第235回 南部仏印進駐の目的と理由/日本軍による侵略だったのか?など、政治・経済を中心とした日常的な情報を、独自な視点で解析します。

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この記事のカテゴリー >>十五年戦争(日中戦争)の原因と結果


<継承する記事>
第233回 ABCD包囲網/援蒋支援ルートをめぐる日英仏の駆け引き①

タイトルを番号で継承したいのですが、本質から少しそれていますので、あえてこの様なタイトルとしてみました。

このシリーズ では、当初より主に15年戦争勃発~日中戦争に至る経緯について、「中国」の動向を中心に、日本が中国の歴史に介在する様になった経緯を追いかけてきました。

私のスタンスとしては「日本は侵略戦争を行っていない」という前提に立っています。
ですが、それにしては私は日本が中国と戦争するに至った経緯についてあまりにも無知ですし、

 「ひょっとすると私が侵略戦争を行っていないと思い込んでいるだけであって、本当は日本は侵略戦争を行っているのでは?」

という仮説を立てて記事を作成しています。

 「もし私が日本は侵略戦争を行っていない、とする人に対して反論するとしたらどこで反論できるだろうか」

という考え方です。
その代表的な事例が、日本における「右翼共産主義者」=「国家社会主義者」の存在。

その中には「皇道派」と「統制派」がいたこと。
エリートである統制派に比べて皇道派は元々学識のない人たちが多く、当時の日本の「公務員」である軍人となることで生計を立てていた人たちであること。

彼らが中心となったのが「関東軍」であり、彼らが起こしたのが「張作霖爆殺事件」や「満州事変」であったこと。

2.26事件の後、軍隊から皇道派が一掃され、その後軍人である統制派が政治に介入するようになり、軍人が政治を支配するようになったこと。その裏にはあまりにも情けなさすぎる当時の政治家たちの為体があったこと。

そして、戦後共産主義者たちが批判する「右翼」とは、そんな国家社会主義者たちによって支配された日本の政治であったこと。

等々、日本にも決して中国を一方的に批判するべきではない事情があったことを私は知りました。


ですが、更に検証を重ねていくことで、そんな関東軍の行動にも、きちんとした意味がありました。

それが北方から迫る「ソビエト=共産主義」の脅威です。
そして、その思想が内部を侵食し、支配されてしまった「中国」。ひときわその「残虐性」が際立つ共産主義を中国国内から駆逐することこそ、今回記事にする「南部仏印進駐」が日本軍により行われた当時の目的でした。


日本の統治下における中国の状況

日本統治下の中国(華北)



日本が占領し、日本による統治下で設立された「中華民国臨時政府」。

この臨時政府の様子を記したPDFを発見したので、少しご紹介しておきます。

日本占領下華北における在留邦人の対中国認識 菊地 俊介

一貫して記されているのは、日本占領下の中国における日本人は、「自分たちがアジアの盟主であって、中国人を指導していく立場にある」というような優越感と中国人に対する差別意識があり、また在留邦人たちは「自分たちが日本人である」という国家観が欠落していて、まともに仕事をせず、学問やスポーツなどに興じる傾向があった、などという内容です。

資料は様々な知識人が記した書籍を編纂したものであるわけですが、要はこのような資料の中で、現地日本人はディスられていたと・・・。

ただ、一方で占領下地域における中国人からの日本に対する評価として、以下のような文章が掲載されています。

【日本軍統治下の中国の様子(中国人小学生の作文より)】
更に見られるのは,「皇軍」,即ち日本軍に対する感謝である。「皇軍」の「宣撫」のおかげで,また「皇軍」が勇敢に戦って日本人は守られていると称えている。

尋常小学校の男子は,「支那人が日本人の子供 2 人を鉄棒で殺しました。其の時の様子,あのむごたらしさは,今でも忘れる事が出来ません。

僕等の町は満洲の国境に近い方だから,殆んど支那兵が攻めて来る事はありませんでした。でも 3 千人以上も居る苦力が騒いで日本人に悪口を言ったり,町に出ると皆が変な目をして僕等を見るし,時には四五人で僕等の家を指して何か言いながら恐い顔をしてにらんで行きます。

お父さん達は大丈夫だとはおっしゃいますが,それでもやっぱり心配そうな様子です。其の頃は,日本の兵隊さんが早く来てくれる事だけを,毎日毎日祈って居ました」

と,ここでも中国人に対する恐怖や憎悪の感情を表現し,その上で 2 年後に「治安」を取り戻した後のことを,

「町の中国人の商店さえも見違える程立派になり,中国人達さえも,匪賊等が居なくなったので,とても喜んで居る様です。是も皆日本の兵隊さん達のお蔭です。僕等は心から兵隊さん達に感謝して居ます」

と書いている。

要は、日本軍が中国の「匪賊」を一掃したおかげで、日本政府統治下の中国は非常に安定しており、日本人が中国人を見下す傾向こそあるものの、日本人にとっても、中国人にとっても非常に平和な社会あった・・・と、そのような内容が記されています。

そう。日本政府は、中国を支配下に置いた後も、その「差別意識」こそあれ、統治される側である中国人の「人権」を尊重し、お互いに信頼関係が結ばれるような状況にあったのです。まあ、要は「教育」の問題です。日本政府は、支配下にあったはずの中国人に対して、日本式の「教育」を施したんですね。

なぜならば、同じ支配下にある中国人でも、教育を施さず存外に扱ったのでは、またいつ「共産思想」が入り込み、かつての中国の様に残虐非道な行為を行う輩が現れるとも限らないから。

在留邦人を守るためにも、現地の中国人たちに対して、日本人と同等の教育を施し、日本人と同等に扱う必要があったのです。

例えば、日本が本当に中国を「侵略」することを目的としていたのかどうかということに対する答えがここにあるのではないでしょうか。


では、「フランス政府との合意の下、北部仏印に進駐し、その後南部仏印へも進駐を行った」日本軍。

この行為を米国ウェルズ国務次官はこのように表現しました。

 「日本の仏印に対する要求は侵略と言うほかなく,過去三年以上にわたる日米間の諸問題の最高潮に達したるもの」

では、この様な日本の行為は、本当に「侵略というほかなかった」のでしょうか。
少し記事が長くなりましたので記事を分け、次回記事で改めてこの「仏印進駐」について記事を掲載していきます。


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