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この記事のカテゴリー >>ナチスドイツは一体なぜ誕生したのか?


<継承する記事>第519回 ドイツ政権の国家社会主義ドイツ労働者党(ナチス)への接触

前回の記事では、第518回の記事 で触れることができていなかった、「シュトレーゼマン後のドイツ国首相」で、ヒットラー首相が誕生する直前の2名、即ちパーペン内閣とシャライヒャー内閣の二つの内閣について記事にしました。

単純に見落としていただけで、意図して記事を分けたわけではなかったのですが、結果的にこの二つの内閣、もっと言えばその直前のブリューニング内閣まで含めて、この3つの内閣がヒットラー内閣誕生への伏線のような役割を果たしていた事に気づくことができました。

世界恐慌が勃発したことは確かにあるのですが、それまでの内閣と比較して、ブリューニング内閣は確かに違和感を覚える、実力の薄い内閣だったように感じていたので、裏でシャライヒャーという人物が大統領に対して働きかけていたことを知ると、「なるほどな」という印象を受けました。

で、ブリューニング内閣での法案成立が「緊急法規」という手法を取っていたという事を 第518回の記事 で触れたと思うのですが、同じ記事の中でこの「緊急法規」について、
この時用いられている「緊急法規」というやり方なのですが、後のナチスも大統領令による、同様な方法を用いています。

ただ、全く同じものなのか同化は現時点では私の中で不明です。

と記述しました。

で、前回の記事 でパーペン内閣について検証している中で、これもやはりWikiベースではあるんですが、パーペンの政策決定方法として、
内政では議会の支持を全く得ていなかったので、大統領権限による緊急立法のみで政権を維持する有様だった

という記述がみられます。

これは、パーペン内閣でもブリューニング内閣同様、「緊急法規」という手法を用いた政策決定が行われており、これが「大統領権限」に基づくものであったという事がわかります。

つまり、ブリューニング内閣で実行されていた「緊急法規」もまた、「大統領権限」に基づくものであったという事。両内閣に対してシャライヒャーが関わっていることを考えると、そこに一致性がみられることにも疑問を抱かずに済みます。

これは、法案を立案するのは内閣で、本来であればこれを成立させるために議会の承認を得る必要があるのですが、ワイマール憲法第48条によって大統領は「憲法停止の非常大権などの強大な権限」が与えられていていました。

これを、「大統領緊急命令権」といいます。ブリューニングも、パーペンも、この方法を用いて法案を成立させていました。これができたのは、両内閣の成立に関与したシャライヒャーが、ヒンデンブルク大統領に信頼されていたからに他なりません。

極端なインフレを終息させるために緊縮財政政策を取ったブリューニングも、雇用を創出するための財政出動政策を行ったパーペンも、大統領命令を利用して成立させた政策は、決して誤ったものではないと思います。

ただし、その後シャライヒャー内閣→ヒットラー内閣へと政権は移っていくわけですが、ヒットラー内閣においてこれがヒットラーの権限を拡張させるために利用されたことは間違いのないことだと思います。

そしてこれを可能としたのはヒンデンブルク大統領がシャライヒャーを信用しきっていたから。この事は頭の片隅に置いておく必要があると思います。

ちなみにこの事は、第475回の記事 で、麻生さんの「ナチスの手口」発言について解説する記事を作成した際、詳細に記事にしています。

第475回の記事 はこの記事をご覧の皆様にもぜひ読んでいただきたい記事なのですが、あくまでこの時のドイツの憲法は「ナチス憲法」ではなく「ワイマール憲法」です。

ヒンデンブルク大統領が連発した「大統領緊急命令権」は、当時世界でも最も民主的であるとされたはずのワイマール憲法に規定されていたことですし、また大統領がブリューニングやパーペンを罷免する権限も憲法によって保障されていました。

これまでの記述でご理解いただけているとは思いますが、国家社会主義ドイツ労働者党(ナチス)はきちんと選挙という方法を通じて議席数を増やし、国政第一党にまで規模を拡大しています。

麻生さんが言っているのはこの事です。ワイマール憲法はどのようにして決まったのか。これは社会主義者たちの台頭を受け、ドイツが第一次世界大戦に敗北し、帝政から共和制へと移行する中で、共産主義者の集団であるスパルタクス団の武装蜂起が勃発する中。

その首謀者であるベーベルやリープクネヒトが処刑される中で成立したものです。

そのような喧噪の中で決まった「ワイマール憲法」。正確には「ドイツ国憲法」ですが、そのような憲法の下でも国家社会主義ドイツ労働者党(ナチス)のような政党が政権を手中に収めるようなことは発生するんですよ。そのようなドイツの歴史に学んだらどうですか、というのが麻生さんがおっしゃっていることです。

是非、きちんとその事を日本の国民全員に考えてほしいなと思います。


釈放後のヒットラー

ということで、改めて本題に入りたいと思います。

同じサブタイトルを、第517回の記事 でも用いているのですが、今回のこの章はその続き、という感じで読んでいただけると嬉しいです。

第517回の記事 では、ヒットラーが収監されている最中に仲間割れを起こしていた元ナチスのメンバーを再び結束させ、ヒットラー自身がドイツ国の国籍を取得したところまで記事にしました。

ミュンヘン一揆によって国家社会主義ドイツ労働者党(ナチス)は禁止されていたのですが、ヒットラー自身の釈放(1924年12月20日)後、1925年2月27日に禁止が解除され、再建されることになります。

釈放後、ヒットラーは当時(1925年1月4日)のバイエルン州首相であるハインリヒ・ヘルトと会見をし、ヘルトが同党の再結成を許可したのだそうです。この時、ヒットラーはヘルトに対し、非常にへりくだった姿勢を見せていたようです。

ところが、実際に再結成をし、演説会を開くとその影響力は決して無視できるようなものではなく、州政府からは1年間の演説禁止措置を受けることとなります。

同年7月には「獄中での口述を基にヒットラーがまとめた著書」である「我が闘争」が発売され、これが順調な売れ行きを見せるなど、ヒットラーと国家社会主義ドイツ労働者党はバイエルン州以外にも支持を広げる様になっていました。


突撃隊の再結成とレームとの決別

エルンスト・レーム
Bundesarchiv, Bild 102-15282A / Georg Pahl / CC-BY-SA 3.0, CC BY-SA 3.0 de, リンクによる

一方で、国家社会主義ドイツ労働者党の軍対組織である「突撃隊」の再結成に当たっては、突撃隊をナチスから独立させようとさせていたレームとの間で意見が分かれ、結果的にレームとは一時的に決別することとなります。

突撃隊の結成や強化、またミュンヘン一揆においても大きな力を発揮してくれたレームですが、ヒットラーとしては突撃隊への彼の影響が大きくなることを危惧していた時期もありましたね。

ヒットラーが突撃隊の隊長をレームの息のかかった人物からヘルマン・ゲーリングへと差し替え、レームが送り込んだエアハルト旅団退院を突撃隊から一掃した件です。


ザロモンによる突撃隊の再編成とその影響

フランツ・プフェファー・フォン・ザロモン
Bundesarchiv, Bild 119-1587A / CC-BY-SA 3.0, CC BY-SA 3.0 de, リンクによる

5月24日にヒットラーの命令により、突撃隊の再建が開始することになるのですが、この突撃隊。バイエルン州だけでなく、ベルリンをはじめとする様々な地域でも各地の党支部の下で再建が行われたのだそうです。

逆に考えると、この時点で国家社会主義ドイツ労働者党はバイエルンだけでなく、各州に「支部」となる組織を有していたという事。しかも軍部を支部ごとに組織できるほどの・・・。

これはこれでビックリですね。

その後、各地でバラバラに活動していた突撃隊を、中央から統括してコントロールしてほしい、という意見が増えることになり、その役職として突撃隊最高指導者を新設し、ヒトラーはフランツ・プフェファー・フォン・ザロモンという人物をこの役職につかせました。

ザロモンの働きは実に鮮やかで、1927当初には実に18個大隊を編成し、突撃隊隊員はザロモンに忠誠を誓う形となります。

旅団(2〜5個連隊で構成)、連隊(2〜5個大隊で構成)、大隊(2〜4個中隊で構成)、中隊(5〜8個団で構成)、団(6〜12人で構成)という編成になっていたのだそうですよ。

ザロモンの上長はヒットラーですから、突撃隊はヒットラーとザロモン以外からの指示に従わなくなります。ドイツ共産党の軍隊(赤色戦線戦士同盟)と衝突したり、また暴力的な行為を行うものが増えていくんですね。

社会民主党の国旗団とも戦闘を繰り広げるなど、死傷者が頻繁に出るようになった、とのこと。いろんな州がナチスを嫌がったのは、どうもこのザロモン率いる突撃隊の行動に原因があったようです。ヒットラー自身はこのような突撃隊の行動を嫌がっていた、とありますね。

各州ではナチスの制服そのものが禁止されていくようになります。党としては制服を白シャツにする、などの方法でこれを乗り切ったのだそうです。

ザロモンの「功績」はなかなか興味深いところがありますので、そのまま引用して掲載しておきます。

【突撃隊の社会福祉制度】
負傷保険制度(突撃隊員の給与の一部を保険として積み立て、負傷した際に負傷の程度に応じて保険金を得られるシステム)を導入し、また労働組合の「労働者ハウス」にならって「突撃隊ハウス」を各地に作るようになった。


【ザロモンが設立した組織等】
1926年に彼が最高指導者に就任した直後に親衛隊が傘下となっており、1934年までその状態が続いた。

また1930年中に航空突撃隊(Flieger-SA)、自動車突撃隊(Motor-SA)、海上突撃隊(Marine-SA)が創設されている。

このうち航空突撃隊は、1933年にドイツ空軍の前身ドイツ航空スポーツ協会(DLV)に吸収され、自動車突撃隊は1934年に国家社会主義自動車軍団(NSKK)として突撃隊から独立している。


しかし、ザロモンはヒットラーに対し、突撃隊指導者を国会議員選挙名簿に書き加えることをヒットラーに要求したものの、ヒットラーにこれを拒否されると突撃隊司令官を辞職しています。

この時ヒットラーが拒否した理由が

「突撃隊員を国会議員にすれば本来の突撃隊の任務が疎かになる恐れがあるし、また政治組織と突撃隊の区別も曖昧になる」

という理由です。これは、至極尤もな事なのではないでしょうか。

エルンスト・レームの再登場

詳細は割愛するのですが、ザロモンの辞任をきっかけに、各地の突撃隊が中央からの指示に反発するようになります。元々、ヒットラーの政策は保守的なもので、共産主義や社会主義と対立する立場にありました。

突撃隊のメンバーは元労働者が多く、こういった「左翼」が元々多くいたんですね。反乱を起こしたのはこのような人たちです。

突撃隊内での武力衝突も起きるなど、ヒットラーとしてはなんとかこの状況を抑える必要性に駆られます。

この時点でザロモンの役職はヒットラー自身が担っているのですが、ヒットラーにはこの状況を抑えることができる人物はたった一人しか思いつきません。

突撃隊の再建を巡って対立し、自分自身の下を去ったエルンスト・レームです。

レームはヒットラーからの要請を快く承諾し、1930年11月1日に南アフリカからドイツに帰国。1931年1月5日、正式に突撃隊幕僚長へと就任することになります。

この時点でのドイツ国首相はブリューニングですね。少しだけ時間軸を巻き戻し、国家社会主義ドイツ労働者党の国政進出について記事を記します。


国家社会主義ドイツ労働者党の国政進出

国家社会主義ドイツ労働者党が初めて国政選挙に挑むのが1928年5月20日の事。この時はたった12人しか当選することはできなかったのですが、ヤング案の成立をきっかけとして世界恐慌が勃発すると、ドイツ国内では失業者が大量に発生し、国政への不満が噴出します。

世界恐慌時の首相はヘルマン・ミュラーで、彼が所属していたのはドイツ社会民主党。1928年5月の選挙でドイツ社会民主党は議席数を大幅に増やし、この事がミュラー内閣の政権安定に貢献したわけですが、世界恐慌の煽りを受けて押し寄せた不景気の波は、逆に政権与党であった社民党への逆風となります。

ミュラー政権が発足した当初は好景気で、ヤング案を成立させたことで、ミュラー政権は戦勝国への賠償金も減額させています。ヤング案の成立が原因で世界恐慌が勃発することまで想定してはいなかったでしょうし、不可抗力だったと思うのですが、ちょっと可哀想な気もします。

ミュラーは1930年3月27日に退陣し、その後ブリューニングが首相となるわけですが、ヤング案の成立そのものもドイツ国民に対しては反政府感情を誘発したようで、ブリューニング内閣で行われた1930年9月14日の国政選挙では、

第一党 ドイツ社会民主党 153議席→143議席▲
第二党 国家社会主義ドイツ労働者党 12議席→107議席+
第三党 ドイツ共産党 54議席→77議席+
第四党 中央党 61議席→68議席+
第五党 ドイツ国家人民党 73議席→41議席▲
第六党 ドイツ人民党 45議席→15議席▲

という結果に終わります。ブリューニングは中央党でドイツ人民党と組んでいます。両党の議席数を合わせて106議席→83議席へと大幅に議席数を減らす結果に終わっていますね。

一歩で選挙前はブリューニング内閣に反対する姿勢を取っていた社会民主党ですが、自党が議席数を減らす中、国家社会主義ドイツ労働者党と共産党が議席数を大幅に増やし、特に国家社会主義ドイツ労働者党は一気に国政第二党へと躍進していますから、これは危機感を覚えたと思います。

その後、ブリューニング内閣に協力する姿勢を見せる様になっていますね。

レームが戻ってきたのは、ちょうどそんな時期でした。


まとめ

本日の記事では、パーペン内閣やシャライヒャー内閣とのかかわりににまで記事を進めることはできませんでしたが、ヒットラーがドイツ国政府や各州の政権から敬遠されるきっかけとなった理由の一つに、再建された「突撃隊」の存在があったことが見えてきましたね。

レームが復活した突撃隊はどのようにまとめられていくのか。

また、現時点でまだヒットラーはそれこそ「ユダヤ人大量虐殺」というような手法を用いて政府と対立していくような様子は見られません。

寧ろ突撃隊の暴走で政府からの心証が悪くなることを恐れているような、そんな印象すら受けます。

この後のヒットラーがどのように変化していくのか。次回以降の記事で検証してみたいと思います。





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<継承する記事>第518回 シュトレーゼマン後のドイツ国首相~ヒットラー首相誕生まで

今回も前回の記事同様、前回の記事に掲載した内容を時系列で整理するところから始めてみます。

1923年9月 グスタフ・フォン・カール、バイエルン州総督に就任
1923年11月8日 ミュンヘン一揆勃発
1923年11月30日 ヴィルヘルム・マルクス内閣始動
1925年2月 エーベルト大統領死去
1925年2月28日 ハンス・ルター内閣始動
1925年5月12日 パウル・フォン・ヒンデンブルク、大統領に就任
1926年5月16日 第二期ヴィルヘルム・マルクス内閣始動
1928年6月28日 ヘルマン・ミュラー内閣始動
1930年3月30日 ハインリヒ・ブリューニング内閣始動
1933年1月30日 アドルフ・ヒットラー内閣始動

で、前回の記事で誤っていた箇所が一つ。

ブリューニングの後にフランツ・フォン・パーペン、クルト・フォン・シュライヒャーという人物がそれぞれ首相を務めていますので、今回の記事はこの両名にも触れておきます。

フランツ・フォン・パーペン内閣(1932年6月1日 - 1932年12月3日)

フランツ・フォン・パーペン
Bundesarchiv, Bild 183-1988-0113-500 / CC-BY-SA 3.0, CC BY-SA 3.0 de, リンクによる

首相として、ヴィルト、クーノ、シュトレーゼマン、マルクス、ルター、ミュラー、ブリューニングと、所謂「政治家」が多く登場していますね? 経済や外交に強い首相が多い様に思います。

ところがこのフランツ・フォン・パーペン。「政治家」というよりはどちらかというと「軍人」。そして彼が首相として指名された理由として、彼の後首相を務める「クルト・フォン・シュライヒャー」という人物からヒンデンブルク大統領への「推薦」があったことが挙げられます。

この辺りからどうもドイツの政治がいろいろときな臭くなってきますね。

パーペンは政治家としての経験が少なく、あまり有能ではなかった・・・とあります。そしてシュライヒャーが「利用しやすかった」ことがその最大の理由だと。

この辺りは記述者の解釈等が含まれているでしょうし、事実とどの程度近いのかは眉唾ものではありますが、彼が所属していた中央党の党首と「大統領からの要請を受けない」ことを約束していたにも関わらず、ヒンデンブルク大統領からの要請を受け、これに飛びついて中央党から除名されるなど、決して褒められた人物ではないのではないか、との想像は付きます。

彼の下でシャライヒャーは国防大臣も務めています。

更に、この内閣の評判は非常によろしくなく、ブリューニング内閣で自党の軍部である「突撃隊」を禁止され、これを解除してもらう必要があった国家社会主義ドイツ労働者党(ナチス)が唯一同内閣を批判することがなかったものの、それでも協力を要請されたヒットラーはこれを断っていたといいます。

パーペン内閣は実際に突撃隊の禁止を解除しています。

この段階で、ドイツ国各州がナチスに対し、「ナチス征服禁止令」を出そうとするなど、ナチスが「危険な存在である」と感じられていた様子は見て取れます。

また、前回の記事で日本が主導して開催されたローザンヌ会議が前首相であるブリューニング内閣だったと記したのですが、これは誤りで、実際にはブリューニング内閣が崩壊し、パーペン内閣が誕生した直後。1932年6月16日の事。

実際にローザンヌ協定そのものは成立し(批准はされず)、賠償金額を減らすことに成功はしたものの・・・というより、免除することに成功してたんですね。その代わり、30億マルクを支払え、というのがローザンヌ協定で決まった内容だったようです。

ところが、ドイツ国民にはこの結果は評価されなかった様で。パーペンは「外交下手」との誹りを受けたのだそうです。

その後もフランスに対して「対共(ソ連)同盟」の成立を打診して拒絶され、ソ連にばらされたりするなど、ダメっぷりは発揮するのですが、ただ、経済政策については効果的な政策を打っていたようで、その中心が雇用創出事業。

これまで「緊縮財政政策」とは真逆の「財政出動政策」。中でも道路建設事業や徴兵制度(日本の是清の政策とよく似ていますね)などはヴェルサイユ条約に違反するために見送られたものの、後にヒットラーによって採用され、失業問題を劇的に解決することに役立っています。

そして、彼の時に行われた総選挙でナチスが37.4%の得票率を獲得。議席数を107議席から230議席へと大幅に増やし、政党第一党へと躍進することになります。

社会民主党が143議席から133議席に、国家人民党が41議席から37議席へと議席数を減らす中、パーペン内閣を攻撃した中央党、そして共産党も議席数を伸ばしました。

この後のパーペン内閣とナチスとの関係については後日の記事に委ねようと思うのですが、これを受けてナチスの存在を看過できなくなった・・・という事でしょうか。シャライヒャーはナチスと接触するようになるのですが、結果的にはパーペン内閣はナチスと対立することになります。

その後の政権運営を他人任せにする傾向が強かったパーペンは結果的にシャライヒャーからも愛想をつかされ、退陣を求められることとなり、大統領であるヒンデンブルクの下へ逃げ込むも、ヒンデンブルクからもNoを突き付けられ、パーペン内閣は退陣し、シャライヒャー内閣が生まれることとなります。


クルト・フォン・シュライヒャー内閣(1932年12月3日 - 1933年1月28日)

クルト・フォン・シュライヒャー
Bundesarchiv, Bild 136-B0228 / CC-BY-SA 3.0, CC BY-SA 3.0 de, リンクによる

この人物。パーペン内閣での暗躍っぷりをみてもわかると思うのですが、特にミュラー内閣以降、「政治を裏から操っていた」という印象強く受けます。

現在はWikiの記事を中心に内容を進めているのですが、この中にシャライヒャーが「政治陰謀が好きだ」という記述がみられます。

彼は大学時代に「ヴィルヘルム・グレーナー」という人物に師事しているのですが、シャライヒャーはグレーナーによって政治の表舞台にまで引き上げられることになります。シャライヒャーがグレーナーのことをどう思っていたのかはわかりませんが、グレーナーはシャライヒャーの事を異常に信頼している様子が見て取れます。

実際シャライヒャーは軍人としても有能だったようで、第一次世界大戦後の義勇軍の創設、編成などで大きな功績を発揮したり、第一次世界大戦後のドイツで参謀本部長や軍総司令官などとしても活躍したハンス・フォン・ゼークトの側近として「黒色国防軍」の編成を任せられるなど、その能力を多くの実力者から評価されていたようです。

ただ、ゼークトから重用されてはいるものの、ゼークトはシャライヒャーの事を好ましくは思っていなかったようで、その理由として「政治陰謀が好きだから」という理由が記されています。

彼が信頼を集めていたのはグレーナーだけでなく、ヒンデンブルク大統領からの信頼も厚かった・・・というのはパーペン内閣の様子を見てもご理解いただけると思います。

彼はヒンデンブルク大統領が大統領となる以前から彼の息子と親しく、シャライヒャーがヒンデンブルク大統領に信頼されることとなったのも、そんな大統領の息子を通じての事でした。

彼が大統領に影響を及ぼしていたのはヒンデンブルクが大統領に就任した直後から。

ゼークトはシャライヒャーの危険性(現段階ではあえて「危険性」と表現しておきます)を見抜いていて、軍内、及び政界全体に対する彼の影響力の拡大を押さえつけようとしていたのですが、ゼークト自身が1926年10月に失脚し、シャライヒャーを押さえつける者は誰もいなくなります。

彼の師であるグレーナーがミュラー内閣で国防相となると、彼によってシャライヒャーは少将へと引き上げられ、国軍省に設置された大臣官房の官房長へと任じられます。グレーナーのシャライヒャーに対する信用の度合いはかなりなものであったようです。

ミュラーの後、ブリューニングが首相へと就任するわけでが、大統領に彼を首相へと就任するよう働きかけていたのはシャライヒャー。ブリューニング内閣において行われた地方選挙でバイエルン州以外全ての州で国家社会主義ドイツ労働者党(ナチス)が第一党へと躍進すると、シャライヒャーはブリューニングを見限ってヒットラーに接触。

ヒットラーと「突撃隊禁止命令の解除」を約束したのはやはりパーペンではなくシャライヒャーですね。シャライヒャーはそれ以外に国会を解散させることなども約束しています。

更にその後シャライヒャーはナチスと組んでブリューニングではなく、グレーナーを失脚するよう画策します。自分自身をここまで信頼し、引き上げてくれた恩師であるグレーナーを、です。クズですね。引用します。

ナチ党とシュライヒャーはただちにグレーナーの失脚工作を開始した。

5月10日に国会で突撃隊禁止命令を討議中にナチ党議員団はグレーナーに激しい罵倒を浴びせ、グレーナーを立往生させ、これによってグレーナーが国会討論に大敗北を喫したかのような印象を世間にもたらした。

シュライヒャーはこれを利用して「グレーナーは病気」という噂を流して回り、恩師であるグレーナーに冷たく辞職を勧告した。

ヒンデンブルクやブリューニングにも見捨てられたグレーナーは5月13日に国防相辞職(内相には留任)に追いやられた。

この後、シャライヒャーは大統領に働きかけ、ブリューニングも解任させます。

ブリューニングを首相にする様ヒンデンブルグに働きかけたのはシャライヒャーだったはずなんですが。

この時大統領がブリューニングに伝えた解任の理由は
「今後は右翼政治を行うべし」
「労働組合指導者層とは手を切るべし」
「農業ボルシェヴィズムは根絶すべし」

という内容。

「農業ボルシェヴィズム」とは、「東プロイセンの地主が管理しきれない土地を失業者に分配する」というブリューニング自身の政策をユンカー(地主)たちが揶揄したもの。

これを受け、ブリューニングは5月30日に総辞職しました。

そして、更に首相へと就任したのがパーペン。その後、パーペンがやはりシャライヒャーに見限られ、辞任へと追い込まれるまでの経緯は前記した通り。

パーペンの辞任後、1932年12月3日に今度はシャライヒャー自身が首相へと就任することとなります。


今回の記事では、「ヒットラー」の話題にも触れていく予定だったのですが、記事そのものが少し長くなったことと、「パーペン」及び「シャライヒャー」両内閣の経緯についてヒットラー自身とのかかわりが多くみられることから、両首相の以前の首相の時代まで含めて、改めて「釈放後のヒットラー」について次回記事で検証していきたいと思います。



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<継承する記事>第517回 ヒットラー釈放後のドイツ国経済~世界恐慌勃発まで~

前回の記事では、ミュンヘン一揆前後、ヒットラーが逮捕され、また釈放される前後のドイツ。第一次世界大戦敗戦後ドイツの賠償交渉の流れについて記事にしてみました。

流れ的には

1923年1月11日 ルール占領開始
 ドイツでハイパーインフレーションが勃発

1923年8月13日 ヴィルヘルム・クーノに変わってグスタフ・シュトレーゼマン首相へと就任
 クーノが取っていた通貨発行を原資としたルール地方のストライキ政策を中止

1923年11月15日 ヒャルマル・シャハトによって地代に価値が紐づけられたレンテンマルクが発行
 暴落の真っ最中だったパピアマルクをレンテンマルクに交換し、マルク相場が落ち着く

1923年11月23日 シュトレーゼマンがミュンヘン騒動等の責任を取って退陣

1924年8月16日 アメリカの賠償委員会に参加し、「ドーズ案」をフランス・ベルギーが受諾。
 ドイツは米英からお金を借りてフランス・ベルギーに返済することに

1924年10月 ドイツは新通貨「ライヒスマルク」を発行
 ドイツ国内でしか使用できなかったレンテンマルクと交換、金本位制へと復帰

1929年6月 ドーズ案に変わって新たにアメリカが提案したヤング案が採択
 ドイツの返済額が減殺され、返済期間が延長される

1929年9月4日 ヤング案の成立を受け、世界恐慌が勃発
 ドイツが更なる財政難へと陥り、ヤング案でも返済が不可能な状態に陥る

1932年6月16日~7月9日 ローザンヌ会議で更なる減額が決定。
 フランス・ベルギーの要求を米国が拒否し、批准されなかった

1933年1月30日 ヒットラーが首相へと就任
 返済そのものを拒否する

という感じです。

前回の記事はこの流れを国際社会側から見たわけですが、今回の記事ではこれをドイツ国側から検証することを目的としています。


国際社会の流れとドイツを統合

前回の記事で、一部振れているのが「カール政権の発足」についてです。

彼がバイエルン州総督となったのが1923年9月の事ですから、時期的にはシュトレーゼマンがドイツ国首相となり、ライヒ通貨委員となったシャハトがレンテンマルクを発行するまでの間の出来事です。

更に、ミュンヘン一揆が勃発したのは1923年11月8日~9日にかけての事ですから、レンテンマルクが発行されたのはミュンヘン一揆の直後だったことになりますね。

ミュンヘン一揆勃発のそもそものきっかけを与えたのはシュトレーゼマンのルール占領軍に対する「受動的抵抗の中止政策」を受けてのものではありましたが、彼は後のドイツ国経済に安定化をもたらした「レンテンマルク政策」の実行者でもあったわけですから、彼が辞任に追い込まれたのは「とばっちり」でしかなかったようにも感じます。

ちょうど昭和恐慌から日本をいち早く立ち直らせた高橋是清が、その経済回復を実感できるようになる前に兵士たち(皇道派)によって暗殺された二二六事件の経緯ともよく似ている気がします。


シュトレーゼマン後のドイツ政権~第一期ヴィルヘルム・マルクス内閣

で、登場していてしかるべきなのに、全く名前が登場していないのがシュトレーゼマンの後を引き受けた首相のお名前。

これが、ヴィルヘルム・マルクスという人物で1923年11月30日に首相に就任し、24年12月15日まで首相を続けています。

ヴィルヘルム・マルクス
不明 - <a rel="nofollow" class="external text" href="https://www.bundesarchiv.de/imperia/md/images/abteilungen/abtr/reichskanzler1919-1933/bild_146-2002-007-34_801x0_0_9.jpg">Öffentlichsarbeit Bundesarchiv Reihe "Reichskanzler 1919-1933"</a>, パブリック・ドメイン, リンクによる

彼は、また更に26年5月16日に首相へと再任し、28年6月12日まで首相を続けています。

で、前任者で辞任したシュトレーゼマンですが、彼は第一次マルクス内閣では外務大臣を務めています。シュトレーゼマン、やはり有能な人物だったんでしょうね。

マルクスは翌12月の総選挙で敗れて退陣するのですが、その直後、1925年2月にはプロイセンの州首相に就任しています。ですが、同じ月の月末、敗戦後の混乱の中から、長らく大統領として就任していたエーベルトが死去。マルクス派州首相を辞任し、大統領選に出馬しています。

ところが、この選挙でも彼は僅差で敗れ、落選。


ハンス・ルター内閣

第一次マルクス内閣の後はハンス・ルターという人物なのですが、この内閣でマルクスは法務大臣を務めています。

ハンス・ルター
不明 - <a rel="nofollow" class="external text" href="https://www.bundesarchiv.de/imperia/md/images/abteilungen/abtr/reichskanzler1919-1933/bild_146-2002-007-34_801x0_0_9.jpg">Öffentlichsarbeit Bundesarchiv Reihe "Reichskanzler 1919-1933"</a>, パブリック・ドメイン, リンクによる

一方で、ルターはシュトレーゼマン内閣で財務大臣を務めた人物で、シャハトがレンテンマルク政策をとる中で、自身は緊縮財政政策を取り、通貨を安定させました。この時は「ハイパーインフレーション」が起きている真っ只中ですから、緊縮財政政策が「的を射た政策」になるんですね。

首相としてのルターはイギリス・フランス・イタリア・ベルギーとの間で「ロカルノ条約」という集団安全保障条約を締結(ヴェルサイユ条約の内容を踏襲したもの)しており、この事でドイツは晴れて国際連盟へと加入します。

この事は、第一次世界大戦対戦国との融和にも貢献していて、ドイツを国際社会へと復帰させたんですが、その事が逆にドイツ人からの反発を招き、ルターを退陣へと追い込むこととになります。

ちなみにロカルノ条約の発足に貢献したのはレンテンマルク政策を実施したシュトレーゼマン。シュトレーゼマン外相ですね。シュトレーゼマン、結構優秀ですね。やはり。


ドイツ国家人民党とドイツ政権

ちなみにルターを退陣に追い込むこととなったのは、シュトレーゼマン外相の政策に不満を抱いた「ドイツ国家人民党」。

ドイツ国家人民党は第一次世界大戦中の保守政党が合流して出来上がった政党で、皇室の復活を望んでいたり、議会政治に反対していたり、ヴェルサイユ条約やドイツ国憲法(所謂ワイマール憲法)にも反対。反ユダヤ・反社会主義・反共産主義の政党です。

「匕首伝説」も喧伝していたということですから、ガチガチの右派。

そもそも第一次世界大戦はドイツが優勢に進めている中、社会主義者たちの台頭により自滅したような戦争ですから、社会主義者の台頭さえなければドイツが連合国に敗北することはありませんでした。

シュトレーゼマン外相の外交政策(ロカルノ条約)は本来勝ち戦であったはずの第一次世界大戦の講和条約であるヴェルサイユ条約を受け入れ、フランスやベルギーと仲直りすることを目的としていますので、国家人民党がこれに反発したのは当然といえば当然でしょうね。

ちなみにこの政権の中には「バイエルン人民党」。も参加しています。バイエルン州総督を務めたグスタフ・フォン・カールもバイエルン人民党です。

ドイツ国家人民党離脱後のルター内閣が崩壊したのも理解できる気がしますね。

ルターの後を再びマルクスが引き継ぎ、マルクス内閣を組閣します。(1926年5月16日)

その後、「社会民主党のフィリップ・シャイデマンにドイツ国防軍とソビエト軍が秘密裏に協力していることを国会で暴露」されたことにより辞職。その後総選挙が行われるのですが、議席を減らし、マルクス内閣は退陣することになります。(1928年6月12日)


ヘルマン・ミュラー内閣

マルクスに代わって首相としての指名を受けたのがドイツ社会民主党党首であるヘルマン・ミュラー。
ヘルマン・ミュラー
Bundesarchiv, Bild 102-11411 / CC-BY-SA 3.0, CC BY-SA 3.0 de, リンクによる

彼はヴェルサイユ条約に外務大臣として調印した人物であり、当時のドイツ国第2代首相であるグスタフ・バウアーが退陣した後、第3代ドイツ国首相を務めたこともある人物です。(1920年3月27日)

ですが、この時は総選挙で議席を大きく減らし、たった3ヶ月で退陣しています。(1920年6月28日)

第二期マルクスの後に首相として指名されたミュラーですが、彼の在任期間は1928年6月28日~1930年3月27日で、これは第一次世界大戦敗戦後のドイツとしてはこれまでで最長の就任期間なのだそうです。

ヤング案が成立したのは彼の就任期間。ですが、この事が原因で世界恐慌が勃発することとなり、ドイツでも失業者が増大。

結果的にミュラーは退陣へと追い込まれることとなります。

ちなみにこの「ヤング案」ですが、この話し合いがもたれることとなったきっかけは、ドーズ案ではドイツが仏白に対する債務を米英からお金を借りて仏白に返済するだけですので、結局ドイツの債務は減らない・・・。

この事が理由です。

で、この話し合いを持ち掛けたのがはっきり言ってドイツ側からだったのか、アメリカ側からだったのかは私の中でははっきりとした資料が見つかっていません。

ですから、ヤング案を成立させたことによって世界恐慌が勃発し、辞任に追い込まれたミュラーを「無能だった」という表現をすることは適切ではないと思うのですが、彼の目立った「功績」はこのくらいですね。

もう少しだけ進めます。


ハインリヒ・ブリューニング内閣

ミュラーの後を受け、なんと44歳という若さで、世界恐慌の真っ只中、首相へと就任したのがハインリヒ・ブリューニング。彼の就任期間は1930年3月30日~1932年5月30日の2年間。
ハインリヒ・ブリューニング
Bundesarchiv, Bild 183-1989-0630-504 / CC-BY-SA 3.0, CC BY-SA 3.0 de, リンクによる

この後ヒットラーが首相へと就任していますので、ブリューニングがナチス政権直前、最後の内閣ということになるでしょうか。

彼が所属していたのは中央党という、これは ビスマルクの文化闘争に関する記事 のところでお名前が一度登場していますね。

社会主義者の危険性にビスマルクが気づく直前。ビスマルクが社会主義者よりも南ドイツの「孤立主義者」に影響を大きく与えていたカトリックの危険性の方を重要視していた時期。

そのカトリック政党の代表的な存在が「ドイツ中央党」でした。

ミュラー退陣後、大統領であるパウル・フォン・ヒンデンブルクは彼の存在に着目していて、次期首相として彼を指名。組閣を命じました。

ブリューニングは前首相であるミュラーが所属していたドイツ社会民主党ではなく、同党と対立するドイツ人民党と連携する選択をします。ちなみに私がこの記事で高評価しているシュトレーゼマンはドイツ人民党に所属していました。ですが、ブリューニングが首相に就任する直前に脳卒中で他界しています。

で、この内閣でブリューニングはドイツ社会民主党だけでなく、共産党や国家社会主義ドイツ労働者党、つまり「ナチス」とも対立します。

ドイツ国家人民党は一部が政権に参加した、とあるのですが、国家人民党党首であるアルフレート・フーゲンベルクは政権に強硬的に反対する立場をとっており、国家人民党前党首を中心とする一部議員が党を割って外に出ていますので、おそらく政権に参加したのは後者ではないかと思います。

一方で、フーゲンベルク率いる国家人民党は国家社会主義ドイツ労働者党へと近づいていきます。

一方でドイツ社会民主党は国家社会主義ドイツ労働者党や共産党と対立する構造にあり、やがてブリューニングに歩み寄った姿勢を見せる様になります。

ブリューニングの取った政策は、「緊急法規」による議会の審議に縛られない方法を用いたやり方で、「緊縮財政政策」で、デフレを目的としたもの。

何度も言いますが、この状況下のドイツは「ハイパーインフレーション」から回復途上にあり、通貨が安定しておらず、このような状況下では決して誤った政策ではないと思います。

で、この時用いられている「緊急法規」というやり方なのですが、後のナチスも大統領令による、同様な方法を用いています。

ただ、全く同じものなのか同化は現時点では私の中で不明です。

また、日本の主導による「ローザンヌ会議」が開かれたのも彼の時代。

彼は世界恐慌の真っ只中でオーストリアと関税同盟を結ぼうとしてフランスの反発を買い、フランス国内からのドイツ・オーストリアの資金受け入れを禁止。一方で政府声明として「ドイツにはもはや賠償金を支払う能力がない」と発表し、外資がドイツから撤退。

傷病兵や失業者に対する保険をカットする緊急法令を発行して共産党組織によるデモが頻発するなど、まさにカオス状態へと陥ります。

シュトレーゼマンが生きていればもう少し異なる政策を打つことができたのかもしれないですね。

これを受けて当時の米国大統領、ハーバート・フーヴァーが「フーバーモラトリアム」を発令し、ドイツへの賠償金支払い猶予を再建各国に提案、これが受け入れられます。

しかしそれでもドイツからの資金引き上げは収まらず、このような状態で開催されたのが「ローザンヌ会議」です。


ナチスの台頭

さて。この後、いよいよ「国家社会主義ドイツ労働者党(ナチス)」が政権の中心へと躍り出ることになります。

次回記事では、本日の記事に今度は「ヒットラーサイド」から改めて着目し、記事を進めていきたいと思います。




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<継承する記事>第509回 ヒットラーの代理人ローゼンベルク~反ユダヤ主義の根源とは~

長らくドイツ関連のシリーズ以外の記事を作成していましたが、改めまして、再開します。

シリーズ、ナチスドイツは一体なぜ誕生したのか を作成するに至った最大の理由としましては、そもそも親シリーズであるなぜ日本は第二次世界大戦(大東亜戦争)を起こしたのか を作成していく中で、日本が第二次世界大戦にどのようにして巻き込まれていったのか。

この事に関しては私の中で得心のいく答えに巡り合うことはできたのですが、次に日本はなぜの地の世でこれほどに残虐性を強調されるようになったナチスドイツと同盟関係を締結するにいたったのか。この事を突き止めることが必要だと感じる様になったからです。

同盟関係を締結するに至った理由そのものは現在では私の中に一つの答えはあるわけですが、この理由を説明しようとする際に、ナチスドイツの残虐性を完全ではないにしても否定することができれば。もしくは正当性を主張することができれば、よりその答えに説得力を持たすことができるのではないかと感じたからです。

ナチスドイツ、つまり「ヒットラー」の残虐性は主にユダヤ人に向けられているわけですが、彼がなぜユダヤ人を迫害したのか。その理由を突き止めることが最大の目的だったのですが、前回の記事 で漸くその理由の片鱗に触れることができました。

私の中にある現時点でのその最大の理由は、第一次世界大戦に敗戦した後のドイツでは、もしくは第一次世界大戦中、その以前より「アーリア人至上主義」、「反ユダヤ主義」という考え方が蔓延しており、ヒットラー自身も自分自身の体験からユダヤ人に対する嫌悪感を感じていたという事。

彼がそう感じている中で、まるでそれを裏付けるかのようにしてローゼンベルクやエッカートらから所謂「ユダヤ陰謀論」のような考え方を教えられたのだという事。ヒットラー自身も、目から鱗が落ちたような気分になったことでしょう。

また、当時は現在の様にネットが発展しているわけではありませんから、所謂「裏どり」は非常に難しかったはず。

だとすると、余計に彼自身のリアル社会での感覚との一致性がよりその「裏付け」としての意味合いを強く持っていたはずです。

そしてそんな中、ミュンヘン一揆に失敗して投獄される中で記したのが「我が闘争」。実際には彼自身が記したわけではなく、獄中でエミール・モーリスやルドルフ・ヘスに対して「口述」したものですが、これが後のナチスの行動の指標ともなるわけです。

ただ、現時点の印象としてはまだ、ヒットラーがいくらユダヤ人に対してネガティブな印象を持っているからといって、現在世界中で多くの人が思っているような、ユダヤ人だけをターゲットにし、大量に虐殺するような、そこまでの印象は受けていません。

では、どのような事情があってヒットラーがそこまで豹変してしまうのか。またはしないのか。これをここからの記事では検証してみたいと思います。

本日の記事では、牢獄より釈放された後のヒットラーについて追いかけてみたいと思います。


ヒットラーの釈放

ヒットラーが収監されたのは1924年1月。受けた判決は禁錮5年。だったはずなのですが、実際には収監された1924年9月に仮釈放、12月には釈放されています。

ヒットラーが収監されている間、国家社会主義ドイツ労働者党(ナチス)は解散を命じられていて、ナチスの勢力を守ろうとした「元ナチス」の党員たちの中には数多くの派閥が生まれ、派閥間での抗争も生まれていました。

ですが、ヒットラーが釈放された後、国家社会ドイツ労働者党が再建されると、ヒットラーの下、ミュンヘンの派閥は再び結束し、ヒットラーの手によってまとめ上げられました。

元ナチスの党員の中にあった社会主義色の強い派閥は衰退した・・・とありますので、ナチス全体としては保守色の強いグループとして纏まった、という事でしょうか。ちなみにこの段階で突撃隊を率いた元エアハルト海兵旅団のメンバー、エルンスト・レームはミュンヘン一揆の責任を取る形で引退させられています。

また、元々オーストリア人であったヒットラーは釈放後、オーストリア市民権抹消手続きを取り、1932年2月25日、ブラウンシュヴァイク自由州のベルリン駐在州公使館付参事官となったヒットラーは、公務員となることで自動的にドイツ国籍を取得することとなりました。


ルール占領後の経済について(復習)

少し、時系列を整理します。

第503回の記事 、及び第504回の記事 にて、この当時のドイツで起きていた「ルール占領」、及び「ハイパーインフレーション」ついて記事にしています。

ルール占領が行われたのが1923年1月4日の事。直前の1922年12月にはドイツの物価は1919年比で1807.8倍にまで達していました。問題なのは、この貨幣価値の下落が、非常に短期間で、非常に急速な下落率で進行していくこと。

「物価」は逆にもすごい上昇率で高騰します。

これが、ルール占領後、ヴィルヘルム・クーノが取ったルール地方の「受動的(消極的)抵抗」政策、要はストライキの呼びかけと通貨発行による給与の直接分配によって「ハイパーインフレ」が勃発。マルクの価値はドルに対して1/2億3606万倍にまで下落。

クーノはこれに対して何もまともな対策を打つことができずに失脚。グスタフ・シュトレーゼマンが首相へと就任します。

シュトレーゼマンが就任したのが1923年8月13日。彼がルール占領に対するストライキ政策を中止したのが9月26日。これに対してバイエルン州知事であるオイゲン・リッター・フォン・クニリングが非常事態宣言を発令。グスタフ・フォン・カールをバイエルン州総督として任命します。

そう。バイエルン州における「カール政権」の誕生です。そしてこの後、同年11月に勃発したのが「ミュンヘン一揆」です。

改めて考えますと、ヒットラーが表舞台へと登場するきっかけとなった「ミュンヘン一揆」がドイツの歴史の中でそのような位置づけにあるものあったのか、という事を思い知らされますね。

で、シュトレーゼマン内閣において登場したのがヒャルマル・シャハト。価値が下落し続けるパピアマルクではなく、地代に価値が紐づけられたレンテンマルクを新たに発行し、これをパピアマルクと交換。(デノミ政策)

パピアマルクに比べて価値が下落しにくいレンテンマルクの登場によってドイツにおけるハイパーインフレーションは急速に鎮静化することとなります。

シュトレーゼマンの辞任はピンポイントでバイエルン州騒動が原因となるのですが、その1カ月前、第一次世界大戦の賠償委員会に米国が参加し、賠償策定のプロセスにドイツが参加することとなりました。

第504回の記事 から引用します。
まず「ドーズ公債」なるものがロンドンのイングランド銀行とニューヨークのJPモルガンが連携して発行され、ドイツが両国からお金を借りる形でフランス・ベルギーに返済を行い、ドイツは新通貨である「ライヒスマルク」を発行。

これまでドイツ国内でしか使用することのできなかったレンテンマルクと交換。ドイツは金本位制に復帰し、漸くマルク相場も落ち着きを取り戻しました。

上記内容が、米国賠償委員会に参加し、シュトレーゼマン退陣後にフランスやベルギーが受諾することとなった「ドーズ案」。

ヒャルマル・シャハトの政策はドイツ国内における政策なのですが、この内容は戦後賠償委員会の国際的な取り決め。

ドーズ案によって発行されることとなった「ライヒスマルク」はドイツ国内でしか使用することのできなかったレンテンマルクと交換され、ドイツは晴れて金本位制に復帰。マルク相場も落ち着きを取り戻すこととなりました。


ドーズ案後の経済~世界恐慌


ヒットラーの登場と第一次世界大戦敗戦後のドイツの歴史がようやくリンクしましたね。

ドーズ案では、ドーズ債を発行していますので、ドイツはイギリスとアメリカからお金を借りていることになります。

で、それまではドイツとフランス・ベルギー間の賠償交渉だったのですが、両国に対しては米英からお金を借りることで返済の見通しが立ちましたので、今度は米英とドイツとの交渉が中心となってきます。

1928年頃のアメリカの経済は過熱しており、ドイツへの資金流入が激減していたのだそうです。そうすると当然ドイツとしても資金不足に陥りますので、米国に対して賠償金支払い額の減額を求める交渉へと入っていました。

これに対し、オーウェン・D・ヤングという人物を中心としてドイツだけでなく日本も参加する形で新たな委員会が設置されることが決まります。

オーウェン・D・ヤング
Bundesarchiv, Bild 102-00260 / CC-BY-SA 3.0, CC BY-SA 3.0 de, リンクによる

なぜ日本が・・・とい疑問が現時点で私の中には存在しているのですが、記事を進める中、どこかで答えが出てくるだろうと信じ、記事はそのまま進めます。

ヤング案について、Wikiからその内容を引用しておきます。
ヤング案においては賠償の残額を358億1400万ライヒスマルクと定めた。ドイツは1988年までの59年間、年賦の形で支払う。毎年ドイツは、利子とドーズ債の元本支払を含めた平均20億5千万ライヒスマルク相当を外貨によって支払う。1930年は17億ライヒスマルクで、その後21億ライヒスマルクとなり、1966年以降は16.5億ライヒスマルクとなる。実際の支払は遅滞した。ローザンヌ会議で賠償債務は減額された。

日本は賠償支払を受ける国の一つであり、ベルギーを舞台にしたスパ会議(1920年7月)の決定により賠償支払のうち0.75%を受け取っていた。ヤング案においても初年度には1250万ライヒスマルクの支払を受ける権利を持っていたが、サンフランシスコ平和条約第8条C項により対独賠償請求を放棄している。なお、スパ会議で決まった各国の分配率は、フランス52%、イギリス22%、イタリア10%、ベルギー8%、ユーゴスラビア5%であった。

賠償の分配機関として国際決済銀行を創設しており、日本銀行は賠償債権国であることを理由に株主と認められた。しかし、このことが後の金解禁へ向けた見えない圧力となった。出資金は日本興業銀行をはじめとして、三井・三菱・安田・住友という旧財閥系の銀行をふくむ14行がほぼ均等に国債を引受けることで調達された。

日本の名称が出てきましたね。

この時点での日本の国際的な地位をうかがい知ることができます。ヤング案っていうのは、要はドイツが戦勝国に対して支払わなければならない金額を減額し、返済期間を緩和するための取り決めだったんですね。総額は1320億金マルクから358億金マルクにまで減額されたのだそうです。

ドーズ案が成立した後、ルール地方からフランス・ベルギー軍が、ヤング案が成立した後ラインラント全体からの占領地から撤退します。

ヤング案そのものは1929年6月に承認され、翌1930年1月に調印、3月にドイツが批准することとなりました。

ただ、このヤング案の成立はどうも世界恐慌勃発のきっかけとなったらしく、また更に、恐慌の勃発が原因でドイツは賠償額を1/4~1/3にまで減額されたにも関わらず、その賠償金が支払えなくってしまいます。

上記引用では、「ローザンヌ会議で賠償債務は減額された」とありますが、実際には30億マルクにまで減額することで合意はされたものの、実際には英仏伊白の4カ国が批准する代わりに米国の戦債を帳消しにするよう申し合わせたたものの、米国はこれを拒否したため、協定が批准されることはありませんでした。

また、ドイツでは1932年、ついにヒットラーが首相として就任し、賠償金の支払いそのものを拒否。ヤング協定はなし崩し的に崩壊することとなりました。


次回記事では、改めてこの一連の流れをヒットラー側の側面から見て、記事にしてみます。





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<継承する記事>第515回 学術会議問題~民主主義科学者協会法律部会と判例から検証~

本日は令和2年11月20日…ということで、菅(すが)内閣が誕生してから早くも2カ月が過ぎようとしています。

学術会議の問題も少し時代遅れの様相を呈してきましたが、私としては本日の記事が最もオリジナリティの高い内容ともなっていますので、どうしても記しておきたい・・・ということで、空気を読まずに記事を作成していきます。

第514回 学術会議任命拒否は違法か?選任方法が変更された理由
第515回 学術会議問題~民主主義科学者協会法律部会と判例から検証~

こちら2つの記事に続く3記事目。学術会議問題についての完結編です。

第514回の記事では「学術会議法」そのものから、第515回の記事では平成17年に学術会議法改正が行われたその理由と結果という側面からそれぞれ記事を作成しました。

そもそも学術会議会員の選出方法に多くの課題があったわけですが、17年に行われた改正でもこの問題は解決されなかった。

会員全体に占める「法学者」の数に偏りがあり、更にその半数が共産党が設立した民間団体に所属する学者である…という事が現時点で学術会議法最大の課題です。

これを解消するために平成30年、「推薦」によって任命される他の法制度の過去の「判例」を下に、17年に法改正された学術会議法の「法的な解釈」を明確化するための協議が内閣法制局と学術会議事務局との間で行われ、学術会議事務局によってその書類が作成されました。

ここまでがこれまでの「あらすじ」です。

菅さんはこの「任命拒否」について、その理由を説明しようとしないわけですが、この事を「違法である」という意見を見かけることがあります。

私の予測としては、この理由を説明してしまうと野党によってさらに質問の応酬に晒され、国会審議で重要な審議等に時間をさけなくなることを想定してのものだと考えているのですが、ではこの菅さんの対応は法的に問題があるのでしょうか?

本日の記事のテーマはこの内容について記してみたいと思います。


学術会議任命拒否理由を説明すべき法的根拠

では、菅さんが任命拒否理由を説明しないことが「違法である」と主張する人たちは一体どのような理由でこれが
「違法」だと主張しているのでしょうか?

実は、この理由ではないかと考えられる法律がたった一つだけ存在します。それが「行政手続法」です。

行政手続法 

第8条
1.行政庁は、申請により求められた許認可等を拒否する処分をする場合は、申請者に対し、同時に、当該処分の理由を示さなければならない。

ただし、法令に定められた許認可等の要件又は公にされた審査基準が数量的指標その他の客観的指標により明確に定められている場合であって、当該申請がこれらに適合しないことが申請書の記載又は添付書類その他の申請の内容から明らかであるときは、申請者の求めがあったときにこれを示せば足りる。

2.前項本文に規定する処分を書面でするときは、同項の理由は、書面により示さなければならない。

第14条
1.行政庁は、不利益処分をする場合には、その名あて人に対し、同時に、当該不利益処分の理由を示さなければならない。ただし、当該理由を示さないで処分をすべき差し迫った必要がある場合は、この限りでない。

2.行政庁は、前項ただし書の場合においては、当該名あて人の所在が判明しなくなったときその他処分後において理由を示すことが困難な事情があるときを除き、処分後相当の期間内に、同項の理由を示さなければならない。

3.不利益処分を書面でするときは、前2項の理由は、書面により示さなければならない。

学術会議は「内閣府」に所属する行政機関、との位置づけですから、学術会議会員の任命とは「国家公務員の任命」を行う手続きになります。

国家公務員の任命は、「特許」という「行政行為」になるのだそうです。

で、もし今回の学術会議の問題において、菅さんの行った内容が任命「拒否」なのだとすれば、任命を拒否されたことによって不利益を被った人がいるはずです。

もしくは、学術会議法に定められている「会員の推薦」という手続きが、任命権者である総理大臣への「申請手続き」に該当するのだとすれば、その申請を拒否するわけですから、菅(すが)さんには前記した行政手続法第8条によって申請を拒否した理由を説明する「義務」が発生します。

この事が、菅さんに対して「拒否理由を説明すべき」「説明しないのは違法である」と主張する人たちのその「法的根拠」です。


任命拒否理由を説明しないのは違法なのか?

「会員の推薦」という手続きを「申請」と考えるのであれば、推薦を行った人間(もしくは団体)が申請をしているわけですので、推薦を行った現学術会議の会員が「申請者」ということになりますね?

では、行政手続法において「申請」という行政手続きはどのように定義されているのでしょうか?(後程ピックアップしますので、まずは枠内は読み飛ばしてください)

行政手続法

第2条
この法律において、次の各号に掲げる用語の意義は、当該各号に定めるところによる。
一 法令 法律、法律に基づく命令(告示を含む。)、条例及び地方公共団体の執行機関の規則(規程を含む。以下「規則」という。)をいう。

二 処分 行政庁の処分その他公権力の行使に当たる行為をいう。

三 申請 法令に基づき、行政庁の許可、認可、免許その他の自己に対し何らかの利益を付与する処分(以下「許認可等」という。)を求める行為であって、当該行為に対して行政庁が諾否の応答をすべきこととされているものをいう。

四 不利益処分 行政庁が、法令に基づき、特定の者を名あて人として、直接に、これに義務を課し、又はその権利を制限する処分をいう。ただし、次のいずれかに該当するものを除く。

 イ 事実上の行為及び事実上の行為をするに当たりその範囲、時期等を明らかにするために法令上必要とされている手続としての処分
 ロ 申請により求められた許認可等を拒否する処分その他申請に基づき当該申請をした者を名あて人としてされる処分
 ハ 名あて人となるべき者の同意の下にすることとされている処分
 ニ 許認可等の効力を失わせる処分であって、当該許認可等の基礎となった事実が消滅した旨の届出があったことを理由としてされるもの

五  行政機関 次に掲げる機関をいう。
 イ 法律の規定に基づき内閣に置かれる機関若しくは内閣の所轄の下に置かれる機関、宮内庁、w:内閣府設置法 (平成11年法律第89号)第49条第1項 若しくは第2項 に規定する機関、w:国家行政組織法 (昭和23年法律第120号)第3条第2項 に規定する機関、会計検査院若しくはこれらに置かれる機関又はこれらの機関の職員であって法律上独立に権限を行使することを認められた職員
 ロ 地方公共団体の機関(議会を除く。)

六 行政指導 行政機関がその任務又は所掌事務の範囲内において一定の行政目的を実現するため特定の者に一定の作為又は不作為を求める指導、勧告、助言その他の行為であって処分に該当しないものをいう。

七 届出 行政庁に対し一定の事項の通知をする行為(申請に該当するものを除く。)であって、法令により直接に当該通知が義務付けられているもの(自己の期待する一定の法律上の効果を発生させるためには当該通知をすべきこととされているものを含む。)をいう。

八 命令等 内閣又は行政機関が定める次に掲げるものをいう。
 イ 法律に基づく命令(処分の要件を定める告示を含む。次条第二項において単に「命令」という。)又は規則
 ロ 審査基準(申請により求められた許認可等をするかどうかをその法令の定めに従って判断するために必要とされる基準をいう。以下同じ。)
 ハ 処分基準(不利益処分をするかどうか又はどのような不利益処分とするかについてその法令の定めに従って判断するために必要とされる基準をいう。以下同じ。)
 ニ 行政指導指針(同一の行政目的を実現するため一定の条件に該当する複数の者に対し行政指導をしようとするときにこれらの行政指導に共通してその内容となるべき事項をいう。以下同じ。)

行政手続法2条全体を掲載しましたが、この内「申請」については第3項に以下のように掲載されています。不利益処分についても掲載されていますので、ついでにピックアップしてみます。

申請 法令に基づき、行政庁の許可、認可、免許その他の自己に対し何らかの利益を付与する処分(以下「許認可等」という。)を求める行為であって、当該行為に対して行政庁が諾否の応答をすべきこととされているものをいう。

不利益処分 行政庁が、法令に基づき、特定の者を名あて人として、直接に、これに義務を課し、又はその権利を制限する処分をいう。ただし、次のいずれかに該当するものを除く。

 イ 事実上の行為及び事実上の行為をするに当たりその範囲、時期等を明らかにするために法令上必要とされている手続としての処分
 ロ 申請により求められた許認可等を拒否する処分その他申請に基づき当該申請をした者を名あて人としてされる処分
 ハ 名あて人となるべき者の同意の下にすることとされている処分
 ニ 許認可等の効力を失わせる処分であって、当該許認可等の基礎となった事実が消滅した旨の届出があったことを理由としてされるもの

「申請」の部分を見てみますと、以下のように掲載されています。

法令に基づき、行政庁の許可、認可、免許その他の自己に対し何らかの利益を付与する処分(以下「許認可等」という。)を求める行為であって、当該行為に対して行政庁が諾否の応答をすべきこととされているものをいう。


これが行政手続法における「申請」の定義です。

行政法における「特許」とは、「国民が本来有していない特殊の権利・能力・法的地位を与える行為」についていうのだそうです。

公務員の任命とは、まさにこの「特許」に該当するわけです。「公務員に登用」された結果、「特殊の権利・能力・法的地位」を与えられるわけですから、公務員の任命手続きは行政法第2条でいう「行政庁の許可、認可、免許その他の自己に対し何らかの利益を付与する処分」に該当しますね?

では、「学術会議法」にのっとって学術会議の現会員が推薦し、その結果としてその推薦された候補者が学術会議の会員として認定される手続きの場合はどうでしょうか?


「推薦」と「申請」

私、今回の記事の中で、学術会議よりの「推薦」について、「仮にこれを申請と考えるのだとすれば」という仮定の下にお話ししていますね?

では、学術会議よりの「推薦」とは、本当に「申請」に該当するのでしょうか。

仮に、学術会議よりの「推薦」を「申請」と考えるのだとすれば、その申請者は推薦を行った「現学術会議の会員」になることをご説明しました。

そして「申請」の定義の中に、「自己に対し何らかの利益を付与する処分を求める行為」である、という文言が含まれていましたね?

仮に「現学術会議の会員よりの推薦」を「申請」であると考えるのだとすれば、行政手続法、「申請」の定義における「自己」とはすなわち「現学術会議の会員」だということになりますね。

定義を読みかえれば、「申請者に何らかの利益を付与する処分を求める行為」が「申請」なのですから。

では、「行政団体」であるはずの「学術会議」。その会員は当然「国家公務員」です。では、現在国家公務員であるはずの現学術会議の会員が、「自己の利益」を求める申請を行うことは、果たして法的に問題はないのでしょうか?

あくまでも仮定の話ですが、現学術会議の会員が「申請」を行うことによって、次期学術会議の会員が選出されることになります。

現在民間人である(現在国立大学の教授の場合は既に公務員)非会員が新たに学術会議の会員になることによって現学術会議の会員が利益を得る。

果たしてそのようなことが許されるのでしょうか?


「行政機関」の行う手続きは「行政手続法」によっては規定されていない

そうです。

当然前述したような内容は法律。「行政手続法」そのものによって否定されています。(枠内はまずは読み飛ばしてください)

行政手続法

第4条
1.国の機関又は地方公共団体若しくはその機関に対する処分(これらの機関又は団体がその固有の資格において当該処分の名あて人となるものに限る。)及び行政指導並びにこれらの機関又は団体がする届出(これらの機関又は団体がその固有の資格においてすべきこととされているものに限る。)については、この法律の規定は、適用しない。

2.次の各号のいずれかに該当する法人に対する処分であって、当該法人の監督に関する法律の特別の規定に基づいてされるもの(当該法人の解散を命じ、若しくは設立に関する認可を取り消す処分又は当該法人の役員若しくは当該法人の業務に従事する者の解任を命ずる処分を除く。)については、次章及び第三章の規定は、適用しない。
 一 法律により直接に設立された法人又は特別の法律により特別の設立行為をもって設立された法人
 二 特別の法律により設立され、かつ、その設立に関し行政庁の認可を要する法人のうち、その行う業務が国又は地方公共団体の行政運営と密接な関連を有するものとして政令で定める法人

3.行政庁が法律の規定に基づく試験、検査、検定、登録その他の行政上の事務について当該法律に基づきその全部又は一部を行わせる者を指定した場合において、その指定を受けた者(その者が法人である場合にあっては、その役員)又は職員その他の者が当該事務に従事することに関し公務に従事する職員とみなされるときは、その指定を受けた者に対し当該法律に基づいて当該事務に関し監督上される処分(当該指定を取り消す処分、その指定を受けた者が法人である場合におけるその役員の解任を命ずる処分又はその指定を受けた者の当該事務に従事する者の解任を命ずる処分を除く。)については、次章及び第三章の規定は、適用しない。

4.次に掲げる命令等を定める行為については、第六章の規定は、適用しない。
 一 国又は地方公共団体の機関の設置、所掌事務の範囲その他の組織について定める命令等
 二 皇室典範 (昭和22年法律第3号)第26条 の皇統譜について定める命令等
 三 公務員の礼式、服制、研修、教育訓練、表彰及び報償並びに公務員の間における競争試験について定める命令等
 四 国又は地方公共団体の予算、決算及び会計について定める命令等(入札の参加者の資格、入札保証金その他の国又は地方公共団体の契約の相手方又は相手方になろうとする者に係る事項を定める命令等を除く。)並びに国又は地方公共団体の財産及び物品の管理について定める命令等(国又は地方公共団体が財産及び物品を貸し付け、交換し、売り払い、譲与し、信託し、若しくは出資の目的とし、又はこれらに私権を設定することについて定める命令等であって、これらの行為の相手方又は相手方になろうとする者に係る事項を定めるものを除く。)
 五 会計検査について定める命令等
 六 国の機関相互間の関係について定める命令等並びに地方自治法 (昭和22年法律第67号)第二編第十一章 に規定する国と普通地方公共団体との関係及び普通地方公共団体相互間の関係その他の国と地方公共団体との関係及び地方公共団体相互間の関係について定める命令等(第1項の規定によりこの法律の規定を適用しないこととされる処分に係る命令等を含む。)
 七 第2項各号に規定する法人の役員及び職員、業務の範囲、財務及び会計その他の組織、運営及び管理について定める命令等(これらの法人に対する処分であって、これらの法人の解散を命じ、若しくは設立に関する認可を取り消す処分又はこれらの法人の役員若しくはこれらの法人の業務に従事する者の解任を命ずる処分に係る命令等を除く。)

ピックアップしますと、

1.国の機関又は地方公共団体若しくはその機関に対する処分(これらの機関又は団体がその固有の資格において当該処分の名あて人となるものに限る。)及び行政指導並びにこれらの機関又は団体がする届出(これらの機関又は団体がその固有の資格においてすべきこととされているものに限る。)については、この法律の規定は、適用しない。

要約しますと、「行政機関と行政機関との間の手続きには『行政手続法』は適用しない」

と書かれています。

同じく4条の以下の条文では
2.次の各号のいずれかに該当する法人に対する処分であって、当該法人の監督に関する法律の特別の規定に基づいてされるもの(当該法人の解散を命じ、若しくは設立に関する認可を取り消す処分又は当該法人の役員若しくは当該法人の業務に従事する者の解任を命ずる処分を除く。)については、次章及び第三章の規定は、適用しない。

「行政機関が行った『不利益処分』には『行政手続法』は適用しない」

と記されています。

私自身、SNSで議論する中で、行政書士さんから直接教えていただいた内容にはなりますが、今回の学術会議の問題を考える上では皆さんの参考になると思いますので、今回記事にさせていただきました。

現学術会議の会員が行ったのはあくまでも「推薦」であり、当然「指名」ではありませんし、「申請」でもありません。

やはりその判断は 第515回の記事 にて私が掲載しましたように、他の法律で行われた「推薦」。その「判例」に基づいて判断されるのが適正であると思います。

つまり、菅さんが、次期学術会議会員候補者の一部をその推薦から除外したことに、ついて、その理由を説明しなかったことについて、これが「違法である」と裏付ける法律は存在しません。

つまり、菅さんは法令に則って粛々と自らの職務を果たしているのだという事がよくわかります。

30に上る学術会議の「専門分野」に対して、「法学者」のみが他分野の倍近い会員数を占めていて、かつその半数がなぜ共産党が設立した民間団体に所属する学者であるのか。

寧ろその「説明責任」は「共産党」にこそ求められるのではないでしょうか?




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<継承する記事>第514回 学術会議任命拒否は違法か?選任方法が変更された理由

前回に引き続き、「学術会議」の「任命問題」に関連した記事を作成します。

この問題について客観的に判断するため、まずは前回の記事から、「学術会議の任命」についての考え方を纏めてみます。

1.学術会議における「選定方法」の変遷

・昭和57年 日本学術会議法の成立
・昭和58年 学術法の改正が行われる
・平成17年 推薦の選出を「学会」ではなく、「学術会議」が行うよう法改正が行われた。
・平成30年 前記した協議が学術会議事務局と内閣法制局との間で行われた。

2.政府より内閣総理大臣の任命権限について、「形式的な任命」との発言が行われたのは、58年の法改正に関連したもので、「現在(学術会議法制定当時)の有権者である科学者が会員の選出に関与する」ことが前提とされていた。

3.平成17年の法改正が行われた際、「学術会議法制定当時の有権者による推薦」ではなく、「学術会議の会員による推薦」へと選出方法が改められた。

4.17年に法改正が行われたことで、58年当時の政府が想定していた「現在(学術会議法制定当時)の有権者である科学者が会員の選出に関与する」という前提条件が崩壊した。

5.17年の改正は

・「在来の学問体系や諸学問分野の組織図から離れて組織が構成され、メンバーも選出されるべき」
・「科学に関する知識・意見の集約を幅広く行うため、産業人や若手研究者、女性研究者、地方在住者など多様な会員が業績、能力に応じて適切に選出されるようにすべきである」

という「総合科学技術会議」の具申を受けて行われた改正である。

6.筆者である私の私見として、17年の改正が行われたことを考慮しても、そもそも、「学術会議の会員」から「在来の学問体系や諸学問分野の組織」の影響が排除されていなければ、学術会議の根本的な問題は解消されない。

大きく纏めるとこのような内容になります。

今回の記事では、ここから更に6番の具体的な考え方と、タイトルにある「行政手続法」に関連した話題を記事としてまとめようと思います。


「在来の学問体系や諸学問分野の組織図」

先ほどの「まとめ」6番のポイントとして一番大きいのはこの「在来の学問体系や諸学問分野の組織図」ではないかと思います。

ということで、まずは「学術会議のホームページ」を見てみます。

日本学術会議

こちらが日本学術会議のホームページです。

ここから会員の名前なども見ることができるのですが、今回着目してみたいのはこちら。

学術会議協力学術研究団体

画像にリンクを貼ってますので、画像をクリックすると学術会議ホームページの「日本学術会議協力学術研究団体」というページにアクセスできます。

リンク先頁でPCであれば右サイドバー、スマホであれば画面下部より上図のようなリンク元を発見することができると思います。

「協力学術研究団」との名称がつけられていますが、要は17年に法改正が行われるまで、ここに記されているような組織からの推薦を受けて学術会議の会員が決められていたということです。

で、このような団体からの影響を排除しよう・・・というのが17年法改正の趣旨であったとも考えられるわけですが、この推薦団体の中に、以下のような名称の団体が存在します。

民主主義科学者協会法律部会

実際に学会のホームページより、前述の「協力学術研究団」の項目、マ行にアクセスしていただきますと、実際にその名称が記されており、クリックすればその団体のホームページへと遷移することができます。

情報としては私オリジナルのものではなく、以下のホームページで既に掲載されている内容です。

事実を整える

実は、前回の記事で引用させていただいた→「日本学術会議の問題雑感←こちらのリンク元ページと同じ作者の方。

たどり着き方は別々の方法でたどり着いたのですが、作者が一緒だったことに正直驚いています。私もこのような、多くの人に参照とされるような記事を作成していきたいですね。とても勉強になります。

引用します。

現時点での学問分野は30ありますので単純計算すると各学問分野で7名が選出されることになります。

法学はそのうちの1つであり、法学者がどれほど選出されているのか調べました。

18期 法学者23名 政治学者3名で第二部は計26名 ※7部構成 法学は第二部

19期 法学者20名 政治学者6名で第二部は計26名 

20期 法学者15名 ※3部構成に 法学は第一部

21期 法学者15名

22期 法学者15名

23期 法学者14名

24期 法学者15名

25期 法学者11名(外された3名を加えて14名) ※令和2年10月1日時点

裏付けはきちんとできている情報だと思いますので、この情報を事実として記事は進めていきます。

疑問点としてはまさに引用先の記事に記されている通りで、学術会議会員のすべての分野に占める「法学者」の割合が多いこと。

更に問題点として挙げられるのは、このうち

22期
法学者全15名中 民主主義科学者協会法律部会所属6名

23期
法学者全14名中 民主主義科学者協会法律部会所属5名

24期
法学者全15名中 民主主義科学者協会法律部会所属7名

25期(令和2年)
法学者全14名中 民主主義科学者協会法律部会所属7名(3名が任命されず)

引用元記事では25期の3名について「任命拒否」と記されていますが、私は「拒否」されたわけではないと考えていますので、「任命されず」と表記しています。

いかがでしょうか?

本来、全分野に平等に振り分けたとすれば、各分野7名ずつにしかならないはずなのに、なぜか法学者は毎年その倍以上の人数が推薦されており、更にその半数近くが「民主主義科学者協会法律部会」という民間団体に所属しています。

この状況を「異常だ」と感じることができない人がいるとすれば、その人の方が異常だと私は感じます。


民主主義科学者協会法律部会

では、この「民主主義科学者協会法律部会」とは一体どのような集団なのか。

これは、この団体が出している「声明」を見れば一目瞭然です。
①安保関連法案の強行採決に抗議し、そのすみやかな廃案を求める。(2015年7月26日)

②安保関連法案の採決に断固抗議する。(2015年9月20日)

③憲法9条解釈変更・集団的自衛権行使容認の閣議決定に抗議する声明(2014年7月20日)

④安保関連法案(戦争法案)に反対し、そのすみやかな廃案を求める研究団体共同アピール(2015 年6 月24 日)

ちなみに③の声明に関しては日本語だけでなく、韓国語、中国語、英語での声明も掲載されています。

「安保関連法案」の事を「戦争法案」と言っていた政党はどこだったか。考えなくてもわかりますね。

「日本共産党」です。

「民主主義科学者協会法律部会」という名称から想像がつくと思いますが、「民主主義科学者協会法律部会」は「民主主義科学者協会」の「法律部会」です。

つまり、本来であれば「民主主義科学者協会法律部会」以外に「民主主義科学者協会」というものが存在していなければおかしいのですが、実はこの「民主主義科学者協会」という団体、「1950年代末から1960年代前半頃にかけて大部分の部会は実質的に解体」しているのだそうです。

情報ソースとして、Wikiに掲載されている柘植正臣という人物の記した『民科と私』という書籍のみが現時点での情報ソースなのが心もとない点はありますが、この情報を下に記事は進めます。

この情報によりますと、「1956年の第11回全国大会開催を最後に民科本部としての正常な運営体制が崩壊」し、「翌1957年に本部事務所を閉鎖、事務局を解散した」とあります。

同ページにある情報として気になるのは、

「これらは運動体というより学会・研究会として活動しており、民科の当初の目的・活動はむしろ日本科学者会議に引き継がれている」

という部分です。あくまでWikiソースで、100%信用することはしませんが、そのような見方があるって事です。

ちなみに、「民主主義科学者協会法律部会」の「声明」としてご紹介させていただいたタイトルの3番には、その「賛同団体名」として以下の団体の名前が掲載されています。
新日本医師協会

新薬学研究技術者集団

地学団体研究会

日本医療総合研究所

日本科学者会議

日本科学者会議東京支部

民主教育研究所

文学教育研究者集団

民主主義科学者協会法律部会

唯物論研究協会

歴史科学協議会

歴史教育者協議会

東京歴史学研究会

歴史学研究会

この内「新薬学研究技術者集団」「日本医療総合研究所」「民主教育研究所」の3団体以外の名称は全て「日本学術会議協力学術研究団体」の一覧の中に掲載されています。(日本科学者会議東京支部は日本科学者会議、東京歴史学研究会は歴史学研究会の一部と考えます)

この事からも、「民主主義科学者協会法律部会」が学術会議全体に及ぼしている影響も決して小さいとは言えないと思います。


改めて考える、17年法改正の理由

それでは、改めて17年に「学術会議法」の「会員の選出方法」が変更された理由について考えてみます。

・「在来の学問体系や諸学問分野の組織図から離れて組織が構成され、メンバーも選出されるべき」

・「科学に関する知識・意見の集約を幅広く行うため、産業人や若手研究者、女性研究者、地方在住者など多様な会員が業績、能力に応じて適切に選出されるようにすべきである」

これは、平成15年、に開催された「総合科学技術会議」によって具申されたものです。

この時の「総合科学技術会議」のメンバーは次の通り。

議長 小泉 純一郎 内閣総理大臣
議員 福田 康夫 内閣官房長官
 同 細田 博之 科学技術政策担当大臣
 同 片山 虎之助 総務大臣(代理 加藤 紀文 総務副大臣)
 同 遠山 敦子 文部科学大臣
 同 平沼 赳夫 経済産業大臣(代理 高市 早苗 経済産業副大臣)
 同 吉川 弘之 日本学術会議会長
 同 阿部 博之  
 同 井村 裕夫  
 同 大山 昌伸  
 同 黒田 玲子  
 同 松本 和子  
 同 薬師寺泰蔵  
 同 吉野 浩行  
  (臨時)    
議員 坂口 力  厚生労働大臣(代理 木村 義雄 厚生労働副大臣)
 同 大島 理森 農林水産大臣(代理 北村 直人 農林水産副大臣)
 同 鈴木 俊一 環境大臣
 同 石破 茂 防衛庁長官(代理 赤城 徳彦 防衛庁副長官)

こんな感じです。小泉内閣当時の「総合科学技術会議」ですね。

中には当時の学術会議会長も参加しています。それ以下の(臨時)の手前まで記されている「議員」は全て民間人ですね。(学術会議の会員がそうであるように、肩書は公務員となっているかもしれません)

このようなメンバーが具申した内容が先述した枠内の記述です。

現在ですらそうなのですから、「在来の学問体系や諸学問分野の組織図」の影響は当時はさらに問題となっていたのかもしれません。

法改正前の総務書の資料の中に「日本学術会議から推薦された会員の候補者につき、内閣総理大臣が任命を拒否することは想定されていない」との文言が出てきます。

例えばこのような文言が登場した理由として、ひょっとすると学術会議側からの「圧力」が存在した、もしくは当時の関係者等との間で一種の癒着のようなものがあったことも否定派できないかと思います。


内閣総理大臣の任命権

平成30年に、17年改正に関する内閣総理大臣の「任命権」について学術会議事務局と内閣法制局との間で資料が作成されたわけですが、その内容は以下の通り。

日学法第7条第2項に基づく内閣総理大臣の任命権の在り方について

内閣総理大臣による会員の任命は、推薦された者についてなされねばならず、推薦されていない者を任命することはできない。その上で、日学法第17条による推薦のとおりに内閣総理大臣が会員を任命すべき義務があるかどうかについて検訳する。

(1) まず、

①日本学術会議が内閣総理大臣の所轄の下の国の行政機関であることから、憲法第65条及び第72条の規定の趣旨に照らし、内
閣総理大臣は、会員の任命権者として、日本学術会議に人事を通じて 一定の監督権を行使することができるものであると考えられること

②憲法第15条第1項の規定に明らかにされているところの公務員の終局的任命権が国民にあるという国民主権の原理からすれば、任命権者たる内閣総理大臣が、 会員の任命について国民及び国会に対して責任を負えるものでなければならないことからすれば、 内閣総理大臣に、 日学法第 17 条による推薦のとおりに任命すべき義務があるとまでは言えないと考えられる。

(※)内閣総理大臣による会員の任命は、推膊を前提とするものであることから「形式的任命」と言われることもあるが、国の行政機関に属する国家公務員の任命であることから、司法権の独立が憲法上保障されているところでの内閣による下級裁判所の裁判官の任命や、 憲法第23条に規定された学閤の自由を保障ずるために大学の自治が認められているところでの文部大臣による大学の学長の任命とは同視することはできないと考えられる。

・最高裁判所の指名した者の名簿によって秤われる内閣による下級裁判所の裁判官の任命(憲法第80条及び裁判所法第40条)
・大学管理機関の申出に基づく任命権者による大学の学長等の任命(教育公務員特例法(昭和24年法律第1号)第10条)

こちらの内容ですが、憲法に言及した件は於いておくとして、ここに記されている内容は前回の記事でリンクを貼らせていただいた

日本学術会議の問題雑感

に掲載されている、「労働者委員の任命が争われた裁判例(大阪地判昭和58年2月24日)」の内容を考慮に入れたものではないかと考えられます。

リンク先内容をそのままコピペするのはちょっと控えたいので、判例の原文からポイントとなる部分を引用してみます。ちなみにこの訴訟の「原告」は「総評、同盟、中立労連、新産別などの中央組織に所属せず、純中立系もしくは無所属系と通称される大阪府下の単位産業別労働組合」。

「被告」は「知事」です。(何県かは調べられてないです)

で、原告の中には複数の原告がいて、「全大阪金属産業労働組合以外の原告」と「全大阪金属産業労働組合」。

内容はややこしいのでここですべてを記すことはしませんが、「全大阪金属産業労働組合以外の原告」の訴えは却下され、「全大阪金属産業労働組合」の訴えは棄却されています。

知事が訴えられた理由としては
地方労働委員会の労働者委員は、労働組合の推薦に基づいて、都道府県知事が任命し(法一九条二一項、七項)、知事は、当該都道府県の区域内のみに組織を有する労働組合に対して候補者の推薦を求め、その推薦があつた者の中からこれを任命するものとされている

わけですが、

被告は中立系労組の推薦する候補者のうちから、少なくとも二名を中立系労組に割り当てるべきである

のに、

「産別、総同盟、中立等系統別の組合員数に比例させる」という規準を無視し

要は中立系労組の候補者2名を任命せず、「裁量権を濫用して差別的な処分をした」というのがと主張し、原告は「本件任命処分は、被告が裁量権を濫用した違法なものであるから、その取消しを求め」ました。

人間関係や組合の構成が全くわかりませんので、具体的な内容は理解し難いのですが、この判決の中で裁判官は「全大阪金属産業労働組合以外の原告」については利益が侵害されることはない、として訴えを却下しました。

で、問題になるのはもう片方。「全大阪金属産業労働組合」の訴えに対する判決です。

この原告が原告として「侵害される利益」を有するかどうかという項目で判事は

 これらの規定の趣旨は、候補者の推薦をした労働組合に対し、その推薦をした候補者が知事から必ず任命されることまでも保障したものでないことは、推薦の性質上当然である。

 しかし、知事は、労働組合の推薦を受けていない者を労働者委員に任命することはできないから、その意味では、推薦は、被告の任命行為を拘束する性質をもつとしなければならない。


と述べています。

これは言い換えると、「労働組合の推薦を受けていない者を労働者委員に任命することはできない」けれども、「推薦をした候補者が知事から必ず任命されることまでも保障したものでないことは、推薦の性質上当然」だと言っているわけです。

この場合、「全大阪金属産業労働組合」が推薦者であり、他に推薦を受けた者がいるわけですが、推薦者である「全大阪金属産業労働組合」も侵害される利益があり、要は「原告適格を有する」とここでは述べています。

その上で判決としては、
法及び法施行令は、知事が、地方労働委員会の労働者委員を任命するには、労働組合から推薦があつた者の中から任命することにし
ている。

 したがつて、知事は、推薦があつた候補者の中から労働者委員を任命しなければならず、労働組合から推薦されなかつた者を労働者委員に任命することは裁量権の範囲を逸脱したものとして許されない。

 また、前に説示したように本件推薦制度の趣旨に照らし、労働組合から推薦された者全員を審査の対象にしなければならないから、推薦された者の一部をまったく審査の対象にしなかつた場合にも、推薦制度の趣旨を没却するものとして、裁量権の濫用があったとしなければならない。

 しかしながら、推薦は、指名とは異なるから、推薦に基づいて任命する場合の任命権者には、裁量権が与えられており、推薦された者が審査の対象とされた以上、推薦された候補者が労働者委員に任命されなかったからといつて、直ちに裁量権の濫用があったとするわけにはいかない。

本件任命処分は、地方労働委員会の委員という特別職の地方公務員の任命行為であるところ、このような行為を、相手方の同意を要する行政処分とみるか、公法上の契約とみるかはともかくとして、この任命行為は、その性質自体から、本来的に任命権者の広範な自由裁量に委ねられていると解するのが相当である。

したがつて、任命行為をするに際しての具体的な任命規準等については、そもそも法律による規制になじみにくい性質の行為であるといえる。

行政庁が、その裁量に任された事項について、裁量権行使の準則を定めることがあつても、このような準則は、本来、行政庁の処分の妥当性を確保するための一つの指針となるにすぎないものであつて、処分が右準則に違背して行われたとしても、原則として、当不当の問題を生ずるにとどまり、当然に違法となるものではない(最判昭和五三年一〇月四日民集三二巻七号一二二三頁)。

 そして、本件任命処分については、前記①(推薦がなかった人を任命しようとした)、②(法的な欠格がある人を任命しようとした)の各要件以外の事項は、すべて任命権者の裁量に委ねられているから、被告のした本件任命処分が、仮に右通牒(その存在については、当事者間に争いがない)に違背してなされたものであつたとしても、それによつて、当不当の問題が生じることは格別、違法の問題が生じる余地はない。

といった形で任命権者の裁量権の逸脱を意図した主張を徹底的に却下しています。


改めて、内閣総理大臣の「任命権」について

上記判例を頭においた上で、改めて、平生30年に作成された学術会議事務局資料を見直してみますと、
内閣総理大臣による会員の任命は、推薦された者についてなされねばならず、推薦されていない者を任命することはできない。その上で、日学法第17条による推薦のとおりに内閣総理大臣が会員を任命すべき義務があるかどうかについて検訳する。

特に前半部分、「内閣総理大臣による会員の任命は、推薦された者についてなされねばならず、推薦されていない者を任命することはできない」という文言を使用しているところから、上記判例に基づいて作成したである可能性が高いですね。

私としては「本丸」である「行政手続法」のところまで進みたかったのですが、やはり記事が長くなってしまいましたので、後は次回記事に委ねます。

ただ、「推薦の裁量権」が「任命段階」で違法となるようなことが判例でも徹底的に否定されていることが記事としてはご理解いただけたのではないでしょうか。ちょっと、他人のふんどしで相撲をとったような記事ではあったかもしれませんが、私としては訴えたい内容の一つでしたので、ご容赦いただければと思います。




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先日より、とあるSNSでタイトルにある学術会議任命拒否の問題が議論となっておりまして、議論を通じて私の中で一つの「答え」がまとまりましたので、備忘録的にこの記事を作成します。

まずはニュースの引用から。

【NHKニュースより】2020年10月9日 17時59分
日本学術会議の元会長 任命拒否は法律違反の可能性と批判

NHKニュース学術会議批判

「日本学術会議」の会員候補6人が任命されなかったことをめぐり、会議の元会長2人が野党の会合に出席し、在任中に2度、会員候補の任命などで政府の関与があったことを明らかにしたうえで、今回の政府の対応は法律違反の可能性があると批判しました。

野党の会合には、3年前の平成29年まで6年間、「日本学術会議」の会長を務めた東京大学の大西隆名誉教授と、大西氏の前に会長を務めた東京大学の広渡清吾名誉教授が出席しました。

この中で大西氏は、在任中、4年前の平成28年に行われた会員の定年に伴う補充人事と、3年前の平成29年の新たな会員候補の任命で、総理大臣官邸の関与があったことを明らかにしました。

そして、4年前の補充人事では官邸が難色を示して欠員となった一方、3年前の会員候補の人事は、候補者を決める前の段階で官邸から選考状況について説明を求められたものの、会議の推薦どおりに任命が行われたということです。

大西氏は政府の対応について「会議の会員になることは、学問の表現の1つの手段だ。その機会が奪われることは、学問の自由を制約していることになる。また、選考基準と違う基準を適用し、任命拒否したとなれば日本学術会議法違反になる」と述べました。

また、広渡氏は「今回の判断は、明らかに日本学術会議法に反する判断で、菅総理大臣の行動は全く誤っているとしかいいようがない。任命されなかった6人を外せば、会議が総合的、ふかん的になるのか、きちんと説明する責任がある」と述べ、それぞれ政府の対応を批判しました。

一方、広渡氏は、自民党の下村政務調査会長が、7日の記者会見で「日本学術会議」について、「法律に基づく政府への答申が2007年以降、提出されていないなど、活動が見えていない」と指摘したことについて、「答申は、政府が諮問してくれないとできない。『あなた方が諮問しなかっただけですよ』ということだ。喜んで活動するので、どうぞ諮問してください」と述べました。

任命された学術会議の会員は99人
日本学術会議の会員として今月1日付けで任命された研究者は99人です。

学術会議の会員は210人とされていて、3年ごとに半数を任命する制度になっていますが、今回は菅総理大臣が6人の任命を見送ったため、会員は204人となっています。

今回、任命された会員は、人文・社会科学の研究者が所属する第一部には、津田塾大学学長の※高橋裕子さん。

生命科学の研究者が所属する第二部には、大阪大学医学系研究科の心臓血管外科学の教授で、世界で初めてiPS細胞を使った心臓病治療の手術を行った澤芳樹さん。

理学・工学の研究者が所属する第三部には東京大学地震研究所の教授で、津波のメカニズムの研究をしている佐竹健治さんなどがいます。

一方、今回、会員に任命されなかった6人は全員、「安全保障関連法に反対する学者の会」の呼びかけ人、または賛同者でした。

NHKが調べたところ任命された99人のうち、劇作家で大阪大学特任教授の平田オリザさんなど10人もこの会の呼びかけ人、または賛同者として会のホームページに掲載されています。

改めて述べる必要もないかもしれませんが、上記の記事で問題とされているのは、本年(令和2年)10月に内閣総理大臣へと就任した菅(すが)さんが、日本学術会議新会員を任命する際、日本学術会議から新会員候補者として推薦を受けた105名の内、任命しなかった、とされる問題の事です。

推薦を受けた新会員候補者の内6名を任命しなかったことを「任命を拒否した」と吹聴し、これが「日本学術会議法違反の疑いがある」と前学術会議会長である大西隆氏が主張している、というのが上記記事の内容です。

今回の記事の目的は、この「任命拒否問題」の違法性を否定することにあります。


前会長が違法性を主張する「学術会議法」とは?

「日本学術会議」そのものについては私も今回の騒動で初めて認知したタイプですから、これがどのようなものか、という具体的な説明は省略します。(正確性を欠く可能性が非常に高いため)

単純に言えば「日本の学者によって構成された、内閣府の下部組織」です。それ以上具体的な説明は現段階では控えます。

で、「日本学術会議法」とは、その日本学術会議の在り方について定めた法律の事です。

前文と1条、2条だけ先に掲載しておきます。

日本学術会議法

日本学術会議は、科学が文化国家の基礎であるという確信に立つて、科学者の総意の下に、わが国の平和的復興、人類社会の福祉に貢献し、世界の学界と提携して学術の進歩に寄与することを使命とし、ここに設立される。

第一章 設立及び目的

第一条 この法律により日本学術会議を設立し、この法律を日本学術会議法と称する。
2 日本学術会議は、内閣総理大臣の所轄とする。
3 日本学術会議に関する経費は、国庫の負担とする。
(平一一法一〇二・平一六法二九・一部改正)

第二条 日本学術会議は、わが国の科学者の内外に対する代表機関として、科学の向上発達を
図り、行政、産業及び国民生活に科学を反映浸透させることを目的とする。

で、前学術会議会長は菅さんの「任命拒否」がこの「学術会議法」違反に当たる、と主張しているわけです。


菅首相の任命拒否は学術会議法の何に違反しているのか?

前学術会議会長を始め、多くの「知識人」やはっきり言えば「現政権に反対的な立場をとる人たち」は、まず今回の「任命拒否」が以下の法律に反している、と主張しています。
第七条
2 会員は、第十七条の規定による推薦に基づいて、内閣総理大臣が任命する。

第十七条 日本学術会議は、規則で定めるところにより、優れた研究又は業績がある科学者のうちから会員の候補者を選考し、内閣府令で定めるところにより、内閣総理大臣に推薦するものとする。

上の条文にある「内閣府令」とは以下の内容です。

平成十七年内閣府令第九十三号
日本学術会議会員候補者の内閣総理大臣への推薦手続を定める内閣府令

日本学術会議法(昭和二十三年法律第百二十一号)第十七条の規定に基づき、日本学術会議会員候補者の内閣総理大臣への推薦手続を定める内閣府令を次のように定める。

日本学術会議会員候補者の内閣総理大臣への推薦は、任命を要する期日の三十日前までに、当該候補者の氏名及び当該候補者が補欠の会員候補者である場合にはその任期を記載した書類を提出することにより行うものとする。

附 則
この府令は、平成十七年十月一日から施行する。

主張の根幹としては、「内閣総理大臣に学術会議の推薦を拒否する権利はない」といいう主張です。

と、ここまで読めば学術会議や政権に反対する立場をとる人がいかに無茶苦茶な主張をしているのか・・・という事を感じていただくことができると思います。

実は、ここに記されている「推薦」の問題については既に裁判にて複数の「判例」が出ており、行政府や地方公共団体が「推薦」に基づいて「任命」を行う際にはある程度の「裁量」があることが認められています。

記事としては、以下のリンク先が非常に詳しいので、そちらのリンク先でご覧いただければと思います。
↓↓↓
日本学術会議の問題雑感

判例では、「推薦は、指名とは異なる」ことを根拠に、「任命行為は、その性質自体から、本来的に任命権者の広範な自由裁量に委ねられていると解するのが相当である」とされています。

判例はこれを覆す判決が出るまでは一つの「法律」としての性格を持ちますので、要は推薦に裁量が認められることは法律で保障されている、と解釈すべきでしょう。(ただし、その裁量の範囲については異論あり)


任命拒否を問題視するグループが違法であるとする根拠

とはいえ、相手も「学術会議」の名の通り、法律の専門家も多く抱えた組織ですから、何の根拠もなく推薦拒否の違法性を主張しているわけではありません。

これはニュースとしては既出ですので、多くの方がご存じだとは思いますが、昭和58年に学術法の改正が行われた際、当時の中曽根総理大臣より「政府が行うのは形式的任命にすぎません」との発言が行われていること。

合わせて当時の総理府総務長官より、「学会の方から推薦をしていただいた者は拒否はしない、そのとおりの形だけの任命をしていく」との発言が行われていること。

同じ時期に作成された内閣府資料には「特に法律に想定するものを除き、内閣総理大臣は、日本学術会議の職務に対し指揮監督権を持っていないと考える。」との文言が記されていること。

この3つを根拠として任命拒否を問題視するグループは菅さんの任命拒否を「違法である」としているわけです。もしこれが合法だとするのなら、中曽根政権時代の解釈を変更しなければなりませんからね。


変更された「会員の選出方法」

ですが、上記を根拠とした主張にも当然「穴」があります。

中曽根さんが推薦方法に対する「解釈」を述べたのには当然「きっかけ」がります。以下の年表は私が作成したものです。
昭和57年 日本学術会議法の成立

昭和58年 学術法の改正が行われる
これまでの会員の選出方法が学会での総選挙から「科学者が自主的に会員を選出する推薦制」に変更。(首相による任命制度が行われるようになったのはこのとき)

改正を受け、中曾根氏より「形式的な任命」との発言がなされる。

平成17年 推薦の選出を「学会」ではなく、「学術会議」が行うよう法改正が行われた。

平成30年 前記した協議が学術会議事務局と内閣法制局との間で行われた。

今回の「任命拒否騒動」に至るまでの学術会議の「会員選出方法の遷移」について時系列でまとめてみました。

ご覧いただくとわかる通り、中曽根さんが学術会議からの「推薦」についての考え方(解釈)を示したのは昭和58年に行われた学術会議法の「法改正」を受けてのものです。

学術会議法が制定されたのは昭和57年ですが、翌昭和58年、「法改正」という手段によって学術会議の会員選出方法が変更されています。それまでは学術会議ではなく、学会全体における「総選挙」で学術会議の会員は選出されていました。

ですので、その結果を政府側が提示された場合、これを政府側の意思で「拒否」するという想定は当然なかったものと思います。

ですが、その選出方法が「総選挙」から「科学者が自主的に会員を選出する推薦制」に変更されました。つまり、それまで「選挙」という方法を通じて選ばれていた学術会議の会員が、選挙ではなく「推薦」によって選ばれることになったのです。(共産党などはこれを「現在の有権者の学術会議会員を選出する権利を奪う」と考えていたようです)

これに対し、政府側は「現在の有権者である科学者が会員の選出に関与する点においては基本的に同じである」と考えており、ゆえに、「学会の方から推薦をしていただいた者は拒否はしない、そのとおりの形だけの任命をしていく」との考え方を示したのです。

ですが。私が何をお伝えしたいのか、もう既に気づいている方もいらっしゃるでしょうが、平成17年。実はもう一度「会員の選出方法の変更」が行われています。58年同様、「法改正」という方法が取られています。

それも「推薦方法」が変更されており、それまで「科学者が自主的に」選出していた推薦方法から「学術会議が直接」推薦を行う方法に変更されたのです。

この時点で、「現在の有権者である科学者が会員の選出に関与する点においては基本的に同じである」という前提が崩れていることがわかりますね?

であれば、当然推薦方法が変更されたこの時点で、政府より変更された推薦方法に対する新たなる「解釈」が示されるべきだったのではないでしょうか?


「想定」されていなかった任命拒否

ただし、上記内容についても「反論」が存在しないわけではなく、改正法が制定される際、「内閣法制局」によってこの選出方法改正についての資料が作成されています。

学術会議法改正の趣旨

具体的な箇所を転記しますと、
現行の登録学術研究団体の推薦に基づいた会員選出方式を廃止し、会員選考については、現会員による選出制度に改正する。

具体的には、日本学術会議が規則で定めるところにより、優れた研究又は業績がある科学者のうちから会員の候補者を決定し、内閣総理大臣に推薦し、内閣総理大臣が、その推薦に基づき、会員を任命することになる。

この際、日本学術会議から推薦された会員の候補者につき、内閣総理大臣が任命を拒否することは想定されていない。

この資料が実際にどのタイミングで作成されたのかはわかりませんが、少なくとも平成17年に行われた「選出方法の改定」に関連した法改正に伴って作成されたことであることは間違いありません。

ここは私の「私見」になりますが、一つ疑問があります。

この文書の冒頭で「総合科学技術会議の意見具申」で具申された内容として、
「在来の学問体系や諸学問分野の組織図から離れて組織が構成され、メンバーも選出されるべき」と記しされており、「現在の7部制や学協会の推薦による会員選出方法は見直す必要がある」

と記されています。

また途中には
「科学に関する知識・意見の集約を幅広く行うため、産業人や若手研究者、女性研究者、地方在住者など多様な会員が業績、能力に応じて適切に選出されるようにすべきである」とも記されています。


では、選定方法を「現行の登録学術研究団体の推薦に基づいた会員選出方式を廃止し、会員選考については、現会員による選出制度に改正する」ことによって、本当に上記のような課題は改善されるのでしょうか?

例えば「現会員」に対して、「在来の学問体系や諸学問分野の組織」であったり、「学協会」であったりの影響が強く残っていたとしたら、会員選出方法を「現会員」からの推薦に限定してしまえばかえってその「偏り」はより深刻なものになるのではないでしょうか?

では、その客観的な判断は一体だれが行うのでしょう?

そもそも一体なぜ「内閣総理大臣が任命を拒否すること」が想定されなかったのでしょうか?

このような疑問は普通、多くの人が持ってしかるべき内容だと思います。


まとめ

本日の記事は少し長くなりましたので、記事を分けて続きは次回記事に委ねようと思います。

予定としては私が最後の章の末尾で示した問いかけに対して、政府はいったい同様な対応をしたのか。

またその上で「学術会議法」ではなく、「行政手続法」の観点から議論となった総理の「任命拒否」について、記事を作成してみようと思います。




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今回はいつもとは少し違う、敢えて言いうなれば「ミクロ経済」に関連した記事をお届けします。

と言ってもタイトルにある通り、ピンポイントで「ソフトバンク光」及び「ソフトバンクエア」という、自宅でWi-Fi環境を利用するためのソフトバンクの商品、「ソフトバンク光」及び「ソフトバンクエア」についての記事です。

余りこういう記事は書くつもりはなかったのですが、あまりに腹が立ったので、ソフトバンクのこの「手口」について、私のブログを通じて共有しておこうと思い、記事を作成することにしました。

ずっと昔から思っていたのですが、私、この件については立場的に「業者」になりますので、あまり好ましくないと思っていましたし、そもそもこのブログを作成する目的からは逸れていますので、私のブログで記事にすることはありませんでした。

ただ、リアルに私の仕事上、顧客とのトラブルに発展することも出てきましたので、記事を通じて、少しでも多くの人にソフトバンク光、及びエアの「悪徳商法」を共有し、ものすごく微力ではありますが、ソフトバンク社へのプレッシャーとなり、対応が改善されることを願って、本日の記事を作成します。


まずは基礎的な部分から

と言っても、全ての人がこの「Wi-Fi環境」について詳しいわけではないでしょうから、冒頭に少しだけご説明しておきます。

Wi-Fi環境

イメージとしてはこんな感じ。フリー素材から落としてきたものですが、端的に表している画像だと思います。

左端の地球儀のような画像が家の外。電線や電柱だとでも思ってください。これと横線でつながっている長方形の画像が「ルーター」。ご自宅でインターネットを使用するためには、この「ルーター」というものが必要不可欠です。

多くの場合はこのルーターの前に光回線の「終端装置」と呼ばれるもう一つ別の機械がついているのですが、実際に使用者が意識するのは先ほどお伝えした「ルーター」という機械です。

で、「Wi-Fi」というのは簡単に言えば無線接続の事。上の図でいうと右上の図形がスマホ、右下の図形がパソコンになるのですが、スマホもパソコンもルーターとは直接つながっていませんね? 直接つながっていなくても、「ルーター」さえあればインターネットを利用できる仕組みが「Wi-Fi」というものです。

逆に「有線接続」の場合は特にパソコンで使用されるものですが、ルーターとパソコンが「LANケーブル」という線。

LANケーブル

こんな線で直接つながっています。

見た目でつながっているので、「インターネットができる理由」が想像しやすいのが「有線接続」なのですが、最近はお年寄りの方もスマホをお持ちなので、「無線接続」という状況も昔よりはイメージしやすくなっているかと思います。


インターネット事業者との契約のイメージ

で、たとえ自宅に「無線ルーター」というものがあったとしても、インターネット事業を行っている業者さんと契約していなければインターネットは使うことができません。

インターネット事業者は、主に

①インターネットを利用することのできる回線
②インターネットを利用するための情報を保管する設備

という二つの設備をユーザーに提供しています。いうなれば、①が土地、②が建物のようなイメージです。

Wi-Fi環境の基盤

こんな感じ。①を提供しているのが主にNTT。②を提供しているのが「プロバイダ」と呼ばれる事業者です。

例えば、通信会社の大手、ドコモ、ソフトバンク、auは全て「プロバイダ」と呼ばれる事業を営んでいます。

パターンとして、この①をNTTが、②をプロバイダ会社が別々にやっているケースでは、①と②を別々に契約する必要があります。

ところが、事業者の中にはプロバイダ事業者がNTTの回線事業を買い取っていて、自社でプロバイダ事業とインターネット回線事業を両方行っているパターンもあります。このような業務形態の事を「コラボ光」と呼びます。

ドコモ、ソフトバンク、auは全てこのコラボ事業者になります。

特殊なのは、ドコモとauはコラボ事業者でありながら、自社が買い取った回線を他のプロバイダ事業社に提供し、両社ではインターネット回線の事業者とプロバイダの事業が別れているケースもあります。

ただし、どの事業者も同じ「NTT回線」を利用していますので、コラボ事業者であれば、直接工事をすることなく、電子的な手続きをするだけで事業者の乗り換えを行うことができます。

利用者によれば「今までauの回線を利用していたはずなのに、いつの間にかNTTの回線に変わっていてびっくりした」なんて経験のある方もいらっしゃるのではないでしょうか。


悪徳事業者、ソフトバンク

さて。ここからが本題です。

事業者を乗り換える場合、新しい事業者に変えるわけですから、当然古い事業者に対する「解約」の手続きが必要になります。

ソフトバンク光、及びソフトバンクエアの「悪徳」っぷりは、実はこの解約の手続きを行うときに露見します。

事前にお伝えしておきますが、これからお伝えするやり方をするのははっきり言ってソフトバンクだけです。それ以外の事業者ではこのようなことにはまずなりません。一部、他の事業者でも同様の事例が発生したことはあるのですが、ソフトバンクに比べれば雀の涙。

例えば解約手続きをソフトバンクと行ったときは7:3くらいの確率で同様の事例が起きるとすれば、他の事業者で同様の事例が発生する確率はよくて1:9くらいのものです。

仮に過去、私が不満に感じていた事業者がいたとしても、現在ではほぼ改善されています。全く改善されていない(改善された部分もありますが、根本的な部分が全く改善されていません)事業者はソフトバンク光、ソフトバンクエアだけです。


過去の悪徳事例から

まずは、現在は改善されているが、過去にあったとんでもない「悪徳商法」の事例から。

過去のソフトバンクが高確率で行っていた悪徳商法の代表事例が「抱き合わせ販売」です。

私が言及している商品で、「ソフトバンクエア」というものがありますが、この商品、よくご理解なさっていない方もいると思いますので、少しだけこの商品について説明しておきます。

ソフトバンクエア

機械としてはこんな機械。商品としては「ルーター」になるのですが、この商品、実は設置するときに工事が必要なく、

Wi-Fi環境

こちらでいうと地球儀のマークとルーターをつないでいる配線。これが必要ありません。ソフトバンクエアを購入し、家に持ち帰って電源に刺すだけでルーターとして使うことができる、という優れものです。

携帯会社の電波って、目に見えないだけでそこら中に飛び回っているわけですが、ソフトバンクエアはその中からソフトバンクの電波だけを選んでつながった上で、その電波を増幅する増幅装置。

ですが、光回線ではありませんので、速度に問題がありますし、ソフトバンクの電波が弱いエリアでは元々弱い電波を増幅しているので、せっかく購入したは良いものの、全くつながらない・・・なんてことも往々としてあります。

そう。先走って記してしまいましたが、ソフトバンクエアは、他の光回線事業と異なり、単に契約をして利用料を払うだけでなく、更に本体を購入し、これを分割して支払うことが必要なのです。1620円×37回=59940円です。

この事をまず、覚えておいてください。


ソフトバンクの抱き合わせ商法


この章では「過去の悪徳事例」をご説明いたします。で、過去のソフトバンクは、このソフトバンクエアを購入する際、「タブレット端末」や場合によっては「パソコン」を「実質無料」でプレゼントしていました。

ソフトバンクエア本体もそうなのですが、ソフトバンクはこれらの「商品」の料金を分割して利用料金の中から「値引きする」、と言う手法を用います。

わかりますでしょうか。ソフトバンクは、タブレットやパソコンを「実質無料」でプレゼントしているとお伝えしましたね?

つまり、ソフトバンクエアの本体代に加えて、ソフトバンクではタブレット代やパソコン代を「分割」して「利用料金に上乗せ」した上で、その分割料金を「値引き」して実際はお客さんにタブレットやパソコンを購入させているのです。

ソフトバンクエアに加入して、実際に利用料金を支払っている間は問題ありませんが、では例えばこれを他の光回線事業者に乗り換えようとするどうなるでしょうか?

多くの場合、乗り換える前に他の事業者が工事に入り、インターネット環境を整えた上で解約の手続きを行います。

そう。この時に利用者は初めて気が付くのです。自分はソフトバンクから普段使いもしないタブレットやパソコンを「購入させられていた」ということに。

あくまでも「過去の事例」として記していますので、時系列は「今」ではないことだけご注意をいただきたいのですが、解約をしたいと申し出ると、ソフトバンクからはこのように言われます。

「タブレット」または「パソコン」の「残債」が残っていますので、「一括して支払ってください」と。

これに上乗せして「ソフトバンクエア」の残債も請求されます。私が応対したおばあちゃんはパソコンを買わされていたわけですが、「支払っていただけなければ裁判所に訴えます」とまで言われていました。

一応、この内容はあくまで過去の話です。ここ数年は聞かなくなりました。この手法はソフトバンクエアの解約だけでなく、ソフトバンク光との契約でも用いられていました。


「ソフトバンクエア」そのものが悪徳商品

さて。ここまで記すと薄々感じている方もいるかもしれませんが、解消されたのは「タブレットやパソコン」の事例のみで、実はソフトバンクエア本体に関してはまだ解消されていません。

「解消されていない」というと語弊がある(改善されている部分もある)のですが、根本的な部分は同じです。

ソフトバンクエアは1620円を37回払いで購入させられるものですから、実は37回経たずに解約をすると「本体代」を請求されます。

例えばその使用期間が1年であれば残り25回分は残っていますから、解約するときになると残債を40500円払え、となるわけです。

更に、ここは現在では一部解消されていますが、このソフトバンクエア、「ルーター」であるにも関わらず、ソフトバンクエアとしての機能以外、利用する方法がありません。つまり、解約した瞬間に「ゴミ」と化すのです。

6万円近く代金を支払っているのに、解約するとゴミになる商品。私、この存在を始めて知ったときははっきり言って絶句しました。

この機能に、さらに「おうちのでんわ」なるソフトバンクエアの電話版みたい機械がついているケースもあり、この機械に対しても残債を支払わされます。

そして、ソフトバンクエアの契約そのものに「2年縛り」がありますので、2年経過する前に解約をすると本体代に加えて「違約金(10450円)」まで請求されます。


ソフトバンクエアの送り付け商法

ソフトバンクエアの悪徳っぷりには、実は第2段階がありまして。このところよく見かけるのは、ソフトバンクエアに利用年数が2年ほど経過した自宅に「新しいソフトバンクエアが送り付けられる」という事例です。

利用者からしますと、機能がよくなった新しいエアが届くわけですから、それは「使ってみよう」という気になりますよね?

ところが、これも実はソフトバンクの仕掛けたトラップ。このソフトバンクエアもまた「実質的なプレゼント」なのです。

利用者は、「分割代金を利用料から値引きする」という手法で、実は新しいソフトバンクエアを「買わされている」んですね。

ですから、既に3年経過しているはずなのに、解約をすると当然のようにして「本体代残債」である約4万円を支払わされます。加えて「2年縛り」ですから、違約金も支払わされるわけです。そして解約すると残債を支払ったその本体は「ゴミ」と化します。

前章で「一部改善された」とお伝えしましたが、それは、「残債」を「一括して支払え」と言われなくなったことです。1年ほど前頃から、漸く本体代の支払い「分割」して継続支払いすることが可能になりました。

また、「本体」に関しても、数か月前よりようやく「再利用」することが可能になりました。ですので、いつか再利用する機会がくるまで保管していれば、「ゴミ」と化すことはなくなったのですが、本質的な問題は全く改善されていないと思います。


実は「レンタル」できるソフトバンクエア

そう。私、「本質的な問題は全く改善されていない」と言いましたが、このルーター、実は「レンタル」することができるのです。

利用料にレンタル料が490円上乗せされますが、解約するためのハードルはレンタルにすればぐっと下がります。

ですが、実際にこれを「レンタル」している人に出会ったことは私、ほとんどありません。数多くお会いした中で3名ほどでしょうか。

レンタル料は490円。一方、購入した際の買取料は1620円。

1620円は値引きされるのに、500円は上乗せされる。これも非常に不思議な話ですし、料金設定がそもそも「買取を前提とした」料金設定になっているとしか考えられません。

一方、同様の商品がauからも出ています。「ホームルーター」という名称です。

auホームルーター

auホームルーターの場合は基本使用料金が4292円。ソフトバンクエアは4880円です。

エアの場合は、これに加えてレンタルの場合は490円増し。買取の場合は分割金額分値引き、という仕組みです。(買取の場合、携帯をソフトバンク、Ymobileで契約している場合はこれに携帯代の値引きがついてきます)

料金にはそれぞれ消費税が加算されます。

auホームルーターは、「買取」という設定がありません。ですから、当然解約のときになったら突然本体代が・・・なんてことにはなりませんし、違約金10450円さえ支払えばどのタイミングでもかんたんにやめることができます。

これだけ比較しても、ソフトバンクエアの「悪徳っぷり」が見えてくるのではないでしょうか。


最大の「悪徳」は解約窓口のオペレーター

さて。ここからは本題の本題。私が最もお伝えしたいのはこの後の内容です。

もう一度言っておきますが、同じ現象はソフトバンク以外では発生しません。auで一時期同様の事例が発生していましたが、現在は改善されていますし、BIGLOBE(回線はau)で解約したときにも1度だけ同じ体験をしましたが、ソフトバンク以外で私が体験した事例はその程度です。

ところが、ソフトバンクは十中八九と言っても良いほど、以下の事例が発生します。もちろんそうではないオペレーターさんもいらっしゃいますが、まず以下のような対応をされる、と覚悟して解約をする必要があります。


ソフトバンク光・ソフトバンクエアの対応内容(詳細)

解約のため、ソフトバンクに個人情報を伝えると、まず「確認のため」という理由で5分ほど待機されます。

例えばドコモ光さんの場合は、極稀に明らかに新人と思われる人が出てくる場合があります。この場合、お客さんに情報を一つ確認するたびに後方のベテランさんと思われる人に内容を確認しているらしく、その都度数分ずつ待たされる・・・というケースがあるのですが、これは理解できないわけではありません。

ところが、ソフトバンクの場合は同じタイミングほぼすべてのオペレーターで5分近く待たされます。

待たされた後、契約内容の説明を受け、以下のような順番で「解約を断念させるための案内」をしてきます。

①事業者の乗り換えをする場合、乗り換え先の事業者の利用料金を聞いてくる

②金額を聞いた後、値引きの提案をしてくる(乗り換え先の金額に合わせた値引き額を提案してくる)

③断ると、ソフトバンク光の場合はソフトバンクエアへの、ソフトバンクエアの場合はソフトバンク光への乗り換えを勧めてくる

④(引き継ぎ先の事業者の工事が終わって1週間経過していない場合)引き継ぎ先の利用状況を確認し、1週間後にかけ直すよう言われる

⑤今日解約してほしい、というとしつこく1週間後にかけるよう勧めてくる

⑥尚、今日解約してほしいというと、なぜか2~3日後に電話をかけ直すという話になっている

⑦最悪、この段階で解約手続きが決裂する

という流れです。

おおよそ①~⑦までの流れで30分以上時間がかかる場合もあります。

つまり、解約のための電話をしているのに、解約をさせてもらえないのです。

何度も言いますが、このようなことをするのはソフトバンクだけです。他の事業者でこの事例がないわけではありませんが、「例外」と言って差し支えないほどです。ソフトバンク以外で解約ができなかったのは先程お話した中で、BIGLOBEの事例のみ。

ソフトバンク以外で「解約させてもらえない」ことなどまずありえないわけです。

私の出会った事例ですと、これもおばあちゃんだったと思いますが、冒頭で②のような説明をされた上で、なんと返答してよいかわからず固まってしまった段階で、「お返事がないと言うことは認められたと言うことでよろしいですね」と言われたことすらあります。

同じく②の段階で、乗り換え先の事業者より料金が安くなることを理由に、「こんなに安くなるのになんで解約するんですか!」と「恫喝」とまでは言わないまでも、恫喝に近い勢いで解約を阻止された方もいらっしゃいます。(30分以上話した上で解約することができず、電話を切って掛け直し、ようやく解約することができた)

こちらが「解約したい」と言っているのに、オペーレーターが3人ほど代わり(上司に代わります、的な代わり方)、代わる度にオペレーターが全く同じ話をし、呆れて電話を切り、掛け直してようやく解約・・・といった事例もありました。

すべてソフトバンクです。

もちろんそうではないオペレーターもいらっしゃいます。ですが、かなりな高確率でこのようなオペレーターが出てくるのがソフトバンク光、あるいはソフトバンクエアの解約窓口です。

先程の事例の中で不思議に思う方もいらっしゃるかもしれませんので説明しておきますと、ソフトバンクが「7日後にかけろ」と言って来るのは、工事をした後、クーリングオフ期間が過ぎた後にかけてこい、と言って来ているのです。

ですが、そんなことを言ってくる事業者はソフトバンク以外にありませんし、また事業者によっては工事の段階で既にクーリングオフ期間が過ぎてしまっている事業者もあるのです。仮にクーリングオフを使うということは、工事済みの事業者に対して再度工事の依頼をすると言うことですが、もちろんソフトバンクがその手続を手伝ったりすることはありません。

結局板挟みになるのは利用者です。

ソフトバンクと解約をするときはスキを見せないよう、はっきりと向こうにこちらの意思を伝える必要があります。強い口調で、はっきりと伝えなければ向こうのペースに巻き込まれてしまいます。

気の弱い人やお年寄りだと一層ハードルが高くなってしまいます。そもそも解約するのに攻略法が必要な事業所があることがまずおかしい。


「MANOMA(マノマ)」と「おうちのでんわ」という新手

「おうちのでんわ」については「ソフトバンクエア」の関連商材として前半でご説明したと思うのですが、このところ、この「おうちのでんわ」と組み合わせになる形で、「MANOMA(マノマ)」という通信関連の商材が売りつけられている事例を見るようになりました。

「MANOMA」というのは、Wi-Fiの機能がついたセキュリティシステムで、例えばこどもやペット、お年寄りの見守りなど、いわゆる監視システム商材です。

ところが、この商材を「Wi-Fi商品」として売りつけられ、契約をさせられているケースをこのところ複数回見かけました。そのうち2件では「おうちのでんわ」をセットで契約させられていたのです。

これはものすごく疑問で、同じWi-Fi商品を売りつけるのなら、まだ今回話題としたソフトバンクエアを販売すれば良いと思うのですが(ソフトバンクエアとおうちのでんわは実は合体させる事ができるセット商品)、なぜかソニーの商品であるMANOMAとおうちのでんわで契約をさせられているのです。

お一人は「シンプルプランという安い分だけ購入したんですよ」とのこと。

ですが、実際解約手続きをしてみると7万円を超える商品を購入させられていて、中には「カメラ」というWi-Fi機能とは全く関連性のない商材まで売りつけられていました。

途中でご紹介しました様に、これがauのホームルーターであれば、税込みでも月々5000円弱の支払いで同様の機能が使用できますし、解約時も10450円だけ支払えば解約ができます。

ですが、なぜかそういった低コストの商品ではなく、莫大な金額の商品を購入させられていているのです。

そしてそこになぜかひっついているソフトバンクの「おうちのでんわ」。

ほんと、今の私にはソフトバンクに対する不信感しかありません。

何より、向こうの事情でこちらの業務に支障を生じさせるのだけはマジでやめてほしい。私にはお客さんを怒らせるつもりなど毛頭ありませんし、少しでも穏便に決着がつくよう仕事を勧めているのですから。

なんであんな会社に通信事業者としての許可が与えられているのか、私には全く理解できません。

ということで結論ですが、ソフトバンク光、ソフトバンクエアとだけは絶対に契約してはいけません。私の体験から声を大にしてお伝えさせていただきます。





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<継承する記事>第511回 改めて考える安倍内閣の評価~赤木氏はなぜ自ら命を絶ったのか~

前回の記事を記したのが令和2年9月20日。本日が10月18日ですので、既に1ヶ月近く経過しております。お仕事の事情です。

「安倍内閣の評価」という記事を記すには既にドン・キホーテ状態となりつつありますが、私としてどうしても記したい記事が残されていますので、その内容を本日の記事とします。

前回の記事で、「『モリカケサクラ』について改めて検証する目的で記事を作成したい」と記していながら、まだ「モリ」の話しかしていないじゃないか、とツッコミを受けてしまいそうですが・・・。

ちなみに「モリ」についてはとうとう亡くなった赤木さんの上司の方の証言がニュースとなりまして、微細な部分で私の推測と異なる部分こそありましたが、ほぼ私の記事内容通りの証言をなさっていましたね。ひょっとすると次回以降でその話題に触れるかもしれません。

前置きが長くなりましたが、本日のテーマは安倍内閣で行われた「消費増税」について。

安倍内閣が終結して既に1か月を過ぎたわけですが、未だに「消費増税を廃止すべきだ」とか、「減税すべきだ」と言った意見をよく見かけます。

勿論、減税をすればそれだけ国民一人一人の負担は減りますから、「消費が増える」。消費が増えればまずは消費税収が増えますし、その分法人が儲かれば法人税収も増えます。法人が儲かれば雇用や給料にも反映されますから、当然所得税も増えます。

いいことばかりじゃないか・・・という意見があるのも最もです。

ですが、ではなぜ「消費増税」が行われたのか。これは、私の中には実は一つの結論があります。これを本日の記事とします。


政府の歳入と歳出を比較

よく、「プライマリーバランス(財政均衡)」が話題となることがあります。

つまり、国の税収(歳入)と歳出のバランスを均衡すべきだ、という話です。

ですが、これは私のブログでも散々述べていることですが、まず日本国政府は「60年償還ルール」というルールに基づいて国債を発行しており、たとえ国債を大量に発行したとしても、これは60分割されて60年にかけて返済されるので、毎年の負担は少なくなるという事。

また、国内に日本銀行券の発券機関。つまり「日銀」がいるため、仮に償還不能になるのであれば日銀に通貨を発行し、既発債に限りますが、これを購入させればよいという事。これは既に安倍内閣で黒田日銀が実行しており、多くの人が違和感を持たなくなっていると思います。

そして最終的に破綻に追い込まれるのあれば、日銀の資産である国債と政府の負債である国債を貸借対照表を連結させることで相殺し、0にしてしまえばよいという事。

このような理由から、仮にプライマリーバランスを無視して国債を発行し続けたとしても、よっぽどの妙な法律を作らない限り日本国債が破綻することはない。このようなことは多くの人が認識するようになっていると思います。

私自身そのような認識は有している、という前提条件で本日の記事をご覧ください。

話をサブタイトルに戻し、世間がまだコロナの影響に晒されておらず、コロナの影響を前提としない予算としては最新の予算となる令和元年の日本国政府の「歳入」と「歳出」を見てみます。

【令和元年度歳入】
令和元年歳入

【令和元年度歳出】
令和元年歳出

円グラフだと比較しにくいので、表にしてみます。

【歳入】
所得税 19.529兆円
法人税 12.065兆円
消費税 21.719兆円
その他税収(+印紙収入) 10.2兆円
公債金(つまり、国債) 32.5562兆円
その他収入 6.5888兆円
歳入総額 102.6580兆円

【歳出】
社会保障関係費 35.8608兆円
公共事業関係費 6.8571兆円
文教及び科学振興費 5.5055兆円
防衛関係費 5.5133兆円
経済協力費 0.5123兆円
その他 9.4483兆円
地方交付税交付金 15.8093兆円
国債費 23.3515兆円
歳出総額 102.6580兆円

歳入の内三大税収以外は印紙収入も含めてまとめてみました。
これを、歳出も含めてもう少し大まかにまとめてみます。

【歳入】
消費税 21.719兆円
その他税収(+印紙収入) 41.794兆円
その他収入 6.5888兆円
公債金(つまり、国債) 32.5562兆円
歳入総額 102.658兆円

【歳出】
社会保障関係費 35.8608兆円
地方交付税交付金 15.8093兆円
その他基礎的財政収支 27.6365兆円
国債費 23.3515兆円
歳出総額 102.658兆円

いかがでしょう。この時点で私の伝えたいことに気づいた方がいたとすると天才ですね。歳入をもう少しだけまとめます。

【歳入】
消費税 21.719兆円
その他収入 48.383兆円
公債金(つまり、国債) 32.5562兆円
歳入総額 102.658兆円

【歳出】
社会保障関係費 35.8608兆円
地方交付税交付金 15.8093兆円
その他基礎的財政収支 27.6365兆円
国債費 23.3515兆円
歳出総額 102.658兆円



税収の用途から歳入と歳出を比較

ここで、少しだけ本題とは関係のない、解説的な話題を入れます。

よく政府が行った消費増税について、「借金の返済のための増税だ」と吹聴する連中がいます。

ですがそんなことはまずありません。

ポイントとしてお伝えしますと、政府の税収は優先的に「社会保障費」に充てられます。

また更に上の表で言いますと、まず「地方交付税交付金」は「国費」としての目的では利用できません。

そこで、消費税収を含める国の収入(公債金を除く)=70.102 から地方交付税交付金=15.8093兆円を差し引いて「国費」として使う事のできる国の収入を算出します。

70.102兆円-15.8093兆円=54.293兆円

この金額が、令和元年度の「国費」として使うことができる金額です。

ここから、歳出の中で優先して充てられる「社会保障費」を差し引きます。

54.293兆円-35.8608兆円=18.432兆円

この金額が、令和元年度の政府の収入の内、「社会保障費以外の目的」で国費として使うことができる金額です。

では、令和元年度の「社会保障費以外の目的」で必要とされる歳出は一体いくらだったでしょう?

そう。27.6365兆円です。いかがでしょうか? 社会保障費以外の目的で国費として使う事のできる令和元年度の政府の収入は18.432兆円ですから、この段階で「赤字」になることがわかります。

では、「社会保障費以外の目的で国費として使う事のできる令和元年度の政府の収入」から、実際に「令和元年度の社会保障費以外の目的で必要とされる歳出」をマイナスしてみますと、

18.432兆円-27.6365兆円=-9.205兆円

となります。そう。約9兆円の赤字となりますので、消費税収で増えた税収を「借金の返済(公債金)」に使用するゆとりなど日本の財政にはありません。

この内、建設国債の対象となる「公共事業費」が6.8571兆円で、発行される予定の建設国債が6.952兆円です。不足する2.253兆円が赤字国債発行分で対応していることになります。

で、となってくるともう一つの政府の収入、「公債金」の内「特例債」、つまり「赤字国債発行分」は一体何に充てられているのか。

もうお解りですね。「赤字国債」は一体何のために発行されているのか。これは歳出にある「公債費」。つまり償還期を迎えた国債の償還額と利払いの支払いに充てられています。

ただし、60年償還ルールにおいて本来償還する必要のない公債費は「借換債」が発行されていますので、今回の記事の数字の中には含まれていません。


消費税を廃止するとどうなるか

極論になるのですが、「減税」を訴える人の中に「消費税の撤廃」を訴える人がいます。これは所謂「右派」の中にも「左派」の中にもいます。

私としてうっとうしく感じているのは実は左派の中の減税派より右派の中の減税派だったりします。それ以外の部分で考え方が近い分、これは非常に厄介です。

では、先ほどの歳入出から「消費税の撤廃」をしたケースを考えてみます。
【歳入】
その他収入 48.383兆円
公債金(つまり、国債) 32.5562兆円
歳入総額 80.939兆円

【歳出】
社会保障関係費 35.8608兆円
地方交付税交付金 15.8093兆円
その他基礎的財政収支 27.6365兆円
国債費 23.3515兆円
歳出総額 102.658兆円

当然消費税収が減るわけですから、歳入は減ります。そう。完全な赤字です。

で、冒頭でご説明した通り、「国債をいくら発行しても日本国債は破綻しない」という考え方に基づいていますので、当然この不足する金額は「国債」で賄います。

【歳入】
その他収入 48.7698兆円
公債金(つまり、国債) 54.275兆円
歳入総額 102.658兆円

【歳出】
社会保障関係費 35.8608兆円
地方交付税交付金 15.8093兆円
その他基礎的財政収支 27.8365兆円
国債費 23.3515兆円
歳出総額 102.6580兆円

さて。この状況の中で、改めて「税収の用途から歳入と歳出を比較」してみます。

やり方は一緒です。まずは歳入の内「その他収入(つまり国債発行以外の方法で調達できる収入の総額)」から国費として使用することのできない「地方交付税交付金」を差し引きます。

48.383兆円-15.8093兆円=32.574兆円

次に、ここから優先して財源が割り当てられる「社会保障費」を差し引きます。

32.574兆円-35.8608兆円=-3.287兆円

あれ?

そうです。国費から社会保障費を支給しただけで国費はなんと赤字になるのです。

この現状を皆さんはどのようにお感じになるでしょうか。勿論、歳出を削ることはできますが、それでも社会保障費以外の歳出を0円にするわけにはいきませんよね?

では、不足する財源をどうするのか。

既に表に記しています通り、「赤字国債の発行」で賄うより他ありません。不足する社会保障費の一部も含めて、です。

当然国家公務員の人件費も含まれますし、国会議員の給与も含まれます。水道代電気光熱費、防衛、教育科学、他国への経済協力。そのすべてが「赤字国債」で賄われることになるのです。

理論上は可能です。ですが、当然予測される「弊害」も生まれます。


社会保障費以外の国費を国債で賄うと日本で何が起きるのか?

国会議員の給与まで含めた国家公務員の人件費を、それこそ「政府の借金」で賄うとなった場合。

まず予測されるのが、失業者やそれを支援する団体等から「それができるんだったら失業者の生活費も国債で賄え」という声が上がることです。

更に現在社会保険料、年金保険料として労働者が支払っている社会保障の負担費。場合によってはベーシックインカムに相当する「生活費」までも国費で負担しろ、という声が上がってもおかしくはないでしょう。

仮にこれが実現される方向に向かうとすれば、意外に思われるかもしれませんが、失業率の増大。ひいては日本国内の生産力の低下。現在を大きく上回る外需への依存など、現在とは異なる様々な経済現象が発生することが予測されます。

大袈裟なことを言っているように聞こえるかもしれませんが、これは十分予測されることです。

そして、消費税の廃止を訴えている人の中でこの事をきちんと説明できている知識人、経済人を見たことが私はありません。

例えばこの状況で大企業に増税をすればいいとか、高所得者に課税をすればいいとか言った話を持ち出してくる人がいますが、人材不足の中で大企業に課税をすれば、当然大企業は経営難に陥るでしょうし、高所得者がそんな日本に財産を預けるでしょうか?

「消費税」が社会保障の財源として適切だとされる理由は、その「安定性」にもあるのです。


まとめ

今回の記事は、「消費税の撤廃」という極端な事例にフォーカスして記事にしてみました。

ですが、例えば5%に戻してみればどうかとか、5%に戻してみてはどうかとか、いろんな考え方があります。

個人的には8%に戻す、という考え方には一理あると思います。唯一私の今回の記事内容を打ち砕く論説を貼ることのできる考え方だとも思っています。

ですが、それでもせっかく10%に上げることができたのに、わざわざ8%に戻す必要もない、と私は考えています。

だったらその分を本当に生活に困っている人に分配する財源としたり、現在の制度の通り教育や育児のための財源として生かせばよいと思います。

今年度が終了してみなければ消費税収全体がどのように変化するのかはわかりませんが、仮に試算されている通りの税収が確保できるのだとすれば、政策としては決して間違ってはいないと思います。

「財政のモラルを守る」。

この記事が今一度その意味を考えるきっかけとなることを願って、今回の記事はおわりにします。

次回からは再びドイツに関連した記事に戻します。




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<継承する記事>第510回 改めて考える安倍内閣の評価~その功と罪を問う~

安倍さんの辞任に伴いまして、前回の記事では改めてその「成果」に着目して記事を作成したのですが、今回の記事では逆に一般的に「罪」だと報道されている部分。

即ち「モリカケサクラ」について改めて検証する目的で記事を作成したいと思います。


「森友学園問題」の真相

この問題については、私自身が記事として記しています、こちらの記事。

第397回 緊急記事!財務省公文書改ざん問題の真相~森友問題の真実~

ここに記した内容がすべて。これ以上でも以下でもないと思っております。

記事に記していない内容としてこのところ問題となっており、マスコミもこぞって話題としたがるのが、、財務省の公文書を改ざんしたことを苦に自ら命を絶った赤木俊夫氏。彼が残した「遺書」に関連した問題です。

遺書の中で、赤木氏が「全て佐川長官の指示です」と記していることが問題とされていて、この事であたかも新しい情報が増えた彼のような情報操作が行われていることが私としては問題だと思っています。

当初私は彼が自殺した理由として、財務省から寝る間もないほどの労働を強いられた「過労」が原因である、と考えていたのですが、実際はそうではなく、自身が公文書の改ざんに関わっており、要は彼自身にまで警察の手が及びかねない状況となり、たまらずに自ら命を絶った。これが真相でした。

この部分に関しては私も誤解していましたが、情報として増えたのはそれだけ。それ以上に増えた情報はありません。

森友学園


森友学園事件とは一体何だったのか?

過去にまとめている記事ですので、今記事でいちいち情報ソース等を示すことはしません。事実と事実に基づいた私自身の推測を列挙していきます。

「森友学園事件」とは、大阪の近畿財務局が元々「特定有害物質の汚染区域」に指定されており、買い手のつかない土地、つまり評価額0円の土地を、1億3400万円で森友学園に売却した。ただそれだけの話です。

3400億円という価格は、森友学園が土地の所有者である国土交通省に代わって小学校として使用することができるレベルまで聖地を行った工事代金、1億3200万円が元となっており、これに200万円上乗せをして学園側に売却しました。

ただそれだけの話です。


評価額が10億であったとしても、学園側が実際に10億で売却することはできない


売却した際の土地評価額として9億5600万円という金額が掲載されていたわけですが、実際に10億で売却しようとすれば、既に工事済みの3メートルの地下を改めて掘り返し、その奥に埋まっていると想定される残土、工事業者が埋め戻した廃材を取り除き、危険物の含まれていない、人体に害のない状態にまで戻して初めて10億円という金額で売却することができます。

その撤去費用には8億1900万円かかります。つまり、その撤去費用を評価額から値引きした上で森友側に売却しただけの話なのですが、現在の立憲民主党、国民民主党、共産党、社民党などの野党はこの値引き金額を「安倍さんと仲の良い籠池夫妻に財務省が忖度したのだ」として、安倍内閣を叩き潰すに必死にこれを利用しました。


森友学園事件は野党側が安倍内閣倒閣のためにでっちあげた冤罪である

菅野完などが野党側に詳細な情報を吹き込んでおり、安倍夫人が学園の名誉校長に就任した事などを知っていましたから、「そのことが値引きの原因になったのではないか」と安倍内閣や財務官僚に詰め寄りました。

ですが、このやり取りは森友側と近畿財務局、大阪航空局(国土交通省)、そして工事業者との間でのやり取りの問題にすぎませんから、はっきり言えば財務省理財局にこの事を聞かれたとしても、理財局側にはまったくわからないわけです。

まして、安倍さん自身がそのことを理解しているわけもありません。

この時点で野党側は、事前通告もせず、また、仮に行っていたとしても深夜。通告日の前日、19時、20時を回ったあたりで質問通告を行います。その上で「合同ヒアリング」なる財務省に対する公開処刑上ともいえる会議を開催し、ここに完了を呼びつけるなど、財務官僚に寝る間すら与えないほどのブラック労働を強いていました。

このタイミングで安倍さんから「私や昭恵が土地の値引き問題に関わっていたとしたら、首相も国会議員もやめる」という発言を行いました。

これを受け、理財局が近畿財務局に確認をしたところ、「土地取引」に関連した資料ではなく、「取得を前提とした貸付」を行う際の資料の中に、昭恵夫人の名前が登場していることがわかりました。


昭恵夫人の名前が登場するのは「土地取引」ではなく「貸付契約」に関連した公文書である

これも籠池氏が一方的に昭恵夫人の名前を出していただけで、貸付契約そのものには全く影響していません。

「影響していない」というのは、昭恵夫人の名前が登場したから、これに忖度をして貸付契約を締結したわけではない、という意味です。

なぜこのようなことを私が言うのかと申しますと、実は全く別の理由で近畿財務局が昭恵夫人の名前を利用した可能性がある、と考えているからです。

近畿財務局からすれば、売却しようとしている土地はヒ素や鉛の含まれる問題のある土地ですから、たとえ二束三文であったとしても、早く売却したい土地だったはずです。これに籠池氏が食いついてきたのがこの時点での状況です。

ひょっとすると、近畿財務局側からすれば、問題のある土地を学園に売却することに後ろめたさを感じていたのかもしれません。ですからそんな土地を学園に売却した理由として、これを正当化するために籠池氏が必死に出してくる昭恵夫人の名前を利用しようとする意図があったのではないでしょうか。

ですから、本来記載する必要のない昭恵夫人の名前を公文書に掲載し、事細かにその経緯を書き記したのではないかと思われます。


佐川氏が近畿財務局に公文書改ざんを命じた理由

で、理財局が近畿財務局に確認し、提示させた文書には、昭恵夫人の名前が明らかに登場していました。

既に私自身が記している通り、昭恵夫人の名前が登場文書は「土地取引」に関する文書ではなく、「買取を前提とした貸付」に関連した文書です。

更に、その登場する経緯としては、近畿財務局が、昭恵夫人の名前に「忖度」して貸付を決定する経緯を示したものではなく、「近畿財務局が、自分たちの行政手続きを正当化するために昭恵夫人の名前を利用しようとした」もの。

ですから、安倍さんが「私や昭恵が土地の値引き問題に関わっていたとしたら、首相も国会議員もやめる」と言った発言を覆すものでも何でもなかったはずです。

ですが、実際に昭恵夫人の名前が「買取を前提とした貸付」に関連した文書に登場するわけですから、これをまた野党側に一からすべて説明する必要があります。

財務局としても、「これはもう、さすがに勘弁してくれ」と思ったはずです。近畿財務局側に、「なんでこんな資料を作ったんだ。実際の契約に関係のない部分は全部削除してくれ」といった内容の指示を与えたのではないでしょうか。「全部財務省側で責任を取るから」と。


私の推測の根拠

この土地は、森友に貸付契約を行う前は非常に問題のある土地であり、「買ってくれる業者があるのであれば、どの業者でも売却したかった」というのが近畿財務局の本音だったはずです。

工事費を低額に納めるため、近畿財務局、大阪航空局、設計業者、工事業者の4者で協議を行い、廃材の埋め戻しを行う形で決着をつけたのですから、この4者は事前にこの事実を知っていたはずです。ですが、近畿財務局はこの事実を籠池夫妻に伝えていませんでした。

ですから籠池夫妻は1億3200万円の売却額を提示された際、更なる値引きを近畿財務局側に要求しました。

当然です。工事が終わった後、いざ売却の段に至ってそれまで知らなかった話が突然登場したのですから。ちなみにですが、おそらくこの時学園の代理人を務めて交渉に当たっていた弁護士はこの事を知っていたのだと思います。

ではなぜ、近畿財務局は籠池夫妻にこの事実を伝えず、隠していたのか。それは当然「うしろめたさ」があったからです。当然、「値引きをしたこと」に対するうしろめたさではなく、「問題のある土地に金額をつけて売却しようとしたこと」に対するうしろめたさです。


赤木氏はなぜ自ら命を絶たなければならなかったのか

赤木氏が、このような事実を一体どこまで知っていたのか。この事は私にはわかりません。

ですが、私が推察するに、赤木氏に公文書の改ざんを命じた上司(佐川氏ではなく、近畿財務局の上司)は、このような経緯を一切説明せず、ただ単に「理財局からの指示だから」という理由だけを伝えて赤木氏に改ざんを手伝わせたのではないでしょうか。

このような一連の流れの中で、「公文書の改ざんが行われた」という事実のみを除外すれば、これ以外に仮に「問題のある部分があった」とすれば、近畿財務局が、工事に関わった4者が行った、「埋め戻し」という工事手法について、籠池夫妻に伝えないまま、土地の売却に臨もうとしたこと。これだけです。

それ以外のやり取りの中には何ら問題はありません。確かに公文書を改ざんしたことは問題です。ですが、何ら問題のない行政取引を、あたかも問題があるかのように仕立て上げ、そうしなければ対応ができないほどに理財局を追い詰めた野党やマスコミが全く責められることがないのはなぜなんでしょうか?

赤木氏が自ら命を絶った理由が、あたかも安倍さんや麻生さんにあるかのように吹聴する傾向が見られますが、本当に悪いのは一体誰なんでしょう?

森友問題を安倍内閣の「罪」だというのであれば、その人たちに今一度キチンと考えていただきたい問題だと、私は思います。





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