第269回 日本はなぜ真珠湾を攻撃したのか/日米開戦の原因に迫る⑯など、政治・経済を中心とした日常的な情報を、独自な視点で解析します。

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この記事のカテゴリー >>十五年戦争(日中戦争)の原因と結果


<継承する記事>
第267回 日本はなぜ真珠湾を攻撃したのか/日米開戦の原因に迫る⑮

さて。日本はなぜ「真珠湾攻撃」を行ったのか。

少しずつその「理由」が垣間見えてきましたね。
客観的に見て、日本が選ぶことができない選択肢は、

「中国から撤退すること」

この選択肢です。
然も、米国側は「自分たちが目指す自由主義的政策とは矛盾している」ことと、「第三国の主権に影響を与える」ことを理由に、内モンゴル(満州の西側)や北華(内モンゴルの南側)への駐屯まで含めて撤退することを通告してきています。

ですが特にこの内モンゴルや北華とは、特にソ連共産党の影響を受けやすい地域で、また日本が撤退すれば一気にソ連軍が押し寄せてくることが容易に想定できる地域です。

それを除いたとしても、日本軍がここから撤退っすれば、また再び中国共産党、国民党左派の勃興を許すこととなり、自分たちを護衛するための日本軍がいない。そんな危険な地域で日本の商社は商売や生活をすることは先ずできなくなってしまいます。

日本軍の撤退=日本人の撤退を意味すると言っても過言ではありません。
これは将来の日本の経済的成長をあきらめるに等しい選択ですし、ここを日本が捨てれば、次は満州、樺太、朝鮮半島、そして日本本土をも危機にさらす様になることもまた容易に想像できます。

当時の日本にとっては先ずありえない選択肢であったはずです。
この地域に駐屯するということは、日本にとっては「自衛」以外の何者でもないのです。

ところが、アメリカはこの日本にとっての「自衛のための駐屯」を止める様に言い、そして自分たちは「自国の自衛のための手段として欧州戦に参戦する」と言っているわけです。


日本が三国同盟から脱退するわけにはいかない理由

欧州戦について考えますと、確かに日本に取っては地理的な接触はありませんから、三国同盟から脱退し、連合国側に就く、という選択肢もあり得る様には思えます。

ということは、今まで敵対関係にあったソ連とも連盟関係を築き、ソ連と連合して対独戦を開始するわけですね。
ですが、日本がこれまで一体何のために中国やソ連との戦闘行為を繰り広げてきたのか。全ては「防共」。共産主義から日本と日本人が居住する地域を守るためです。

ソ連との間で四国同盟を築こうとしたのも、ドイツとソ連が先に協定関係を築ていたから。
その肝心のドイツとソ連が交戦状態に陥ったわけです。またソ連は元々蒋介石を支援する立場にあり、ソ連が蒋介石に対する支援を中断した理由の中の一つに、「独ソ戦がスタートし、中国に支援を送り続ける余裕がなくなったから」というものがあります。

勿論日ソ中立条約もその理由の中の一つではあるのですが、仮に欧州戦にアメリカが参戦し、ソビエトにドイツが敗れた場合、その次にソ連が日本に攻め込んでこないという保証はどこにもありません。

少なくとも蒋介石軍に対しては影響力を発揮することになるでしょう。
日本とすれば、ドイツが敗れることよりも、ドイツの力を借りてソ連を封じ込める方が地政学的な観点から考えてもよほど有益なのです。

勿論対ソ連という観点から、ドイツではなく今度はアメリカの力を借りるという方法もありはします。
ですが、その場合は間違いなく中国大陸から日本軍を撤退させることが最低条件となるでしょう。

そうなると今度は中国が「脅威」として日本に影響力を発揮し始めるわけで、どちらの選択肢も日本の将来にとってはデメリットしかありません。


「ソ連」と「中国共産党/左派」の残虐性

じゃあ改めて、一体ソ連や「中国共産党/左派」の何をそこまで・・・という事なんですが、改めて

 黒竜江(アムール川)事件(リンク先最下部) 、
 尼港事件(リンク先最下部)
 南京事件(1927年)
 済南事件
 そして通州事件 という様々な「虐殺」事件の経緯を振り返っていただければ、容易に想像できると思います。

これ、「黒竜江(アムール川)事件」や「尼港事件」の内容を表記するあたりでは、私自身も「よもやこの様な・・・」との思いも強くありましたから衝撃が強く、表現方法もとても曖昧な表現となっています。

ですが、黒竜江、尼港、南京、済南、通州とこれらの虐殺事件、及び大虐殺事件を追いかけるに従って、段々私の中にもこれらの事件をみる上での「耐性」がついてきました。

まあ、はっきり言えばロシア人がどこかの都市や村を占領するやり方は、

「その地域に住む住民を皆殺しにして、その地域に住む人が誰もいない状況を強制的に作り出し、その地域を占領する」

というやり方です。「黒竜江(アムール川)事件」の頃はまだロシア革命も起きていませんでしたし、共産主義者も存在しませんでした。つまり、当時のロシア人の中には、共産主義であるかどうかに拘わらず、そのような事を平気で出来るような考え方、風習があったということなのでしょう。

一方で中国人場合は、

「生きている間に相手の尊厳性、プライドを徹底的に崩壊させる行為を行った後で相手を殺害し、殺害した相手の遺体をに対しても非常に惨い損壊行為を行う」

というやり方です。

特に中国人の遺体を損壊するやり方は、はっきり言って日本人にはない風習だと思いますね。
女性の性器に木の杭を突っ込んだり、生きている間に抉(えぐ)り取ったり・・・

勿論中国人の中の一部にそういう行為が平気でできる人間がかつて大量に存在した・・・というだけで、中国人全部がそうだというわけではありませんよ。誤解なきよう。

想像を絶するんですよ。彼らのやり方が。
罪人でもなんでもないんですよ? ごく普通に生きている一般の民間人。中には中学生くらいの女性も普通にいらっしゃったわけです。


日本の選択肢


真珠湾攻撃

ただこれ、実は「義和団の乱」の後勃発した「北清事変」 を振り返って見ると、ロシアや中国ほどではないにせよ、占領した後の中国の都市に於いて、ヨーロッパ各国は「放火」「略奪」「強姦」などを平気で行っていたようで、米国の感じていた「共産主義に対する脅威」は、日本人の価値観ともまたギャップがあったのかもしれません。

少し話が脱線しましたが、「日本軍が中国から撤退する」ということが、はっきり言ってどういう意味のあることなのか。
これをまずは理解していただきたく、改めて私が記事にまとめた「中国近代史」をさかのぼってみました。

6月21日米国対案」と「オーラルステートメント」においてコーデルハルが日本側に要求してきた内容は、しかし日本に対し、前記したような「歴史」を「もう一度選択しろ」と言っているに等しいのです。

駐屯している兵士を引き上げろ、とまで言ってきているわけですから、「過去の歴史」よりも悲惨な未来が日本に待ち受けているかもしれません。

じゃあヨーロッパに於いてヒットラーがやっていることを日本は許すというのかというと、日本側にとってみれば、「それとこれとは別問題」。

だったら蒋介石を支援したりせず、そっちに集中しろよ、とそうなるわけです。
ヒットラーが本当の所何をしていたのかということまできちんと調査できていませんから、欧州で何が起きていたのか、このことに私は言及することはできません。

ですが、そんな悲惨な目にあっているはずの彼らはわざわざアジアまでやって蒋介石軍を支援し続けているわけです。

日本はドイツと同盟関係にこそありますが、アジアの彼方からわざわざドイツ軍を支援したりはしていませんね?
東南アジアの植民地に対しても、日本軍が武力を用いるのは対英米宣戦を行った後の話です。

この状況の中で、仮に米国が欧州戦線に参加するとすれば、その相手は間違いなくドイツです。
そしてドイツが弱体化し、仮に敗戦したりしようものなら、今度は「ソ連」が日本に牙を剥いてくることが容易に想像できたわけです。

そして、その時に米国に支援してもらうためには日本は米国の要請に応じて中国や東南アジアから撤退せざるを得ない。

そうすれば今度は中国が日本に・・・というループ状態です。
行くも地獄、引くも地獄。この様な状況の中で日本に突きつけられた選択肢は「南進」か「北進」かという二択。

現実問題として、北進を実行するためには物資がない。

結局「南側」を抑える以外に選択肢はなかったわけですね。
ひょっとすると松岡も解ってはいたのかもしれませんね。

この状況の中で、米国にヴィシー政府を説得され、ヴィシーが連合軍側に寝返ったりしようものなら、せっかく進駐を完了させた北部仏印をも失ってしまうことになります。

だからこそその選択肢として、「武力を用いない兵力の駐留」、即ち「南部仏印進駐」という道を選ばざるを得なかったのかもしれません。日本軍としてはギリギリの選択だったのでしょう。

南部進駐を行う代わりに、近衛内閣はハルからの要請に応じて内閣改造を行い、ついに松岡を政権の中枢から排除してしまいます。

ですが、「アメリカの言いなり」になって、ろくなことがあるわけはありません。
当然アメリカの要求はグレードアップしてくるでしょう。(まだ続きの公文書を読んでいないので、あくまでも『予測』です)

さて。次の調査対象は、ネット上でよく見かける、「南部仏印進駐」に対して英米蘭が取った態度に対して、「日本政府が吃驚した」といったような論調がよく見かけられますので、このあたりを調査してみたいと思います。

ただ、南部仏印進駐以前よりすでにこれは予測されていたようですね。
先ず松岡より何度も将来の「結果」を突きつけられているわけですから、検証されていないわけがありません。

解った上で「南部仏印進駐を実施した」というのが本当の所だと思われます。

確かに米国の石油輸出全面禁止で「ABCD包囲網」は完成にいたるわけですが、「だから日本は宣戦布告した」という論調はどうも間違っているのではないかと思われます。

南部仏印進駐を実施した時点で、既に対米開戦はその選択肢に加えられていた筈です。
ただ、その後も米国参戦を阻止するための交渉が続けられていた、というのは事実だと思われますが、これも第39回連絡懇談会 で話し合われていたように、「最後まで出来る努力をやれるだけやってみよう」というレベルのものであったと考えられます。

そう考えると、戦後のこのあたりの歴史への解釈が、この当時の政府・軍部要人たちの「覚悟」をどうも蔑ろにしてしまっている様にも感じます。

「保守」を名乗るのであれば、やはり歴史は正しく正確に評価してほしいものですね。

それでは、次回以降の記事では「日本が日米開戦を決断するに至る経緯」を調査してみたいと思います。


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