第238回 北部仏印進駐が行われるに至った経緯と北部進駐の経緯①など、政治・経済を中心とした日常的な情報を、独自な視点で解析します。

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この記事のカテゴリー >>十五年戦争(日中戦争)の原因と結果


<継承する記事>
第237回 仏印進駐の目的と理由/世界情勢の推移に伴ふ時局処理要綱

さて。前回の記事では、日本がフランス領インドシナに監視団を派遣し、北部進駐を行う前、日本とフランス総督の中で行われた交渉が妥結し、援蒋ルートの停止、及び監視団の派遣承諾が行われた後に閣議決定された「基本国策要綱」および「大本営政府連絡会議決定」が行われた「世界情勢の推移に伴ふ時局処理要綱」について検証しました。

大筋をまとめてみますと、フランスがドイツに敗北し、仏印交渉において日本に対して全面的に折れてきたことは、当時の日本政府としてはフランス領インドシナおよびその西側のビルマルートについての問題を解決する上で、「絶好の機会である」と、このようにとらえられたことがそもそもの前提として存在します。

日本の目的はそもそも支那事変(日中戦争)を終結させることにあり、蒋介石軍を重慶に追い込んだ現状として、蒋介石軍殲滅まであと一歩の状況に来ていました。

ところが、ここにフランスやインドが物資の支援を、米国が金銭的な支援を行っていたため、蒋介石軍は粘り強く抵抗を続ける状況にあり、自体は収束しないまま、無駄に長引いていました。

広州(広東省)を占領したことでイギリスから香港を通じての支援ルートは遮断することに成功し、また南寧(広西省)を占領したことでフランスから南寧を通じての支援ルートを遮断することにも成功しました。

残るはフランス領インドシナの内、現在のベトナム、ハイフォンから昆明(雲南省)を通じて支援するフランスルートと、ビルマから支援するイギリスルートの2ルートとなっていました。(ソ連からの支援ルートは考えないこととします)

イギリスルートに関しては有田外相・クレーギー駐日大使のでの話し合いで6月より3か月間は支援を停止することが決められていましたから、残るは仏印昆明ルートのみとなっていたところでフランスがドイツに敗戦し、仏印現地総督が日本との交渉に応じたのが1940年(昭和15年)6月下旬。

ところが、日本と交渉を行った現地総督ジョルジュ・カトルーが6月22日に成立したフランスヴィシー政権によって解任され、代わりにジャン・ドクーが新たに新総督として任命されるのが6月25日。

解任されたのは当然日本と勝手に交渉し、交渉をまとめてしまったことを咎められたから。
ただ、総督の交代が行われた後も、ヴィシー政権は結局カトルーがまとめた日本との交渉内容を撤回することなく、この受諾内容をもとに後の交渉も行われることになります。

日本が「基本国策要綱」や「世界情勢の推移に伴ふ時局処理要綱」をまとめたのはこの時期ですね。
新政権も交渉に応じてくれるわけですから、日本とするとまさに「絶好の機会」であったわけですね。

正式にフランス政府とどのような交渉を行うのか。
その結果発生する弊害(特にイギリスの反発)を想定してまとめたものがこれらの要綱であったものと考えられます。

「フランスのドイツに対する敗北に便乗した」という様な記述をネット上で見かけることもありますが、便乗云々以前に、フランスがここから蒋介石軍を支援さえしなければそもそも交渉する必要性すらないわけです。

フランスがドイツに敗北したことによって、この援蒋ルートを停止する絶好の機会が訪れたわけですから、これを利用するのは外交交渉としては至極当たり前の対応であったように私は思います。

日中戦争にしても、そもそも中国の共産勢力が国民党軍を侵食し、日本の民間人に対して度重なる残虐な行為さえ繰り返さなければこのような戦争関係に陥ることはなかったわけです。

中国と戦争するための資源を確保するため、結果的に日本が統治下においた北華、満州地域を利用することを非難する人も多くいますが、そもそも中国とここまでの戦争関係に陥らなければ、戦争をするための資源を確保しなければならない状況も生まれませんでした。

この前提条件をそもそも頭において今後の情勢は見ていくべきだと思います。


前置きが長くなりました。
具体的な日程まで調べきれていないのですが、7月には日本からの軍事顧問団として、西原一策少将率いる西原機関がハノイに派遣されます。

その後、松岡外相とアンリ―駐日大使との間で日本とフランスの間で築かれる協力関係について、その基本的なガイドラインをまとめた「松岡・アンリ―協定」が結ばれます。

内容は、

 (1)政治軍事協定(日本軍隊の仏印通過と仏印領内飛行場の使用を仏国が認め,日本は仏印の領土保全を尊重する)

 (2)経済協定(仏印での通商につき仏国人と同等の待遇を認める)

の二つ。1940年8月30日に締結されました。

ただ、外務省ホームページによると、 この後9月2日に、「5日以降に松岡・アンリー協定に基づき、仏印に進駐を行うとの一方的な通告が日本側から行われた」 との記載が見られます。

表現の問題かもしれませんが、このあたり、いささか強引な様にも見えます。
ただ、この内容に基づく話し合いが4日夜に西原とマルタン軍司令官の間で行われた、とも記されており、本当に一方的に行われたわけではないようです。

結局4日の交渉では、基礎的な内容しか決めることができず、具体的な日程や輸送・補給方法については後日に交渉が継続されたようです。

また更に西原少将は9月19日、「23日零時に進駐を開始する」との通告を相手側におこない、結果22日夕方に詳細な内容が決まったのですが、この時点でもまだ具体的な事務手続きについての取り決めについて未決定の部分があり、西原は23日零時の進駐を中止するよう軍に命じるのですが、どうもこの時暴走してしまった部隊がいた様です。

富永恭次という人物なのですが、この時富永は自身の部隊を引き連れてドンダンという要塞に軍をすすめ、ここでフィジー政権の決定に未だ従わない一部のフランス軍と武力衝突。双方に数百名の死者を出してしまいます。

西原は富永を停職処分とし、この時陸軍次官宛に 「統帥乱レテ信ヲ中外ニ失ウ」 という電文を送っています。

一つに、この富永という人物の暴走を挙げず、ただ一方的に「フィジー政権の決定に納得しない一部のフランス軍と北部進駐にあたった日本の軍隊との間で戦闘行為が行われただけであり、日本はフランスとの取り決めに従って平和的に進駐しただけである」とする意見を見ることがあります。

ですが、この経過を見ると、この時はまだ日本は「北部進駐」をスタートしておらず、西原の指示に従わなかった富永の部隊が単独で暴走し、フィジー政権の決定に納得のいかないフランス部隊と衝突しただけであり、これを「フランスからの通達が行き届いていなかった」かのようにして言及するのは間違っていますね。

一方で、この富永という人物の存在のみを上げ、「日本は仏印において平和進駐を行ったわけではない。武力によって制圧したのだ」という意見を見ることもありますが、これも間違っています。

少なくとも富永が進軍したタイミングでは、まだ正式に西原から仏印進駐の命令は下っておらず、彼の行為は「北部進駐」ではなかったということ。西原は彼を職務停止処分にしており、陸軍次官宛に送った文章からも推察される通り、西原はこの北部進駐を、リアルな意味で「平和裏に」進めようとしていたことが分かります。

フランス軍に対しては仏印総督のジャン・ドクーからも停戦命令が出され、9月25日に停戦します。
西原とマルタンの間では、この間も交渉が続けられており、24日午後には未決部分の合意が成立し,最終的取極めが完成します。

紅河

その後、西原はフランスとの合意の上でハノイを中心とした紅河(フンコイ)北側の主要地点に軍を駐屯させることとなります。


西原は、おそらく交渉のやり方として、一旦期限を切った上で、この期限内に交渉をまとめ、決まっていない部分に関しては時期をずらして再交渉する。この際も再度期限を切って交渉を進め、更に期限までに纏めて形にする。

できていない部分は再度期限を切って交渉・・・というやり方なんでしょうね。
この意図が富永には理解することができず、二回目の期限を真に受けて進軍してしまった・・・というのが本当のところなんじゃないかと思います。

色々な方の投稿を見ていると、富永の元々の性格にも問題は大いにあったようですが。

今回の協定(松岡・アンリー協定)で一番大切にされたのは、日本とフランスが、極東におけるお互いの利益を尊重し合うということ。
日本がフランスに対してフランス領インドシナにおける主権の尊重を認めたのに対して、フランスは日本に対して、「極東」における日本の地位的な覇権を明確に認めることになります。この場合、中国のことを意図しているものと思われます。

さて。時を同じくして、このタイミングでフランス領インドシナは、お隣タイと国境付近において戦争を行います。
次回記事では、この「タイ・インドシナ戦争」から記事をスタートしてみたいと思います。

日本が北部仏印だけでなく、南部仏印にまで手を広げた理由と、情勢ノ推移ニ伴フ帝国国策要綱が取り決められるに至った理由のとっかかりまで進められればと思っています。

とはいえ、まだ「タイ・インドシナ戦争」についても、「南部仏印進駐」についても、「情勢ノ推移ニ伴フ帝国国策要綱」についても、まだ全く私の頭の中にはデータが入っていないんですけどね。

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