第309回 サラエボ事件はなぜ第一次世界大戦へと発展したのかなど、政治・経済を中心とした日常的な情報を、独自な視点で解析します。

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この記事のカテゴリー >>ロシア革命とソビエト連邦誕生に至る経緯


<継続する記事>
第308回 第二次バルカン戦争が勃発した理由とその影響を検証する

第307回第308回の記事 と連続で「バルカン戦争」をテーマとさせていただきました。

今回から再び第一次世界大戦に話題を戻します。
第303回の記事 をおさらいしますと、第一次世界大戦が勃発した直接的な理由は「サラエボ事件」に於いてオーストリア皇太子が

 『ボスニア出身のボスニア系セルビア人の青年ガヴリロ・プリンツィプ』

によって暗殺された事がその理由となります。

で、第307回第308回の記事 で振り返りましたように、この当時「ボスニア」はオーストリア・ハンガリー帝国に併合されていました。

で、オーストリア当局によって逮捕された暗殺犯のうちの一人が、暗殺に用いられた武器を支給したのがセルビア政府であったことを告白し、オーストリアはセルビア政府を非難。最後通牒を突きつけた上でセルビアに対して宣戦布告を行います。

そしてオーストリア対セルビアという構図であったはずの紛争が、なぜか第一次世界大戦へという全世界を巻き込んだ戦争にまで発展することとなります。


第303回の記事 で私は、

セルビア人の国民感情を高ぶらせた理由に、この「バルカン戦争」が関係しているような気配です。

また、この「バルカン戦争」の結果はどうもこの地域の国々の中にくすぶる火種を投下した様子が見られます

とこの様に記し、第307回第308回の記事 へと移りました。

結果として見えてきたのは、サラエボ事件をきっかけに勃発した第一次世界大戦ですが、サラエボ事件は連続する歴史の流れの中の一シーンにすぎず、サラエボとボスニアの独立から続く一連の国家間の思惑にこそその原因はあったのではないか、ということです。

第二次バルカン戦争

改めて、こちらは第二次バルカン戦争に於ける国家間の関係性の構図です。
後に別途記事にする予定ですが、この当時のヨーロッパの構図として、

 「英・仏・露」の3国で結ばれた「三国協商」

  と

 「独・墺・伊」の3国で結ばれた「三国同盟」

とが対立する構造に在りました。

三国同盟対三国協商

余談ですが、日本はイギリスとの間で「日英同盟」を結んでいました。
元々イギリスはロシアと対立する構造にあり、露仏は日本のアジアに於ける勢力拡大を阻止しようとする構図に在ったのですが、三国協商が締結されたことで、日本はロシア・フランスとも同盟関係を築くことになります。

日本は「三国協商」に巻き込まれた感じですね。
第一次世界大戦中にロシアではロシア革命が起こり、ロシアは三国協商から脱退し、三国協商は崩壊に至ります。

一方三国同盟を結成していたイタリアもまた領土問題に関係して第一次世界大戦中に三国同盟を離れ、イギリス側につくことになります。

この構図を頭に入れて第二次バルカン戦争の国家間の関係図に目をやると、「ロシア」の裏側に「英仏」の姿が、「オーストリア」の背後に「独・墺」の姿が見えてきますね。

三国協商のロシアが支援するセルビアと三国同盟のオーストリアの戦いとは、即ちこのような構図から生み出された戦いだと云うことになります。


では、改めて「サラエボ事件」まで時間軸を戻してみます。

 『ボスニア出身のボスニア系セルビア人の青年ガヴリロ・プリンツィプ』によってオーストリア皇太子が暗殺されるわけですが、之を支援したとされるのが「セルビア」。

オーストリア側から「セルビア」の存在を見てみますと、セルビアは元々事件の現場となった「ボスニア」を自国領土にしたいと考えていた国です。この国が、オーストリアによってボスニアが併合された後、「ブルガリア」「モンテネグロ」「ギリシャ」と共に「バルカン同盟」を結成し、南方の雄、「オスマントルコ」を撃破します。

また更に、オスマントルコを撃破したセルビアは、更に同じ同盟国であるブルガリアを更に撃破し、領土を拡大しました。
そしてそんなセルビアの後ろには「ロシア」の存在があります。

そんなセルビアが、今度は自国領土であるボスニアのセルビア人を使って自国の皇太子を暗殺した。
これは正直脅威に感じたかもしれませんね。

またオーストリアの立場から更に考えますと、オーストリアはセルビアの意図に反してボスニアを自国領土に併合し、更に第一次バルカン戦争にも干渉してアルバニアを独立させているわけです。

マケドニア

明らかにセルビアの発展を邪魔していますね。
立場的に、オーストリアはセルビアを格下に見ていたのではないでしょうか。

セルビアはオスマントルコの占領下から独立したばかりの小国。一方オーストリアは神聖ローマ帝国の時代から続く由緒ある家柄。そんなセルビアが、自国の皇太子を暗殺した。

オーストリアにとって、セルビアを叩くうえでこれ以上の口実はなかったのかもしれません。


第一次世界大戦への変動

オーストリアのセルビアに対する宣戦布告を受けて、先ず動くのはロシアです。
セルビアの独立を支持する立場を貫いてきたロシアは、1914年7月31日に挙国一致体制を取るため、国内に向けて「総動員令」を発令します。オーストリアがセルビアに宣戦布告を行ったのが同7月28日のことですから、実に迅速な対応です。

オーストリアは宣戦布告に当たって、事前に同盟国であるドイツに相談をしていたわけですが、ロシア参戦を受け、8月1日、ドイツも同様に総動員令を発令します。

同日、ロシアと同盟関係にあるフランスも「総動員令」を発布。
ドイツは8月2日にロシア、8月3日にフランスに対してそれぞれ宣戦布告を行います。

1900.jpg
(バルカン戦争以前の地図ですが、参考にしてみてください。)

また、時を遡って1839年、ベルギー独立戦争を経てネーデルランド連合王国からベルギーが独立するわけですが、このベルギーの独立を支援したのがイギリス。

本来中立国であるはずのベルギーへのドイツ侵攻を受け、1914年8月4日、イギリスはドイツに対して宣戦布告。
イギリスの参戦を受けて嘗てイギリスの植民地であったカナダ、オーストラリア、ニュージーランドも参戦します。

また更に、イギリスからの再三の要請を受け、1914年8月23日、日本もまたドイツに対して宣戦布告を行います。
日本がドイツに対して宣戦布告を行った後の日本の対応は 第106回の記事 をご参照ください。

日本はドイツに対して、「中国に返還することを前提として、無条件に膠州湾岸地域を日本に引き渡す」ことを要請したわけですが、これをドイツが受け入れなかったため、ドイツに対して宣戦布告を行う事となります。

オーストリアもよもやこんなことになるとは思っていなかったのかもしれません。
オーストリアに味方してくれる国はドイツとブルガリア、そしてオスマントルコだけ。

ドイツ・オーストリア両国はまさしく世界中から袋叩きにされることになります。
後先を考えずオーストリアがセルビアに宣戦布告をしたことが原因ではありますが、それにしても・・・。


さて。皆さんお忘れかもしれませんが、今回のシリーズはそもそも第一次世界大戦の原因追及をすることが目的ではありません。

第一次世界大戦の経緯をさらったのは、そもそも「ロシア革命」が勃発したのが第一次世界大戦の真っ只中であったから。
以上のような経緯で第一次世界大戦は勃発したわけですが、そんな第一次世界大戦がヨーロッパから中国にまで飛び火して展開する中、ロシアでは一体何が起きていたのでしょうか。

次回記事では、いよいよ本丸、「ロシア革命」へと記事を移したいと思います。


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