必要な子供たちに限って高等教育の無償化を必ず実現する決意です。授業料の減免措置の拡充と併せ、必要な生活費を全て賄えるよう、今月から始まった給付型奨学金の支給額を大幅に増やします。

 幾つになっても、誰にでも学び直しと新しいチャレンジの機会を確保する。人生100年時代を見据え、その鍵であるリカレント教育を抜本的に拡充します。こうしたニーズに応えられるよう、大学改革も強力に進めていかなければなりません。

 幼児教育の無償化も一気に進めます。2020年度までに3~5歳まで、全ての子供たちの幼稚園や保育園の費用を無償化します。0~2歳児も、所得の低い世帯では全面的に無償化します。待機児童解消を目指す安倍内閣の決意は揺らぎません。本年6月に策定した子育て安心プランを前倒しし、2020年度までに32万人分の受皿整備を進めます。

 2020年代初頭までに、50万人分の介護の受皿を整備する。最大の課題は、介護人材の確保です。これまで自公政権で月額4万7,000円の改善を実現してきましたが、他の産業との賃金格差をなくしていくため、さらなる処遇改善を進めます。

 子育て、介護。現役世代が直面するこの2つの大きな不安の解消に大胆に政策資源を投入することで、我が国の社会保障制度を全世代型へと大きく転換します。急速に少子高齢化が進む中、国民の皆様の支持を得て、今、実行しなければならない、そう決意しました。2兆円規模の新たな政策を実施することで、この大改革を成し遂げてまいります。

 しかし、そのつけを未来の世代に回すようなことがあってはならない。人づくり革命を力強く進めていくためには、その安定財源として、再来年10月に予定される消費税率10%への引上げによる財源を活用しなければならないと、私は判断いたしました。2%の引上げにより5兆円強の税収となります。現在の予定では、この税収の5分の1だけを社会保障の充実に使い、残りの5分の4である4兆円余りは借金の返済に使うこととなっています。この考え方は、消費税を5%から10%へと引き上げる際の前提であり、国民の皆様にお約束していたことであります。この消費税の使い道を私は思い切って変えたい。子育て世代への投資と社会保障の安定化とにバランスよく充当し、あわせて財政再建も確実に実現する。そうした道を追求してまいります。増税分を借金の返済ばかりでなく、少子化対策などの歳出により多く回すことで、3年前の8%に引き上げたときのような景気への悪影響も軽減できます。

 他方で、2020年度のプライマリーバランス黒字化目標の達成は、困難となります。しかし、安倍政権は財政再建の旗を降ろすことはありません。プライマリーバランスの黒字化を目指すという目標自体はしっかりと堅持します。引き続き、歳出・歳入両面からの改革を続け、今後達成に向けた具体的な計画を策定いたします。

 少子高齢化という最大の課題を克服するため、我が国の経済社会システムの大改革に挑戦する。私はそう決断いたしました。そして、子育て世代への投資を拡充するため、これまでお約束していた消費税の使い道を見直すことを、本日、決断しました。国民の皆様とのお約束を変更し、国民生活に関わる重い決断を行う以上、速やかに国民の信を問わねばならない。そう決心いたしました。28日に、衆議院を解散いたします。

 国民の皆様は、北朝鮮の度重なる挑発に対して、大きな不安を持っておられることと思います。政府として、いついかなるときであろうとも危機管理に全力を尽くし、国民の生命と財産を守り抜く。もとより当然のことであります。

 他方、民主主義の原点である選挙が、北朝鮮の脅かしによって左右されるようなことがあってはなりません。むしろ私は、こういう時期にこそ選挙を行うことによって、この北朝鮮問題への対応について国民の皆さんに問いたいと思います。

 我が国を飛び越える弾道ミサイルの相次ぐ発射、核実験の強行、北朝鮮による挑発はどんどんエスカレートし、その脅威は正に現実のものとなっています。こうした中で、私は、国際社会の連帯をより強固なものとするため、米国、韓国はもちろんのこと、中国、ロシア、インド、欧州、中東、アジアの首脳たちと対話や協議を重ねてきました。そして先般、国連安保理が原油や石油製品の輸出制限を含む厳格な制裁措置を全会一致で決定しました。まず、これを完全に履行する。さらに、北朝鮮がその政策を変更しないのであれば、国際社会と共に一層圧力を強化してまいります。

 北朝鮮には勤勉な労働力があり、資源も豊富です。北朝鮮が正しい道を歩めば、経済を飛躍的に伸ばすこともできる。しかし、拉致、核・ミサイル問題の解決なくして、北朝鮮に明るい未来などあり得ません。北朝鮮にその政策を変えさせなければならない。そのための圧力であります。

 圧力の強化は北朝鮮を暴発させる危険があり、方針転換して対話をすべきではないかという意見もあります。世界中の誰も紛争などを望んではいません。しかし、ただ対話のための対話には、意味はありません。

 この20年間、我が国を始め国際社会は六者協議など対話による平和的解決の努力を重ねてきました。その中で北朝鮮は2度にわたり、核・ミサイルの放棄を約束しましたが、結果としてそれらはことごとく裏切られ、核・ミサイル開発が継続されていた。

 対話の努力は時間稼ぎに利用されました。北朝鮮に全ての核、弾道ミサイル計画を完全な、検証可能な、かつ不可逆的な方法で放棄させなければならない。そのことを北朝鮮が受け入れない限り、今後ともあらゆる手段による圧力を最大限まで高めていく他に道はない。私はそう確信しています。

 そして、拉致問題の解決に向けて、国際社会でリーダーシップを発揮し、全力を尽くしてまいります。

 北朝鮮が意図的に緊張をあおっている今だからこそ、私たちはぶれてはならない。北朝鮮の脅かしに屈するようなことがあってはなりません。私はこの選挙で国民の皆さんから信任を得て、力強い外交を進めていく。北朝鮮に対して、国際社会と共に毅然(きぜん)とした対応を取る考えであります。

 さきの国会では、森友学園への国有地売却の件、加計学園による獣医学部の新設などが議論となり、国民の皆様から大きな不信を招きました。私自身、閉会中審査に出席するなど、丁寧に説明する努力を重ねてまいりました。今後ともその考えに変わりはありません。

 この選挙戦でも、野党の皆さんの批判はここに集中するかもしれない。こうした中での選挙は厳しい、本当に厳しい選挙となる。そのことはもとより覚悟しています。しかし、国民の信任なくして国論を二分するような大改革を前に進めていくことはできない。我が国の国益を守るため、毅然とした外交を推し進めることはできません。国民の皆様の信任を得て、この国を守り抜く決意であります。

 少子高齢化、緊迫する北朝鮮情勢、正に国難とも呼ぶべき事態に強いリーダーシップを発揮する。自らが先頭に立って国難に立ち向かっていく。これがトップである私の責任であり、総理大臣としての私の使命であります。苦しい選挙戦になろうとも、国民の皆様と共にこの国難を乗り越えるため、どうしても今、国民の声を聞かなければならない。そう判断いたしました。

 この解散は、国難突破解散であります。急速に進む少子高齢化を克服し、我が国の未来を開く。北朝鮮の脅威に対して、国民の命と平和な暮らしを守り抜く。この国難とも呼ぶべき問題を、私は全身全霊を傾け、国民の皆様と共に突破していく決意であります。

 私からは以上であります。

ポイントとなるのは

1.2019年10月に引き上げられる消費増税分を、当初の予定より変更し、増税分を借金の返済ばかりでなく、少子化対策などの歳出により多く回す。

2.北朝鮮問題への対応について。

この2つでしょうか。

1番の項目の記し方については、いろいろな表現方法があるでしょうが、私としてはあえてこのような表現方法を選択してみました。

私として影響が大きいのは良い意味でも悪い意味でも「消費税」の問題だと考えています。

8%に増税した段階で、これまで安倍内閣を支持していた多くの人が、この「消費増税」というシングルイシューを理由に掌を返したことが私の中では非常に大きな記憶に残っています。私の信頼する麻生さんの評価が一転し、世間一般でが大きく下落したのもこの時でした。

ですが、少なくともこの会見の中で、安倍さんは消費増税が行われることを「前提条件」として話をしています。

私としてはこちらのシリーズ↓
日本の税収の見方

においてずっと「消費増税」を肯定する立場から記事を作り続けてきました。もともと「消費増税の味方」というタイトルをこのカテゴリーには付けていました。

ですから、同シリーズでずっと過去の記事をさかのぼっていただくと、私が「増税後の消費税収予測」で大敗北したことを含めた記事を見ることができます。

ですが、少なくとも「ネット民」の中の安倍内閣支持者の多くは消費増税に反対する立場の方が多いため、この選択肢を巡ってひょっとすると自民党の得票数に影響を及ぼすことになるかもしれません。

ただ、私としても、8%のまま据え置いた方がいい、凍結すべきだとする立場の人たちの意見も理解できないわけではありません。

第27回の記事 でお示ししましたように、日本国では「60年償還ルール」というルールに基づいて財政運営が行われている限り、「財政」が破綻することはまずありません。

このルールに基づけば、国債発行額残高は60年間は増え続けなければおかしいルールとなっており、、60年経過すればその増加はストップし、後は横ばいになる仕組みがこの60年償還ルールです。

最終的には日本国政府の55%株主である日銀に全額国債を市場から買い取らせて、日本国政府と日銀の会計処理を連結させれば、一瞬で日本国債の発行残高など0円になってしまいます。

ですから、例えば今回テーマとして挙がっている「少子化対策」にしても、国債を発行して対応すれば簡単に対処できてしまいます。

ですが、それでも社会保障に関しては「国債」で対応すべきではない、とするのが私の考え方です。既に過去の記事でこの理由は述べていますが、後日改めてこのことは記事にしてみます。

安倍首相会見


安倍内閣における「消費税」の使途は本当に変更されるのか?

さて。今回記事を作成した目的は、実はここにあるわけではありません。

まず見ていただきたいのはこちらの二つの画像。

消費税予算表

消費税財源グラフ

上図の内容を転載してみます。
〈28年度消費税増収分の内訳 〉
《増収額計:8.2兆円》
1.基礎年金国庫負担割合2分の1 3.1兆円
(平成24年度・25年度の基礎年金国庫負担割合2分の1の差額に係る費用を含む)

2.社会保障の充実 1.35兆円
・子ども・子育て支援の充実
・医療・介護の充実
・年金制度の改善

3.消費税率引上げに伴う社会保障4経費の増 0.37兆円
・診療報酬、介護報酬、年金、子育て支援等についての物価上昇に伴う増

4.後代への負担のつけ回しの軽減 3.4兆円
・高齢化等に伴う自然増を含む安定財源が確保できていない既存の社会保障費

このデータがどこに掲載されているのかというと、実は内閣府の公表している、平成28年度予算案における 子ども・子育て支援新制度の状況について」という資料に掲載されています。

「28年度消費税増収分の内訳」とは記されていますが、要は平成26年(2014年)に増税された後に増えた消費税収を8.2兆円と見積り、この金額をこのような用途で利用しますよ、いう内容が掲載された内容です。

あえてそれぞれの項目に番号を振ってみました。

下側のグラフは、左側が8%増税時の予算内訳。右側が10%増税時の内訳です。グラフで水色の部分は1番、「基礎年金国庫負担分」が麻生内閣において1/3から1/2に引き上げられたことに伴って増加する国庫負担分。

赤が2番、「社会保障の充実」となっており、この部分が増税前にはなかった予算となります。

黄色は3番で、増税に伴う社会保障サービスの物価上昇に充てられる金額。

緑は「高齢化等に伴う自然増を含む安定財源が確保できていない既存の社会保障費」とされています。

1番は8%時 3.1兆円→10%時 3.2兆円
2番は8%時 1.35兆円→10%時 2.8兆円
3番は8%時 0.37兆円→10%時 0.8兆円
4番は8%時 3.4兆円→10%時 7.3兆円

となっていますね。では、もう一度安倍首相の会見を振り返ってみましょう。
再来年10月に予定される消費税率10%への引上げによる財源を活用しなければならないと、私は判断いたしました。

2%の引上げにより5兆円強の税収となります。

現在の予定では、この税収の5分の1だけを社会保障の充実に使い、残りの5分の4である4兆円余りは借金の返済に使うこととなっています。

この考え方は、消費税を5%から10%へと引き上げる際の前提であり、国民の皆様にお約束していたことであります。この消費税の使い道を私は思い切って変えたい。

さて。わかりますでしょうか。安倍さんは「2%の引上げにより5兆円強の税収」となると発言し、

「この税収の5分の1だけを社会保障の充実に使い、残りの5分の4である4兆円余りは借金の返済に使うこととなっています」

と発言していますね。「借金の返済」=「国債の返済」です。
ですが、どうでしょう。先ほどの資料を見る限り、どこにも消費増税分が「国債の返済に充てられる」などと記されていませんね?

4番に「後代への負担のつけ回しの軽減」と記されており、これが一見すると国債の返済に充てられるように思われるのですが、ここには「高齢化等に伴う自然増を含む安定財源が確保できていない既存の社会保障費」としか記されていません。

そう。「消費税収」は元々「国債の返済」になど充てられることにはなっていないのです。

つまり、これは完全な「フェイクニュース」だということです。安倍さんが会見で言っているのは、

「消費税は増税したとしても、これまでと同じ用途にしか利用しません。ですが、増えた税収のうち、2番の財源に割り当てる金額を増やします」

と言っているのです。割り当てられることによって減らされるのは4番。

 「後代への負担のつけ回しの軽減」

に用いられるとされている部分です。私なりに言い換えますと、

「高齢化に伴って不足する財源が7.3兆円になると考えられていたのですが、実はそこまでは不足しないことが明らかになりました。ですからその余剰財源を子育て拡充に充当します」

と安倍さんは言っているわけです。私なりの意訳ですが、おそらく間違ってはいないでしょう。

元々国債の返済に充てる額など消費増税分には含まれていないわけですから、当然このことによって「プライマリーバランス」が影響を受けることなどありません。

さて。それでは以下のニュースを見てみてください。

【東京 26日 ロイター】
PB目標「困難は確か」と麻生財務相、達成時期2─3年先送り示唆

麻生太郎

麻生太郎財務相は26日の閣議後会見で、2020年度の基礎的財政収支(PB)黒字化目標の達成が困難になったことを認めた上で、達成時期を見直す考えを表明した。黒字化目標そのものは堅持するが、達成時期を22年度や23年度などに先送りする選択肢も示した。

麻生財務相は、消費税率を10%に引き上げた際の増収分の使い道を変更する安倍晋三首相の方針に関し、「福祉や教育は抜本的につくりかえる必要がある」と述べ、借金返済に充てる予定の財源を政策原資に活用する考えに同調した。

2012年の3党合意では、消費増収分のうち、社会保障の充実と借金返済に回す割合を1対4にすることが決まっていた。麻生財務相は配分比率について「2対3とか、そのくらいまでしていかないといけない」と指摘した。

一方、財政健全化の取り組みが後退するのは決定的となる。政府は20年度のPB黒字化目標を掲げるが、麻生財務相は「なかなか(達成が)出来にくくなった」とした上で「2022年とか23年など、そういったものを作り上げないといけない」と達成時期の先送りを示唆した。

安倍首相は25日の記者会見で、「生産性革命」の実現に向けた税制の活用に言及した。麻生財務相は、企業の内部留保が400兆円超ある現状を踏まえ「それを積極的に使ってくれている企業を優遇するなど、いろんな考え方がある」との見方を示した。
ええ。明らかにこれも「フェイクニュース」だと私は思います。

麻生は、本当に「役者」だと思います。分かっているんですね。増税をずっと主張し続けてきていたのは誰でしたか?

そう。麻生さんです。

PB目標(財政歳入出バランス)にずっと言及し続けていたのは誰でしたか?

そう。麻生さんです。麻生さんは、このことでプライマリーバランス目標達成のために財政支出を抑えなければならない状況に歯止めをかけたんですね。5兆円の税収分をどのくらいの割合で子育て政策に回すのかはわかりませんが、その金額がそっくりそのまま「財政出動」に、しかも永続的に充てられ続けられることを確定させてしまったわけです。

60年償還ルールでは年間に発行しなければならない借換債の発行額はあらかじめ決められているわけですが、現時点でもすでにこの金額を前倒しで返済されるケースも出てきているようです。

どこからその財源が生れているのか。それは当然増えた税収分です。

後半の北朝鮮に関するスピーチは安倍さんの本心がひしひしと感じられますが、経済に関する部分には麻生さんのにおいがプンプンと漂ってきますね。

私としては実に「見事な」会見だったと思っています。

次回記事では改めて「それでも消費増税を行わなければならない理由」について、改めて記事にしてみたいと思います。


この記事のカテゴリー >>ロシア革命とソビエト連邦誕生に至る経緯


<継承する記事>
第355回 ブレスト=リトフスク条約締結~第一次世界大戦終結後のロシア

前回の記事では、主にロシア内戦の様子を中心に、トロツキーやレーニンが内戦中に行使した「戦時共産主義」について記事にしました。

この後、レーニンは急速に健康を害し、1924年1月21日、レーニンはその人生を閉じるわけですが、これまでの功績やレーニンとの信頼関係を考えると、レーニンの後を継ぐのはやはりトロツキーであるべきだと考えられるわけです。

ですが、レーニンの後を継いだのはトロツキーではなく、ヨシフ・スターリンであったわけです。

今回の記事では、なぜレーニンの後を継いだのがトロツキーではなくスターリンであったのか。この謎に迫る形で記事を作成したいと思います。


スターリンという人物

スターリン

現時点で記事を作成している目的は、レーニンの作った「コミンテルン」という組織が世界に与えた影響を調査することを一つの目的としているわけですが、「コミンテルン」そのものを追いかけようとすると、やはりその中心人物であるレーニン、そしてレーニンの後を引き継いだ「スターリン」の両名を追いかける必要があると考えています。

前回の記事では、コミンテルンを結成した後のレーニンについて追いかけたわけですが、彼は1924年1月にはその生涯を閉じてしまうこととなります。

こうなると、問題となるのはロシア共産党やコミンテルンがレーニンからスターリンに引き継がれていく過程を追いかけることで見えてくるものがあるのかな、と思っています。

既に記載しています通り、レーニンの事を一番理解していた人物はトロツキーであり、レーニンが最も信頼を置いていた人物はトロツキーでした。トロツキーは実際に有能でしたし、仮にロシア共産党の党首として選ばれたとしても、非常に全くそん色のない人物であったと考えられます。

ですが、なぜかレーニンの後を引き継いだのはトロツキーではなくスターリンであった。
これまでレーニンやトロツキーについてはたびたび記事に掲載していますので、まずは「スターリン」という人物の為人や経歴等を追いかけてみます。

ただ、スターリンの情報に関しては、彼がロシア共産党書記長となって以降の情報がほとんどで、レーニン体制下のスターリンに関する情報はあまり出て来ません。特に客観性のある情報の乏しいのが難点です。

まず間違いのない情報として、スターリンは「ロシア帝国占領下のグルジアで生まれたグルジア人」であるということ。

レーニンは学者の息子で、トロツキーは地主の息子と、比較的恵まれた環境に育った(共にユダヤ人)であるのに対して、スターリンの父親は靴職人。母親も農奴出身で、スターリンは貧しい家庭に生まれ育ちました。

スターリンの地元は元々荒々しく暴力的な地域で、彼の父親も酒を飲むと母親やスターリンに暴力をふるうような、そんな家庭であったようです。

スターリン自身はグルジア正教会からの推薦を受け、10歳の時に聖職者を要請するための神学校に進みますが、父親はこれに反対。また教会自体もグルジア人には差別的。彼自身も事故を経験するなどし、決して楽な環境ではなかったわけですが、彼はやがて優等生として認められていくことになります。

ですが、トロツキーやレーニンがそうであったように、スターリンもまた在学中にマルクス主義に傾倒し、「神学」に対する疑問を抱くようになります。

トロツキーは、もともとナロードニキ(マルクス主義が入ってくる前のロシア帝国の社会主義者)であったため、最初からマルクス主義に傾倒することはなかったのですが、スターリンはそうではなく、やがて神学校を退学します。

レーニンやトロツキーは機関誌を発行したり、党や団体を指揮するなど、「指導者」としての立場で革命にかかわっていくわけですが、スターリンはそうではありません。

スターリンの場合はもっと小さな組織。製油所の労働者を組織したり、ボリシェビキの中の一部隊を指揮したり、レーニンやトロツキーよりも器の小さな組織を操っているようなイメージを受けます。

やり方もどちらかというと姑息で、人を揺すってお金を巻き上げようとしたり、銀行強盗をしたり、強奪をしたり・・・と、犯罪を行ってお金を集め、これをレーニンに渡してレーニンの支持を得ていくような、そんな構図ができています。

1907年にロンドンで開かれたロシア社会民主労働党第5回大会で彼は初めてトロツキーと出会うわけですが、この時のトロツキーに対する印象もあまりよくなかったようで、後にレーニンの下、トロツキーとスターリンは重用されるわけですが、その後もスターリンはトロツキーのやり方に悉く異を唱えていたようです。


スターリン対トロツキー

両者の対立が表面化するのは、10月革命後、ロシア内戦が勃発した後のことです。

これに対処するため、レーニンは「ソ連共産党政治局」を組織します。構成メンバーは

 レーニン
 レフ・トロツキー
 ヨシフ・スターリン
 レフ・カーメネフ
 ニコライ・クレスチンスキー

の5名。当時の中央委員会の中心メンバーだった5名です。世事局は全ての主要な政治的決定を行うことにより、迅速な意思決定を行えるように設置されたものですね。

言い換えれば、トロツキーとスターリンはともに当時のロシアを含む「ソ連」の最高意思決定機関に配属されたようなもの。
ここにおいて元帝国支持者の扱い方をめぐってスターリンはトロツキーと対立します。

トロツキーはたとえ元帝国支持者であっても、その専門的知識を生かそうとしましたが、スターリンは彼らを信用せず、逆に殺害を命じます。

スターリンはレーニンに対してトロツキーの解任を求めますが、逆に彼のとった戦略が不必要な犠牲者を生んだとして彼はレーニンからも批判されることになります。

スターリンはポーランド戦ではレーニンやトロツキーの戦略と衝突し、最高司令官であるカーネメフの命令を拒否するなどしたため、党大会でトロツキーから痛烈に批判されます。


ソビエト連邦共産党初代書記長

ターニングポイントとなるのはここですね。

ロシア内戦が落ち着いた後、1920年後半になると、トロツキーはレーニンに対して国内の生産部門に対する共産党の独裁体制を築く必要性を訴えます。レーニンはトロツキーのこの意見に対する支持基盤を築くよう、スターリンに求めます。この結果、実際、1921年3月の第10回党大会でレーニンの支持基盤は優位な立場を得ます。

ですが、レーニンはこの時自分自身の方針を通すための困難さを感じました。

各地方の共産党委員会を指導する立場にあったのが「責任書記」。カーネメフはレーニンに対してこれらの責任書記を取りまとめる「書記長」という役職を新設することを進言しました。そして、初代書記長に任じられたのがスターリンでした。(1922年4月3日)


結構調べるのに時間がかかっていますので、まずはここまでを「前半」として締めくくりたいと思います。
この後、レーニンは体調を崩し、やがて「死」へと向かって歩みを進めていくことになるのですが、このようなレーニンの歩みの裏側で、「スターリン」と「トロツキー」が対立し、謀略が繰り広げられていく様子を次回記事では掲載したいと思います。



この記事のカテゴリー >>アベノミクスを問う


本日(2017年9月18日)の記事は、先日より報道されている安倍首相の衆議院解散決断のニュースを受けての記事になります。

ソースはこちらから。

【産経ニュースより 2017.9.17 07:01】
安倍晋三首相、衆院解散を決断 10・29衆院選が有力
北朝鮮情勢の緊迫化で方針転換 「安保法制の意義問い直す」 創価学会も緊急幹部会


安倍首相(解散報道)

安倍晋三首相は、28日の臨時国会召集から数日以内に衆院を解散する方針を固めた。

11月上旬にトランプ米大統領の来日が予定されていることから、衆院選は10月17日公示-10月29日投開票が有力だが、10月10日公示-10月22日投開票となる可能性もある。

首相は今月18~22日に訪米するため、帰国後に政府・与党で最終調整する構え。

記事事態にもっと詳細も記されているのですが、大切なのはこの部分のみかな、と思いますので、残る詳細はリンク先にてご確認ください。

野党第二党である民進党のゴタゴタ、前原氏が新党首に選ばれたことから、共産党との連携に軋轢が生れた事。
世間で話題になっている都民ファーストの全国版の準備が整っていないこと。私個人的にいえば民進を離脱した面々と若狭氏との連携が報道されていることから、その信頼性に疑惑が生れつつあること。

そして北朝鮮に関する問題を抱え、解散を来年の満期まで見送ると今以上に重大な状況における政治的空白を生みかねないことなど、戦略的な問題と国内外が抱える問題の両方の側面から安倍さんは解散を視野に入れ始めたわけです。

まだはっきりと安倍さん自身が解散を決断したわけではありませんから解散が確定したわけではありませんが、現在の報道内容より、これはほぼ間違いのではないかと考えられます。


改めて問う森友加計問題

さて。ここに至って私の記事のタイトルは「改めて問う森友加計問題」と銘打っています。

私の記事にたどり着いて、かつ信頼していただいていると思える皆さんの考え方からすれば、「もっと大切なことがあるだろう!」とおっしゃりたい方もいらっしゃるかもしれませんが、私がこのタイトルを選んだ理由は明確です。

この森友加計問題を今回の総選挙において「論点にすべきではない」と考えているからです。

もっと言えば、今回の記事内容は、「森友加計問題を総選挙において論点とすべきではない理由」を記すこととなります。

というのも、これらの問題は既に「結果」が出ています。


森友問題の真相

森友学園

森友問題の真相に関しては、 第345回の記事において既に私が検証し、結果を出している通りで、

1.森友に売却した土地は元々土壌にヒ素などの危険物質が含まれる「特別危険地域」であった。

2.この地域から危険性を取り除き、危険物等を撤去するための総額は、もともと森友が要望していた金額の10倍近くかかること

3.算定されており、土壌工事そのものは必要最低限にとどめた。

4.当初の工事にかかった費用は1億3200万円であり、これが森友に売却する時点での土地評価額の基準となった。

5.ところが、実際に売買交渉に入る段階になって、土地の地下より、「新たなるごみ」が発見された。

6.森友側は、新たなるごみが発見されたことを理由に、当初の土地評価額1億3200万円よりも更に値引きすることを要求してきた。

7.財務局側は新たなるごみ撤去にかかる費用を8億4000万円と査定し、撤去後の売却費用として1億3200万円に8億4000万円を上乗せした9億6000万円になることを森友側に伝えた。

8.更にこのごみ撤去は「森友側で行ってもらっても構わないし、その時の撤去額がいくらになろうとも政府側は何も文句は言わない」と伝えた。

9.結果、国は1億3400万円で森友側に売却し、さらにこの後新たなるごみが発見されたとしても、開学が遅れ、森友側に損害が発生したとしても、国側は一切責任を負わない「瑕疵担保責任免責特約」をつけさせた。

10.森友は8億4000万円分のごみを撤去しないまま工事を進め、開学に向けての準備を始めた。

これが「森友問題」のすべてです。どこにも政府側の「瑕疵」など見当たりませんね?


加計問題の真相

加計学園獣医学部

この問題は、実は当初、いわゆる「石破4条件」を加計学園が満たしていないのではないか、とする「疑惑」からスタートしています。

【石破4条件】
①現在の提案主体による既存の獣医師養成でない構想が具体化

②ライフサイエンスなどの獣医師が新たに対応すべき分野における具体的な需要が明らかになること

③既存の大学・学部では対応が困難な場合

④近年の獣医師の需要の動向も考慮しつつ、全国的見地から本年度内に検討

というのも、

 そもそもこの石破4条件のうち③は、獣医学会側からの要望で、「どんな大学が要望してきたとしても、獣医学部の新設を絶対に認めさせないため」の条件としてねじ込まれたはずの条件

であったからです。

このことは、第333回の記事 で私が記している通りで、すべて獣医学会のホームページに詳細に記されています。

そして、第331回の記事 でも掲載しましたように、その後

 文科省内にいた前川元文科省事務次官の所より、次々に「今治市が国家戦略特区に認定された後の文科省と内閣府の間でやり取りされた内容をまとめたメモ書き」

が出てきます。

そしてその内容を元に

 加計学園認定の過程において「総理のご意向があったのではないか」とする議論

が巻き起こっていきました。

ですが、

 これらの内容はすべて今治市が国家戦略特区に認定された後にやり取りされた内容であり、今治市が認定される過程におけるやり取りを示したものではない

こと。そして国家戦略特区構想の特徴として、

「申請主体(今治市)が国家戦略特区構想の条件を満たしているのかどうかを証明するのは申請主体側ではなく、申請された側にある」

ということが閣議決定されていることが前川氏や加戸前愛媛県知事などを招致して行われた「閉会中審査」において次々と明らかにされていきます。

ですから、「石破4条件」に関してもこれ今治市がこれに適合していないというのであれば、いないという証拠を申請された側である「文科省」が行わなければならないことになるわけです。

文科省はその立証責任が文科省ではなく内閣府にあるとしてこの立証責任を果たさず、内閣府からの再三の要請にも応じなかったため、結果として今治市は獣医学部新設特区として認定

されることになりました。

つまり、政府側には何ら瑕疵は存在せず、安倍首相から「お友達」である加計学園理事長に対して何一つ「働きかけ」を行うことができるプロセスが存在しないことが証明されていくわけです。


「政府」から「今治市」へ

このころから、姿を見せるようになるのが今治市大三島で農業経営者だと自称しているとある青年です。

彼は「今治加計獣医学部問題を考える会」の共同代表を務める人物で、今回の加計問題に関する一連の情報を民主党側や自由党に流していた人物です。

政府側で加計学園の疑惑を追及することが難しくなると、疑惑追及の舞台は政府から今治市へとシフトします。

この時、一番大きな問題とされたのが次のニュース。

【週刊朝日(AERA)2017.6.19 20:04より】
今治市がたった一日で即決した96億の補助金 安倍首相が会見でスルーした加計疑惑が再燃

 大学設置認可申請書の締切日にあたる今年3月31日、加計学園が今治市に対し、96億円の補助金申請をし、菅良二・同市長はなんと即日に交付を決定。

 加計学園に対し、通知していたことを示す、公文書を筆者は入手した。

 地元では「96億円は市の歳出の12%に相当するのにずさん過ぎる。あまりに露骨だ」と非難の声が上がっている。

 獣医学部の建設予定地約16.8ヘクタール(評価額36億7500万円)は、今治市から加計学園へ無償譲渡されることが決まっているが、さらに県と市から補助金として大学校舎、施設整備費など192億円の半額、96億円を出すことが決定。

 筆者が入手した<今治市大学立地事業費補助金交付決定通知書>という文書によると、加計学園の加計晃太郎理事長名義で<申請書>が出されたのは、3月31日。そして今治市が<交付決定通知書>を出したのも3月31日。申請にかかる書類が起案されたのも、3月31日だ。

ここで筆者とされるのは、AERAの記者である今西憲之という人物です。

「筆者が入手した」としていますが、実際にこの文書を入手したのは「今治加計獣医学部問題を考える会」の共同代表であるK氏。まあ、すでに名前は知れ渡っていますから、私が伏字にする必要もないでしょうけどね。

彼がこのAERAの記者に渡した・・・というよりネット上で共有した資料です。

抜粋しますと、
「96億円は市の歳出の12%に相当するのにずさん過ぎる。あまりに露骨だ」と非難の声が上がっている。

 獣医学部の建設予定地約16.8ヘクタール(評価額36億7500万円)は、今治市から加計学園へ無償譲渡されることが決まっているが、さらに県と市から補助金として大学校舎、施設整備費など192億円の半額、96億円を出すことが決定。

この部分です。

決定されたスピードがどうだったのか、という問題は置いておくとして、問題としたいのは金額の部分。総額192億円のうち、その半分を今治市と愛媛県が出すことが決定したんですよ、という部分です。


今治市が決定した92億円という補助金の金額は適正だったのか?

この当時議論になっていたのはこの部分です。

特に、千葉県銚子市の千葉科学大学(加計学園系列)において、銚子市がほぼ同額の拠出を行い、結果として銚子市が300億円近い負債を背負うことになった・・・とする事例をあげ、加計学園も同様の道を歩むのではないか、とする論調を所謂「反対派」は用いていました。

私は千葉科学大学の事など調査したこともありませんから、この情報そのものの信ぴょう性も全く把握していませんので、銚子市の事例について言及することは致しませんが、こういった文章を読むと、あたかも今治市が借金をして96億円を捻出し、加計学園側に渡したかのような印象を受けるわけです。


加計学園補助金の「財源」

それでは今治市が加計学園のために捻出したこの「補助金」の「財源」は一体どこから出てきたのでしょうか?

市町村の財政の事ですから、国の財政を調べるほど簡単にはいきません・・・と思っていたのですが、やはり情報通はいるものですね。今回は以下のツイートを参考にしました。

omochikun‏  氏のツイート】
1975年【今治市】
大学誘致を目指す「学園都市構想」を決定
1983年【今治市】
建設予定地を土地造成
1983年〜【今治市】
高等教育施設を誘致する目的で、合併振興基金として40億円を積み立て
2006年頃【今治市】
獣医学部の誘致を始める

コピペ等を使われたのかと思われ、若干誤っている部分はありますが、内容としてはなるほどな、と思わされた内容です。
ポイントとなるのは

「1983年〜【今治市】 高等教育施設を誘致する目的で、合併振興基金として40億円を積み立て」

という部分。このうち、1983年~の部分は、おそらく上の項目である「1983年【今治市】 建設予定地を土地造成」という部分から「1983年【今治市】」という部分をコピペして再利用し、修正し忘れたのではないか、と思われまして、実は年代としては誤りがあるわけですが、ポイントとなるのは実はこの内容です。

ここに、「合併振興基金」という言葉がありますね?この言葉を調べてみますと、今回の「加計問題」の「財源」の全容が見えてきました。


「合併振興基金」という財源

合併振興基金」というのは、1995年以降、特に「2005〜06年」。小泉内閣時代に行われた、いわゆる「平成の大合併」に関連した基金です。

今治市でも「平成の大合併」の際に他の11の町村との間で合併が行われており、12市町村が合併されたのが平成17年(2005年)1月の事。

この時、「平成の大合併による新市町村建設計画の事業費として特例的に起債できる地方債」である「合併特例債」が発行されました。

もちろん「特例債」といっても立派な地方債=借金ですから、当然今治市は貸主に対して返済していく必要があります。
ですが、この「合併特例債」。実は特別なルールが設定されていまして、

 発行そのものは今治市側で行うわけですが、その償還にあたって、その70%を政府が今治市に代わって支払う

というもの。

 ・今治市はこの時発行された40億円の「合併特例債」を積み立てて、
 ・「高等教育施設の誘致を目的」とした「合併振興基金」を創設


しました。2005年の事です。

このうちの70%を政府が負担するわけですから、実質的な今治市の負担分はこのうち12億円。しかも基金として積み立てられていたわけですから、今治市一般会計の簿外で管理されていたわけです。

しかも

 「高等教育施設の誘致を目的」

として。
そして

 この40億円を「財源」として加計学園の誘致は決定

されました。

総額96億円ですから、40億円では足りないじゃないか、という人もいるかと思います。
ですが、この96億円の内1/3である32億円は愛媛県が負担しますので、実際に今治市側が拠出するのはこのうちの64億円分。

そしてこの64億円のうち40億円が合併特例基金より拠出されるわけです。

ですので、今治市一般会計の中から拠出されるのはこのうち24億円

これが10年間に分割されて加計学園に対して拠出されることになります。

ですから、1年あたりの拠出金額は2億4千万円ですね。

そしてこの金額に加えて

 1975年に起草された「学園都市構想」に基づいて、1983年に学園建設のために造成された土地

が加計学園に譲渡されたわけです。


この経緯をどう感じるか。それでもやっぱり96億円という拠出金額は大きいと感じるのか、それは読者の判断に一任する部分です。私は今治市に居住する人間ではありませんから、このことに対して云々できる立場にはありません。

最終的な判断もやはり今治市の方が行うべき部分です。

現在反対派の連中はこの96億円が「適正ではなかった」ことにするため、「不正な方法でK氏が入手した加計学園設計書の初期図面」を元に必死に「デマ」をばらまいています。

例えばこの初期図面では「ワインセラー」が設置されることが掲載されていることから、「獣医学部にワインセラーが設置されるのはおかしい」ということが一時話題になりましたが、実際にはこのワインセラーは30万円程度の「冷蔵庫」に相当するサイズのものであったことが明らかになっていますし、最新の図面では設置そのものが見送られていることも明らかになっています。

また、K氏の試算により、加計学園獣医学部の坪単価が150万円であるとされ、他の事例と比較して「高すぎる」との情報も話題となりましたが、これに対しては加計学園自身が、以下のような回答を行っています。

加計学園坪単価FAX

加計学園の回答によると、K氏の試算では、本来坪単価に含まれないはずの「外構工事費」や「設計管理料」なども含まれているため、実際の坪単価より高くなっていることが指摘されています。「外構」つまり、大学の建物の外にある構造物の事ですね。

また、同じFAX資料において、「P3実験室」の事が記されています。

「P3実験室」とは、「病原体」等の研究を行うための施設で、K氏らはこの施設の気密性が問題であるとし、「簡単に病原体が室外に漏れ出す構造になっており、非常に危険である」としました。

この「P3実験室」の件で象徴的なものは、「陰圧構造」という問題です。

「陰圧構造」と聞くと非常に難しく感じられるかもしれませんが、部屋の中の気圧を部屋の外よりも低くするための構造、と考えていただくとわかりやすいと思います。

空気は気圧の高いところから低いところに流れていきますから、部屋の中の気圧が外よりも低くなっていれば、病原体が室外に流出する危険性は抑えられます。

ところが、K氏は加計学園獣医学部の資料には、この「陰圧構造に関する記述が記されていない」というデマをばらまきました。

K氏とズブズブの関係にある日刊ゲンダイでは、以下のような記事を掲載しています。

【日刊ゲンダイ 2017年8月23日】
加計獣医学部図面から浮上 バイオハザード施設に重大欠陥

 加計学園が愛媛・今治市に建設中の岡山理科大獣医学部。日刊ゲンダイは先週、計52枚に及ぶキャンパスの建築図面を入手した。獣医学部棟最上階の7階大会議室は、ワインセラーやビールディスペンサーを完備した配膳室の真横。さながら“パーティー会場”だが、問題はそれだけではない。図面から浮かび上がるのは、「世界に冠たる先端ライフサイエンス研究」を行う施設としての重大欠陥だ――。

 加計学園が獣医学部新設の目玉としているのが、バイオセーフティーレベル3(BSL3)の研究施設だ。狂犬病や結核菌、鳥インフルエンザなど、人体に感染したら重篤化の恐れのある病原体を扱う実験室で、WHOの指針によると、<実験室は、建物内の交通が制約されていない区域と切り離されなければならない>と定められている。

 つまり、自由に人が行き来できる場所から遮断する必要があるのだが、今治キャンパスの獣医学部棟に設置されるBSL3施設は、研究エリアやディスカッションスペースのすぐ横に造られる予定だ。WHOの指針を完全に逸脱している。

 万が一の感染リスクについて専門家はどう評価するのか。元国立感染症研究所主任研究員の新井秀雄氏は「病原体を取り扱う以上、人為的ミスや機器の故障などによる実験室内の感染発生の確率はゼロとは言えません」と指摘した上でこう続ける。

「いざという時の処置として、他の人に感染が波及しないように設計上の配慮が求められます。しかし図面を見る限り、学生や教職員が行き来する同一フロア内に、BSL3施設が置かれ、管理区域として区別されていません。実験室感染の対応設備として緊急シャワーが設置されていますが、実験室の前室内ではなく、学生が自由に行き来できるオープンスペースの一角に位置している。これは理解不能です。設計図だけを見ても、感染拡大が懸念されます」

■「1週間で感染者が出る」

 通常ならば、実験室内部は病原体の外部飛散を防ぐために「陰圧構造」になっているが、それも確認できないという。

「感染症の研究を知らない人が設計に携わったような印象を受けます」(新井秀雄氏)

 専門家が見れば一目瞭然。シロート同然の設計なのだ。こんな欠陥施設のために評価額36億円の広大な土地を無償で払い下げ、さらに最大96億円という破格の補助金まで支払われるのだ。締めて、約133億円――。おまけに獣医学部内の事故によってパンデミックが起こっても何ら不思議ではないのだから、害悪施設を税金で建てるようなものだ。

「図面を見た国立研究所の安全管理専門委員のひとりは、このまま研究を始めたら『1週間で感染者が出る』と指摘しています。加えて、実験室の吸気や排気がどうなっているのか分からず、配管設備も不明のまま。病原体に触れた廃棄物がきちんと処理されるのか不安です」(「今治加計獣医学部問題を考える会」共同代表の黒川敦彦氏)

 本当に獣医学部を新設したいのなら、学園側のトップである加計孝太郎理事長は市民に対して、感染リスクの予防についてきちんと説明する必要がある。

 それをせずに逃げていては、先端ライフサイエンス研究なんて“夢のまた夢”だ。

対象となる部分にはアンダーラインを引いています。抜粋します。
 通常ならば、実験室内部は病原体の外部飛散を防ぐために「陰圧構造」になっているが、それも確認できないという。

「感染症の研究を知らない人が設計に携わったような印象を受けます」(新井秀雄氏)

ですが、これは完全な「デマ」。

以下の引用元はあくまで素人の方が作成したブログですので、「信ぴょう性が薄いのではないか」といわれるかもしれませんが、掲載されている資料は「本物」ですから、ここに対して異論をはさむ余地はないと思います。

以下略ちゃんの逆襲 ツイッターGOGOよりの資料引用

加計学園実験室

2加計学園実験

上図面に「室圧ダンバー制御フロー系統図」と記されています。要は、この図面がP3実験室の室圧に関して記された図面だということです。

そして、下図面に赤丸で囲った部分で「+10Pa」「-20Pa」「-50Pa」と記されていますね?
プラスであれば「陽圧」、マイナスであれば「陰圧」であることを示しているのだそうです。つまり、「-20Pa」「-50Pa」の2つの数字が「陰圧」になっていることを示している部分。

「-50Pa」となっているのが「P3実験室」の室圧で、「-20Pa」となっているのがエアロック室。「+10Pa」となっているのが室外ということになります。

つまり、この図面こそまさにP3実験室が「陰圧構造」となっていることを示す図面であり、文中で「新井秀雄氏」という人物の言葉を引用する形で、「通常ならば、実験室内部は病原体の外部飛散を防ぐために『陰圧構造』になっているが、それも確認できないという」

文面が全くのデマであることがわかります。

これらの資料の流出元は完全にK氏。彼がすべての資料や情報を流出させています。

民進党、自由党を含む彼らが政府たたきから今治市たたきにシフトチェンジした理由は、すでに政府レベルでは批判する根拠すら見当たらないからです。そして民進党PT(プロジェクトチーム)が政府を批判するために用いていた情報の流出元はすべてK氏。

そしてその情報は軒並み「デマ」です。


今回の総選挙で安倍内閣が争点とすべきこと

今回安倍首相が衆議院の解散を言及するにあたって、前原代表を筆頭に「森友隠し、加計隠し」という言葉をいう民進党議員をTV上でもご覧になったと思います。

ですが、これらの情報は既に政府側に何一つ問題がなかったことが明らかとなっており、これを選挙の争点とすることははっきり言って時間の無駄。政府が国民に訴えなければならないことはそんなことではないはずです。

個人的には、

1.「アベノミクス」とはいったい何なのか。これを今一度国民に分かりやす形で提示すること。

もちろん「成果」も含めてです。しっかり国民が理解し様にかみ砕いて説明すること。

そしてもう一つ、

2.「改憲」

を、そろそろ明確な争点として打ち出すべきなのではないでしょうか。

自民党ではなく、安倍内閣として明確な方向性を示したうえで、どのように改正すべきなのかという具体的な内容を争点にすべきだと思います。

そして次に

3.北朝鮮問題を含む安全保障の問題

この3つを争点にするだけでも十分に解散総選挙を行い、改めて国民に「信を問う」価値が生まれるのではないかと、私はそう思っています。


この記事のカテゴリー >>ロシア革命とソビエト連邦誕生に至る経緯


<継承する記事>
第352回 ドイツ共産党が起こした「三月行動」とコミンテルンの関わり

前回までの記事では、ロシア革命後のロシアで結成された「第三インターナショナル=コミンテルン」が、一番最初に「支援」を行ったとされる「ドイツ革命」の様子を検証してみました。

コミンテルンがドイツ革命に対して行った支援とはいったいどのようなものだったのか。

これを実行したのはコミンテルンが派遣したハンガリー人クン・ベーラ。
クン・ベーラが介入する以前に、コミンテルンはドイツ共産党中央委員会に働きかけ、当時議長を務めていたパウル・レヴィを組織的に失脚させ、ここに指導者としてクン・ベーラを送り込みます。

クン・ベーラはドイツ共産党の新たなる指導部に働きかけ、当時のドイツの首都、ワイマールに隣接する都市「マンスフェルト」で武装蜂起を起こさせます。

マンスフェルトの占領に一時的には成功するものの、たった3日間で国防軍によって鎮圧されてしまう・・・という非常にお粗末な結果に終わりました。

ともあれ、これが初めてコミンテルンが支援した「共産主義革命」の顛末です。

三月行動が失敗した後、三月行動を批判したパウル・レヴィは共産党そのものから除名され、その後コミンテルンは方針転換し、ドイツ共産党は過激な行動を控えるようになった・・・とWikiベースでは記されています。


今回の記事では、改めてロシア国内におけるコミンテルンの動向に着目してみます。

しかしこの時期のロシア、「ロシア」と呼ぶべきか、「ソ連」と呼ぶべきか・・・迷いますね。


第一次世界大戦後のロシア

第347回までの記事 に於きまして、ロシア革命後の「ウクライナ」の歴史についても振り返りました。

年表で振り返りますと、

ウクライナが中央同盟軍との間で「ブレスト=リトフスク条約」を締結させたのが1918年2月9日。

ロシアが中央同盟国との間で「ブレスト=リトフスク条約」に締結したのが1918年3月3日。

中央同盟国が連合国軍に敗北したのが1918年11月13日。

ドイツ共産党が誕生したのが1919年1月1日。

ポーランド・ソビエト戦争が勃発したのが1919年2月。

レーニンがコミンテルンを結成したのが1919年3月。

ドイツ共産党が三月行動を起こしたのが1921年3月

と、こんな感じです。

ドイツ共産党が誕生するまでの間でも、各国で共産党が結成されていましたから、コミンテルン結成が目的としていたのは、これらの地域での共産革命の支援です。

ロシアで起こった事を東欧を中心とした各地で再現しようとしたんですね。
1918年3月3日、ブレスト=リトフスク条約に署名し、世界大戦から手を引いた後、ボリシェビキはその党名を「ロシア共産党」へと改名しました。

3月3日、対外戦争そのものは終結したわけですが、ドイツとの間で締結したブレスト=リトフスク条約によって、ロシアはドイツに対して圧倒的な譲歩を強いられたわけです。

この事から、第347回の記事 でも掲載しました通り、この事でボリシェビキ政権はロシア国内のあらゆる階層から非難の的に晒されることとなります。

その典型的な事例が、これまで連立して内閣を構成していた社会革命党左派の政権からの離脱、及びボリシェヴィキに対する武装蜂起、1918年8月30日のレーニン暗殺未遂事件です。

レーニン暗殺の犯人だとされた社会革命党右派は弾圧の対象とされ、実際には事件とは無関係の512人の政治家や軍人が処刑されました。

ロシア国内は赤軍(共産派)と白軍(反ボリシェヴィキ派)に別れて内戦状態に突入しました。

ロシア内戦

ドイツが連合国軍に敗北すると、連合国軍は白軍に味方し、赤軍との間で干渉戦争に突入します。

ドイツが撤退した後の空白地域に共産党を結成することを目的としてレーニン自身も赤軍を送り込んでいますね。

結果的にロシア内戦では赤軍が勝利するわけですが、この赤軍を組織したのがトロツキー。
・ボリシェヴィキはロシアの人口稠密(過密)地帯を支配しており、1921年には数百万人もの兵士を徴兵により募兵することが可能であった。それに対し白軍の兵力が25万人を超えることはなかった。

・ボリシェヴィキの支配地域にはロシアにおける主要工業地域が含まれており、武器の供給においても圧倒的な有利にあった。

・鉄道の路線も赤軍が支配しており兵士・装備の輸送を効率的に行えた一方で、白軍は互いに分断され、政治的、民族的に見ても統合される可能性はほとんどなかった。

・白軍の司令官は帝政時代の貴族や地主が大半であり、彼らは占領地で旧体制の復活を望み農民から土地を取り上げたため民衆からの支持を失った。(Wikiより)

赤軍の置かれた立場はこのような状況にあったわけですが、更に。
レフ・トロツキーはブレスト=リトウスク条約調印後の1918年に軍事担当の人民委員に任命された。彼は優れた演説家であるだけでなく、赤軍の組織化にも才能を発揮した。

コルニーロフによる反乱の際に暫定政府によって組織化された赤衛軍を基として、徴兵により赤軍を作り上げた。

彼は列車を駆使し各地を回り赤軍の士気を高めることに成功した。彼の取り決めた規律は厳格を極め脱走兵は直ちに射殺された。

軍の忠誠を維持するためにボリシェヴィキの任命する政治将校が設けられるようになった。

トロツキー自身は軍事作戦に直接関与せず、赤軍に参加していた75,000人もの士官たち、その多くは職業軍人が白軍との戦闘を指揮した。(Wikiより)

要はトロツキーは軍を組織する能力も非常に有能であった、ということですね。

こうしてみると、ロシア革命ってトロツキーがいなかったらどうなってたんだろう・・・と思わずにはいられません。
10月革命も、あそこまで穏やかに収束させることができたのはトロツキーのおかげで、若しレーニンだけしか行かなかったら、もっと凄惨な結果になっていたのではないか・・・と思わずにはいられません。

これは、レーニンがそういうものを望んでいた、というより、たぶんそういう方法しか思いつかなかったんじゃないかという想像からです。ドイツ共産党による三月行動において、クン・ベーラが行った革命の様に・・・。

ただ、実際に内戦で行われた戦闘行為は凄惨なものであったようです。
ここもWikiから引用します。
内戦中赤軍と白軍、両軍の手により一家離散を余儀なくされる民間人も珍しくはなかった。

片方の軍が残虐行為を働くと、もう片方もそれに劣らない報復行為に及んだと言われている。

レーニンの下で誕生した秘密警察チェーカーは令状も無く無制限に市民を逮捕できたため、多くの人々が無実の罪を着せられて処刑された。

また、この時取られた経済政策「戦時共産主義」に関しても同様の傾向がみられます。

1920年から1921年にかけて発生した旱魃が事態を更に悪化させた。

レーニンは市場経済廃絶のために飢餓に苦しむ地域に救援の手を差しのべるどころか逆に食料を強制的に徴発し、多くの餓死者を出した。

革命勃発からわずか数年の内に、およそ800万人が死亡したと推定されている。

この800万人という数字は経済政策のみによるものではなく、戦闘行為まで含まれるものと思われます。

この中で発生したのがあの「尼港事件」です。

尼港事件(リンク先最下部)

尼港事件で焼け落ちた日本領事館

内戦そのものは、ポーランド・ソビエト戦争が終結し、ここに投じられていた赤軍が投じられたことで赤軍側の勝利に終わりました。(1920年11月)


内戦終戦後のロシア

内戦により疲弊したロシア経済を救うため、レーニンがとった経済政策が「ネップ」と呼ばれる経済政策です。

戦時共産主義政策では軍隊に武器と食料を回すため、旱魃に襲われた状況の中でも民間から余剰穀物を強制的に徴収し、ロシア全体を飢餓状態に陥れたわけですが、今度はその余剰穀物に「食料税」を課し、税金を納めた後は自由に売買をしてよい、というルールを作ります。商業も一部認められたのだそうです。

資本主義を否定した共産主義ですが、内戦後のロシアではその「資本主義」の制度が導入されたんですね。

レーニンはこれを「国家資本主義」と呼称したのだそうです。

一方でレーニンは子供のころからロシア正教会=宗教の腐敗ぶりを目の当たりにしており、大人になったレーニンは「マルクス主義」を信仰する「無神論者」だったのだそうです。彼はロシア正教会を「反革命の温床」とみなしていたんですね。

1922年3月、教会の財産の接収に反対するデモで死者まで発生したことを受け、レーニンはロシア正教会の弾圧へと突き進みます。以下、Wikiからの引用です。
1922年3月、イヴァノヴォ州シューヤで発生した教会財産接収に反対するデモが暴徒化した。

死者まで招いたこの事態に憤慨し、3月19日にロシア正教会の弾圧を指示。

『これを口実に銃殺できる反動聖職者と反動ブルジョワは多ければ多いほどよい。今こそ奴らに、以後数十年にわたっていかなる抵抗も、それを思うことさえ不可能であると教えてやらねばならない』

と厳命した

実際に弾圧された教会はロシア正教会に限らず、イスラム教のモスクまで弾圧の対象となったのだそうです。


さて。レーニンは暗殺未遂の後遺症もあり、この頃から徐々に健康を害していくようになります。

今回の記事は「前半」としてここまでとし、次回の記事は「グルジア問題」と「レーニンの死」、そしてレーニンの死後のロシアについて記事にしてみたいと思います。


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<継承する記事>
第351回 ドイツ革命の経緯(ワイマール共和国の誕生)

前回まで記事では、レーニンが提唱し、設立した「第三インターナショナル=コミンテルン」について、ヨーロッパを中心とする世界各地で発足する「共産党」。

その発足後の武装蜂起の支援に関しまして、コミンテルンが初めて具体的な支援を行ったとされる「ドイツ革命」に関しましてそれでは「ドイツ革命」とは何ぞや、という視点でしばし記事を作成しました。

ドイツ革命の流れとしては、
<1.ドイツ第一次世界大戦において元々短期決戦を考えていたが、想定が外れ長期化してしまった。

2.この状況を打開するため、「総力戦体制」が取られ、結果として働き手を奪われたドイツでは極度の食料不足に陥った。

3.戦局の悪化と共に、ドイツ国内において「平和」と「食料」を求める「デモや暴動」が頻発するようになった。

4.ロシアにおける二月革命の成功を受け、ドイツ各地において「ストライキ」が勃発する。

5.1918年10月29日、ドイツ大洋艦隊の水兵達約1000人が、イギリス海軍への攻撃のための出撃命令を拒絶し、逮捕される。

6.逮捕された水平たちが送られたキール軍港に駐屯していた兵士たちが逮捕された水平たちの釈放を求めて行ったデモ隊に対し、官憲が発砲。デモは一気に武装蜂起へと発展する。

7.11月4日、労働者・兵士レーテが結成され、4万人の水兵・兵士・労働者が市と港湾を制圧。西部ドイツが一気にレーテの支配下に入る(レーテ蜂起)。レーテ蜂起はドイツ全土に広がり。

8.1918年11月9日、社会民主党員のフィリップ・シャイデマンが議事堂の窓から身を乗り出して独断で共和政の樹立を宣言することによってドイツは共和制へ移行。ヴィルヘルム二世は亡命し、後日退位を表明する。

9.ドイツは「人民委員評議会」と「大ベルリン労兵レーテ執行評議会」の二重権力構造へと陥る。

10.11月11日、ドイツは連合国との間で休戦協定を結ぶ。

11.1919年2月6日、ワイマールにおいて「ワイマール憲法」が制定され、国家の政体を議会制民主主義共和国とすることが確認される。

12.1919年6月28日、ドイツは第一次世界大戦の講和条約である「ヴェルサイユ条約」に調印。

13.1920年3月13日、右派政治家であるヴォルフガング・カップによって、「カップ一揆」と呼ばれるクーデターが勃発。ベルリンが制圧され、新政府樹立。これに対し、ドイツ政府は「ゼネラルストライキ」にて対抗する。

14.ルール地方では労働者・兵士たちが結束して「ルール赤軍」を結成。1920年3月末までにルール地方全土を占領(ルール蜂起:4月6日、政府側軍隊によって壊滅)。

15.社会民主党は信認を失い、中央党・ドイツ民主党・ドイツ人民党の3党が内閣(コンスタンティン・フェーレンバッハ内閣)を結成。(1920年6月2日)

と、この様な流れです。

この後姿を見せるのが「ドイツ共産党」。本日のメインテーマです。

ドイツ共産党発足の経緯

第351回の記事 でもご紹介しましたが、ドイツ共産党は「スパルタクス団」と呼ばれるドイツのマルクス主義者たちが構成する政治集団が母体となって結成されました。

「スパルタクス団」はドイツ社会民主党左派から更に分裂した「グルッペ・インターナツィオナーレ」によって結成されたものです。

当時獄中に捉えられていた「ローザ・ルクセンブルク」という女性の提案によって作成されることとなった非合法の小冊子『スパルタクス書簡』では、グループ全員がペンネームとして「スパルタクス」という名称を用いていたことから、彼女らのグループは「スパルタクスグループ(スパルタクス団)」として知られる事となりました。

ルクセンブルクらが元々所属していた政党は「ドイツ社会民主党」だったわけですが、このドイツ社会民主党の左派がここから分裂して「独立社会民主党」を結成。スパルタクス団もここに合流するのですが、この「独立社会民主党」より更に革命路線を目指す「極左」勢力が結成しのが「ドイツ共産党・スパルタクス団」でした。

1919年1月1日の事です。

1月5日にはスパルタクス団による「スパルタクス団蜂起」なるものも勃発するわけですが、これは元々武装蜂起を意図していたものではなく、「デモ」を呼びかけたものだった事、そして集まったメンバーが想定していた以上に大量に集まってしまった事などから、統率がうまく行かず、政府が結成した義勇兵によってあっという間に鎮圧されてしまいます。

この時行われた義勇軍と武装した労働者たちとの間で武力衝突が起こり、無関係な市民も多数巻き込まれたのだそうです。
Wikiベースの情報ではありますが、この時鎮圧に拘わった義勇兵が後のドイツ政治に対して大きく影響を与えていくこととなるのだそうです。


パウル・レヴィ

スパルタクス団蜂起において、スパルタクス団の指導者であったローザ・ルクセンブルクら多くのドイツ共産党指導者たちは政府義勇軍兵士によって「私刑」の名の下で惨殺されます。

彼女らに代わって共産党を指揮する立場となったのがサブタイトルにある「パウル・レヴィ」という人物です。

パウル・レヴィ

掲載されている情報を読んでいきますと、どうもロシアのレーニンらと親交があったのはこの人物。
彼はどうも極左が集うドイツ共産党の中においても比較的穏やかな人物であったようで、スパルタクス団蜂起そのものにも否定的で、蜂起後、党首に就任した後は同党内の極左派を除名処分にしてしまいます。

この時除名されたメンバーは「ドイツ共産主義労働者党」を結成します。

「広範な層の労働者との連帯」を意図していたのがレヴィ、「直接的な革命」を目指していたのが除名されたドイツ共産主義労働者党のメンバーであった、という構図です。

彼は、イタリア共産党結成をめぐる騒動の中でイタリア共産党結成にコミンテルンの支持するイタリア指導者を支持しなかったことから、ドイツ共産党の中央委員会に置ける投票権を失い、彼の支持者共々中央委員会を退陣することになります。

この時コミンテルンよりドイツに派遣されてきていたのがクン・ベーラというハンガリー人です。

クンベーラ


ドイツ共産党による三月行動とコミンテルン

漸くたどり着きましたね、「三月行動」。

そもそもなぜイタリア共産党結成における絡みでパウル・レヴィはドイツ共産党議長の座を追われることとなったのでしょう。

レヴィがコミンテルンの行動に反対する立場にある人物(ジアチント・メノッティ・セッラティ)の支持を表明したのは、イタリア社会党の党会議に於いての事。コミンテルンは、イタリア社会党を分裂させ、そこからイタリア共産党を誕生させようとしていたわけですが、レヴィはこれに反対していたんですね。

そして、レヴィを組織的に失脚させたのが「コミンテルン」。レヴィが失脚したドイツ共産党を指導したのがコミンテルンより派遣されたクン・ベーラ。彼は、ドイツ共産党に対し、ドイツの「マンスフェルト」という都市で武力蜂起を起こさせます。

マンスフェルト

ちなみにこの当時の首都、「ワイマール」がここ。
ワイマール

実際に3日間、都市を占拠することに成功するのですが、それもたった3日間。その後、あっという間に国防軍によって鎮圧されてしまいます。(1921年3月:三月行動)


しょぼっ・・・と思われた方もいらっしゃるかもしれません。私もそう思います。

多分、当時のコミンテルンの皆さんもそう思ったのでしょう。同年6月に開催された第三回コミンテルン世界大会においてクン・ベーラは痛烈に批判され、後にスターリンの下で「大粛清」に巻き込まれ、銃殺されることとなります。

この時はまだレーニンは健在な時代。
パウル・レヴィはこの三月行動をパンフレットにおいて大批判するわけですが、この事が理由で彼はドイツ共産党を除名されてしまいます。

ですが、レーニンやトロツキーは、実は彼の行った批判に対し、賛同する意思を示していました。レーニンは彼に書簡を送り、
「規律違反」による除名を受け入れ、除名された後もKPDに親しく接し、階級闘争に際しては誠実な方法で同党と共闘すれば、復党に尽力する

ことを約束します。

ですが、レヴィはこれを受け容れず、レーニンからもそっぽを向かれてしまうこととなります。


さて。ですが、よく考えていただきたいのです。レーニンやトロツキーの行った「ロシア革命」は、私の事前の予想を大きく裏切り、非常に平和的に、誰一人死者を出すことなく、非常にあっさりと成し遂げられてしまいましたね?

これはトロツキーの機転によるものが大きかったわけですが、ではクン・ベーラが始動した「三月行動」はどうであったでしょうか?

実はクンベーラはハンガリー革命の指導者。ハンガリー革命では12万の軍隊が武力衝突していますから、死傷者の数も推して知るべしです。こう考えると、レーニンやトロツキーがレヴィに賛同したのも何となく理解できますよね。

さて。「コミンテルン」をめぐる今回のシリーズ、次は再び舞台を「ロシア」に戻したいと思います。


この記事のカテゴリー >>日本の税収の見方


税収に関しましては、実は毎月発表されていまして、今年度に入ってからも既に4月分、5月分、6月分と公表されています。

項目は複数あるわけですが、私の記事ではこの中でも特に「所得税」「法人税」「消費税」の3つの税収を追いかけています。

これらの税金にはそれぞれ申告期限に関するルールがありまして、
【所得税の申告期限】
源泉徴収分 毎月翌10日

 納期の特例を受けている場合(平成28年度の場合)
 1月~6月分・・・7月11日 7月~12月分・・・1月20日

確定申告分 3月15日

 予定納税 第1期・・・8月1日 第2期・・・11月30日


【法人税の申告期限】
事業年度終了の日の翌月から2か月以内


【消費税の申告期限】
前年度の申告額が

①・48万円以下・・・確定申告1回
②・~400万円・・・中間申告1回、確定申告1回
③・~4800万円・・・中間申告3回、確定申告1回
④・4800万円超・・・中間申告11回、確定申告1回

※申告日の翌月からの2カ月以内

となっています。

「消費税」の「中間申告」は、これを行うことが義務付けられているわけですが、例えば②の場合、1年間の納税額を2回に分けて納税してください、というものです。

ですが、実際に1年間の納税額がいくらになるか、など分かりませんから、「昨年度の納税額を参考」することになってます。
つまり、昨年度のトータルでの納税額を2分割、4部活、12分割して納税するわけです。

嘗ての記事で私はこの理屈を知らないまま記事を作成していたので、年間の消費納税予想額を大幅に外してしまい、結果的に誤った情報をばらまいてしまった・・・という苦い思い出があります。

また、消費税や法人税は、前年度余分に納税した納税額が「還付」という形で納税者に返還されますので、消費税と法人税は-~スタートします。

以上の内容を踏まえると、先ず「所得税」の内、「確定申告分」は年1回、予定納税を合わせても3回しか納税される機会がありません。

「法人税」もまた各事業所ごとの申告月1回分しか納税される機会がありませんし、消費税に至っては昨年度の実績が反映されることになりますので、はっきりと言えば各年度3月~5月を迎えるまでの納税額は正確性を欠くことになります。

ただ、それでも特に「消費税」に関して考えますと、ここに「昨年度の税収」が反映されるわけですから、一昨年と昨年を比較して、実際の納税額がどうであったのか・・・ということを参考にすることが可能になります。

正確ではないかもしれませんが、一昨年の「消費」と昨年の「消費」を比較する一つの指標になるのではないか、と私は考えています。今年度の経済指標としては弱いかもしれませんが、私の「娯楽」にぜひお付き合いください。


2017(平成29)年度7月分税収

2017年7月度税収
PDFダウンロードはこちら

昨年度まではWeb画面上+PDFデータで掲載されていたのですが、今年度からはPDFデータ+エクセルデータに変更されていますので、こんな白黒画面となっています。

【2017(平成29)年度7月分税収】※(  )内は前年同月比です。
所得税全体 7月分 3.7兆(102.8%) 累計 5.6兆(104.9%)

 源泉分 7月分 3.22兆(103.1%) 累計 5.15兆(105.5%)
 申告分 7月分 0.48兆(100.9%) 累計 0.46兆(98.9%)

法人税 7月分 △0.013兆(-%) 累計 △0.013兆(-%)

消費税 7月分 1,75兆(105.2%) 累計 1,39兆(95.7%)

一般会計全体 7月分 6.169兆(103.4%) 累計 9,.057兆(104.0%)


【法人税評】

法人税収はまだマイナスをつけていますが、それでもマイナス幅は前年度を下回っていますので、トータルに対する影響は前年度よりも少なくなります。


【所得税評】

また、「所得税」「法人税」「消費税」の中で唯一今年度の「現状」を表している数字が「所得税『源泉分』」です。

勿論ここも「納期の特例を受けている場合」という例外こそあるものの、基本的には今年度の給与所得者全体に対して、実際に支払われた「給与」にかけられた税金ですから、「現状」を表しているという状況に変わりはありません。

そして、その「所得税『源泉分』」の「前年同月比」が7月分で103.1%、累計で105.5%となっています。絶好調ですね。

ちなみにこの「所得税『源泉分』」ですが、昨年度は通年で前年同月比-98.1%と振るわなかった部分でもあります。
日本国民全体に支払われた給与総額が前年割れしたことを示す数字になります。

この部分が4月~7月までの累計で前年同月比105.5%でしたよ、ということです。ちなみに昨年は一昨年と比較すると96.9%。
では一昨年はどうであったのか、と申しますと、累計で4.37兆円。今年度は一昨年と比較して1.02%増加しています。

昨年が振るわなかった分、一昨年の数字をも上回って今年度が実績を上げていることは、やっぱりうれしいですね。


【消費税評】

さて。これが本命ともいえる「消費税」の評価です。
すでにお伝えしています通り、この数字は「昨年度の納税額」を参照して行われている納税額です。

つまり、この数字を見ると、一昨年と昨年の「消費」をリアルに比較することができます。

6月まではこの額がマイナスであり、つまり「納税額」を「還付額」が上回る状態にあったわけですが、7月からはようやくプラスに転じています。

そして、その「7月単月」での消費納税額が前年同月比105.2%だったわけです。この数字が何を表しているのかと申しますと、飽くまで参考値ではあるものの、「一昨年の納税額を昨年の納税額が上回っている」ことを意味します。

勿論7月納税ですから、冒頭にお示しした一覧表で考えますと、昨年の納税額が4800万円を超えていた事業者に限られるわけではありますが。

ちなみに6月分までがマイナスでしたから、消費納税額の7月単月分を7月までの累計が下回るという逆現現象が起きています。
累計では95.7%ですが、これは前年度納税額に対する還付分の影響が大きいと思いますので、現時点ではこの値を深めて考えることに意味はありません。


【一般会計税収評】
さて。それでは最後に一般会計税収全体に対する評価を行ってみたいと思います。

7月分が全体として調子が良かったものですから、一般会計税収トータルでも7月単月での前年同月比はなんと106.1%増となっています。累計でも103.4%増。

ちなみにこの数字、前年度決算ベースで見てみますと、前年同月比98.5%、0.816兆円の前年度割れとなっています。
これを前年度7月の数字で見てみますと、7月単月が5.819兆円、7月迄累計が8.767兆円。

今年度は7月分が6.169兆、一昨年比106.01% 累計 9,.057兆、一昨年比103.3%となっています。

今年度の特徴は、やはり「所得税『源泉分』」が累計ベースで前年度を105.5%と大幅に、更に一昨年も102.1%と上回っている部分にあるのではないでしょうか。

消費税率が5%から8%に引き上げられたのが2014年度(平成26年度)の事。

昨年度(2016年度)の消費税収や所得税収が一昨年度(2015年度)を下回ったことから、「消費増税の影響」を指摘する声もありましたが、今年度の実績を見るとどうもそうではなさそうだ、という様子が見えてきます。

今年度の実績も既に4か月目。「所得税『源泉分』」ですが、実は6月分は単月で前年同月比112.3%、5月分が111.0%となっており、この現象がどうも今月単独の現象ではないらしいということことが分かります。

昨年度の実績が反映されている「消費税収」等、今年度の実績とは呼べない部分も含まれたデータではありますが、「2017(平成29)年度7月分税収」。

中々幸先の良い出足ではないでしょうか?


この記事のカテゴリー >>「物価」の見方


本日は2017年9月5日で、公表されたのは先月末ですので、少し期間が経過していますが、ほんの少しだけですが、状況が変化していますので、記事にしてみたいと思います。

おなじみになったかと思いますが、私が「消費者物価指数」を見る際のルールを改めて掲載しておきます。
・海外需要の影響を受けやすい「エネルギー」の物価は除外する必要がある

・天候によって、「需要」とは関係のない指標が出る「生鮮食品」の物価は除外する必要がある

・海外の水準と比較するために設定された、実際には存在しない数字である「持家の帰属家賃」は除外する必要がある。

不明な文言等ございましたら、同シリーズの過去の記事 をご参照ください。

それでは、改めまして2017年7月度の消費者物価指数を掲載したいと思います。

平成29年(2017年)度7月の消費者物価指数

【消費者物価指数(総合)の前年同月比】※( )内は2017年6月の前年同月比です。
総合(ウェイト:10000)
0.4(0.4)

生鮮食品を除く総合(ウェイト:9586)
0.5 (0.4)

持家の帰属家賃を除く総合(ウェイト:8501)
0.6(0.5)

持家の帰属家賃及び生鮮食品を除く総合(ウェイト:8087)
0.6(0.5)

生鮮食品及びエネルギーを除く総合(ウェイト:8802)
0.1 (0.0)

この中で、私が最重要視すべきだと考えている情報は「生鮮食品及びエネルギーを除く総合」です。
これと同様に、「持家の帰属家賃を除く総合」もまた重要視しています。

「生鮮食品及びエネルギーを除く総合」と「生鮮食品を除く総合」を比較した時、前年同月比で0.4%の差が生まれていますが、この0.4%の違いがエネルギー物価の変動を意味しています。

私、6月度の記事は作成しませんでしたが、その先月も含めて、「生鮮食品及びエネルギーを除く総合」が3月に初めて-0.1%を付けて以来、前年同月比がずっと横ばい(0.0%)を続けていましたので、ここがわずかでもプラスに転じていることは、 久しぶりに安心できる材料が登場したということだと思います。

【消費者物価指数(10大費目別)の前年同月比】※( )内は2017年6月の前年同月比です。

食料 ウェイト:2623
0.6(0.8)

 生鮮食品 ウェイト:414
 -1.1(0.5)
 生鮮食品を除く食料 ウェイト:2209
  0.9(0.9)

住居 ウェイト:2087
-0.2(-0.2)

 持家の帰属家賃を除く住居 ウェイト:589
  -0.1(0.0)

光熱・水道 ウェイト:745
4.3 (3.5)

家具・家事用品 ウェイト:348
-0.4(-0.8)

被服及び履物 ウェイト:412
0.0(0.2)

保健医療 ウェイト:430
0.1(0.0)

交通・通信 ウェイト:1476
0.1(-0.1)

教育 ウェイト:316
0.4(0.4)

教養娯楽 ウェイト:989
0.0(-0.1)

諸雑費 ウェイト:574
0.1(-0.1)

このうち、「エネルギー物価」を含むのが「光熱・水道」、「交通・通信」の2費目ですので、ここを分解してみます。
光熱・水道 ウェイト:745
4.3 (3.5)

 電気代 ウェイト:356
 6.1(4.9)
 ガス代 ウェイト:181
 1.4(0.1)
 他の光熱 ウェイト:41
 21.2(23.0)
 上下水道料 ウェイト:167
 0.6(0.4)

交通・通信 ウェイト:1476
0.1(-0.1)

 交通 ウェイト:224
 0.0(-0.3)
 自動車等関係費 ウェイト:836
 1.5(1.4)
 通信 ウェイト:416
 -2.8(-3.1)

「その他光熱費」は「灯油」の事ですので、灯油の物価が特に大きく上昇していることが分かります。

また「電気代」に関してましても「電力自由化」や「原油価格の下落」の関係で3月まで22カ月間連続で前年を割り続けていたのですが、4月より上昇に転じ、7月は前年同期比6.1%にまで上昇していますね。

「交通・通信」の中ではやはり「通信」の分野が下落を続けており、うぃとも小さくはありませんので、物価全体の足を引っ張っている様子がうかがえます。

一方で「交通・通信」分野の中でエネルギー価格が含まれているのは「自動車等関係費」ですから、ここをもう少し砕いてみます。
自動車等関係費 ウェイト:836
1.5(1.4)

 自動車 ウェイト:199
 0.3(0.3)

  軽乗用車 ウェイト:40
  -0.9(-0.1)
  小型乗用車A ウェイト:55
  0.7(0.4)
  小型乗用車B ウェイト:5
  0.7(0.7)
  普通乗用車A ウェイト:80
  0.5(0.5)
  普通乗用車B ウェイト:20
  1.3(-0.2)

 自転車 ウェイト:9
 2.0(2.3)
 自動車等維持 ウェイト:628
 1.9(1.8)

  ガソリン ウェイト:206
  6.3(6.1)

ガソリンの物価上昇幅はさすがに大きくなっていますが、これ以外にも「自動車」が全体で0.3%上昇。
特に「軽乗用車」のみ物価が下落する中で、他の費目(Aは国産、Bは外国産)は全て上昇しています。

「自動車等維持費」は費目数が多いのでガソリン以外は割愛しましたが、「自賠責保険料(▲6.5%)」や「レンタカー代(▲2.1%)」が大きく前年割れしている以外は目立って物価が下落している費目はありません。

家具・家事用品に起きた変化

私のブログではおなじみかもしれませんが、この「家具・家事用品」の分野。長らく物価の足を引っ張り続けてきた分野なのですが、実は少し変が起きています。

【消費者物価指数(家具・家庭用品)の前年同月比】※( )内は2017年6月の前年同月比です。
エアコン

家具・家事用品 ウェイト:348
-0.4(-0.8)

 家庭用耐久財(ウェイト:111)
 0.0(-1.0)

  家事用耐久財(ウェイト:57)
  -3.0(-5.1)

   電子レンジ(ウェイト:4)
   -14.9(-13.7)

   電気炊飯器(ウェイト:11)
   2.6(-1.6)

   ガステーブル(ウェイト:3)
   6.3(6.5)

   電気冷蔵庫(ウェイト:16)
   -10.5(-10.9)

   電気掃除機(ウェイト:9)
   3.8(10.3)

   電気洗濯機(全自動洗濯機)(ウェイト:7)
   1.5(-14.8)

   電気洗濯機(洗濯乾燥機)(ウェイト:7)
   -2.5(-2.7)

   冷暖房用器具(ウェイト:37)
   2.9(3.3)

    ルームエアコン(ウェイト:30)
    3.3(3.8)

    温風ヒーター(4)
    -1.1(-1.1)

    空気清浄機(3)
    4.5(5.1)

  一般家具(18)
  2.8(1.8)

   整理だんす(5)
   1.7(2.3)

   食堂セット(9)
   3.2(1.9)

   食器戸棚(4)
   1.0(-0.1)

足を引っ張っていたのは「家庭用耐久財」の内「家事用耐久財」です。もちろん7月度も▲3.0%ですから、決して「改善した」わけではありません。ですが、「家庭用耐久財」全体で見るとついに前年同月比が0%まで回復したわけです。

2月に一度0.6%を付けていますから、それ以来ということになります。

特にその影響が大きかったのは「全自動洗濯機」の1.5%、そして「ルームエアコン」の3.8%だったのではないでしょうか。
ルームエアコンに関しては6月も3.8%と大きく改善しており、継続的に物価が下落し続ける状況から回復しつつある状況が伺えます。

またそれ以上に大きいのは「一般家具」の2.8%かもしれません。一般家具の物価上昇率は比較的優秀で、これで9カ月連続の物価上昇となります。

第348回の記事 で2017年度4-6月期のGDPについて記事を記しましたが、私たち一般国民の景気状況を見る上で最も大切なのが「家計最終消費支出」という項目です。

この項目を構成しているのが今回のきじで取り上げた「消費者物価指数」。
4-6期GDPは巷の予想を大きく上回り、大幅な上昇幅を記録したわけですが、ニュース等の解説を見ていると、季節ものの動きが鈍く、第二四半期(7-9月期)は第1四半期程の上昇を期待することは出来ないのではないか、とする報道を見かけましたが、「ルームエアコン」は季節ものの中でも代表的なアイテムです。

この様な動きを見ていると、やはり第二四半期のGDPにも大いに注目したいですね。


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