第73回 十五年戦争の原因を検証する~なぜ日本は大東亜戦争を起こしたのか~など、政治・経済を中心とした日常的な情報を、独自な視点で解析します。

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この記事のカテゴリー >>十五年戦争(日中戦争)の原因と結果


<前回の記事 第72回 なぜ日本は大東亜戦争を起こしたのか①

今回のシリーズは、前シリーズである「『右翼』と『左翼』」の中で、日本における「右翼」を追いかけていく中で生じた疑問。日本は本当に「やむを得ず」戦争に巻き込まれたのか。このことに対して沸き起こった疑問。これを解消するために作成することとしました。

とはいえ、前回お示しした動画における「きれいごと」をそもそも理解していない方にとっては、「何のこと?」との疑問が浮かんでも不思議ではない内容なので、



こちらの動画で述べられていることをまず、簡単にまとめてみたいと思います。
予定ではいったんこのシリーズを終えた後、締めくくりとしてこの動画の解説を再度行う予定ですので、今回はさらっとまとめておきます。

・日本はなぜ「大東亜戦争」を起こしたのか。

1.世界恐慌の中で、全世界が大不況に追い込まれる中、日本だけが是清の「金輸出禁止」「日本銀行による国債の直接引き受け」という二つの方法でいち早く不況から脱出することができた。

2.日本には資源がないため、原油を購入するための「外貨」を獲得するため、紡績をはじめとする工業製品を輸出した。

3.欧米列強は自国経済を守るため、自国と自国植民地以外の地域からの輸入品に莫大な関税を課す「ブロック経済」政策を行った。

4.アメリカは、当時東アジアにおいて主導権を握ろうとする日本を脅威に感じた日本に対して、あらゆる資源の輸入を禁止する経済封鎖を「イギリス」「中国」「オランダ」と共に実施した。(ABCD包囲網)

5.それでも日本は戦争を回避するため、外交努力を続けたが、コーデル・ハル国務長官より突きつけられた「ハルノート」により、「植民地になるか、滅ぼされるか、どちらかを選べ」と突きつけられ、やむを得ず第二次世界大戦へと突き進んだ・・・

これが、いわゆる「ウォーギルト・インフォメーション・プログラム」の呪縛から解かれ、正しい日本の歴史に目覚めた・・・とされる人たちが主に主張する「正しい日本の歴史」です。

だけど、これは本当にそうなのか。
「歴史の見方」の一側面に過ぎないのではないか。是清が果たした役割は1番だけ。
この後、是清は暗殺され、「誰も国債の発行による軍事費の獲得」を止める人がいなくなったから日本は「彼の大戦」へと突き進んでいくわけです。
後段では、この疑問について、日本と中国との間で繰り広げられた、「十五年戦争」というキーワードに着目して記事を進めてみます。


「十五年戦争」。
「大東亜戦争」。いわゆる「太平洋戦争」が起きたのは1941年12月8日。
Wikiによれば、「太平洋戦争」とは、

「1941年(昭和16年)12月8日、日本は開戦の詔勅(米國及英國ニ對スル宣戰ノ詔書)によってイギリス帝国とアメリカ合衆国の2国に対して宣戦布告し、最初の作戦であるマレー作戦と、それとほぼ同時並行に行われた真珠湾攻撃を実施、日本とイギリス、アメリカとの間に戦争が発生した。」

と記されています。
つまり、米英との戦争状態の勃発が、即ち「太平洋戦争」=「大東亜戦争」だということです。

ところが、記事をよく読み進めていくと、こんな記述が見えます。

大東亜戦争は、大日本帝国とイギリス・アメリカ合衆国・オランダ・中華民国などの連合国との間に発生した戦争に対する呼称で、1941年(昭和16年)12月12日に東條内閣が支那事変(日中戦争)も含めて「大東亜戦争」とすると閣議決定した。

そこで、その「支那事変(日中戦争)」の勃発を調べてみると、それは1937年7月7日。

そう、前回の記事でお伝えした、「盧溝橋事件(ろこうきょうじけん)」が勃発したあの日です。

15年戦争とは、この盧溝橋事件からさらに遡り、1931年9月18日に勃発した「満州事変」から太平洋戦争が終結する1945年8月14日までの戦争状態を「15年戦争」と呼ぶのだそうです。

まあしかしこの絡み。本当にごちゃごちゃしていてややこしいですね。
歴史的な整合性をつけようと思っていろいろ調べてみたんですが、遡るとやはり「ロシア」という強国の存在に行き着きます。

第59回の記事にて、日露戦争のことを一度話題にしたことがあるかと思います。

この時に用いた画像をもう一度掲載します。



これも同じくクリックしていただくと引用元記事に飛ぶように設定しています。
日露戦争の舞台となったのが地図中で黄色い部分。「満州」です。

ちなみに、日露戦争の前に集結した「日清戦争」の舞台は朝鮮半島。
日本と清国との戦争が朝鮮半島で行われ、日露戦争は清国の領土である満州で行われました。

この、「日露戦争」の後に日本が手に入れたのが「東清鉄道」と呼ばれる満州の鉄道。
ここに設立されたのが「南満州鉄道株式会社」。満州事変の大本となった「柳条湖事件」の舞台となった場所です。

たぶん後程必要になるんじゃないかと思われる情報で、日本がここに鉄道会社を設立することができた裏付けとして、「満洲善後条約」という条約があります。

これ、Wikiには「1905年12月、日清間でロシア権益の継承に加えて併行する鉄道新設の禁止などを定めた満洲善後条約が締結」と記されています。

この、文章の何が必要になるのではないかと私が考えているのかというと、これが「日本と清国の間で結ばれた条約」で、「日本がロシアから引き継いだ権益」であるという部分です。
この考え方が、おそらく後々に日本と中国の間で繰り広げられた戦争の原因となっているのではないかと思われるわけです。

ちょいと時間が無くなってきましたので、続きは次回記事に託します。
次回記事のテーマは、「辛亥革命」に絞って考えてみたいと思います。
このシリーズの過去の記事
>> 第72回 なぜ日本は大東亜戦争を起こしたのか①
このシリーズの新しい記事
>> 第74回 『満州』とは?その意味や位置・歴史を検証する~なぜ日本は大東亜戦争を起こしたのか~

このシリーズの一覧をご覧になりたい方は >>十五年戦争(日中戦争)の原因と結果 よりご確認ください


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