第67回 日本における「左翼」②など、政治・経済を中心とした日常的な情報を、独自な視点で解析します。

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<前回の記事 第66回 日本における「左翼」

前回の記事に於きましては、「日本における左翼」のタイトルのものと、日本という国に「社会主義」という思想が持ち込まれるに至った過程~「共産党」という政権が誕生するに至った過程についてご説明いたしました。

今回の記事では、「日本共産党」が誕生した後~現在に至るまでの歴史を振り返り、

「現在の日本において、「右翼」というと、どちらかといえば軍国主義的者なイメージが、「左翼」というと「共産主義者」、または「社会主義者」というイメージが、いったいなぜ植え付けられたのか」

という元々の疑問に対して総括する形で記事を作成していきたいと思います。

日本の「共産党」

この項目については、よそからわざわざ調査をしてくるより、現在の日本共産党さんが「綱領」として掲載している内容がかなり具体的ですので、ここを参考に進めていきたいと思います。(日本共産党綱領

まあ、正直共産党さんのHPへ直接リンクを張り付けることそのものに若干恐怖心を覚えないわけではありませんが。

成立に至っては、下記の様に掲載されています。
日本共産党は、わが国の進歩と変革の伝統を受けつぎ、日本と世界の人民の解放闘争の高まりのなかで、一九二二年七月一五日、科学的社会主義を理論的な基礎とする政党として、創立された。

 当時の日本は、世界の主要な独占資本主義国の一つになってはいたが、国を統治する全権限を天皇が握る専制政治(絶対主義的天皇制)がしかれ、国民から権利と自由を奪うとともに、農村では重い小作料で耕作農民をしめつける半封建的な地主制度が支配し、独占資本主義も労働者の無権利と過酷な搾取を特徴としていた。この体制のもと、日本は、アジアで唯一の帝国主義国として、アジア諸国にたいする侵略と戦争の道を進んでいた。

 党は、この状況を打破して、まず平和で民主的な日本をつくりあげる民主主義革命を実現することを当面の任務とし、ついで社会主義革命に進むという方針のもとに活動した。

「科学的社会主義」、つまり「マルクス主義」のことです。
つまり、結党当初の共産党の中には、少なくとも「プロレタリアート(労働者)による暴力によってのみ革命は成し遂げられ、変革の段階においてはプロレタリアートによる独裁が必要である」という思想があり、このことを現在の共産党も認めている、ということですね。

また一方で、冒頭に「わが国の進歩と変革の伝統を受けつぎ」とありますが、「科学的社会主義」とは元々ドイツの経済学者「マルクス」が考えた思想であり、元々日本の「伝統」の中には存在しなかったものです。伝統的に「変革」を続けていたとしたら、それは「伝統」にはなっていないはずです。

前回も述べましたが、少なくとも米国からペリーが到来するまで、この国に「変革」などという要素は存在しませんでしたし、300年もの間「江戸幕府」の封建体制により安定と安寧が300年近くも保持され続けていた国であったわけです。

また、天皇制に対して、「絶対主義的天皇制」とありますが、明治維新以降の日本は「立憲主義」に基づいた天皇制であり、天皇陛下の立場は「大日本帝国憲法」によって規定されていました。

特に日本共産党が誕生した当時の日本は「議会制民主主義」が採択されていました。
未成熟ではあったかもしれませんが、当時の国外の事例にかんがみても、より民主的であった、と考えられるのではないでしょうか。(少なくとも国内で武力を用いた「革命」が行われたりはしませんでした)

共産党が、これを「絶対君主制」であるとする根拠として、大日本帝国憲法とは、「天皇の命令で国民に押し付けられたもの」であり、第1条として「大日本帝国は万世一系の天皇これを統治す」とあること、そして「天皇は神聖にして犯すべからず」とし、「神」の子孫である天皇陛下が、日本を支配する、という構図になっていることを挙げています。
2006年9月9日(土)「しんぶん赤旗」より

このほか、国を統治する権限を天皇陛下がすべてお持ちで、「帝国議会」「国務大臣」「裁判所」という機関が設けられていたものの、陛下を助ける協賛機関にすぎず、その権限は限られていたこと。
軍隊への指揮命令・宣戦、講和、条約等の締結の権限はすべて天皇陛下にあった(誰も口出しをできなかった)こと等が、戦前の日本が「絶対君主制」であった理由として掲載されています。

ただ、色々と調べてみますと、明治~昭和にわたり、三代の天皇陛下が共産党が主張するような「強権」を発動したことはほとんどなかった様です。

例外として、「2.26事件」、そして「終戦の聖断」の二つが挙げられるようです。
特に、この「2.26事件」。この後、どうも当時の日本国政府が少しおかしくなった・・・という記述を見ることができます。

この2.26事件に関しては、後日記事にて少し詳細を掘り下げてみたいと思います。
ともあれ、この「2.26事件」。私自身、過去の記事でも登場させていますね。
第58回 是清の経済・財政政策①

記事中で、私は下記の様に記しています。

「2.26事件により是清が暗殺されたことにより、軍拡の為の資金投与を止めるものが誰も存在しなくなってしまいました。
当時の岡田内閣も崩壊します」と。


「2.26事件」を引き起こしたのは「皇道派」と呼ばれる、帝国陸軍の派閥の一つで、「北一輝」という人物の思想の影響を受けていました。

北一輝という人物については、調べていてとても興味深い存在であることが分かりましたので、今回は割愛して別記事にて掲載したいと思います。

ただ、その「目指していたもの」が何であったのかはともかくとして、彼らが起こした事件は「暴力によるクーデター」であり、やったことは共産主義者や社会主義者のそれと変わりありません。
彼らの思想は、共産主義や社会主義者が「労働者」によって起こすべきだとしている革命のうち、その文言を「労働者」から「天皇陛下」に書き換えれば、共産主義や社会主義の内容非常に近似した内容になります。

そして、彼らこそまさしく「右翼」と呼ばれる存在そのものであるわけです。

事件自体が、当時の岡田首相を襲撃し、殺害することにあり、首相も、そのほか天皇陛下に輔弼(ほひつ)を行う国務大臣が誰一人として存在しない状況でした。つまり、昭和天皇ご自身以外に意思を決定し、支持を出すことのできる人物が誰一人として存在しない状況でした。このような状況下で、陛下はまさしく「ご聖断」を下したわけです。

自らを崇拝してクーデターを起こした皇道派ですが、昭和天皇は彼らを「暴徒」とし、同士討ちを避けたいと考える軍部を一括し、鎮圧にあたらせました。このような状況を、果たして「戦前の日本が「絶対君主制」であった」といえるでしょうか。

そして、このことから陛下はかえって自らの「君臨すれども統治せず」という立場に重きを置くようになり、また再びクーデターが発生することへの恐れから、軍が内閣に介入するようになり、彼の大戦へと日本は突き進んでいくようになるのです。

「皇道派」が影響を受けていた「北一輝」という人物は、マルクス主義を徹底的に批判していましたが、その思想はまさしくマルクス主義の影響を受けており、このことが皇道派の暴走へとつながるのです。

確かにマルクスが生きた時代は現在とは全く事態が異なっており、「プロレタリアートによる革命」以外に自らが理想とする社会への変革を果たす方法がなかった、というのも事実かもしれません。
ですが、そのような彼の考え方が、結果的に悲惨な結末をもたらしたのだという事実を、現在の共産党諸氏、これを支持する皆さんはどう考えているのでしょうか。


まとめ

意外な結末ではありましたが、日本においての「右翼」を暴走させたものもまた、「マルクス主義」であったという結論に至りました。
「マルクス」という人物は、当時発展しつつあった「資本主義社会」というシステムの抱える課題に、当初より気づいていたということ。
そしてその課題(矛盾点)により、自ら崩壊し、将来的に現在のような社会システムへと変革を遂げていくことを当初より予測していたのだそうですよ。

これを、「科学的社会主義」と呼ぶのだそうです。
社会の変遷として、「原始共産主義」→「奴隷制的社会」→「封建主義的社会」→「資本主義社会」へと変革を遂げるのだそうです。
資本主義社会そのものも、やがて自ら次の社会への準備を行うことになる・・・と。

これは、共産主義者の方との議論の中で教えていただきました。

ただ感じるのは、「共産主義」も「社会主義」も、仮にその暴力的な部分を排除したとしても、ともに資本主義社会が抱える(とその方が主張する)矛盾同様に、致命的な「矛盾」を抱えていると思うんですよね。

原始共産主義が崩壊した理由。それは、人が「生産」を行い始めたからだと思います。

ルソーは、人が「財産(土地)」を保有した段階で「格差」が生まれたと考えたわけですが、私は人が「生産」または「狩猟」を行い始めた時点で「格差」は必然にして生まれるものだと思います。

動物の社会の中でさえ順列は存在し、「格差」は存在します。
本当に「完全なる平等」を求めるのだとすれば、それは人が生きることそのものを否定することになるのではないでしょうか。

彼は、「資本主義」という社会形態は、それ自体が独占性、帝国主義の生活を内包し、時にそれがむき出しになると主張しています。
ですが、それは共産主義も同様で、これは過去の歴史の中で、共産主義者による革命が、度重なる「暴力」によって実現されてきたことからも明らかです。

共産主義がその暴力性を否定され、生まれたのが「修正主義」と呼ばれる社会主義社会であったように、資本主義もまた様々な修正を繰り返して現在に至っているわけです。

言いたいことは数多くありますが・・・あまり生産的ではありませんので、この話題についてはこのあたりで収束させたいと思います。

一言だけ言わせていただくとすれば、日本を第二次世界大戦へと導いたのは、間違いなくこの国に持ち込まれた、海外の「思想」です。そして、現在はもうすでに「戦後」ではないということです。

このことを、今一度考えてみるべきなのではないかと、共産党さんの綱領を熟読してつくづく思いましたよ。ほんと。

次回記事では、日本の「右翼」について考えてみる上で、今回の調査の中で登場した「北一輝」なる人物について深めてみたいと思います。



このシリーズの過去の記事
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このエントリーにお寄せ頂いたコメント

いつも楽しみに読ませてもらっています。
「格差=差別」と読み替えてもしっくりしますね。
r6HXqC at 2016/03/31(木) 13:43 | URL

r6HXqCさん、ありがとうございます。
このようにコメントを頂けると、とても励みになります。

「格差」を「差別」ですか。
なるほど。面白い視点ですね。(*'▽')

「差別」もまたあって当たり前。
そのような社会の中で、「どのように生きていくのか」が大切なのかもしれませんね。

不平や不満ばかり言って、人の足を引っ張ってばかりいるような人生は・・・選択したくないものです。
のんき at 2016/03/31(木) 22:51 | URL

お返事ありがとうございます。

「格差」も「差別」もことさら大きくいけないことと語る人たちが一致するように思うんです。
このエントリーで、その人たちが見えてきた気がします。
「格差」は家計に「差別」は人情に訴えかけますもの。
不平や不満を助長させて何をしようとしているのでしょう。
r6HXqC at 2016/04/01(金) 17:33 | URL

r6HXqCさん、単純に考えれば、日本人以外の人が、この国で自分たちのなにがしかの利益を得るために・・・というのが本来のところではないかと思います。
のんき at 2016/04/03(日) 00:50 | URL

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