第341回 本シリーズを作成するに至った経緯など、政治・経済を中心とした日常的な情報を、独自な視点で解析します。

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この記事のカテゴリー >>ロシア革命とソビエト連邦誕生に至る経緯


<継承する記事>
第334回 ロシア革命後の経緯

私がこのシリーズを作成する理由

このブログでは、特にPC版ではあえて私が記事を作成した日にちを掲載していません。
これは、私自身が作成した記事が「時代の変化」によって意味合いが変わるような内容にはしたくないと考えていることにその最大の理由があります。

シリーズとしては 「ロシア革命とソビエト連邦誕生に至る経緯」 という名称で、親シリーズとしては 「なぜ日本は第二次世界大戦(大東亜戦争)を起こしたのか」 という名称のシリーズの下に配置しています。

ブログ全体を見てくださっている方にはもうご存知とは思いますが、ブログそのものは現在の安倍内閣の政策内容を中心に「政治」そのものと「経済」を中心に記事を作成しています。

同じ親カテゴリーの配下に掲載している「十五年戦争(日中戦争)の原因と結果」 というシリーズの延長線上に 「ロシア革命とソビエト連邦誕生に至る経緯」 という名称のカテゴリーを作成しているわけですが、実はこれらのシリーズを作成する決断に至った理由は、私が既に作成している「政治」や「経済」に関連した記事。これに説得力を持たせるためには日本の歴史を私自身が理解する必要がある、と考えたからです。

国債の問題 にしても 年金の問題 にしても、実は多くの人が「理解したつもり」になっている情報とその本当の姿の間に大きなギャップが存在し、私が時々呼ばれて開催する勉強会等でもこれらの話をするとほとんどの方の中の「価値観」が音を立てて崩壊してしまいます。

今現在自分が持っている「常識」が実は大きな偏見によって作り上げられた大きな「非常識」の塊であることをまずは理解することからすべてはスタートします。

ではなぜこのような誤った情報ばかりが流布され、正しい情報を知る機会に私たちは恵まれないのか。その情報を発信する中心にいるのが「マスコミ」です。「マスコミ」という媒体を利用して誤った情報を流布させ、日本人に、「ひょっとすると日本はこのままでは崩壊してしまうのではないか。日本はもう終わりなのではないか」という本当は何の根拠のない、誤った危機感を抱かせてしまう。

これは、そうすることで何等かの利益を手にすることができる人が確かに存在するからです。では、そういった「利益」を手にしようとしている存在はいったい何者なのか。

実は、この様な誤った情報とセットで流出されている情報に目を向けると、なんとなくその正体が見えてきます。
その情報とは、所謂「自虐史観」というものです。

「自虐史観」と「日本という社会構造への危機感」をセットにして情報を流出させることで日本人の精神的構造やその支柱を弱体化させてしまう存在。

彼らは言います。

  「嘗ての日本は悪であった」と。

だから私たちはその迷惑をかけた相手に対して謝罪し、その謝罪する相手に対してある一定の利益を享受させなければならない。

そう主張する人たちは、実は日本人の利益ではなく、日本人以外の人たちの利益を優先させようとする人たちです。

ですがそうではなく、日本の将来を楽観し、現在の日本の経済状況を正確に把握しようと努める人たちの多くは逆の主張を行います。

 「あの時代の日本人は素晴らしかった」

と。

シリーズ 十五年戦争(日中戦争)の原因と結果 を作成し始めたころの私には、日本は本当に「悪かった」のか、それともそうではなかったのか。これに対して明確な裏付けを以て主張する知識を有していませんでしたから、この様な知識を有する人たちとの間では、議論に参加することすらできませんでした。

ですが、ここを明確にしなければ日本の将来が恰も絶望的であるかのように情報を流布する人たちを説得することは不可能だと私は直感しました。だからこそシリーズ 十五年戦争(日中戦争)の原因と結果 を作成し、現在は ロシア革命とソビエト連邦誕生に至る経緯 というシリーズを作成しているのです。

ロシア革命とソビエト連邦誕生に至る経緯 というシリーズに関しては、ひとまずソビエト連邦が誕生する経緯までは把握することができたわけですが、そもそもの目的は、であればなぜ赤化した「ソビエト」という国や、そこから影響を受けて誕生した中国共産党がなぜあそこまで残虐な集団へと変質したのか。

ここを探ることにその目的はありますから、シリーズとしてはもうしばらく記事を続けていこうと思います。


「コミンテルン」誕生に至る経緯

前回の記事 では、レフ=トロツキーが中心となって結成した「軍事革命委員会」が、同じ「左派」であったはずのケレンスキー率いる臨時政府内閣に対して、引き起こした「10月革命=ロシア革命」。これが一体どのような形態の中、どのような考え方に基づいて行われたのか、これをまさに革命が引き起こされる真っ只中で行われた第二回ソビエト大会に於けるトロツキーの演説と、第二回ソビエト大会の開催やクーデターの実行をめぐって行われたトロツキーとレーニンとの間でのやり取りを中心に記事にしました。

これは非常に意外な事ではありましたが、その結果としてクーデターはほとんど血を流す事なく、非常に平和裏に実行されました。
これは私の予想を大きく裏切る結果・・・ではあったわけですが、事実は事実として受け止めたいと思います。

となると、どこに問題があったのかと考えた場合ロシア革命が見事成功し、ボリシェヴィキ=ソビエトが政権を握ることとなった、その後の歴史の流れの中でこれが見いだせるのではないか、ということです。

前回の記事では、そのポイントとしてトロツキーの発言内容に着目し、その発言内容がまさしく「コミンテルン」を彷彿させるものであったことから、次はその「コミンテルン」発足に至る経緯を追求することとしました。

「コミンテルン」そのものに関しては私、 第63回の記事 で少しその過程を掲載しています。

ただ、当時の私は今回ほどはロシア革命の経緯に関しての知識がありませんでしたから、今回はもう少し深く記事を作成することができるような感じはしています。

冒頭にすこしテーマからそれる内容を掲載しましたので、記事を分けまして改めて次回記事に於いて「ソビエト連邦の誕生からコミンテルン発足に至る経緯」についての記事を作成したいと思います。


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