第244回 ABCD包囲網に至る日本とオランダの経緯/日蘭会商③など、政治・経済を中心とした日常的な情報を、独自な視点で解析します。

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この記事のカテゴリー >>十五年戦争(日中戦争)の原因と結果


<継承する記事>
第243回 ABCD包囲網に至る日本とオランダの経緯/日蘭会商②

引き続き、日蘭会商の経過について、今回は特にオランダへのドイツ侵攻時に交渉にあたっていた米内内閣が陸軍よりの圧力で総辞職せざるを得なくなり、代わりに第二次近衛内閣が誕生して後の日蘭会商について検証してみたいと思います。


記事としては、独立行政法人 石油天然ガス・金属鉱物資源機構様サイトに掲載されています、岩間 敏 氏 の文章が解りやすく記されていますので、この記事を資料として参考にしながら進めてみたいと思います。

先に同資料より二つ、表を引用しておきます。


【日本の石油輸入総量に占める米国からの輸入量の割合の推移】
日本の石油輸入量と米国からの輸入量の比率


【日本の石油消費量(内訳)の推移】
日本の石油消費量(内訳)

日本国内における生産量は約30万㎘を上回る程度で、毎年ほぼ一定の量しか生産できていなかった、という風に資料には記されています。

1937年(日中戦争開戦年)より1940年にかけて、確かに軍に割く石油の量も増えていますが、それでも全体に占める割合が最も大きいのは民間で消費される石油ですね。

日本が南部仏印進駐を行った後、米国からの石油輸出を全面ストップされたことに対して、日本はパニック状態となったわけですが、「まさか民間で利用される石油までストップされるとは・・・」といった感じだったのでしょうか。

このあたりはまだ現時点ではよく理解できていません。


オランダがドイツからの侵攻を受けるのが5月10日。昭和天皇より推挙され、総理大臣となった米内内閣が退陣に追い込まれるのが7月22日、同日第二次近衛内閣が組閣されます。

岩間氏の資料に掲載されていない部分として、米内内閣の時点で、6月6日、蘭印に対して「石油・ゴム・錫等13品目の蘭印産重要物資につき一定量の対日供給を確約する書面」を在日公使より取り付けたという情報が抜けていますので、今ことを先に記しておきます。(外務省ホームページより

日蘭会商そのものは、その後の国際情勢の変化を受けて、第二次近衛内閣よりスタートしました。

ただこの、「国際情勢の変化」なのですが、日蘭会商がスタートしたそもそも発端として、岩間氏の資料には、

 「商工省燃料局第2部長の柳原博光海軍中将が藤原銀次郎商工相(任期:昭和15年1月~ 7月)に対し、蘭印から石油を購入することを建議したのが発端であった。」

とあります。藤原銀次郎という人物は、米内内閣における商工大臣であり、また外務省資料には

 「昭和15(1940)年7月中旬には酒勾大使の派遣が閣議決定されましたが,米内内閣の退陣で白紙に還り」

とありますので、計画そのものが練られたのは米内内閣からであったことが分かります。

岩間氏の資料では、

 「同年(1940年)7月に成立した第2次近衛文麿内閣は重要資源を外交で確保し、輸入を図るべく蘭印への使節団を派遣する計画を立てた」

とありますが、既に6月6日の時点では、「石油・ゴム・錫等13品目」については既に折衝が完了しており、一定量の日本側への供給が、書面にて確約していますので、文章通りにとらえると矛盾が生じます。

「重要資源を外交で確保」という文面は、実は世界情勢の推移に伴ふ時局処理要綱 に掲載されている文章で、具体的には要綱要領第4項として、

 「蘭印に対しては、暫く外交的措置に依りその重要資源確保に努む」

と記されています。

既に書面にて一定量の供給が確約されていたにも拘わらず、7月27日に決定された要綱であえて「暫く外交的措置に依りその重要資源確保に努む」と記したその理由は、「蘭印側からの申し出に応じて」、その「資源確保」を「これまでと同程度の供給量」ではなく、「仮に米国から供給を停止されたとしても対応できる程度の量」まで拡大することを意図していたものと思われます。

こう考えると大分風通しがよくなりますね。
「日蘭会商」とは、すなわち、単に「外交的措置に依りその重要資源確保」を目指したものではなく、外交交渉によりこれまで以上に重要資源の供給量を増加させるための交渉であった、ということが分かります。

近衛内閣では、当初オランダと交渉にあたるための使節団長を務める人物として、後に総理大臣を務めることとなる小磯国昭予備役陸軍大将という人物を候補に挙げます。

ところが、この人物は中々好戦的な人物で、団長を引き受けるための条件として、「海軍陸戦隊の同行」を希望し、更に、現地で陸戦隊の力が不足する場合には陸軍2個師団を派遣することを要望します。

この時陸軍大臣を務めていたのは後の太平洋戦争開戦時に総理大臣の役職を担った東條英機でした。

米内内閣を総辞職させたのは陸軍にいた面々だったわけですが、その米内内閣後の陸軍大臣を務めた登場を以てして、

 「随分、非常識なことを言ひ(い)ますね」

と言わしめた人物です。また更に小磯は団長を人選する際の会見において、

 「蘭印の住民は経済的には白人と華僑の極端な搾取を受け、政治的、文化的に実に低い水準にある。日本は彼等と民族的に近ひものを持っている。虐しいたげられた東洋民族を救済するのは日本の宿命だ。東亜新秩序も此処に意義がある」

 「蘭印には豊富な物資があり、日本をして旧来の欧米に依存している状態から極東の自給自足体制に転換する希望を達せしめるものであって、世界の平和、共栄のための南進政策、これが日本の南方に対する社会通念である」

と発言します。
これ、実際当時の日本軍の本音なんでしょうね。小磯予備役陸軍大将がたまたまその本音を暴露しただけのことで、小磯予備役陸軍大将が個人的な意見を述べたものではないのでしょう。

ただ、東條とすると、「いやいや、仮にそれが本音だとしても、外交交渉なんだから、言っていいことと悪いことがあるでしょ?」という気持ちだったのではないでしょうか。

このあたりから、当時の日本、とりわけ陸軍がどのようなことを考えて動いていたのかという「本音」の部分が垣間見えますね。
この時点で、既に陸軍は蘭印まで含めて「大東亜共栄圏」であると考えており、この地域から支配者としての欧米人を排除し、大東亜共栄圏内での自給自足体制を築くことまで考えていた、ということですね。

まあ、とはいえあくまでもこれは小磯予備役陸軍大将の発言によるものであり、仮にそれが事実であったとしても、陸軍がこれをどこまで実現しようとしていたのかは別問題です。

この小磯の発言は「東京朝日新聞に掲載され、更に、ロイター電で世界中に配信された」とあります。
当然蘭印も納得できるわけがなく、小磯は交渉がスタートする前に罷免され、彼の後を引き継いだのが阪急グループの創立者であり、当時の商工大臣であった小林一三という人物でした。

ただ、小磯がここまで強気の発言に出た理由の一つに、言い訳にはならないかもしれませんが、今回の日蘭会商の発議がなされたのが実は日本側からではなく、蘭印側からの提案にあったことが挙げられます。

蘭印側から、日本に対して、「もっと石油を買ってくれませんか?」という趣旨の建議がなされ、これに基づいて日蘭会商はスタートしたという事実です。

このことを踏まえて後の日蘭会商を見ると、喉の奥に骨が突き刺さったような気持ち悪さも幾分和らぎます。

「これまでお互いに理解しあって、うまく交易関係を続けてきたのに、なぜ突然これほどに日本側は強気な姿勢を見せ始めたのか」という疑問が。


文章が長くなっておりますので、また一つ記事を分けます。


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