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<前回の記事 第53回 実質GDPへの疑惑

予告しているテーマに関しては、まだ情報をまとめている最中で、中々記事にはできていない中ではあるのですが・・・



テレビ局報道から持ってきている様ですので、いずれ削除される可能性は否定できませんが、やはり加工をしていない、全編を持ってくるのが一番良いと思いますので、この動画を用います。

昨日よりの報道ですでに周知されている通り、安倍内閣の中心中の中心、甘利明さんが、経済財政政策特命担当大臣、が辞意を表明しました。

正直申しまして、今回の第2次安倍内閣において、特命担当大臣という大任を果たすまで、私の中の甘利さん評はそれほど高くありませんでした。

それは、甘利さんの経済観念に対する疑問があったからです。
これは、私は安倍さんにたいして当初抱いていた感覚と同様のものです。

シリーズ「アベノミクスを問う」の総決算のようにはなりますが、そもそもの「経済政策」には、大枠として二つの考え方があります。

一つが、「財政再建政策」、もう一つが「財政出動政策」です。

前者、財政再建政策の代表が故橋本龍太郎元総理や小泉純一郎元総理。実は第一次安倍内閣もこちらに含まれます。
一方、財政出動政策の代表は麻生太郎さん、そして故小渕恵三さん。第二次安倍内閣はこちらに含まれます。

また、第15回の記事でもご説明しましたが、一見すると「財政出動政策」であるかの様に見える財政政策として、「マネタリズム」という考え方があります。

麻生さんの採用したケインズ政策(是清政策)は、金融政策と同時に財政出動政策をとり、金融緩和政策で日銀が市場に流通する資金の量を増やし、国債を発行することで政府がその資金をいったん市場から吸い上げ、これを再度実体経済に投資する、という方法を取ります。
そのお金を民間企業が利用して給与所得を増やし、消費を起こし、二次的、三次的に資金を流通させ、景気の活性化につなげる方法です。

「トリクルダウン」と揶揄されることもありますが、そもそも「大企業が設けることで、下請けや一般家庭がその恩恵にあずかる」などといった思想とは根本が違います。

一方で「マネタリズム」とは、ケインズ政策に批判的な経済学者たちが考え出した考え方で、日銀に完全に依存した金融緩和政策のみを行い、経済的には緊縮財政政策をとります。

この方法をとると、金融市場にこそ資金が満ち溢れますが、仕事が増えないため、市場にあふれたお金を使う人が誰もいなくなり、より一層デフレが深刻化することになります。これを「流動性の罠」と呼びます。

このように、金融市場にあふれたお金を海外の投資家たちに利用され、リーマンショックの元凶ともなった「サブプライムローン」等のリスクの高い商品に対する投資が行われたのが小泉内閣における経済現象。「円キャリートレード」と呼ばれる経済現象です。

第一次安倍内閣において安倍さんが採用した経済財政政策もこの「マネタリズム」に基づくものです。この考え方を浸透させたのは「竹中平蔵」という人物。私自身は「ユダヤの傀儡」だと思っています。
甘利さんの経済的な思想も、この「マネタリズム」に基づく考え方が当時は多く見られました。

ですので、ケインズ的な「政府がお金を使うことで、民間の景気が活性化し、このことによって税収も増え、政府の財政も潤うことになる」という発想が甘利さん自身にありませんでした。

このことは、第二次安倍内閣において、担当閣僚となった甘利さん自身が国会予算委員会に於いて、実際に認めて発言していました。安倍内閣閣僚において、ケインズ政策の思想を「トリクルダウン」と呼称したのも、私の記憶にある限り甘利さんだけではなかったかと思います。

このころから、私は、甘利さんの中にある、「素直さ」を感じるようになりました。間違っていたら、素直に「間違っていた」と認められる政治家こそ、本当に信頼できる政治家であると思います。


この記事のカテゴリー >>政府データ(経済指標の見方)


<前回の記事 第52回 「左翼」の変遷
<関連する記事 第36回 実質GDPの正体

前回の記事とは少し趣旨を変えまして、また前回の趣旨でもご案内いたしました通り、今回は「実質GDPへの疑惑」について記事にしたいと思います。
予告では「消費量ベース」と「金額ベース」とのタイトルにする予定だったのですが、少し変更いたしました。

実質GDPへの疑惑

そもそも私がなぜこの実質GDPへ疑惑を抱くようになったのか。

すでに過去の記事で何度もご説明していますが、GDPには2種類あり、一つが名目GDP、一つが実質GDPです。
名目GDPとは、「金額ベース」の指標であり、「全体として何円流通したのか」という指標です。
実質GDPとは、「消費量ベース」の指標であり、「全体として何個流通したのか」という指標です。

名目GDPで、たとえ金額が増えていたとしても、それは単価が上がっただけで、結果的に流通数量が減っていたら意味がないじゃないか、という考え方です。その、「流通数量」を図るための指標として公表されているのが「実質GDP」です。
たとえ名目GDPが増加していたとしても、実質GDPが減少していれば結果として「消費」は減っていると考えるわけです。

ですが私は、実質GDPが「消費量ベースの指標」となることは、事実上不可能だと考えています。
考えてもみてください。「物価」そのものが変動する中で、例えば、「消費者が高速道路を利用した回数」と「消費者がリンゴを買った数」の変化のみを抽出し、これをさらに同じ一つに指標の中で表現することが本当に可能なのでしょうか。

実質GDPでは、この2つの指標を同じ一つの指標の中で表す方法が用いられている、ということになってます。

この記事のカテゴリー >>「右翼」と「左翼」の違いを分かりやすく検証します。


<前回の記事 第51回 「左翼」の変遷

前回の記事では、フランス革命における「左翼」の位置づけを追いかけることで、元々単なる「民衆」の代表に過ぎなかった「左翼」が、どのようにして現在のような意味合いに変わってきたのか。その意味合いを追いかけてみました。

「支配する側」と「支配される側」。
特に支配する側が無能であればあるほど、支配される側に不平不満が巻き起こってくることは当然のことだと思います。

ですが、政治システムから支配層を取り除いた途端に、支配される側が暴走する・・・。
その行為は支配する側よりもより残忍な方法である、ということが、このフランス革命からは見て取ることができます。


ジャコバン派のその後

王政が廃止された後、フランスに誕生したのは「共和政」でした。
これまでフランスの意思決定機関であった「立法議会」が解散し、代わりに「国民公会」が招集されます。

この「国民公会」の中に設置されたのが「公安委員会」。公安委員会は、「公共の安全」を守るために設置された機関であり、公安委員会の行為は、「個々の安全よりも常に優先される」行為とされました。
現在の日本の「公共の福祉」と同様の考え方ですね。

公安委員会の行為は、「人民全体にかかわるすべてを安んずる」ための行為であったため、公安委員会の行為は常に正当化されていたのだそうです。
後にこの公安委員会国民公会の中心機関として位置づけられ、公安=政府としての位置づけを有するようになります。

この当時のジャコバン派における最大派閥は「ジロンド派」で、初期の公安委員会の中心人物となった「ジョルジュ・ダントン」という人物は、ジロンド派とは対立する「山岳派」に所属していながら、ジロンド派の主導する内閣の中で、唯一「司法大臣」としての役割を担ったのだそうです。

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ジョルジュ・ダントン(Wikiより)

公安委員会の設立にも貢献し、第一次公安委員会の実質的な指導者でもあったそうです。
ダントンは、ジャコバン派の中でも急進的な「山岳派」に所属していたわけですが、どうも対立する立場にあるジロンド派と、和平の方向に推し進めようとしていました。

ところが、この和平交渉がうまくいかず、多数派であったジロンド派は「十二人委員会」という公安委員会の上部組織を設置。
軍兵を貧困層から強制的に徴兵したり、食糧危機に対して何も対策を講じない、など、このジロンド派への反発から「サンキュロット階層」と呼ばれる所謂貧困層(主に手工業者、職人、小店主、賃金労働者などの無産市民)が反乱を起こし、ダントンはしぶしぶ自分の所属する「山岳派」に協力せざるを得なくなり、ジロンド派を国民公会そのものから追放。( 6月2日の革命)

ついに「ジャコバン派(=山岳派)」による支配体制が成立します。

フランス革命の変遷を見ていると、所謂「右派」が議会から追放される中で、常に大きな力を持っていたのが「サンキュロット層」と呼ばれる階層。

フランス革命そのものの発端となったバスティーユ牢獄の襲撃、フイヤン派を逮捕・処刑することにより議会から追い出す原因となった九月虐殺。そしてジロンド派を追い出した今回の革命。

左派を支持していたのは常にこのサンキュロット層でした。

ダントンは少なくともジロンド派と和解し、革命そのものを終結に向かわせようとしていました。
もちろん無能な支配層にも問題があるのでしょう。ですが、サンキュロット層はこれを暴力によって解決しようとしていたのです。

色々と情報を見ているのですが、当時のフランスの状況はまさしく泥沼。血で血を洗う地獄絵図・・・のような状況にあったのではないかと考えられます。ちょっと、現在のISを彷彿させますね。

そして、そんな「サンキュロット層」に支えられて独裁の座に就いたのが「ジャコバン山岳派」。このころには「モンターニュ派」と呼ばれるようになっていました。

国家を統治するには「財源」が必要です。
財源がなくとも、「資源」が必要です。

フランスは対外的には戦争状態、内部的には財政危機、食料不足で立て直しは本当に大変な状況にあったのでしょう。
ダントンは上位層(右派)と下位層(左派)の取りまとめを行うのに、とても尽力していたのではないでしょうか。

ですが、結果的に右派からも左派からも信任を失い、公安委員会メンバーの座から失脚。
代わりに公安委員会入りを果たしたのがロベスピエールでした。

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<前回の記事 第50回 「右翼」と「左翼」

前回の記事では、「右翼」と「左翼」のタイトルの下、フランス革命時の身分制度が生んだ「右翼」と「左翼」という言葉。
そして、敗戦後日本における米国の占領政策が日本人に植え付けた「右翼」と「左翼」という言葉に対するネガティブなイメージについてお伝えしました。

今回はフランス革命に於いて「右翼」と「左翼」という言葉が登場して以降の、特に「左翼」というカテゴリーの変遷について追いかけてみたいと思います。

「左翼」とフランス革命

「バスティーユ牢獄」の襲撃により勃発した「フランス革命」。
その後、憲法制定国民議会により、「フランス人権宣言」が採択されるわけですが、この人権宣言を国王は承認しようとしませんでした。(「右翼」「左翼」という誕生したのはこのタイミングです)

10月5日、パン不足によりパリ市街地の主婦たちがヴェルサイユまで押し寄せ(ヴェルサイユ行進)、王宮に乱入します。
国王はやむを得ずフランス人権宣言に同意し、フランス人権宣言が成立します。

この「フランス革命」を推進する中心となったのが、「ジャコバン=クラブ」という政治結社です。
元々は1789年4月、当時の第三身分議員で、ブルターニュ地方出身者がベルサイユに作った「ブルトン(ブルターニュ人)=クラブ」がその前身なのだそうです。

同年11月、議会がパリに移動したのに伴ってブルトンクラブもパリの「ジャコバン協会」に移動するのですが、この後この政治結社は「ジャコバンクラブ」と一般に呼称されるようになります。


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<前回の記事 第49回 「日韓合意」を問う

このテーマは、以前のブログでも取り上げたことがあります。
「右側」と「左側」

内容としては、このブログの内容をリライトする形になります。

フランス革命

今更ここに記すまでもないかもしれませんが、抑々「右翼」や「左翼」という言葉の語源は、18世紀。フランス革命に由来します。

フランス革命が発生した背景としては、当時の国王であったルイ16世。その先代、先々代の国王の時代に膨らんだ多額な財政赤字。
加えてルイ16世の時代に行われたアメリカ独立戦争への援助などで、フランスの国家財政が破たんしかかっていたことにあります。

当時のフランスは第一身分(聖職者)、第二身分(貴族)、第三身分(平民)の3つに身分制度が分けられていました。(アンシャン・レジーム)
平民はすでに重税を課せられていたため、財務長官のテュルゴーという人物が聖職者や貴族に当時与えらえれていた特権を制限することで財政赤字を解消しようとしたのですが、貴族たちの大反発に会い頓挫、失脚します。

後に2度財務長官の座に就いた「ネッケル」という人物が、2度財務長官の座に就くための交換条件として3つの身分の代表者で構成される「三部会」なるものを開催することを国王に求めます。

このとき、議決方法を巡って、第一・第二身分と第三身分の間で対立が起こります。いつまでたっても議会が進まない三部会に愛想をつかした第三身分(平民)は、自分たちで勝手に「国民議会」なるものを作ってしまいます。

最終的に第一・第二身分の国民の中にも現体制を問題視している者がおり、国民議会に参加。
ルイ16世も国民会議を正式に承認し、他の第1・第2身分の議員も王の説得に応じて国民議会に合流します。(国民議会→憲法制定国民議会に名称が変更)

ルイ16世が実行しようとしていたのは特権階級への課税。
国王が憲法改正のために承認した国民会議にも、この「特権階級」である貴族や王族たちが反対し、国王に軍隊の終結を強要。
第三身分出身のジャックネッケル財務長官が罷免され、この事に激情した民衆の怒りは爆発し、「バスティーユ牢獄」を襲撃。
「フランス革命」の勃発です。

危機感を覚えた貴族や聖職たちは自分たちの特権を廃止する「封建的特権」を自発的に放棄します。
そして、その後制定されたのが「フランス人権宣言」。「国民主権」であったり、「自然権」など、現在の民主主義にも通ずる内容が登場します。

この「フランス人権宣言」を基にフランスでは新たに憲法が制定されようとしていたのですが、ここで大きな対立が生まれたのが「国王の拒否権」と「貴族院の開設」です。
当然のことながら、この二つの対立軸に賛同していたのが「王政派」。アンシャン=レジームで「第一・第二」の身分にあった聖職者や貴族たちです。
反対していたのは第三身分にあった平民(立憲派・三頭派・共和派)たち。この時にそれぞれの派閥が着座していた位置が「右翼」や「左翼」という言葉の語源になっています。

王政派が着座していたのは議会の右側。平民たちが着座していたのが議会の左側。
旧体制を維持し、自分たちの権利を守り抜こうとした王政派(保守)と、暴力的な手段に訴え、古い体制を破壊し、自分たちの権利を勝ち取ろうとした平民たち(革新・リベラル)。

これこそがまさに「右翼」「左翼」の語源です。

この記事のカテゴリー >>国際問題(韓国)


<前回の記事 第48回 「軽減税率」を問う

前回の記事では、今回の記事に「夫婦別姓問題」についての見解を託したのですが、その前に、ちょっとタイムリーな問題として、タイトルにある「日韓合意」について記事にしたいと思います。

慰安婦問題めぐり日韓合意 「最終的かつ不可逆的解決」

記事は朝日新聞から。
年末、突如として降って沸いてきたように報道されたニュースでした。
15年12月24日、岸田外相の韓国派遣に関するニュースが報道された後、1週間もかからない間の、電光石火の出来事でした。

切り裂かれた「保守」、激昂する「韓国」

この問題、立場によってその反応が様々に分かれました。
いち早く反応を見せたのは、所謂「保守」と呼ばれる人たち。「保守」とは何か、ということに関しては後日記事にする予定ですが、今回の問題に関しては、反応が真っ二つに割れました。

「日韓合意」について、抑々何についての「合意」がなされたのかというと、「慰安婦問題」の取り扱い方についての合意です。

「慰安婦」。主に第二次世界大戦中、戦地に於いて、兵士の性的な欲求を満たすための相手をさせられていた女性たちのことです。

私、歴史問題に関しては結構立場によっていろいろな「主観」が入っていると思いますので、あまり取り扱うのは好きではないのですが、現時点での私の認識として、

1.「慰安婦」というのは当時、当然のようにして存在していた。所謂合法売春婦のことである。
2.軍が「慰安婦」に対して給与を支払っていた。(しかもかなり高額である)
3.「慰安婦」はそもそも公的に集められていた存在で、「強制」されたものではなく、向こうから望んで参加したものである。
4.ただし、中には「強制性がなかった」とは言い切れない事例も存在するが、これは軍が組織的に関与したものではなく、現地の一部の軍人が暴走したものである。
5.慰安婦も含めて、戦時中の韓国への賠償は「日韓基本条約」に於いて、一括して韓国に対して支払われており、賠償を慰安婦に渡さなかったのは日本ではなく韓国である。
6.吉田清治という人物が執筆した著書に於いて、自身が軍の命令で強制的に韓国人女性を慰安婦として連行したと証言したが、のちにこの証言が誤りであったことが解る。
7.日本の統治下にあった日本に於いて、日本人として強制的に勤労させられた「女子挺身隊」と「慰安婦」が混同されている。

等々の認識を持っています。
この事については正直不勉強な側面もありますので、これ以上は深く言及しません。
ただ、それでも尚、このことについて敢えて掲載したのは、サブタイトルにある「切り裂かれた保守」という内容に関連するから。

これについて、いち早く反応を示したのは「日本のこころを大切にする党」代表である中山恭子さん。
日こころ・中山代表「大いなる失望」と批判

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