第265回 日本はなぜ真珠湾を攻撃したのか/日米開戦の原因に迫る⑫など、政治・経済を中心とした日常的な情報を、独自な視点で解析します。

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<継承する記事>
第264回 日本はなぜ真珠湾を攻撃したのか/日米開戦の原因に迫る⑪

前回までは「日米交渉」に関する記述をいったん保留して、南進論と北進論に関する日本国内での経緯を「公文書」を追いかける形で記事にしました。

今回はいよいよ本論。「日米交渉」に関する内容に映ります。

第257回の記事 に今回話題にする「日米諒解案に対する6月21日米国対案」を再掲していますので、こちらにも目を通しながら記事を追いかけてみてください。

「日米諒解案」がまとめられるに至った経緯としまして、そもそもこれを持ち掛けたのは日本側ではなく米国側。

ジェームズ・ウォルシュ司教とジェームズ・ドラウト神父という二人の民間人が日本を訪れ、これまた日本の民間人である産業組合中央金庫理事である井川忠雄という人物と面会し、この両者によってはじめられたのがこの「日米諒解案」についての話し合いの始まりでした。

米国側で、フランク・C・ウォーカー郵政長官という人物が仕掛けたもので、ウォーカーは井川忠雄の事を、まるで日本側の代表であり、政府から全権を委任されているかのようにして報告していたのですが、実際には井川にはそのような権利は全く与えられていなかったのだそうです。

話し合われていた内容は、

・三国同盟からの日本の脱退
・太平洋の平和の保障
・中国の門戸開放
・中国の政治的安定
・軍事的・政治的侵略の不可
・共産主義拡大阻止

などであった、とのことですから、これは全く日本国政府の考えていることとは真逆な内容ですよね。
唯一「共産主義拡大阻止」が日本側の主張とも合致するくらいで、これ以外は日本側としては受け受け入れがたい内容であったことは容易に想像できます。

ですが、結果的にこのウォーカーの報告がルーズベルト大統領と野村大使とを正式な会談の場へと誘い、ここから両者の交渉はスタートしました。(この辺りの情報はWikiベースです)

協議は共に民間人であるはずのウォルシュ・ドラウトと、井川忠雄との間で進められていたのですが、途中から日本大使館付武官補佐官である岩畔豪雄という人物が協議に加わり、「日米諒解案」はこの3名の間で作成されました。


諒解案の内容は第250回記事 にある通りです。

最終的に米国側の修正が加えられ、日本側にこれが提示されるわけですが、問題だったのはこの日米諒解案が肝心の松岡外相に提示されたのが野村大使からコーデルハルに先に諒解案が示され、この内容をハルが承諾した後だったということ。

この経緯からすれば、野村大使は外務大臣に相談することなく、勝手にこの「日米諒解案」をハルに示したのだ、ということになります。

欧州訪問より帰国した松岡は初めてこの内容を見ることになりますが、内容を見た松岡が米国側に送り返した「松岡修正案」は第250回記事 に掲載しているとおりです。

この中で松岡がごそっと削除した内容が「支那事変に対する両国政府の関係」の項目。
以下の内容を米国側が容認し、日本側が保障しすればアメリカは蒋介石に和平勧告をしますよ、と書かれていた部分です。

 A、支那の独立
 B、日支間に成立すべき協定に基く日本国軍隊の支那領土撤退
 C、支那領土の非併合
 D、非賠償
 E、門戸開放方針の復活但し之が解釈及適用に関しては将来適当の時期に日米両国間に於て協議されるべきものとす
 F、蒋政権と汪政権との合流
 G、支那領土への日本の大量的又は集団的移民の自制
 H、満洲国の承認

この中で日本に取って受け入れられるのは間違いなくHの「満州国の承認」のみでしょうね。
「米国側にすり寄った内容」だと言われても仕方ないと思います。

ちなみにハルは、米国側が日本との交渉に応じる条件として、

 1.すべての国の領土と主権尊重
 2.他国への内政不干渉を原則とすること
 3.通商上の機会均等を含む平等の原則を守ること
 4.平和的手段によって変更される場合を除き太平洋の現状維持

の4条件も同時に提示しており、この4つの条件に日本側が応じるのであれば日米諒解案を承認しましょう、としていました。
ところが、野村大使は日米諒解案を松岡に示した際、この4条件については伝えていません。

ただ日米諒解案のみを松岡に示しているのです。
内容云々の問題ではなく、おそらく野村大使は松岡がこの条件に応じるわけがないことを最初から薄々感づいていたのではないでしょうか。

ちなみにこちらもWikiベースにはなりますが、この日米諒解案とは別に、松岡からハル側に、以下のような伝達が行われています。

・日本はシンガポールを含めオランダや英米の領土を攻撃しない
・日本は米国と開戦する意図はない
・日米戦争は極東の共産化をもたらす
・ゴム、スズ、石油等でアメリカが南方諸国と貿易ができることを保証する
・中国においてアメリカの権益を侵しているような誤りがあれば日中戦争終結後賠償することなど

ただ、このうちシンガポールに対しては一連の連絡懇談会の中で、松岡から軍部にシンガポールを攻撃すべきだ、と1940年12月末頃に進言したことを推測させる発言がなされていますので、どこまで本気だったのかは分かりませんが、当初は攻撃をする意図があったのではないかと思います。

「シンガポールを攻撃」するよう迫ってきていたのはドイツだった様ですので、三国同盟を重要視すればそうすべきだった、と捨て鉢に発言しただけなのかもしれませんが。

ただ、上記進言内容からすれば「アメリカの権益を日本が侵害するようなことはしないし、仮に行うようなことがあったとすれば後から賠償に応じるから、頼むから日中戦争の終結に協力してくれ」という意図があったのでしょう。

一方のハルとしては、野村大使に対し、日本が危惧する中国の共産化について「心配しすぎだ」と伝えていますから、中国大陸で起きていた「現実」に対する認識に対して、日米の間で大きなギャップがあったということがとてもよくわかります。

同じくWikiベースですが、ハルの言葉として

日本は自分の利益になることばかり主張していた。

…これを一言のもとに拒否することは、われわれが何ヶ月もたったのちにはじめて出会った、日米間の提案を根本的に討議する唯一の機会を捨ててしまうことであった。

そこでわれわれはこの日本の提案を基礎にして交渉を進めることにしたが、それは、もし日本を説得して三国同盟から脱退させるわずかの可能性でもありそうだったら、その目的だけを追求すべきだと考えたからだ」

との文章が紹介されています。

ですが、どうなのでしょう。本当に「自分の利益になることばかり主張していた」のはどちらだったのでしょうか?

同じ「自分の利益」と言っても、日本が主張していた「利益」とは、日本国民の「生命」と「尊厳」でした。
ですが、米国が手に入れようとしていたものはなんでしたか?

「フィリピン」に於ける自国の「権益」です。

日本側はただ、早く蒋介石軍との戦いを終結させ、日本人及び日本が統治下に置いた領土に於いて身の危険を感じることなく、安全に生活し、現地の人たちと交流し、ごく普通に、当たり前の商売がしたかっただけ。

ドイツとの連盟関係を維持しようとしたのは、北側にある「ソ連」=「共産主義」の脅威に対抗するためです。
日本が危惧した「脅威」が現実化したのは第二次世界大戦が終結した後であったことは、本当に皮肉な話ですよね。

前置きが長くなりました。
次回記事に於きまして、改めて「第38回連絡懇談会」の内容を記事にしたいと思います。

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