第297回 日露戦争とロシア第一革命/ロシア国内に於ける背景など、政治・経済を中心とした日常的な情報を、独自な視点で解析します。

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この記事のカテゴリー >>ロシア革命とソビエト連邦誕生に至る経緯


<継続する記事>
第296回 ザポロージャのコサック軍(ヘーチマン国家)/ウクライナ人の誕生

私、シリーズ、十五年戦争(日中戦争)の原因と結果 に於いて、日本とロシアの間で勃発した「日露戦争」について、日本と中国とのかかわりあいという視点から、日露戦争が勃発する経緯については記しているのですが、日露戦争そのものの経緯については完全にスルーしています。

というのも、シリーズとしては当初日中間近代史に於いて、たびたび名前の登場する「満州」について、そもそも「満州」とは何なのか、そして「満州」は日中間の近代史に於いて、一体どのような位置づけであったのか。このことを解明することを目的としていたからです。

また一方で、「ロシア革命」に関しても、第64回の記事 や 第125回の記事 などで触れてはいますが、このロシア革命によって誕生したソビエト連邦が後のアジア・ヨーロッパ史に大きな変化をもたらすというのに、その詳細には触れていません。

これも、シリーズの趣旨が主に当時の中国国内に於ける背景に焦点を絞っていたことが理由で、ロシア革命にまで情報を広げると焦点がぼやけることを考慮したためです。

ただ、やはり現在までに至る日本の戦前・戦後史を考察する上で、この「ロシア」の存在は、決して無視できるものではありません。第一次世界大戦後、第二次世界大戦までの中国史に於いて、この「ロシア=ソ連」の存在が非常に大きな影響力を発揮していることはシリーズ、十五年戦争(日中戦争)の原因と結果 において掲載した通り。

今回のシリーズ では、そんなロシアがなぜ共産化し、中国や日本、ひいてはヨーロッパやアメリカにまであれほど大きな影響を発揮することとなったのか。このことを追求することを目的としています。


日露戦争勃発に至るロシア国内での背景

第79回の記事 にも掲載しました様に、日本とロシアが「日露戦争」を起こすに至った経緯としては、義和団の乱(北清事変)に於いて、清国から宣戦布告を突き付けられた清国に領土を保有する8カ国の内、ロシアを除く7カ国が北京に軍隊を派遣。

特に日本は、義和団から北京の外国人公使館区域に居留する925名の外国人と約3000人ほどの中国人クリスチャンを守るため、柴 五郎 中佐を中心に奮闘する中で、唯一ロシアだけが自国の権益を拡大するためだけに軍隊を派遣。

満州全土を占領してしまったことがそもそもの原因です。

その直前には清国領であったはずの「江東六十四屯」に突如として攻め込み、同地域に居住するすべての清国人を滅ぼし、誰も居住する者のいなくなった江東六十四屯を占領する・・・という考えるだけでもぞっとする暴挙を平然と行っています。

この当時はまだロシアは共産化されてはいなかったわけで、この様な事情を考察すると、ひょっとするとロシア人の中には元々この様な行為を平然と行える性質が存在した・・・ということなのではないかとも考えられます。この時清国人を虐殺したロシア人は、「コサック兵」であったとされています。


ロシア国内に於ける「ポグロム」

「ユダヤ人虐殺」と聞いて真っ先に思い浮かぶ国・・・と言えば、まずは「ドイツ」でしょうか。
ヒットラー率いるナチスが行ったユダヤ人大虐殺=ホロコーストのことが頭に思い浮かぶかもしれません。

ですが、ユダヤ人迫害の歴史はとても古く、ロシアでも同様にユダヤ人は迫害される立場にありました。
理由は様々考えられますが、ポーランドが分割併合されるまで、ユダヤ人はロシアから追放され、ユダヤ人は入国そのものが許可されていませんでした。

ところが、ポーランドが分割され、ロシアの占領下となってしまったことで、元々ユダヤ人に対して寛容な政策を取っていたポーランドに居住していたユダヤ人が、そっくりロシアの国民となってしまったわけです。


その後のロシアに於けるユダヤ人政策は比較的寛容なものとなるのですが、1856年、当時のロシア皇帝アレクサンドル2世はクリミア半島に於けるフランス・イギリス・オスマントルコ等の連合軍との戦争に敗れ、ロシア国内を「近代化」することが必要だと感じるようになります。

【アレクサンドル2世】
アレクサンドル2世

そこで、まず第一に実施したのが「農奴解放令」。
「農奴」。読んで字のごとく、地主の支配を受ける立場にあった農民たちのことです。

このことが、確かにロシアに於ける「産業革命」のきっかけとはなるのですが、このことが、マルクスやミハイル・バクーニンら共産思想の影響を受けたポーランドの小作人や学生たちの感情を焚き付け、1863年1月22日、ポーランドに於いて武力蜂起が勃発します。

この武力蜂起は1月蜂起と呼ばれ、1864年4月11日に鎮圧されます。
この武力蜂起を起こした参加者たちは、「ナロードニキ(人民主義者)」と呼ばれ、武装蜂起鎮圧後も政府や軍による弾圧を受けることとなります。

このことが原因で1881年、アレクサンドル2世は暗殺されるわけですが、彼の後を継いだアレクサンドル3世は、この暗殺を「ユダヤ人の仕業だ」と決めつけ、この後、ロシア政府によるユダヤ人に対する激しい迫害が行われるようになります。

【アレクサンドル3世】
アレクサンドル3世

アレクサンドル3世は、国民の不満を政府ではなく、ユダヤ人に向けることでその解決を図ろうとしたんですね。
この後、ロシア国内ではユダヤ人に対する迫害行為が広範囲にわたって行われるようになり、強姦や掠奪、虐殺行為を含めたユダヤ人に対する迫害行為は「ポグロム」と呼称されるようになります。

考えてみれば、フランス革命に於いても凄まじい虐殺行為は行われていたわけで、欧州を含めて、彼らはこのような虐殺行為を行う事に対して元々抵抗感が薄かったのでしょうか・・・。これだけはどうにも理解できません。

江東六十四屯に於けるアムール川事件が勃発したのは1900年ですから、事件を起こしたロシア人は同じような感覚で清国人を虐殺したのかもしれません。この感覚だけは本当に理解できません。


第59回の記事 で記しましたが、日露戦争に於いて日本に500万ポンドの軍事費を融通する為、米国の銀行家であるジェイコブ=シフを紹介したロスチャイルド家は、「ユダヤ人」の象徴のようにしても語られる一族です。

彼は、「ポグロム」の敵を討つために高橋是清にジェイコブ=シフを紹介した、とも言われています。

日露戦争が勃発するのが1904年2月8日。
翌1905年1月、ロシア第一革命が勃発します。

ロシア第一革命は、労働者たちが皇帝に対し、日露戦争の中止、労働者の待遇改善、憲法改正と基本的人権の付与等を求めてデモを行ったところ、警備兵に大量に射殺されてしまったことからロシア全土に広まった革命運動のことです。

実際には皇帝であるニコライ2世の知らないところで起きた事件(血の日曜日事件)が原因となっており、このことで、特にウクライナ地域に於いて革命運動が活発化します。

【ニコライ二世】
ニコライ二世

また、この事件をきっかけにロシア全国各地で結成されたのが「ソヴィエト(労働者・農民・兵士による評議会)」。

同年9月、ロシアは日露戦争に敗北。
ニコライ二世は「10月勅令」を発令し、国会開設と憲法の制定を発表することで時を同じくして設立された「立憲民主党」の支持を得ることに成功し、革命は鎮静化されます。

ちなみに、ニコライ二世によれば、この時革命に参加した参加者の90%がユダヤ人だったのだとか・・・。
事実なのかどうかはわかりませんけどね。


次回記事では、記事内容を「第一次世界大戦」へと移し、第一次世界大戦が勃発する経緯や第一次世界大戦に対するロシアの関わり合いについて記事にしてみたいと思います。


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