第252回 日本はなぜ真珠湾を攻撃したのか/日米開戦の原因に迫る④など、政治・経済を中心とした日常的な情報を、独自な視点で解析します。

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第252回 日本はなぜ真珠湾を攻撃したのか/日米開戦の原因に迫る④

「日本が真珠湾攻撃に至った理由」。これを現在は、日本に対する「最後通牒」であったとされる「ハルノート」にポイントを絞って分析しています。

中々手間のかかる作業ではありますが、それなりにやりがいのある作業だとも感じています。


前回の記事では、5月12日、松岡外相が「日米諒解案」を修正する形で米国側に送った「松岡修正案」。これに対して6月21日、米国側がこの松岡修正案を更に修正する形で送ってきた「米国対案」をベースに記事を作成しました。

今回はこの米国対案に対して1941年9月25日、日本側が更に米国に対して提出したさらなる修正案を中心に記事を作成してみたいと思います。

今回は本題に入る前に、再度年表を使って歴史の経緯をおさらいしてみます。

1937年 8月13日 第二次上海事変勃発(中国軍による日本租界への攻撃)

      8月14日 中国軍による日本艦艇及び日米欧共同租界、フランス租界空爆

      8月15日 日本軍による蒋介石軍に対する事実上の宣戦布告が行われる(渡洋爆撃の実施)

      9月12日 蒋介石は自軍の共同租界への空爆の映像を日本軍によるものだと偽って国際連盟に提出

      10月5日 ルーズベルトによる「隔離演説」

      10月6日 蒋介石の提出した資料に基づいて日本軍への非難決議案が国際連盟全会一致にて採択

      12月13日 日本軍により南京陥落

1938年 6月14日 天津英租界封鎖事件

      10月   日本軍により広州(広東省)陥落(イギリス援蒋香港ルートの遮断)

      11月3日 第二次近衛声明発表

      12月25日 米国、蒋介石軍に2500万ドルを供与

1939年 6月20日 有田・クレーギー会談が合意に至り、天津英租界封鎖が解除される。

      7月26日 アメリカより日米通商航海条約破棄が通告

      8月23日 独ソ不可侵条約締結

      9月1日 ドイツ軍によるポーランド侵攻(第二次世界大戦勃発)

      11月17日 南寧市(広西省)陥落(仏印援蒋南寧ルートの遮断)

      12月    米国より日本への航空機ガソリン製造設備、製造技術の関する権利の輸出停止が通知

1940年 1月     日米通商航海条約失効

      3月30日 汪兆銘政権樹立

             米国、蒋介石支援のたに2000万ドルの借款供与

      4月9日 ドイツ軍、ノルウェーデンマークに侵攻

      4月15日 有田外相、欧州戦争の激化の影響が蘭印に及ぶことを懸念する声明を発表
             米国メディア、「日本が蘭印を支配する意図を婉曲に述べたもの」であると一斉に報道
     
      5月10日 ドイツ軍、オランダ・ベルギーに侵攻

      5月11日 有田外相、蘭独英仏の各国政府に対し「蘭印の現状維持に関する日本の意向」を通報

      6月6日 在日パブスト蘭公使より、「石油・ゴム・錫等13品目の蘭印産重要物資につき一定量の対日供給を確約する書面」を取り付ける

      7月12日 クレーギーによりビルマ援蒋ルートの3か月中断が表明される

      6月17日 フランス、ドイツに降伏

      6月19日 日本よりフランスに仏印援蒋雲南省ルートの閉鎖を要請。仏印総督により合意

            米国より特殊工作機械等の対日輸出が許可制に

      7月26日 米国に於いて鉄と日本鉄鋼輸出切削油輸出管理法成立

      8月    石油製品(主にオクタン価87以上の航空用燃料)、航空ガソリン添加用四エチル鉛、鉄・屑鉄の輸出許可制

             航空機用燃料の西半球以外への全面禁輸

      8月上旬 マニラにて米・英・蘭の石油関連会議が開催される

      9月中旬 小林蘭印使節団、蘭印バタビアに到着(日蘭会商開始)

      9月22日 北部仏印進駐に関する軍事協定が日仏印間で締結

            (締結直後に富永恭次少将が暴走し、仏軍と衝突)

      9月23日 北部進駐開始(仏印援蒋ルートの閉鎖)

      9月25日 米国、重慶政権に2500万ドルの借款供与

      9月25日 日独伊三国同盟締結

      9月26日 米国、屑鉄の全面禁輸を発表

      10月8日 イギリスによるビルマ援蒋ルート再開

      10月中旬 小林蘭印使節団長、失言に依り交渉より降りる
             向井石油代表が交渉を引き継ぎ、石油の輸入量に関して合意に至る

      10月16日 米国、屑鉄の全面禁輸の実施

      11月    蘭印石油の新規契約分が調印される

      11月23日 タイ・仏印インドシナ紛争勃発

      12月28日 蘭印芳澤新使節団長がバタビアに到着。

1941年 1月     芳澤団長より蘭印に「(重要資源以外の)一般提案」が提出される

      1月28日 日本の仲介によりタイと仏印は停戦状態となる

      1月30日 対仏印、泰施策要綱が大本営会議決定される

      2月24日 日本よりタイ・仏印戦争への調停最終案が提示される。

      3月11日 日本から(仏印への)強い圧力によりタイ・仏印間の調停が成立

      4月16日 野村米国大使とハル長官の間で「日米諒解案」を下に交渉が進められることが合意される

      5月9日 泰仏両国が東京条約に調印し、タイ仏印戦争は終戦となる

      5月12日 日米諒解案に対する松岡修正案が米国へ提出

      6月     蘭印側より一般問題と重要資源の供給量に対する回答が出る。

      6月17日  資源に関しては一部資源を除き、ほぼ満額回答が出るが、芳澤団長は交渉の終結を通告し、帰国の途に就く。

      6月22日 ドイツ軍ソ連侵攻(独ソ開戦)

      6月22日 松岡修正案に対する米国提案がハルより提出される

      6月25日 「南方施策促進に関する件」が閣議決定される

      7月2日 「情勢ノ推移ニ伴フ帝国国策要綱」が御前会議決定される

      7月16日 近衛内閣総辞職。第三次近衛内閣が発足し、松岡は事実上外相職を罷免される

      7月21日 フランスヴィシー政権、「仏印の主権尊重を日本側が声明すること」を条件として仏印南部進駐を承諾

      7月23日 南部仏印進駐が書面にて合意されれる

      7月24日 交渉妥結に関する方向が同盟関係にある独伊におこなわれる。

      7月25日 同じ内容が米英に通報される。日本軍は南部仏印進駐部隊を派遣
            米国、対日資金凍結措置を決定。英国もこれに追従する。

      7月26日 英国は日英通商航海条約の破棄を通告
             同日、オランダが「日蘭民間石油協定」の停止を通告

      7月28日 日本軍、南部仏印進駐を開始

      8月1日 ルーズベルト、対日石油輸出全面禁止へと踏み切る。英国もこれに追従

      9月25日 松岡修正案に対する米国対案に対するさらなる「対案」を日本より米国側に提示

      10月16日 近衛内閣総辞職

      10月18日 東條英機内閣成立。東郷成徳が外相に就任

      11月21日 日本側最終案「乙案」をハルに提示

      11月27日 米国より、所謂「ハルノート」が提示される

      12月1日 第8回御前会議で対米英蘭開戦が決定される

      12月3日 日本海軍機動部隊より真珠湾攻撃命令が発令される

      12月4日 マレー半島攻略部隊、出発

      12月8日 真珠湾攻撃 
            日米交渉決裂。「米国及英国ニ対スル宣戦ノ詔書」により、米国と英国に宣戦布告

ついにここまできたなぁ・・・と、感慨深いものがあります。
終盤のいきさつはまだまだ調査が必要ですが、日米開戦に至った経緯も、本当にたくさんの「立場」や「価値観」「感情」が交錯し、本当に複雑な事情の下ここまで至ったのだな、と感じますね。

最後の辺りを見ていると、もし松岡が罷免されず、松岡の考え方のまま交渉が進められていれば、ひょっとしたら戦争にならなかったんじゃないかとか、結局日本側が最大限譲歩し、米国側の主張に歩み寄ったにも関わらず、これを突っぱねられた為「日米開戦」に至ったんじゃないか・・・とか、いろんな推測も浮かびます。

ひょっとして日本が「弱み」を見せたため、最終的に「開戦」の決断をせざるを得なくなったんじゃないか・・・とかね。

このあたりはまだ私の「推測」です。
ちょっと本題にまではたどり着けていませんが、「9月25日日本国対案」については、上記のような経緯を踏まえた上で、次回記事にて改めて検証してみたいと思います。

わかりますね? 次回「対案」を出すときに、既に意思決定を行う「場」には松岡は存在しないのです。
松岡が罷免された後の日本が、どのような交渉を行っていくのか、少し楽しみに感じる部分がありますね。

それでは、次回記事「9月25日日本国対案」。お楽しみに。


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