第246回 ABCD包囲網に至る日本とオランダの経緯/日蘭会商⑤など、政治・経済を中心とした日常的な情報を、独自な視点で解析します。

ランキングサイト

この記事のカテゴリー >>十五年戦争(日中戦争)の原因と結果


<継承する記事>
第245回 ABCD包囲網に至る日本とオランダの経緯/日蘭会商④

前回の記事より、南部仏印進駐を実行する直前。日本とオランダとの間で行われた、「日蘭会商」について、いよいよその本筋。交渉経緯について記事にしています。

流れとすると、

1.蘭印はオランダ本国がドイツに占領された後、日本に対して石油輸出増量を申し出た。

2.日本は、この交渉において、蘭印が当初想定していた量を上回る輸入量を提示した。

3.交渉が進行する経緯の中で、日本はドイツ・イタリアとの間で日独伊三国同盟を締結した。

4.オランダはこれに不快感を示す。

5.団長を務めた小林一三商工大臣は、オランダに対し、最終的にはオランダではなく、ドイツに味方せざるを得ない、といった趣旨の発言を行い、小林団長は事実上、罷免される。

と、この様な経緯まで説明いたしました。

小林一三
【小林一三団長】

考えてみれば、小林団長にとってみればオランダとの重要な交渉を行っている最中に、勝手に本国がドイツとの間で日独伊三国同盟を締結してしまったわけで、この時点で交渉の成立に対して悲観的に考えていてしまったのかもしれません。

ですから、交渉が決裂することを前提として上記のような発言に至ったことは推測できるわけですが、結果的にこの後、同行した民間人、三井物産会長向井忠晴氏らが交渉を引き受け、オランダから200万6,000トンの輸入量合意にまでこぎつけています。

実際に向井会長が交渉を成立する寸前まで持っていったのは、小林団長が帰国する前のことで、小林団長はこのことを以て帰国前の会見において、「交渉は成功した」と発言した様です。

引用資料 よりの受け売りにはなりますが、この内容について、まず米国が「蘭印が全生産量の40%(実際は25%)を日本へ供給」と報道。

これを受け、蘭印は英米より、「裏切り者」と称されるようになり、オランダ本国の亡命政府があるイギリスの議会でもこのことが問題視され、蘭印政府は「日本代表団に苦情を申し入れた」とあります。

一旦合意に至っているものに対して「苦情を申し入れた」としている部分については違和感を覚えますね。

一方日本側交渉団としても、同様にいったんは合意した内容であるにもかかわらず、この内容に合意したことで、「蘭印に対して、日本がこの輸入量で満足した、との印象を与えてしまった」との不満の声が上がっていたようです。

この時、日本の代表団から、新しい団長を求める際に東京に送った文面として、以下のような文面が紹介されています。

「後任の選定上、注意を要する点は、

・政治的見識を要すること
・多少、西洋の儀礼に心得あること

小林大臣が使節として内外に対し完全に落第せる主因は右諸点なりと思考せらるるに付つき、後任としては、ぜひ、芳澤謙吉氏の出馬を得度たきことを希望し居れり、右何等参考迄まで。

同使節の帰朝談話発表は特に蘭印に対する反響を顧慮し、交渉の内容に付自己宣伝的な楽観論をなさざる様御配慮を請こふ」

とあります。

裏を返せば、小林団長には政治的見識がなく、西洋の儀礼に対してまったくと言っていいほど心得がなかった。
帰国直前に行った会見は小林団長の自己宣伝的な楽観論であり、交渉はまだその途上にあったのに、それ以上の交渉を行いにくくなった、とあるわけです。

つまり、小林団長は交渉団の団長として完全に失格であった・・・と。

この時点での登場人物として、小林団長、向井石油代表の他、斉藤音次蘭印総領事(現地責任者のようなもの)、太田知庸首席随員(外務省通商局第6課長)の名前があり、この両名が日本の松岡外相宛に上記電文を送ったわけですが、この両名に対する向井石油代表が同行していた中原義正海軍大佐に宛てた言葉として、以下のような言葉が挙げられています。

「斉藤、太田両名が蘭印側と政治問題に付いて会談する際、石油問題に深入りするので思うように交渉が進まない。かういふ状態では辞任帰国するより外にない」

と。民間人である向井代表は、穏便に交渉を進め、自分たち商社にとっても有益に交渉を勧めたいのに、横から斎藤、太田両名が茶々を入れてくるため、話し合いがまったく前に向いて進まない、と言っているわけです。

同行した随員の中山寧人陸軍少将(会商時は中佐)が戦後に述べた言葉として、以下のような言葉も紹介されています。

「太田書記官は軍人のやうな考へをする人で、蘭印問題に関し軍人以上に積極的な考へを持っていた。また、斉藤総領事は右翼ともいふべき傾向の人であった。外務省も特にさういふ人を随員に選んだのではなかろうか」

と。最後の一文、「外務省も特にさういふ人を随員に選んだのではなかろうか」という文章については中山当時中佐の私見ですのでさておくとし、同行した太田、総領事であった斎藤という人物の人物評としては中々好戦的な人選であった、ということです。

前記した石油輸入量合意分については、1940年11月。新規契約が調印されています。


さて。この後蘭印にやってきたのが太田、斎藤両名が松岡外相に新団長として要請した芳澤謙吉という人物です。

芳澤謙吉とは、5.15事件にて暗殺されたあの犬養毅元首相の娘婿にあたる人物なのだそうです。
総領事である斎藤音次も含め、交渉団は人臣を一新し、新しい使節団の下、交渉が再開します。

芳澤はまず、蘭印側に以下のような提案を行います。

1.日本人の入国およびその他の事項
 (1) 日本人の入国制限を緩和する(外国人勤労条令の手続きの簡易化)。

 (2) 事業、経済的な活動の障害を除去する。

 (3) 日本人医師(含歯科医)による診断を自由にする。

 (4) 日本人による企業の経営を増やす。

 (5) 日本人による申請と要求を友好的に取扱う。

2.各種の事業
 (1) 鉱業=日本人が要望する各種産物の開発許可は、可及的速やかに、かつ、広範囲にこれを与へる。

 (2) 漁業=現地の漁業者との競争を生じない限り、領海内での日本人による漁業を許可する。魚類の輸入港に対する制限を撤廃する。日本人の漁業者が捕獲した魚類は輸入税を免除する。

3.交通および通信
 (1) 日本の航空機による日本と蘭印間の航空事業(開設許可、無線、気象通報等)を開始する。

 (2) 日本の船舶に対する各種の制限(沿岸の航海、貨物積込の手続を簡易化する等)を撤廃する。

 (3) 日本と蘭印間の通信を改善する。(日本の管理下に最新式の海底電線を敷設することの承認、電信で日本語を使用するこ
との禁止などの解除)

 (4) 営業の制限(営業制限令下の倉庫業、印刷業、綿布業、製氷業等の許可)

 (5) 商業及ひ貿易=日本商品の輸入割当を撤廃する。

要はたたき台ですね。

この案に対する日本と蘭印側とのやり取りも詳細に掲載されていますので、要約してご紹介します。

蘭印側の主張としては、

「日本の要求やその態度は、まるで日本が蘭印を日本の管理下に置こうとしているかのような、そのような意図がみられる。蘭印は一つの独立国として、そのような要求をまともに受けることはできない」

と答えています。日本はこれに対して、

「日本は支那事変(日中戦争)において、日本本土自国民だけでなく、占領下に置いた中国各地域の占領民を養っていかないといけない。また戦争においてたくさんの施設が破壊されていて、これも復旧しないといけない。

日支満の生産力を充実させるためには、多量の資源を必要としていて、それには蘭印の協力が必要なんです」

と回答します。

これに対し蘭印は、

「蘭印は一つの独立国として、他国の政治的介入を受けることなく、単独でその経済構造を構築したいと考えている。まして、今回の要求の様に、その内容が蘭印経済全体を左右しかねない状況に陥ることはとても受け入れることはできない」

と回答。日本はさらに、
「それじゃあ蘭印は、経済発展については現状を維持することを目的としていて、これ以上の発展は望まないってこと?」

と問いかけます。蘭印は、
「いやいや、そうじゃないよ。今回の日本側からの要求を全面的に飲んでしまうと、蘭印国内において、日本の発展を無制限に放置してしまうことになるでしょ? そんな、蘭印経済の将来を左右するような要求を受け入れられるわけないじゃない。

おたくの蘭印ないにおける経済活動がそのまま蘭印経済の発展につながり、蘭印の経済構造そのものに大きな影響を与えないのなら、日本企業の蘭印への進出まで拒否するっていってるわけじゃないよ?」

と答えます。日本はさらに、
「だけど蘭印さん、おたくではすでに英米の大企業を受け入れていて、その大企業は蘭印内で巨大な影響力をもっているじゃない。別に今回の要求に同意したからと言って、日本企業が今すぐ蘭印にどしどしと乗り込んでいって蘭印経済を占領しようとか、そんなことを考えているわけじゃないんだよ? 考えすぎだよ」

と答えます。蘭印は、
「英米の国内における発展は既に昔のこと。それとて1919年におこなわれた法改正によって既に取り締まってるし。
今後は日本だとか、イギリスだとか、アメリカだとかにかかわらず、蘭印人自身の手で経済発展を遂げ、商業地としても成功させていくつもりだから」

と回答。これに日本は、
「いやいやいや。オランダ領東インドの土地面積が一体どれだけあると思ってるんだよ。あなた方の言っているとおりに経済発展を遂げようとすれば、そりゃ100年たっても到底無理な話だよ」

と回答。更に蘭印は、
「蘭印という国家を永遠に、永遠に発展させようと考えるのなら、100年や200年なんていう時間は取るに足らない問題だよ。例え何世紀かかったとしても、蘭印は蘭印人自身の手で発展させるから。

それに言っとくけど、オランダはイギリス、アメリカと同盟関係にあって、命を懸けてドイツと戦ってるんだ。

日本の仏印(この時点ではまだ北部仏印進駐)やタイに対する政策(第241回の記事 参照)に対する今にも武力行使するんじゃないかという態度、大東亜共栄圏構想や、日本国内における日本人の欧米人に対する態度、蘭印国内で行った検閲の結果、日本人の今回の交渉に対する不穏な態度を見ていると、とてもこのまま日本側の要求をのめる状況にはないよ。」

と答えます。これを受けて、日本側からもやや本音が顔を見せ始めます。
「蘭印側こそ、日独伊三国同盟を締結以降、排日的になり、日本人の進出を拒否するような状況にあるじゃない。
日本国内では、蘭印が米英に追従して日本に対する禁輸に踏み切るんじゃないかと疑っている人も増えてるんだよ?

おたくが日本に対してそんな姿勢を見せているんだから、それに比例して日本国内でそういう姿勢が出てくるのも当然じゃない。
おたくがこのままの態度を続けるのなら、いずれ日本と蘭印の間で大衝突が起きることになるよ?」

蘭印
「蘭印の日本に対する対日姿勢は、追従とかそんなんじゃなく、蘭印自身の価値観で決定するもんだよ。
日本と蘭印との間で今後交渉し、調整を続けていく必要があるってことには同意するけど、もし日本が蘭印の独立性を無視して、要求を強要してくるようなことがあれば、我々としても一戦を交えるくらいの覚悟はあるから」

と回答します。日本は、
「そんな風に日本からの要求を取り扱うつもりなら日本に不満が溜まるのも当たり前じゃない。
おたくとの関係性ももう一度見直さなきゃね!」

これが、芳澤団長と蘭印とのやり取りの経緯です。

全体的に、蘭印側の方が一枚上手だな・・・という印象をぬぐえません。
ただこれも、小林団長のぶしつけな態度させえなければどうなっていたのでしょう。

内容として日本側から蘭印にツッコミたいところもたくさんあったでしょうが、結論から言うと、

「イギリスやアメリカは悪かったかもしれないが、オランダには関係がない」

ということです。オランダ、特に蘭印側から見ればその主張は至極尤も。正論なわけです。

さて。このやり取りを経て日本と蘭印との関係性はどのように変化していくのでしょうか。
次回記事に委ねたいと思います。


このエントリーにお寄せ頂いたコメント

URL:
コメント:
 

スポンサードリンク

Copyright © 真実を問う!データから見る日本 All Rights Reserved.
ほったらかしでも稼げるFC2ブログテンプレート [PR]