第245回 ABCD包囲網に至る日本とオランダの経緯/日蘭会商④など、政治・経済を中心とした日常的な情報を、独自な視点で解析します。

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この記事のカテゴリー >>十五年戦争(日中戦争)の原因と結果


<継承する記事>
第244回 ABCD包囲網に至る日本とオランダの経緯/日蘭会商③

「ABCD包囲網に至る日本とオランダの経緯」について記事を続けます。

前回の記事では、米内内閣が第二次近衛内閣に交代し、「日蘭会商」がスタートするまでの経緯について記事にしました。

復習しますと、

1.日中戦争がはじまって以降も、日本とオランダの関係は良好であり、蘭印を通じて日本とオランダとの間では通常通り貿易が行われていた。

2.ドイツのポーランド侵攻に伴って勃発した欧州戦争によって、ヨーロッパの情勢が変化し、その影響が蘭印にまで及ぶのではないか、とする不安が日本側に起こった。

3.ドイツがオランダに侵攻したことを受け、日本は欧米各国に対し、オランダ領東インドの現状維持を宣言し、オランダとの間で「石油・ゴム・錫等13品目の蘭印産重要物資につき一定量の対日供給の確約」を書面にて取り付けた。

4.これを受け、オランダ側より、さらなる石油輸入についての建議が行われ、重要資源を外交で確保し、輸入を図る為の使節団の派遣(日蘭会商)を行うことが決められる。

5.ところが、陸軍側からの圧力により、米内内閣は退陣に追い込まれ、代わりに第二次近衛内閣が誕生する。

6.第二次近衛内閣は日蘭会商を引き継ぎ、施設団長として小磯国昭予備役陸軍大将を候補に挙げるが、彼は会見の中で、日本陸軍の本音を堂々と暴露してしまう。

7.当然蘭印側からの反発を買い、小磯国昭予備役陸軍大将は罷免。代わりに小林一三商工大臣が団長となる。

と、ここまでが前回の記事までに掲載した内容のまとめです。

では、改めて「日蘭会商」本題へとテーマを勧めます。

日蘭会商

【日本の石油輸入量に占める米国からの輸入量の割合】
日本の石油輸入量と米国からの輸入量の比率交渉がスタートしたのは1940年9月。
この時点で、日本は米国よりの石油輸入総量の9割を輸入していました。

日本は、完全に石油を米国に依存していたんですね。

【日本国内における石油消費量(内訳)】
日本の石油消費量(内訳)

概算にはなりますが、この当時日本国内で必要とされていた石油の量は、陸海軍・民間を合わせて約500万㎘。
国内で約30万㎘の石油を生産してこそいたものの、その大部分を海外からの輸入に頼っていた。それが当時の日本の状況でした。

一方で、日本は蒋介石軍と戦争状態にあり、これを非難する米国は蒋介石軍に資金援助を続けていた状況。
日本に対しては立て続けに経済制裁を課していました。

日本は、この状況を解消するために蘭印との外交交渉に臨んだのです。
日本がオランダ側に求めた石油の輸入量は、米国他欧州、ソ連からの輸入量まで含めた総量500万㎘の資源確保を目指します。

最終的には油田そのものを獲得し、商社・労働者まで含めて自由に日本国内と行き来できる状況を目指します。
現在でいう「EPA交渉」を行っていたんですね。

この様に記すと、交渉のやり方としても別にとびぬけておかしな交渉のやり方をしていたわけではありませんし、交渉として最低限獲得したい内容を更に上回る条件を提示し、最終的に妥結案へとたどり着くやり方は、外交交渉としては常套手段であったと考えられます。

また更に、これはあくまでもオランダ側から提案してきたものであるということも忘れてはならないと思います。


オランダとしても、まさかここまで言ってくるとは想定していなかったのかもしれません。

当時蘭印から日本へ輸出されていた石油の量は年間で約50万~ 65万トン。日本側からの最初の要求はこれにプラス100万トン。交渉は最初東京でスタートしたのですが、更に交渉団が派遣された蘭印では総計315万トンの要求を行いました。

オランダとすれば、ハードルを一気に引き上げられたわけで、交渉は一気に暗礁に乗り上げます。
この時のオランダ側の回答は、以下の通りです。
「従来、日本は年間60万トン程度を輸入していた。突然、300万トンの買い付けを求められても隣接諸国への輸出を犠牲にすることになって、均等待遇の原則に反する。
関係する石油会社とも協議の上でなければ回答は困難である。

また、従来、石油会社には石油供給の義務不履行の事実もない。したがって、政府が供給の保証を付与することはできない。
購入問題は各石油会社の責任とし、問題が生じた時、初めて政府が斡旋をしたい」

(引用元:戦争と石油(3) ー 『日蘭会商』から石油禁輸へ ー石油問題研究家 岩間 敏)

「Yes」とも「No」ともいわず、やんわりと「それは無理です」と言ったわけですね。

これを受け、日本は逆にハードルを引き下げるどころか、更に上乗せして380万トンの供給を要求します。
それどころか更に、

「英米との関係上、380万トンはおろか日本の全需要(500万トン)を蘭印に期待している」
「日本は必要物資の自由なる獲得を期待している。日本の希望は石油問題の他に入国及ひ企業問題の解決によって必需物資を日本が開発し、自由に日本に持ち込むことである」
(ともに資料より引用)

とまで言及します。

蘭印側からの回答は、

「蘭印は圧力の前に承服できない。体面を重んじ同情ある態度を以もって接してくる相手に対しては、全幅の協調を吝まないが満州国の如き地位に立つことは忍ひ得ない」

との内容です。結論から申し上げますと、最終的にこの交渉、200万6,000トンの購入量で落ち着きます。

外交交渉ですから、最初から200万トンで交渉したのではまずこの量を確保することは難しかったでしょう。
ですから、やり方としてはとても理想的な交渉方法であったと考えられます。

ただ、この後の日本と蘭印との交渉内容を見ていますと、どうも日本の上から目線が目立ちます。
蘭印はあくまでもオランダの植民地であったわけですが、どうも日本は交渉相手としてこの蘭印を「格下」だとみていたような、そんな光景が目につきます。


一方、交渉はオランダ側から申し入れたわけですが、交渉がスタートする1か月以上前の8月上旬、オランダはイギリス、アメリカとの間で「石油関連会議」を開催しています。

この後さらに、米国務省顧問のホーンベックは英国政府代表と共に、蘭印現地で石油生産を行っている現地蘭法人代表に対して

 「日本へ適当量の通常原油を販売することに異議はないが、航空機用揮発油を大量に販売することには多くの問題がある」

との申し入れを行っています。
つまり、日本との外交交渉において、事前に英米側よりオランダに圧力がかけられていたわけですね。

この時点で、オランダはドイツに敗戦しており、亡命政府はイギリスに拠点を構えていました。


そんな中、日本は9月27日、ドイツ・イタリアとの間で「日独伊三国同盟」を締結します。
日本が日独伊三国同盟を締結するに至った経緯については、第240回の記事 でもご説明した様に、それなりの理由がきちんとあったわけですが、勿論オランダ側にはそんなことは関係ありません。

「日本は、オランダ本国を蹂躙したドイツなんかと手を結びやがった!」

というのが第一の印象であったはずです。
それにしても、オランダは始終一貫して冷静な国だな・・・という印象を受けます。

日本側も、もし内閣が近衛内閣ではなく、米内内閣のままだったら、ひょっとするとこの交渉はもっとうまくいっていたんではないかと、そんな印象を受けます。

小林団長は、日独伊三国同盟が締結された理由について、以下のような説明を行います。

「米国が参戦せば日本もドイツに味方して戦争に引き込まれる惧おそれあり。
之を避けんとせば、日本と蘭印と固く握手することにより米国をして参戦を思ひ留とどまらしむる要あり」

戦争と石油(3) -『日蘭会商』から石油禁輸へ からの引用なのですがこれ、どちらかというと三国同盟が締結された理由ではなく、三国同盟が締結された状況下でも蘭印が日本に協力しなければならない理由、みたいな感じですね。

「あなたたちが私たちに協力してくれれば、アメリカも日本を警戒して第二次世界大戦への参戦を警戒するに違いない。
もしアメリカが参戦すれば、三国同盟を締結した以上、日本もドイツに味方して戦争に引き込まれる恐れがある。どうか米国の参戦を避けるためにも私たちに協力してくれ」

というような趣旨のことを伝えたわけです。三国同盟の目的は日独伊に加えてソ連とも4カ国同盟を結ぶことで、米国を参戦させないことにありましたから。日本が脱落しないためにも、資源の問題は喫緊の課題であったわけです。

ですが、オランダは

「ドイツの敗戦こそ太平洋の平和維持に必要にして、蘭印はこれを希望し、かつ、固く信じ居るものなり。本国を蹂躙せられたる蘭印はドイツとの交戦国であり、敵と同盟関係に入りたる国がいずれの側に立ち居るやは明確にしてオランダ本国の将来より判断して、いずれの国がドイツ側なりやを決定せざるを得ず。

此の点、日本側とは見解を異ことにして、蘭印の立場は明瞭なりと謂いひ得べし」

と答えます。

「自国はドイツによって敗北させられた。あいつらが敗北することこそ太平洋の平和維持にとって本当に必要なことで、オランダとしてもそのような状況になることを望んでいる。

あなた方がドイツとの同盟を解消しないのならば、あなた方に協力することは難しい」

と、暗に言っているわけです。
これに対して小林団長は、

「日本は三国同盟の有無に拘かかわらず、万一、ドイツ側に敗色濃厚なる時は、之が援助に赴つかざるべからず」

と答えます。おいおい、と。
小林団長は、今から協力して資源を供給してもらおうとしている相手に対して、

「日本は三国同盟を結んでいるかどうかには関係なく、ドイツが負けそうになったらドイツを救援せざるを得ない」

と答えているのです。そう。ひょっとしたらあなたたちの本国を攻撃するかもしれない・・・と。
小林団長は、結局このような交渉相手としては適任じゃなかったんですね。

同席した斉藤音次総領事はこの小林団長の態度に絶句し、東京の政府に対して、

「私も唖然とした。小林団長の態度は蘭印側に大きな衝撃を与えてしまい、これ以上は交渉にならない」

と言った趣旨の報告を行います。
小林団長は当然にして罷免され、日本に帰国することとなります。

この後の交渉は、民間人である三井物産会長の向井忠晴氏が当たるのですが・・・。

文章が長くなっておりますので、続きは次回記事へと委ねます。


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