第291回 ソビエト連邦の誕生までの歴史~ロシア人とは何者なのか?など、政治・経済を中心とした日常的な情報を、独自な視点で解析します。

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この記事のカテゴリー >>ロシア革命とソビエト連邦誕生に至る経緯


今回のシリーズは、本編であるなぜ日本は第二次世界大戦(大東亜戦争)を起こしたのか のもう一つの外伝として記していきたいと思います。

「真珠湾攻撃はどうした?」という声も聞こえてきそうですが・・・この情報についてはまだ、私自身の中でこのブログらしい、説得力のある情報を掲載する自信がありませんので、もうしばらくお待ちください。

今回のシリーズは、なぜ日本は第二次世界大戦(大東亜戦争)を起こしたのか本編と共に、子カテゴリーとして掲載し続けたシリーズ、十五年戦争(日中戦争)の原因と結果 、そしてもう一つのシリーズ、共産主義と左翼 についても補完する内容としていく予定です。

シリーズ十五年戦争(日中戦争)の原因と結果 に於いて、まだ完結させてはいませんが、シリーズ全体を通じて、「日中戦争開戦までの経緯」について、序盤は特に日本ではなく中国の近代史について、中盤では中国の近代史に日本の近代史を絡めながら、そして現時点での終盤では日本の南方政策と欧米との関わりあいに関連した記事を作成しています。

ただ、その途中で私、意図的に掲載していない、抜いている情報というものがあります。
それが今回外伝としてシリーズ化予定の「ロシア」の問題と、「ドイツ」の問題です。

理由としては、子カテゴリータイトルを「十五年戦争(日中戦争)の原因と結果」としており、間接的には関係があるものの、深堀して話数を割く内容としては適切ではない、と考えたからです。

ですが、それでも特に中国近代史を追い、かの国が日本と敵対する関係に至る経緯を追えば、そこに「ソ連共産党」という存在が大きく影響していることは最早否定することは出来ませんし、一方で本編である「なぜ日本は第二次世界大戦(大東亜戦争)を起こしたのか」という視点に立てば、そこで「ソ連」の存在を否定することはやはりできないわけです。

またもう一方、第二次世界大戦に至る経緯として、日本が同盟を結んだドイツとイタリア。
特に、その第二次世界大戦史の中心的な存在として位置する「ドイツ」。「ナチスドイツ」が一体なぜ誕生したのか。ここも話題として避けて通るわけにはいかない内容だと思います。

そこで、今回よりこの二つの存在、つまり「ロシア(ソ連)」と「ドイツ(ナチスドイツ)」について新しく記事をシリーズ化していきたいと思います。歴史的に、日本の歴史に先に絡んでくるのは「ロシア」ですから、まずはシリーズ第一弾として、「ロシア」についてまとめていきます。


ただ、このロシアが共産化していく光景について、私は過去に一度だけ記事にしたことがあります。
それが、シリーズ共産主義と左翼 に記した、第64回 「コミンテルン」と「労働社会主義インターナショナル」 という記事です。

ロシアが崩壊していく過程が、非常にユダヤ人臭の強い崩壊の仕方である、ということを紹介し、ここで 元ソ連外交官が語る 「ロシア-ユダヤ闘争史」の全貌 という他者様のブログ記事をご紹介しています。

これは、日本の外交官も務めたロシア人、「アレキサンドル・イワノフ」という人物の講演内容をまとめた・・・と転載先では紹介されているのですが、そもそもこの情報、出所が唯一このブログのみの発信であり、ではここに記されていることが本当に正しいのかどうか。これは改めて調査してみなければ本当のところは分かりません。

ですが、ここに記している内容は、ロシアが崩壊し、共産化していく様子を実にわかりやすくまとめられていますので、その内容の信ぴょう性は一旦脇に於いて、この記事に記されている内容をベースとして、これを検証しながら記事は進めてみます。


「ロシア人」とは何者なのか?

ロシア

こちらは現在の「ロシア」の地図です。Googlemapから拝借しました。

あらためて地図で見てみますと、この国の巨大さを思い知らされますね。
シリーズ十五年戦争(日中戦争)の原因と結果 では「中国」を追いかけてきたわけですが、その中国と比較してもロシアの巨大さは際立つものがあります。

これほど巨大な領土を持つ「ロシア」ですが、元々は、

モスクワ大公国

これくらいの大きさでした。この時の国の名前を「モスクワ大公国」と言います。
16世紀ころの領土です。で、この国が、17世紀に入るころには

ロシア・ツアーリ1

これくらいの大きさになります。また更に、18世紀に入るころには

ロシア・ツアーリ

これくらいの大きさにまで成長します。1547年、イヴァン4世が「ツァーリ(皇帝)」の称号を得て以来、「モスクワ大公国」ではなく、「ロシア・ツァーリ国」と呼ばれるようになります。

イヴァン4世の父であるヴァシーリー3世は、「モスクワ大公国」の「モスクワ大公」でした。イヴァン4世は大公であるヴァシーリー3世の息子ですから、彼が最初即位した位は「大公」。この時の彼の年齢はなんと3歳。当然国政を仕切れる様な年齢ではありませんから、彼の母親を初めとする、彼以外の人間が「摂政」等の役職に就き、国政を運営していきます。

ロシアの通貨である「ルーブル」は、彼の母、エレナが摂政であった時代に導入されたのだそうです。

ところが、エレナの死後、大公であるイヴァン4世の存在は無視され、エレナに代わって他の貴族が世間を奪取。
当時のロシア国教であった、「ロシア正教会」もまた貴族らの権力争いに巻き込まれ、新しくこの「ロシア正教会」の「府主教」に任命されたのが当時イヴァンの教育係を務めていた「マカリー」という人物でした。

ですが、マカリーは「ロシア正教会」の権威復活を期しており、イヴァン4世に対して、「神に選ばれたツァーリ」としての教育を施すのだそうです。

「神に選ばれたツァーリ」ですか・・・。
これ、パターン的に所謂「パーソナリティ障害」を生み出すんですよね。特に「自己愛性人格障害」と呼ばれる人格障害を齎す教育方法ですね。

イヴァンは後に「雷帝」として国民から恐れられる恐怖政治、大虐殺を行うわけですが、彼をそうさせたのは、ひょっとするとこのマカリーの教育方針にあったのかもしれません。

実際、彼の夫人であるアナスタシアは彼の凶暴性を抑えることができていたようですし、実にあやしい。

夫人の死後、要人や彼に意見するものなどを対象に次々と粛清、処刑を行うようになります。

1570年には彼の親衛隊であるオプリーチニキの軍隊(オプリーチニキ軍)を使ってノヴゴロドという地域の住民に対する大虐殺と修道院に対する略奪を繰り返し、これは1月2日~2月当初まで続けられたのだとか。この時の犠牲者は3千人に上るんだそうですよ。


少しわかってきたのは、ロシアが東進して占領した地域は、元々モンゴル人が統治していた国々で、所謂「シベリア」と呼ばれる地域もモンゴル人国家でした。

基本、Wikiを参考に書いていますが、文中、

「歴史家たちは彼の憤怒の原因について、それが政治的対立、個人的憎悪、精神的不安定のいずれによるものなのかを決められないでいる」

とあります。ですがこれ、恐らくマカリーの指導方針に伴って発現した「パーソナリティ障害」が原因と思われますね。
晩年は自分の子どもや子供の妻に対して異常なほどの虐待行為を行っていることからもこれは当たっているのではないでしょうか。

彼のこの様な政策は、結局国内、国外共に反感を買い、ロシアを荒廃させ、1609年、ポーランド軍によりモスクワの首都クレムリンを占領されるまでロシア国内に於いて「動乱時代」という時代が続きます。

モスクワ占領を受け、ロシア国民は遂に団結し、義勇軍を結成してポーランド軍を撃退。
その後、1613年2月に全国会議が開かれ、ロシア人民と、「コサック」と呼ばれる流れ者集団も参加し、ミハイル・ロマノフという人物がツァーリとして選出されます。

1721年には、同じくツァーリであったピョートル1世が「インペラートル(大帝)」を名乗り、以降ロシア・ツァーリ国は「ロシア帝国」と改められることとなります。

では、「ロシア人とは何か」と問われると、そのルーツは元々「東スラブ」。

東スラブ
上図の赤色のエリアに居住していた「東スラブ語」を話す民族の事です。

丁度モスクワ大公国が位置した当りの地域ですね。
東スラブ人たちが設立した国家「ロシア帝国」。では、この国に一体何が起きたのでしょう?

次回以降の記事にて、ロシア帝国成立後、ロシアが「共産化」するまでの様子を順に追いかけてみたいと思います。



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