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この記事のカテゴリー >>十五年戦争(日中戦争)の原因と結果


<継承する記事>
第127回 蒋介石という人物(前編)~なぜ日本は大東亜戦争を起こしたのか~

前回の記事では、時代を清朝末期まで振り返り、孫文亡き後の中国で、時代の中心人物となる一人の人物「蒋介石(しょうかいせき)」にスポットを当て、蒋介石の人生に大きな影響を与える人物、「陳其美(ちんきび)」との出会いとその後の活動を追いかけながら、ただ実直に、自分が尊敬し、信頼する人のために行動した「蒋介石」が、本人の意向に関わらず、次第に政治の中心へその身を置いていくことになる様子を、「前編」としてご紹介しました。

蒋介石-2
【蒋介石:Wikiより】

【本日のテーマ】
本日の記事では、第127回記事 の続編として、再び中国へと戻った蒋介石のトピックスと義兄弟陳其美の死。

その後孫文からの絶対の信頼を手にした蒋介石のエピソードを、改めて孫文について記した第121回記事 と対比させる形で記していきたいと思います。

この記事のカテゴリー >>ニュースの見方


一度私のブログ記事として扱ってみたいな、と考えていた『ポケモンGO』の話題。

【ポケモン:モンスター捕獲画面】
コンパン

TV等でトップ記事として扱われることも非常に多いため、今では普段ゲームをしない人たちでも知らない人はいない程の情報となってしまいました。それゆえ、情報としては、私のブログでも扱う価値のある情報だと考えているのです。

ですが、私のブログは別にゲームブログではありませんし、普段は「政治」と「経済」に関連する情報を中心に掲載しています。

また、ブログのもう一つのコンセプトとして、記事を見ていただいた方の「役に立てる情報」が掲載されたブログであるということ。
ここは外したくないと思っています。

ですから、どのような情報を掲載しているのが私のブログらしいあり方かと考えると、これは意外に難しい課題でした。
単なる攻略情報であればもっと価値のある情報を掲載する方はたくさんいらっしゃるでしょうし、何より私のブログのテーマである「政治」「経済」の情報としてはかけ離れたものとなってしまいます。

【本日のテーマ】
そこで、本日の記事の一つのテーマとして、「普段ゲームになじまない人」、または「『ポケモンGO』というゲームに関心のない人」でも『知りたい』と考えるであろう『ポケモンGO』の情報について記事として掲載できればと思っています。

私がこのアプリをダウンロードした目的の一つは「話題作り」です。
ですが、ダウンロードして実査にやってみて初めて納得できた部分も多々ありました。

例えば、ポケモンGOが日本で配信される前。
海外で人の家の敷地にまで入って『モンスターを捕まえる』という行為を行って発砲された人や、崖から落ちた人の情報などもニュースで見かけた方も多いのではないでしょうか。

その時に、「いやいやいや・・・いくらなんでもそこまでは行き過ぎでしょ?」という疑問を持った方も多いのでないでしょうか。
と同時に、「なんでそんなことになるの??」という疑問を持った方もいらっしゃるでしょう。

実際、私もそうですし。
勿論、このようなニュースで取り上げられた事例は確かに「行き過ぎ」だと思います。
ですが、「そこまではいかないまでも」同じようなケースに巻き込まれてもおかしくはないなと、これは私が実際にやってみて感じた感想です。

今回の記事では、私が実際にこのゲームをやってみて感じたこのゲームの「危険性」について、一方ではその「魅力」も交えながら、相反するスタンスを並列して記事にできればと思います。

この記事のカテゴリー >>日本国債の問題


私は、過去の記事の中で、何度か「日本国債の問題」についての記事を掲載しました。

コンセプトとしては、「日本国債はどの様なルールで発行されるのか」、「日本国債はどの様なルールで返済されるのか」、「限りなく破綻する可能性が0に近い日本国債を破たんさせる方法」、「日本国債の『直接引き受け』のメリットとデメリット」という、4つのコンセプトから記事にしました。

これまでの記事の中で、私が疑問に思いつつも調査を行っていなかった項目。
それが、今回のタイトルにある、「日銀が引き受けた国債は返済されるのか」という疑問に対する調査です。

「日銀が引き受けた国債」とは、現在のルールからすれば、日本国政府が発行した日本国債(既発債/発行済み国債)を、金融機関から日本銀行が買い上げた国債のことです。

「買いオペレーション」とか、最近では「量的緩和」という名前でもよく知られるようにもなりました。

【日本国債:日銀HPより】
国債

「日本国債を破綻させない方法」の一つとしてよくあげられるのが、この「日本国債の日銀による引き受け」にあります。
現在も「量的緩和」の名目で日銀は市場から国債を引き受け、代わりに日銀券を流通させています。

さて。ではこの日銀が引き受けた日本国債。この日本国債が仮に「償還期」を迎えたとき、日本国政府は日銀に対してきちんと「返済」を行っているのでしょうか。
そもそも、日本国政府は日銀が引き受けた国債を「返済」する義務があるのでしょうか?

長らく疑問に感じていた部分ではあるのですが、それほど重要な問題ではないと考え、調査は行わずにそのままにしていた問題でもあります。

【本日のテーマ】
そこで今回は、改めて日銀が引き受けた、あるいは市場から買い取った「日本国債」。
この様な方法で日銀が保有することとなった「日本国債」が償「償還期」、つまり「返済期限」を迎えたとき、果たして日本国政府はこれを返済しているのか。

返済しているとしたら、果たしてどのような方法で返済しているのか。今回の記事では、このような問題について記事にしたいと思います。

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<継承する記事>
第125回 なぜ日本は大東亜戦争を起こしたのか~中国共産党の結成~

第121回の記事では広東軍政府(孫文)側から見た五四運動後の中国を、第124回の記事では北洋政府側から見た五四運動の後の中国を、第125回の記事では、「中国共産党」の成立を、振り返ってみました。

袁世凱亡き後の中国において、長らく続いた「軍閥時代」も、馮玉祥の起こしたクーデター「北京政変」と、孫文の北京入城、そして死去に伴い、少しずつ落ち着きを取り戻しつつありました。
この後、馮玉祥が張作霖を相手に再びクーデターを起こし、北洋政府の人員が大量に命を失っていく中で、ソビエト共産党の支援を受け、着々とその体制を整え、軍備を拡張していた人物が「蒋介石」。本日の記事の中心となる人物です。

【本日の記事】
蒋介石
【蒋介石:Wikiより】

今回の記事では、孫文亡き後の中国において中心となっていく一人の人物、「蒋介石」にスポットを当て、清朝末期に誕生した彼が、どのようにして孫文と出会い、後の中国社会の中心となって活躍することになるのか。

時代をさかのぼって、清朝末期より振り返りながら蒋介石のエピソードをご紹介できればと思います。

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<前回の記事>
第125回 なぜ日本は大東亜戦争を起こしたのか~中国共産党の結成~

本日の記事は、タイトルにもある「ヘリコプターマネー」という言葉に着目して作成したいと思います。

この数週間のうちに、にわかにこの言葉をよく耳にするようになりました。
焦点:政府・日銀、ヘリマネ「検討せず」 市場に「広義」の思惑
ヘリコプターマネー

[東京 15日 ロイター]
政府・日銀は、市場の関心が高まっているヘリコプターマネーの導入について、検討していないと明確に否定している。永久国債の発行や日銀の国債直接引き受けなど極端な政策に踏み出せば、かえって日本経済が混乱しかねないとみているためだ。ただ、市場の一部では、積極財政と金融緩和の組み合わせを長期間実施する「広義」のヘリマネはあり得るとの声もあり、政府・日銀の対応に注目が集まっている。

<ヘリマネに距離置く政府・日銀>

ヘリコプターマネーの導入に関し、複数の政府関係者は「検討していない」と否定した。また、複数の日銀関係者も、ヘリコプターマネーの導入を前提に金融政策を検討したことはないと全面的に否定する。

では、どうして市場にヘリマネ導入の思惑が浮上したのか。ある国内銀行の関係者は「ブルームバーグの記事の中に、本田悦朗駐スイス大使が今年4月、バーナンキ前米連邦準備理事会(FRB)議長と会った際、永久国債の話をしたとの記述があり、安倍晋三首相のブレーンである本田氏が政権にヘリマネを推奨するとの思惑が広がった」と話す。

だが、政府・日銀内には、ヘリマネと距離を置く見方が圧倒的に多い。ある政府関係者は「日銀が国債を市中から買って、半永久的に保有すると宣言し、その後、価格が急落した場合、日銀の資産劣化は激しくなり、債務超過の可能性も出てくる。通貨の信認維持の点からも、採用し得ない政策」と述べる。

その上で、極端な政策に踏み込んだ場合、むしろ日本経済が混乱するリスクの方が大きいと指摘する。

菅義偉官房長官は13日の会見で、ヘリマネについて「そのような政策を政府が検討している事実はない」と否定。

先の政府関係者は「官房長官が検討していないと言っている以上、議論の余地があるとは思われない」と述べている。

原因は、記事中にもある通り、今年の4月1日、内閣官房参与の本田悦郎氏が、元FRB(米国の中央銀行様なもの)理事長であったバーナンキ氏と会い、「永久国債」なるものについて議論を交わした・・・という話です。

この会談を受けて、本田氏が安倍首相をバーナンキ氏に会う様要請し、今月12日に安倍さんがバーナンキ氏と会談したことから、上記ニュースのような話題がにわかに巻き起こったのです。

【本日のテーマ】
本日のテーマは、突如話題となったこの「ヘリコプターマネー」とはそもそも何なのか。そのメリット、デメリットは?
この様な内容について、私の考え方を記事にしたいと思います。
 

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<前回の記事>
第124回 なぜ日本は大東亜戦争を起こしたのか~五四運動以降の中国(北洋政府)~

【前回までの振り返り】
清朝を滅ぼし、2000年以上にわたる中国の「帝政」に終止符を打った辛亥革命

辛亥革命後の中国(中華民国)で政権の中心に座ったのが袁世凱なのですが、彼は第一次世界大戦における日本への対応をめぐって、中国国民の中に「反日感情」を植え付けた挙句、自身の政権運営が中国国民の反発を買い、政権の座から脱落します。

袁世凱の後をついで「黎元江」が中華民国の大統領となります。
黎元江政権の下で副大統領となったのが「馮国璋」、国務総理となったのが「段祺瑞」なのですが、中華民国の「憲法」に当たる「約法」の取り扱い方、第一次世界大戦への参戦を巡って黎元江と段祺瑞が対立

最終的にクーデータを起こした張勲の「張勲復辟」の鎮圧をめぐって黎元江は下野。
変わって馮国璋が大統領となります。(段祺瑞はそのまま国務総理の座に残ります。)

これに待ったをかけたのが孫文。彼は自身が考えた「中華民国臨時約法」の扱い方を巡って反発し、段と馮に国会の座を追われた議員と共に「広東軍政府」を設立。段&馮の北京政府に向かって戦争(護法戦争)を仕掛けます。

ところが、孫文は自身で広東軍政府を設立しておきながら、同時に広東軍政府に対してクーデターを起こします。
また、広東軍より戦争を仕掛けられた北洋政府内でも広東軍への対応をめぐって段と馮の間で対立が起こります。

護法戦争の終結後、孫文は広東軍政府を追われ、段と馮は下野。
第一次世界大戦が終結し、大戦の講和条約をめぐって、中国国民の不満が噴出し、「五四運動」が勃発。

五四運動以降の中国の動きを、第121回の記事では広東軍政府(孫文)側から、第124回の記事では北洋政府側から検証し、記事にしました。

【本日のテーマ】

五四事件

今回の記事では、この様な北洋政府と広東軍政府の対立の陰で動き始めていた民衆たちの「マルクス主義」への傾倒。ロシア革命の勃発による衝撃から中国国内に、醸造されつつあった『世論』。

袁世凱が醸造した『反日感情』に突き動かされるように、知識人や学生たちが中心となって設立した「中国共産党」。
その設立に至る過程を中心に記事を作成したいと思います。

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<継承する記事>第122回 なぜ日本は大東亜戦争を起こしたのか~辛亥革命後の中国の近代史年表~

袁世凱亡き後の中国(中華民国)は、中央の統制が失われた、「軍閥時代」と呼ばれる時代に突入する・・・。

ただでさえややこしい中国の歴史が、特にこの時代、本当にややこしい状況に陥りましたね。

まとめますと、袁世凱亡き後の中国を「大統領」として引き継いだのは「黎元江」という人物だったわけですが、同じ時代、副大統領を務めたのが「馮国璋」。国務総理を務めたのが「段祺瑞」。

軍閥時代はまず、黎元江と段祺瑞の対立からスタートします。
中華民国の「憲法」に相当する「約法」の取り扱い方と第一次世界大戦への参戦をめぐって両者は対立し、最終的には黎元江の辞任によって二人の対立は幕を閉じます。

この後、大統領の座を引き継いだのが馮国璋。段祺瑞は「国務総理」の立場で再び国政を担います。
馮政権下の段祺瑞内閣の誕生に反発して孫文が広州市に「広東軍政府」を設立。

「北洋政府」V.S.「広東軍政府」という構造が出来上がります。
ところが、同じ北洋政府内でも広東軍政府へ対処方法をめぐり、「馮国璋」V.S.「段祺瑞」という対立構造が出来上がります。
一方、広東軍政府の中でも広東軍政府を設立した孫文自身が、自分を信頼して広東軍政府の設立に協力したはずの「広西省」の派閥に対してクーデターを起こします。

広東軍政府が北洋政府に敗北した後、孫文は広東軍政府を去り、北洋政府内部でも段祺瑞が様々な策略を巡らせたあと、段・馮がともに失脚。

北洋政府は徐世昌が、広東軍政府は陳烔明がそれぞれ政権をにないます。
この時点で馮率いる直隷派と、段率いる安徽派の対立が決定的になります。(1918年10月)

下野した段祺瑞は、徐樹錚(じょじゅそう)という人物を通じて政権内に影響力を発揮し続け、第一次世界大戦の講和条約である「ヴェルサイユ条約」についても締結するように画策するのですが、結局政府はヴェルサイユ条約の締結を拒否(1919年6月)。

段・徐ら安徽派はこのことで完全に信頼を失い、これまで安徽派と協力してきた「張作霖」率いる「奉天派」は安徽派と袂を分かちます。

【前回までの振り返り】
第121回の記事では、この後、1920年8月、陳烔明が事態を平定した広東軍政府に孫文が帰還し、「中華民国の正式な政府は北洋政府ではなく、自分たち広東軍政府である。広東軍政府こそが、正式な中華民国政府である」ということを非常国会にて勝手に決議し、自身が大統領として選出されたことをお伝えしました。

その後、勢い、北洋政府に向けて攻め上がる(北伐)のですが、孫文が戻ってくるまで広東軍政府で実権を担っていた陳烔明はこのことを快く思わず、孫文に対して下野することを進言。

孫文はこれを「離反」だとして広州に帰還するのですが、陳烔明から返り討ちに会い、広州を脱出。
その後、「雲南派」「新広西派」の協力を得て陳勢力を撃破。

コミンテルンの協力を得て、広州に帰還。「広州軍政府大元帥」として返り咲きます。

翌年(1924年)、中国共産党と北洋政府に対して共同戦線を張ることを約束しするのですが、更にその翌年、彼はガンに侵され、病没。前回の記事では、ここまでお伝えしました。

晩年の孫文
【晩年の孫文:Wikiより】

【本日のテーマ】
本日は、同じ時期、今度は「北洋政府」にスポットを当て、五四運動後の北洋政府の動向、そして「中国共産党」誕生に至る流れまで記事にできればと思います。

この記事のカテゴリー >>「右翼」と「左翼」の違いを分かりやすく検証します。


<前回の記事 第122回 なぜ日本は大東亜戦争を起こしたのか~辛亥革命後の中国の近代史年表~

ニース事件、死者84人に フランス襲うテロの連鎖(CNN 2016.07.15)
フランスニーステロ

まず冒頭に、今回のフランス「トラックテロ」において大切な命を失われたすべての皆様に、哀悼の意をささげます。

さて。私がこのニュースで記事を作成しようと考えた理由には、2つの視点があります。

私は、以前にもう一つの「フランスにおけるテロ」について記事を掲載しました。
第40回 フランスの同時多発テロ事件について思うこと

パリで同時多発テロが起きたとき、日本だけでなく、世界のたくさんの国々で沢山の人々が「哀悼の意」を同様にささげたことを記憶しています。
また、今回はニースだけでなく、少し前にチュニジアで、日本人を含む人々がテロの犠牲者となりましたし、先日のトルコにおけるクーデターでは、既に128名の方が命を失っているのだそうです。

ですが、パリにおけるテロ時ほど、マスコミも、ネットも騒いでいないことにどうも違和感を覚えます。

起きた場所が1か所だったから?
犯人が直接ISにかかわりのある人ではなさそうだから?

それとも、「2回目だから」?

勿論、ISを増長させないことを考えると、この様な事件が起きるたびに大騒ぎすることは決して褒められたものでもないと思うのですが、では、あの「パリ同時多発テロ」の時、なぜ世界中の人々はあれほどに大騒ぎしたのか。

私は思います。あの時世界中の人々が大騒ぎした最大の理由は、『IS』というテロ組織に対する「恐怖心」だったのではないか、と。
パリという、先進国の市街地で発生したテロであった、ということ。

このことが世界をテロに対する「恐怖心」に晒させたということ。
チュニジアで起きたテロにしても、今回対象としているこのニースにおけるテロにしても、世界の国民の心の中に、「テロに対する警戒心」が大分備わりつつあるのではないか、と感じます。

不謹慎かもしれませんが、この「IS」という存在を通じて、全世界の人々の心が、それぞれの事情を抱えつつも『一体となる』ことができれば、本当に良いのにな、と感じざるを得ません。

改めまして、今回のニースにおけるテロ、またチュニジアのテロ、トルコのクーデター、そのほか世界各地で不意な事件に巻き込まれてその尊い命を失われたすべての皆様に、心より哀悼の意をささげたいと思います。

【本日のテーマ】

さて。改めて本日テーマとしたいのは、実は私がこのニュースを耳にしたときに感じた『違和感』。
それは、この事件が発生した日が、「フランス革命『記念日』」であったということです。

私が不勉強だっただけなのかもしれませんが、私はこの「記念日」という言葉にものすごい『違和感』を覚えたのです。

私が感じた『違和感』の正体はいったい何だったのか。
改めまして、私が過去に記したシリーズ「右翼」と「左翼」の記事を総括する形で掲載したいと思います。

この記事のカテゴリー >>十五年戦争(日中戦争)の原因と結果


<前回の記事 第121回 なぜ日本は大東亜戦争を起こしたのか~中国近代史における孫文の役割-中国共産党の誕生~

前回の記事では、孫文の設立した「広東軍政府」。第119回の記事では、袁世凱没後の中国政府を、正式に継承した北洋政府側から見てみましたが、前回の記事では、同じ時代の中国を、孫文の設立した「広東軍政府」側から見てみました。

【中華民国の地図:Wikiより】
中華民国の地図

【今回の記事のテーマ】
前回の記事では、今回の記事において五四運動後の北洋政府や中国共産党設立に至る経緯等をお伝えすることをお約束していましたが、実際私も一連の経緯を整理しきれていない部分も
ございますので、改めて、辛亥革命から五四運動勃発までの経緯を、「年表」でまとめてみたいと思います。

年表を参考に、気になる部分を改めて振り返るつもりでシリーズ第二次世界大戦 記事をご参照いただければ、幸いです。

この記事のカテゴリー >>十五年戦争(日中戦争)の原因と結果


<継承する記事 第119回 北洋政府V.S.広東軍政府(国民政府):護法戦争~なぜ日本は大東亜戦争を起こしたのか~

第119回の記事の続きです。第119回の記事では、中国国民に「反日感情」の現況を植え付けた袁世凱亡き後の中国が突入した「軍閥時代」。

北洋政府と広東軍政府との争い(護法戦争)において、特に「北洋政府」側から見た護法戦争の経緯を、またさらに北洋政府内部で勃発した段祺瑞と馮国璋との争いに焦点を置いて記事を作成しました。

【北京政府の国旗:Wikiより】
北京政府国旗

【本日のテーマ】

本日は、護法戦争の経緯を、今度は広東軍政府側から、特に「孫文」という人物にフォーカスし、護法戦争から五四運動にかかる流れ、中国共産党の設立・孫文の中国国民党との連携にまで至る流れを記事にしたいと思います。

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