第289回 教育勅語の柱となる内容/教育勅語の現代語訳にチャレンジ②など、政治・経済を中心とした日常的な情報を、独自な視点で解析します。

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第288回 教育勅語とは?/教育勅語の現代語訳にチャレンジ

前回に引き続き、私なりの「教育勅語現代語訳」を掲載いたします。

冒頭に原文全文を掲載しておきます。

【教育勅語原文】
朕(ちん)惟(おも)うに  我(わ)が 皇祖(こうそ)皇宗(こうそう) 国(くに)を肇(はじ)むること 宏遠(こうえん)に 徳(とく)を樹(た)つること 深厚(しんこう)なり

我(わ)が臣民(しんみん) 克(よ)く忠(ちゅう)に 克(よ)く孝(こう)に 億兆(おくちょう)心(こころ)を 一(いつ)にして 世々(よよ)厥(そ)の美(び)を済(な)せるは 此(こ)れ 我(わ)が国体(こくたい)の精華(せいか)にして 教育(きょういく)の淵源(えんげん) 亦(また)実(じつ)に此(ここ)に存(そん)す

爾(なんじ)臣民(しんみん) 父母(ふぼ)に孝(こう)に 兄弟(けいてい)に友(ゆう)に 夫婦(ふうふ)相(あい)和(わ)し 朋友(ほうゆう)相(あい)信(しん)じ 恭倹(きょうけん)己(おの)れを持(じ)し 博愛(はくあい)衆(しゅう)に及(およ)ぼし 学(がく)を修(おさ)め 業(ぎょう)を習(なら)い 以(もっ)て智能(ちのう)を啓発(けいはつ)し 徳器(とくき)を成就(じょうじゅ)し 進(すすん)で公益(こうえき)を広(ひろ)め 世務(せいむ)を開(ひら)き 常(つね)に国憲(こくけん)を重(おもん)じ 国法(こくほう)に遵(したが)い 一旦(いったん)緩急(かんきゅう)あれば 義勇(ぎゆう) 公(こう)に 奉(ほう)じ 以(もっ)て天壤(てんじょう)無窮(むきゅう)の皇運(こううん)を 扶翼(ふよく)すべし

是(かく)の如(ごと)きは独(ひと)り 朕(ちん)が忠良(ちゅうりょう)の臣民(しんみん)たるのみならず 又(また)以(もっ)て爾(なんじ)祖先(そせん)の遺風(いふう)を 顕彰(けんしょう)するに足(た)らん

斯(こ)の道(みち)は 実(じつ)に我(わ)が皇祖(こうそ)皇宗(こうそう)の 遺訓(いくん)にして 子孫(しそん)臣民(しんみん)の倶(とも)に遵守(じゅんしゅ)すべき所(ところ) 之(これ)を古今(ここん)に通(つう)じて 謬(あやま)らず 之(これ)を 中外(ちゅうがい)に施(ほどこ)して悖(もと)らず

朕(ちん)爾(なんじ)臣民(しんみん)と倶(とも)に 拳々(けんけん)服膺(ふくよう)して 咸(みな)其(その)徳(とく)を一(いつ)にせんことを 庶(こい)幾(ねが)う

明治二十三年十月三十日
御名(ぎょめい) 御璽(ぎょじ)

教育勅語

前回の記事では、教育勅語原文の内、冒頭の2文の現代語訳にトライしてみました。

読み方として、特に大切なのは第一文

 「徳(とく)を樹(た)つること 深厚(しんこう)なり」

という言葉なのだと私は思います。
「宏遠」や「深厚」という言葉で表現していますが、ここで記されている「宏遠」とは、その神代の時代からの「歴史」の奥深さを示しており、その時代に「樹つる」「徳」は今なお育まれ、成長し続けていると、そのような意味合いがここには込められているのでしょう。

単に「徳」と記していますが、その「徳」は、皇族の祖先である「皇祖皇宗」、そしてその「皇祖皇宗」が「肇めた」「日本」という国。
ここで歴史を築き上げたその一瞬一瞬に存在していた私たち「臣民」の祖先までをも含め、その全体で育み続けた「徳」。

その意味合いはとても深い物があると思います。

そして、その「徳」こそが私たち「臣民」が心を一つにして実現してきたものであり、「日本」という国のあるべき姿を示すものであという事。そして私たち日本人の「教育」とは、神々がこの世を築き始めた時代より受け継がれ、尚現在の世に於いて私たちが実現している『徳』にこそあるのだと、第二文では表現されています。

そして、その私たち「臣民」が心を一つにして築き上げてきた「徳」を、ここでは「美」であると表現され、その「美」こそ日本という国のあるべき姿、その「真髄」であるとしているのです。

「勅語」ですから、これは明治天皇より当時の日本国民に対して発せられた言葉である、という体裁が保たれています。
教育勅語に於いて、明治天皇は日本国民の事を非常に称賛しているんですね。

その上で、ではその「徳」とは何なのか。
これを列挙しているのが続く第三文。今回の記事の中心となる部分です。


教育勅語の柱

爾(なんじ)臣民(しんみん)

1.父母に 孝に

2.兄弟に 友に

3.夫婦 相 和し

4.朋友 相 信じ

5.恭倹 己れを 持し

6.博愛 衆に 及ぼし

7.学を 修め

8.業を 習い

9.以て 智能を 啓発し

10.徳器を 成就し

11.進で 公益を 広め

12.世務を 開き

13.常に 国憲を 重じ

14.国法に 遵い

15.一旦緩急あれば 義勇 公に奉じ

 以て 天壤無窮の皇運を扶翼すべし

合計で15項目ありますが、これが教育勅語に於いて、明治天皇が「日本の『徳』」であるとして示した内容です。

内容として難しいと思われるのは「恭倹」でしょうか。
辞書で調べますと、

 「人に対してはうやうやしく、自分自身は慎み深く振る舞うこと。また、そのさま」

解りやすく言えば、「謙虚さ」のことですね。


その他、「業」とは「仕事」の事。

「徳器」とは、辞書で調べますと、

 ① 身に備わっている徳行(道徳にかなった行為)と器量(人徳と才能)。
 ② 道徳を守る性質。

とあります。他の訳文を見ますと、「人格」や「徳と才能」などとも訳されています。

本文には「徳器を成就する」とあり、「成就」という言葉を調べますと、これは元々仏教用語であり、「智」と「徳」を完全に身に着けた状態の事、とあります。

「成就」を「向上」というように意訳しているものも見かけますが、この様な内容から考えますと、

「徳器を成就する」とは、
「道徳心と器量を完全に身に着ける」ことを意味しているものではないかと思われます。


「進んで公益を広め」とは、「進んで社会全体の利益の為に貢献する」こと、
「世務」とは、「世の中の務め」の事ですから、「世務」を「開く」とは、世の中の為にできる新しい役割を切り拓くことを意味していると考えられます。

そして最終項目である

 「一旦緩急あれば 義勇 公に奉じ 以て 天壤無窮の皇運を扶翼すべし」

とは、第287回の記事 でお伝えした通り。

「ひとたびこの国に危急の事態が発生すれば、正義の心と勇気をもって公の為に身を捧げ、神代の時代から続くこの国が将来に亘って繁栄できるよう、その一助ととなりなさい」

といった意味合いでしょうか。第287回の記事 でも述べたように、福島瑞穂や共産党、民進党など、教育勅語を否定する人たちは、この一文を以て教育勅語全体を否定しています。

ですが、この言葉を現代に置き換えて考えれば、

東日本大震災のような、この国の将来に亘る運命を左右しかねない緊急の事態が発生した場合、正義の心と勇気をもって、自分自身の生活や仕事をさておいてでも、被災地で苦しむ人々の為に奉仕し、この国が安定して繁栄し続けられるよう、その助けとなりなさい

というような意味合いになると、そう考えるのがごく当たり前の視点なのではないでしょうか。
そうならないのはなぜか。日本が第二次世界大戦に於いて、アジア地域に対する侵略行為を行い、従軍慰安婦や南京大虐殺などの事件を引き起こし、特に中韓に対して迷惑をかけ続けたのだとする誤った「思い込み」があるからです。

また更に、私が行った「第287回の記事」の解釈でも尚、この「教育勅語」の解釈としては実にお粗末なものである・・・ということを、改めて全文を訳していて気づかされました。

では、この様な認識を踏まえて改めてこの教育勅語の柱となる部分について、私なりの「現代語訳」を記したいと思います。

あなたたち日本国民は、

1.お父さん、お母さんの為に孝行し

2.兄弟姉妹は仲良くし

3.夫婦はお互いを認め合い

4.友達はお互いを信じあい

5.他者をを尊敬し、自分自身は慎み深くする気持ちを持ち

6.他人を差別する気持ちを持たず、広く平等に人を愛する気持ちを持ち、

7.学問を身に着け、

8.仕事を教わり、

9.そうして自分自身の知識や才能を切り開き、

10.他者を思いやり、人の為に行動することを当たり前のこととしてできるようになり、

11.進んで社会全体の利益の為に行動し、

12.世の中の為にできる新しい役割を発見し、

13.常に憲法を重んじ、

14.法律に従い、

15.ひとたび日本国に危機が迫れば、正義の心と勇気をもって公の為に尽くし、

そして人類誕生の時代から続くこの国の将来のために貢献する気持ちを忘れないでください

いかがでしょう。

ひょっとすると原文に記している段階で気づかれた方もいらっしゃるかもしれませんが、一節。即ち、福島議員が稲田さんを攻撃していた

 「一旦緩急あれば 義勇 公に奉じ 以て 天壤無窮の皇運を扶翼すべし」

というフレーズですが、この後半部分、「以て 天壤無窮の皇運を扶翼すべし」とは、 「一旦緩急あれば 義勇 公に奉じ」という言葉のみにかかる言葉ではありません。

じっくり見てみればわかることですが、「以て 天壤無窮の皇運を扶翼すべし」とは、私が番号を振っている1番~15番までの項目全てにかかる言葉です。

自力で現代語訳を行わなければ、私もまた誤った解釈のまま今後も教育勅語を語っていたかもしれませんね。

国語的な解釈をすると、

「天壤無窮の皇運を扶翼すべし」の主語は「爾 臣民」であり、「爾 臣民」の述語が「天壤無窮の皇運を扶翼すべし」ですね。
1~15は全て「天壤無窮の皇運を扶翼すべし」の修飾語。

「臣民」は、1~15の「徳」を実践することによって、「天壤無窮の皇運を扶翼」しなければならない、ということが記された文章です。誤った教育を受けた人は、ひょっとすると

 なんで「天壤無窮の皇運を扶翼」しなければならないんだ!

と思う人もいるかもしれませんが、日本の成り立ちや歴史をきちんと理解している人であれば、そう抵抗を覚えることはないはずです。戦前は、海外に於いて、ごく当たり前に戦争が行われていたので、「ひとたび日本国に危機が迫れば、正義の心と勇気をもって公の為に尽くし」と教えられると、その選択肢として「戦争」という選択肢も含まれていたでしょうが、現在の日本に於いて、国民の中に「戦争」という選択肢は存在しません。

「正義の心と勇気」を以て、「公の為に尽く」さなければならない「危機」とは、現実的に考えて「大規模災害」しか考えられないはずです。にも拘らず、これを強引に「戦争」につなげようとする人々の頭の中は、一体どのような構造になっているのでしょうか。

考え方としては、「緊急事態条項」と一緒です。

緊急事態条項もまた、自民党が、「国民保護法」に於いて、本来であれば日本が戦争状態に陥らなければ宣言することができない「緊急事態宣言」を、大規模災害時にも行えるようにし、より速やかに救済・救援活動をおこなえるようにすることを目的とした憲法改正案なのですが、民進・共産・社民・自由党の面々は、「安倍内閣が戦争を行えるようにするための準備だ」と盛んに喧伝しています。

教育勅語批判も一緒です。内容を現代の社会システムに置き換えて考えれば何の疑問も発生しない内容を、まるで現在が戦前でもあるかのようにして考えるからおかしくなります。


さて。次回記事では、最後の残る3つの文章に関して記事にしたいと思います。


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