第256回 日本はなぜ真珠湾を攻撃したのか/日米開戦の原因に迫る⑧など、政治・経済を中心とした日常的な情報を、独自な視点で解析します。

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<継承する記事>
第255回 日本はなぜ真珠湾を攻撃したのか/日米開戦の原因に迫る⑦

前回の記事では、「第32回大本営連絡懇談会」が開催された1941年6月25日までで、「南方施策促進に関する件」について、6月25日の段階では「すぐに行うべきだ」と即答した松岡が、その翌日の「情勢ノ推移ニ伴フ帝国国策要綱」の懇談会ではなぜ前日の内容とは真逆の発言を行っているのか、この矛盾点について、第32回以前の懇談会の議事録を追いかけることで検証してきました。

この内容、現在は松岡にスポットを当てて検証していますが、本当はそれよりも更に遡って、特に陸軍が南部仏印進駐を推しているのか、というところまで検証すべきなのだと思います。

松岡自身も、第34回大本営政府連絡懇談会 に於いては、

「昨年暮迄は南を先に次て北と思って居った。南をやれば支那は片付くと思ったが駄目になった」

と発言していることから、少なくとも「昨年(1940年)暮」までは南部仏印進駐を急ぐべきだ、と考えていたことが分かります。
つまり、前回記事にした、第30回懇談会以前の「南方施策促進に関する件」についての話し合いの中にこそ、日本が南部仏印進駐に至った本当の理由が隠されているのだとは思います。

ただ、私が現在参考にしている、「公文書に見る日米交渉~開戦への経緯~」に於いては、この「南方施策促進の件」について、これ以前の資料は掲載されていませんので、今回は確認できる資料の中から、特に松岡にポイントを絞った記事を作成していきたいと考えています。

前回の記事において、「第32回大本営政府連絡懇談会」の議事録を掲載することをお示ししました。
一度記事にした「第32回大本営政府連絡懇談会」について再度記事にする理由としては、確かにこの懇談会に於いて「南方施策促進の件」のことが話し合われているのですが、同じ日に、「情勢ノ推移ニ伴フ帝国国策要綱」についても話し合われていたことが理由です。

最初見たときはそこまで気が回らなかったのですが、外交文書も読みなれてくると少しずつ古い言い回しに対する抵抗感が取れてきますね。

それでは、「第32回大本営政府連絡懇談会」について、改めて全文掲載したいと思います。


第32回懇談会

6月25日第32回連絡懇談会
『南方施策促進に関する件』並『情勢の推移に伴う国策要綱」に関する件

1.出席者 両統帥部次長特に出席す
2.先ず南方施策促進に関する件に就き参謀総長説明をなし之を可決す
依って午後三時臨時閣議を開き、別に準備せるもの(武力関係を除く)を総理より朗読し閣僚の質問を受けて閣議決定となし、午後4時より総理両総長列立上奏することに決す
3.前項審議の概要

外相
御説明案は結構だが之によると今迄何もやって居らぬ様に思われる書方だが今迄もやって居る様に申し上げて呉れ。
軍事基地港湾等のことは既に交渉をやって居る。独に「ヴシー」を威迫し軍事基地設定を容認する要云うた所「リ」より強威を加うることは出来ぬ旨返あり、従って日本独力でやると大島に伝え置けり

「本件は急いだ方が宜し、決定した以上今直ぐが宜しい、臨時閣議開催は刺激するかもしれぬが時局柄已むを得ず」との外相の意見により午後3時臨時閣議を開催することに決す

外相
実行に方りては統帥部と充分連絡し、外交と軍事との緊密なる連繋を保持致したい、軍隊集合せば外交は電撃的にやる如く統帥部と連絡致したい

参謀総長
大命拝受より軍隊集合までには20日を要す

外相
承知しあり

(参謀次長本件に関する限り外相は大いに気合を入れてやるものと感取す)

4、次て外相三国同盟と中立条約との関係に就き独伊「ソ」対しに対し話したる内容を披露す。

要旨左の如し

三国同盟は中立条約が出来ても之に依り左右せられ或は影響を受くるものにあらず。
この見解に就いては外相帰朝後発表セリ、而も「ソ」より何等変電来あらず。実は独「ソ」戦わぬと思ったから中立条約を結んだのであって、独「ソ」戦う様な状況ならば中立条約など結ばずにもっと独と仲好い行動をとりたかった

「オットー」には条約の文句に拘らず同盟を堅持す、何かやる等のことは必要なに応じお話しすると云うておいた

「ソ」大使は右に述べた趣旨に沿い話しておいた。


「ソ」連大使は右外相の言に対し如何なる感想を受けたと判断するや

外相
日本は冷静だがどうも何んともはっきりせぬと言うたからそう思ったのだろう


日本は三国同盟に忠実で中立条約には不忠実だと思わなかったろうか

外相
それほどには響かんと思う、尤も中立を破る等の話はして居らぬ

(外相の説明を聞き次長は「ソ」連大使が中立条約は駄目だと受け取ったものと判断す)

外相
「オットー」には何も正式には云うて居らぬ。早く国策を決めたい、「オットー」は盛に極東兵力の西送を云うて居る

陸相/参謀次長
極東兵力の西送の件は、独に取り強くひびくだろうが日本に取っては寧ろ小さく感ぜられるのは当然なり
独のことばかり信用するのは不可なり

海相
将来の外交上の参考の為海軍として一言す
過去は問わず、国際情勢微妙なる関係にある現在総帥部に無断で遠い先のことまでしゃべるな。海軍は対英米戦には自信あれども、対英米「ソ」戦には自信なし
米」「ソ」決して、米が極東「ソ」領に海軍基地航空基地無線測定処等を作り、或は「ウラジオ」の潜水艦が米に移譲せらるる様な事にでもなれば、海軍作戦としては極めて困る
この如き状態にせぬ為には「ソ」も攻撃しろ、南方もやれと云う様な事は云うな
海軍は「ソ」を刺激することは困る

外相
米英とやるのは辞せずというのに「ソ」が入ったとてどうして困るのか

海相
「ソ」が入れば一国増えるではないか
何れにしてもあまり先走った事を云うな

外相
今迄俺がそんな事を云うた事があるのか、それだから国策の大綱を早く決めよと云うのだ

5.右の会談動機となり国策要綱に就き話を進む
参謀総長陸海軍決定案の要旨に就き口頭を以て説明し「外相は積極論を唱うるも、陸軍の軍備充実未だ完全に出来居らず、支、北、南三方の条件によって始めてやれるのである、例えば極東に動乱勃発、極東兵力の西送、「ソ」連政権の崩壊等の情勢になったらやり得るのである。「ソ」と過早に戦えば米が之に加わることあるを以て気を付けねばならぬ

外相
独が勝ち、「ソ」を処分するとき、何もせずに取ると云う事は不可。血を流すか、外交をやらねばならぬ。而して血を流すのが一番宜しい。「ソ」を処分するとき日本何を望むかが問題なり。
独も日本は何をするかどうかと考えて居るだろう
「シベリヤ」の敵が西へ行ってもやらぬのか
牽制くらいやらねばならぬのではないか

陸、海相
牽制にも種々あり、帝国が厳として居ることが既に牽制ではないか、こう云う風に応酬しないのか

外相
兎に角どうするか早くきめて呉れ


何はともあれ先走るな

外相は総長の説明するものには大体同意なるが「ソ」とやれば米が入ると云う点が分からぬと述ぶ。

以上にて閣議開催の時間となり明日10時より会談を続行することとし散会す

南方施策に関しては、既に記載しています通り、非常にスムーズに話し合いが終結しています。

内容を読むと、この時点で外務省はヴィシー政権に対して圧力をかけてほしい、とする交渉をドイツとの間で行っていることが分かります。ドイツからはこれに「難しい」とする返答があり、南部仏印進駐に関しての交渉は日本が単独で行わざるを得なくなった、とあります。

進駐そのものについても、外務省の言葉として、「軍隊集合せば外交は電撃的にやる如く統帥部と連絡致したい」とあります。

既にドイツとの間では交渉も終わっているし、ヴィシーと直接交渉することも大使には伝えている。
今更「やらない」というわけにはいかない。けれども腹の内では・・・といったイメージでしょうか。

後日の懇談会に於ける内容から、松岡は「南仏に進駐すれば米英と開戦となるかもしれない」けれども、「ソ連に攻め込み、短期に決着を付ければ米が参戦することはない」と言っています。

今回の懇談会に於いて、

「外相は総長の説明するものには大体同意なるが「ソ」とやれば米が入ると云う点が分からぬと述ぶ」

とした点に於いて、松岡は「南部仏印進駐を後にし、北を先に攻めればむしろ『米』が入ることはない」

と踏んでいたのでしょうね。

一方で軍部、特に海軍からすれば、松岡が国外に於ける話し合いで、軍部による会議の上を飛び越えて次々と話し合いを進めてくるもんだから、「こちらの事情も組まずに次々と決めてくるのはやめてくれ」という意図が各所で登場します。

軍部としては、松岡のような発想はしておらず、「南部仏印進駐」を行えば、その可能性の中に対英米開戦が想定されており、「同時に」北を攻めれば、もし万が一英米開戦となれば、同時に「ソ連」「中国」まで含めた4カ国を相手にしなければならなくなる・・・と考えていたわけです。

つまり、松岡の中にある、「北か、南か」という選択肢ではなく、軍部は「(中国を含めた)4カ国」を相手にするのか、それとも「3カ国」を相手にするのかという選択肢から選ぼうとしていたのですね。

また、武力を用いず、平和的に進駐すればひょっとして英米は攻めてこないのではないか、という選択肢も含まれていましたから、「対中戦」をやめないという前提の中で、最良の選択肢は「南だ」というのが軍の考え方。

松岡は、「南を一時放置したとしても、先に北を相手にすれば少なくとも『対米』開戦となることはない」と考えていたわけです。

結果的に松岡は事実上更迭され、松岡案は採用されませんでした。
松岡が外務大臣という役職を引いた後、軍部の想定通りヴィシーとの交渉は無事妥結され、武力を用いずに「南部仏印進駐」を完成させるわけですが、発展した国際関係は松岡の想定した「最悪」の道を歩むこととなったのです。


「南方施策方針に関する件」について松岡がその考え方を変更させるに至った経緯としては、凡そ私の「推測」の上での事項ではありますが、この様な経緯で変化したのではないかと考えられます。

次回記事では、改めまして「日米諒解案」の内容が変化する経緯に着目し、最終的に「ハルノート」を検証することで日本が「真珠湾攻撃」を行うに至った経緯を検証できればと考えています。


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