第342回 ソビエト連邦誕生までの経緯を復習するなど、政治・経済を中心とした日常的な情報を、独自な視点で解析します。

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この記事のカテゴリー >>ロシア革命とソビエト連邦誕生に至る経緯


<継承する記事>
第341回 本シリーズを作成するに至った経緯

前回は「本シリーズを作成するに至った経緯」とのタイトルで記事を作成し、私の本シリーズに対する思いを語りました。

第324回 の記事に於いて、ロシア革命の本丸である「10月革命」が非常に平和裏に成し遂げられる様子を記し、第334回の記事 では10月革命を成功させたトロツキーの考え方について、10月革命に合わせる形で行われた「第二回ソビエト大会」。ここでトロツキーの行った演説を参考に記事を作成しました。

ここまでの経緯を見てみると、レーニンやトロツキーが中心となって起こした「10月革命」そのものは、決して世に言われる悪名高い共産主義国家としてのソビエト連邦を誕生させることを目的としたものではないのではないか、と感じられます。

後程詳細に記事にする予定ではいますが、この後、私たちの知る「ソビエト連邦(ソビエト社会主義共和国連邦)」が誕生するまでの経緯を年表形式でまとめます。

1917年11月7日(旧暦10月25日)
 ボリシェヴィキにより臨時政府ケレンスキー内閣倒壊(10月革命:ロシア内戦勃発)

1917年11月9日
 ソビエト・ロシア共和国誕生

1918年3月3日
 ドイツとの間でブレスト=リトフスク条約締結(ロシア内戦、一時休戦状態に)

1918年7月19日
 ロシア共和国憲法制定(ロシア社会主義連邦ソビエト共和国に改名)

1922年11月
 内戦終結

1922年12月30日
 第1回ソビエト連邦全連邦ソビエト大会
 ロシア連邦共和国、ウクライナ社会主義ソビエト共和国、白ロシア社会主義ソビエト共和国、ザカフカース連邦の4カ国が加盟した「ソビエト社会主義共和国連邦」が樹立

この年表を作る中で、少し見えてきたことがあります。


ロシア内戦とシベリア出兵

私がこの記事を作成するに至った理由の一つとして、特に「共産党」が介在した様々な事件に関して、その残虐性や異常性がみられることがあり、これは中国だけでなく、「ロシア」に関しても同様の事が言えます。

ロシアが介在した事件の残虐性を示す事件として、私は二つの事件を過去に記事にしました。

 黒竜江(アムール川)事件(リンク先最下部)
 尼港事件(リンク先最下部)

アムール川事件に於いて殺害された清国人は2万5千人、尼港事件に於いて殺害されたロシア人・日本人は合わせて6000人(内日本人730名)に上ります。

さて、ここで改めて思い出していただきたいのですが、「ロシア革命(10月革命)」が起きた時点において、全世界は未だ「第一次世界大戦」の最中でした。

大戦そのものは1918年11月11日、ドイツが降伏したことにより終結するわけですが、同時期にロシアは内戦状態にありました。
この内戦はボリシェヴィキを中心とした革命支持者「赤軍」と反革命派「白軍」との間で行われます。

前述した「尼港事件」とは、そんなロシア内戦の真っ只中、1920年にロシアの「ニコラエフスク」という地域で勃発した大虐殺事件です。

詳細はまた後日記事に委ねる予定ですが、「ロシア内戦」に対して、英・仏・日・米の4カ国は白軍に味方する形で「対ソ干渉戦争」を仕掛けます。

ヨーロッパ側から攻めたのが英仏で、アジア側から攻めたのが日米でした。

この時日米が派兵した先が「シベリア」。モンゴルの支配下で「シビル=ハン国」と呼ばれた地域です。

シベリア

これが、世にいう「シベリア出兵」です。

この時日本が相手にしていたのは、日本の駐留に反対していた「抗日パルチザン」という連中。「パルチザン」とは「非正規的な武装勢力」の事を云うわけですが、要はゲリラ部隊です。

日本はこのゲリラ部隊が潜伏すると考えられる村々を攻めたわけですが、この時日本軍がパルチザンをかくまう村民に対して行った行為を象徴する事件として、「イヴァノフカ事件」と呼ばれる事件があります。

現地駐留軍がパルチザンをかくまったという理由で老若男女問わず銃によって殺害し、小屋の中に押し込めたまま焼き殺してしまう・・・と言った残虐な行為が行われたのだそうです。

参考になる記事として、私に近いスタンスから記された方の記事として、「陽月秘話」というサイト様記事がありましたので、合わせてご紹介しておきます。

シベリア出兵とイワノフカ事件

記事の引用になりますが、日本側としてはあくまでも

「日本軍は村民から武器の押収やゲリラと見られる人物の処刑を行っていたところ、思わぬゲリラの反撃を受けて一個大隊が全滅するという被害を受けました」

とあり、この報復として「イヴァノフカ事件」は行われたわけですが、引用元の記事にも掲載されているとおり、「尼港事件」と「イヴァノフカ事件」との間に、その規模とやり方の面で大きな違いこそありますが、同様の事を日本軍も行っていた、という点でご紹介しておくべき内容だと感じましたので、私の記事でもご紹介しておきます。


ここに登場した「パルチザン」とは飽くまで「非正規武装集団」であり、レーニンやトロツキーの管理下にある舞台ではありません。「尼港事件」が勃発した時点で、確かに「赤軍」を名乗ってこそいますが、この時のロシアはまだ完全には共産化しておらず、また内戦状態にあり、「共産党」としての統治機能が十分にいきわたっている、とは到底考えられません。

そうすると、どうも「共産主義」という政治システムそのものより、どうもこの様な地域に居住していた居住民の生活習慣にその原因はあるのではないか・・・とも考えられるように感じます。


さて、この時点で私の中にはいくつかの調べておきたいことがあります。

一つ目は「ボリシェヴィキの活動資金」について。

もう一つは、カテゴリーの冒頭でスポットを宛てていた「ウクライナ」について。

3つ目が今回の記事で掲載した「ロシア内戦」の経過とソビエト連邦が成立するまでの経緯。

そして4つ目が「コミンテルン」発足に至る経緯です。
次回以降の記事に於きまして、これら4つのテーマをできれば一つずつ補完していきたいと思います。


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