第307回 バルカン戦争とは?その影響をわかりやすく考えるなど、政治・経済を中心とした日常的な情報を、独自な視点で解析します。

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この記事のカテゴリー >>ロシア革命とソビエト連邦誕生に至る経緯


<継続する記事>
第303回 第一次世界大戦とロシア革命/第一次世界大戦はなぜ?

さて。今回のテーマは「バルカン戦争」。

そもそもなぜこのテーマを記すに至ったかと言えば、第303回の記事 の記事に於いて第一次世界大戦を調査する上で、なぜ第一次世界大戦が勃発したのか。その理由としてこの「バルカン戦争」が関係しているらしいことが見えて来たからです。

セルビアが「ナチェルターニェ」という政策方針に従ってボスニアヘルツェゴビナを統合しようとしている中、オーストリア・ハンガリー帝国にボスニアヘルツェゴビナは併合されてしまいます。

そして、その後勃発したのが「バルカン戦争」なるものです。
現時点で、私はこの「バルカン戦争」なるものが一体どのような戦争であったのか、ということをまったく知りませんから、今回の記事で、話題がどちら方面に向いて進んでいくのかもまったく予測できていません。

まずはWiki等をベースとしながら、「教科書的」な話題から記事を進めてみたいと思います。


そもそも、「バルカン戦争」って何?

Wikiを参考にしますと、

「バルカン戦争」とは、「第一次バルカン戦」と「第二次バルカン戦争」という二つの戦争のことを云います。

「第一次バルカン戦争」とは1912年に『バルカン同盟』」を結成した「ブルガリア」「セルビア」「ギリシャ」「モンテネグロ」の4カ国と、衰退しつつあった「オスマン帝国」との間で発生した戦争。

「第二次バルカン戦争」とは敗戦したオスマン帝国から獲得した領土をめぐって、今度はバルカン同盟に所属する4カ国の間で勃発した戦争のことです。


第一次世界大戦を考える上では、どちらかというと「第一次」はあまり関係がなく、「第二次バルカン戦争」によって生まれたバルカン同盟諸国の中の「シコリ」の方が大きいとは思うのですが、まずは「第一次バルカン戦争」について手繰ってみます。


第一次バルカン戦争

改めて、再度1900年当時のヨーロッパ地図を掲載します。
1900.jpg

「ブルガリア」「セルビア」「ギリシャ」「モンテネグロ」の4カ国は、「オーストリア・ハンガリー帝国」と「オスマントルコ帝国」に丁度挟まれる形で位置しています。

「モンテネグロ」は少し見えにくいですが、セルビアの丁度南西側に位置しています。

Wikiの話題としては、丁度「セルビア」が先ず話題として挙がっています。

セルビア・ボスニア

こちらも第303回の記事 で掲載した地図ですが、セルビアの北西側に「ボスニア」が位置しています。

1459年6月、セルビアはオスマントルコによって滅亡させられるわけですが、1817年オスマントルコ領セルビアとして復活。
1882年、正式に「セルビア王国」として独立します。

そんなセルビアですが、独立する以前から大繁栄を誇った中世当時の「セルビア王国」を復活させることを目途として、同じ時期に自治権が認められた「ボスニアヘルツェゴビナ」を自国領土として統合することを目指していました。(ナチェルターニェ)

ところが、1908年、ボスニアヘルツェゴビナはオーストリア・ハンガリー帝国によって併合されていしまいます。

このことで北側を抑えられたセルビアは、今度はその野心を南方、つまり「オスマントルコ」へと向けることとなります。

一方のトルコでは、1908年7月3日、「統一と進歩委員会」という政治組織が中心となって「青年トルコ革命」なる武装蜂起が勃発しており、この混乱の中、「バルカン同盟」の一員を構成する「ブルガリア自治公国」がオスマントルコ領から独立を宣言します。


マケドニア

上の地図は、「マケドニア」というトルコ領の一部を示したものです。青い部分がそうですね。
ボスニアヘルツェゴビナがオーストリア・ハンガリー帝国に併合されたとき、トルコはボスニアヘルツェゴビナに居住していたムスリム(イスラム教徒)をこのマケドニアに移住させようとします。

ところが、ボスニアから移住させられたムスリムたちは、現地に居住していたアルバニア人たちと融和し、更に独立を目指して反乱を起こすことになります。この当時のオスマントルコは「青年トルコ党」によって本来の「オスマントルコ」とは異なる姿へと変えられてしまっていましたから、アルバニア人たちは本来のトルコの姿へと戻そうとしたんですね。(1912年5月)

この時、セルビアはアルバニア人たちを支援し、これを口実として対トルコ戦争=バルカン戦争を勃発させます。

バルカン戦争事態が勃発するのは1912年10月8日なのですが、同日トルコに宣戦布告を行ったのはモンテネグロのみ。
ブルガリア、セルビア、ギリシャが宣戦布告するのは10月17日のことです。

「バルカン同盟」は1912年の春~夏にかけて、バルカン諸国のキリスト教徒によって築かれた軍事同盟なのだそうですよ。

この軍事同盟の締結を支援したのは「ロシア」。
ロシアはまた、バルカン半島に於いて増加する「オーストリア・ハンガリー帝国」の勢力を脅威に感じていたわけですね。

セルビアとブルガリアが戦争の結果手に入れようとしていたのは上地図にある「マケドニア」地域であったわけですが、ブルガリアは同時に「トラキア」という地域と「イスタンブール」をその手中に収めようとしていました。

トラキア
【トラキア(濃い茶色部分)】

イスタンブール
【イスタンブール】

この地域は、実はバルカン同盟の結成を支援したロシアも狙っていた土地であったのだそうです。
後にロシアはこの土地を通じて「ドイツ帝国」「オーストリア・ハンガリー帝国」「オスマントルコ帝国」「ブルガリア王国」の4カ国が結成した「中央同盟国」との間で第一次世界大戦を起こすこととなります。

なるほど・・・。少し「第一次世界大戦」の構図が見えてきましたね。

この地域をめぐって、イギリス帝国はロシアにその領有を容認しておきながら、ブルガリアに対してはこの地域の獲得を後押しし、ロシアよりも優先させる、との保障を与えていたのだそうです。

一方、イギリスはオスマン帝国の親密な支援者でもありながら、オスマン帝国に敵対するギリシャのバルカン同盟入りを支援。
このことでロシアに対抗しようと考えていたのだとか・・・。ものすごい二枚舌外交ですね。

また一方でオーストリア・ハンガリー帝国もまたオスマン帝国への領土拡大をもくろんでいた為、自国とトルコとの間にある国とはすべて対立構造に在ったのだそうです。そう。第一次世界大戦勃発のきっかけとなったとされる「サラエボ事件」において関係が悪化した「セルビア」とも。

そして「ドイツ」はもともとオスマントルコ帝国と親密な関係にあったわけですが、そのオスマントルコ帝国が弱体化したことを受けて、同盟関係の中心をトルコからブルガリアへ転向させようとする意図もあったようです。

元々ブルガリア親独的で、またブルガリア国王フェルディナンド1世は反ロシア的な感情を抱いていたようで、この様な複雑な心情がサラエボ事件をきっかけに燃え上がったのが「第一次世界大戦」だと云うことですね。

それでは、改めて次回記事では「第二次バルカン戦争」についてまとめてみたいと思います。


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