第292回 ポーランドとドイツ騎士団とユダヤ人/ソ連誕生までの布石など、政治・経済を中心とした日常的な情報を、独自な視点で解析します。

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この記事のカテゴリー >>ロシア革命とソビエト連邦誕生に至る経緯


<継続する記事>
 ソビエト連邦の誕生までの歴史~ロシア人とは何者なのか?

タイトルは非常に悩みました。
ロシアのどの時代にスポットを当てるべきなのか、そもそもタイトルとして、「ロシア」そのものにスポットを当てても良いものなのか。

カテゴリーの名称としては、ロシア革命とソビエト連邦誕生に至る経緯 との名称ですから、なぜポーランドやドイツ、ユダヤ人が関係あるんだ、との声も聞こえてきそうですが・・・。

ただ、調べていますと、どうもソ連誕生の歴史を追いかける上で、「ユダヤ人」や「ポーランド」、そして記事にこそ含めていませんが、「ウクライナ」という国の存在も無視できないということが見えてきました。

【「元」の時代のユーラシア大陸】
モンゴル

こちらは、13世紀。1200年代に、モンゴル帝国「元」がアジアを支配していた時代の地図です。
世界の歴史マップ」様より拝借いたしました。

余談ですが、15世紀には更にロシア中央部に「シビル・ハン」国が勃興するのですが、後にロシア・ツァーリ国に併合され、「シベリア」とその名称を変えます。

ご覧いただくとわかりますが、後の「ロシア大公国」が誕生する位置もまた「キプチャク・ハン国」が占領しており、この領土内に「モスクワ」と書かれていることもわかります。

カタカナで「キエフ」と書かれていますが、元々この地域に「キエフ大公国」という国が存在し、この国の正式名称が「ルーシ」。
「ロシア」という名称の由来となる国の名前です。

さて。この「キエフ」が位置した地域までキプチャク・ハン国が席捲しており、その領土は「ポーランド」にまで迫っていますね。
この時、ローマ教皇であったグレオリウス9世より、全てのキリスト教徒に対して、

 「ポーランドを救援してこの異教徒襲来と戦うべしという」
という「詔書」が発せられます。この時、皇帝から命令を受け、ポーランドへ向かったのが「ドイツ騎士団」。

明確な時期は分かりませんが、1241年4月9日、ポーランド・ドイツ連合軍とモンゴル軍が初めて戦闘していますので、この時期が目安になりますね。

ちなみに彼らに命令を下したグレゴリウス9世は、「神聖ローマ帝国」の教皇。
神聖ローマ帝国とは、もともと「東フランク王国」と呼ばれていた地域で、「ドイツ人」とは、一般的にこの「東フランク王国」の出身者たちのことを差していたようです。

ドイツについては後日、改めてシリーズ化します。
プロセインへのドイツ騎士団の移住は、「東方植民」と呼ばれる、神聖ローマ帝国以前から続くドイツ人の植民政策の一環で、これはドイツ人そのものの繁栄をもたらします。

一方でポーランドは、モンゴルによる侵攻などの影響も受けて荒廃し、ドイツ人はさらにポーランドの開拓地への移住を推し進めます。

この様に記すと、あたかもポーランドがドイツによってどんどん占領されているかのようなイメージを受けますが、モンゴル人による侵攻を受けて荒廃するポーランドと違ってドイツは繁栄と共に近代化も推し進められており、ドイツから持ち込まれた「都市法」は、ポーランドの伝統的な習慣法と比較しても、とても進んだものであり、ポーランドはこのドイツ都市法を積極的に受け入れていったんですね。

おかげでポーランドでは農業は回復し、都市化・近代化が推し進められ、元々自然環境にも恵まれていたことから、どんどん経済的繁栄を回復していくこととなります。

この時、ポーランド国王は、都市再生の為、ドイツ商人と同時に、「ユダヤ人」も自国領土へと招き入れます。ユダヤ人は、ポーランドに於いて、「法」によって思想と生活の両面から保護されることとなります。

この当時、ヨーロッパ全土では「反ユダヤ主義」なるものが展開されており、ユダヤ人は迫害を受けていましたから、ユダヤ人は続々とポーランドへと移住してきます。

彼らの知識やビジネスノウハウは後のポーランドにとって経済的な柱となり、ポーランド初の通貨も、彼らユダヤ人の手によって生み出されたのだそうです。

どうも、この当時からユダヤ人には「陰謀論」なるものがついて回る傾向にあり、ユダヤ人により、キリスト教徒がいけにえとされ、儀式として殺害されている・・・といった「デマ」がまことしやかに信じられていたのですが、ポーランド国王は、この様な「デマ」をすでに「胡散臭い」と見抜いていて、この様な「デマ」からもユダヤ人を法律によって保護したのだそうですよ。


さて。一方で「ドイツ騎士団」ですが・・・。
地図上部に、紫色で「ドイツ騎士団領」という文字がありますね。

これは、「プロセイン」と呼ばれる地域で、後に「プロイセン王国」が築かれる、その基盤ともなる地域です。
ここに、「プルーセン人」という、「異教徒(キリスト教以外の宗教の信者)」がおり、この人々を「キリスト教化」することに手を焼いていたポーランド国王は、当時ハンガリーにいたドイツ騎士団に呼び寄せ、プルーセン人の対応に当たらせます。

この時、引き換えとしてポーランド国王はドイツ騎士団に対し当時自国領土であった「クルムラント」の領有権を認め、また更にローマ教皇はプルーセン人の土地である「プロイセン」の領有権もドイツ騎士団に対して認めます。

1226年~1228年にかけてのことですから、モンゴル人によるポーランド侵攻以前の事ではありますが、教皇の命を受けてポーランドまで移民してきたドイツ人たちは、やがてポーランドの支配をもくろむようになります。

このお話は、シリーズをドイツに移した後でふれたいと思います。


記事としては少し短いですが、今回の記事を前提として、次回記事内容がそこそこボリュームのあるものとなる予感がしますので、今回はここで区切りを付けたいと思います。

次回は「ウクライナ」という国にスポットを当て、シリーズロシア革命とソビエト連邦誕生に至る経緯 を追いかけてみたいと思います。


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