第229回 ABCD包囲網に至る日本とオランダとイギリスの関係①など、政治・経済を中心とした日常的な情報を、独自な視点で解析します。

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この記事のカテゴリー >>十五年戦争(日中戦争)の原因と結果


<継承する記事>
第228回 南京事件と国際社会(ABCD包囲網に至る経緯)/日中戦争のその後③

前回の記事までの検証で、なぜ日本が太平洋戦争(第二次世界大戦)へと巻き込まれることになったのか、その経緯の一側面が見えてきました。

最終的に日本に対して第二次世界大戦に至る最終通告を突きつけたのは米国、フランクリンルーズベルトだと言われています。
その戦略の一つとして挙げられているのが「ABCD包囲網」。

石油をはじめとする資源を輸入することができなくなると、日本が中国に対して仕掛けていた日中戦争における戦力を維持できなくなるばかりでなく、日本国内における日本国民の生活そのものが危うくなります。

この様な、日本に経済封鎖を行うための裏付けとなったのが蒋介石が国連に対して行った日本に対する非難決議の採択。
自国が自ら、自国内の共同租界・フランス租界に対して行った空爆の様子を撮影し、日本=悪、とのレッテル張りを行うため、国連に証拠として提出した動画です。

この結果、国連において日本に対する経済制裁を行うことが連盟規約に反しない事が承認され、この承認を裏付けとしてルーズベルトは日本に対して 次々と経済制裁を仕掛けました。

私は、この流れが数年後のABCD包囲網につながった、としたわけですが、では、残る二カ国。「イギリス」と「オランダ」はいったいどのようにしてこのABCD包囲網へと関わることとなったのでしょう。


英蘭経済制裁への疑問

考えてみれば、第二次上海事変において犠牲になったのは日本だけでなく、欧州各国も、アメリカも皆被害者を出しました。(日本、イギリス、アメリカ、ニュージーランド、オーストラリア、デンマーク、フランス)

実際、被害を出した国々は中国に対して講義を行っていますし、フランス駐屯軍はフランス租界地域上空を通過した中国軍機に対する一斉射撃まで行っています。

また、1927年の南京事件や済南事件で被害を受けたのは日本人だけではありません。

一例ですが、1937年の南京事件の後、1938年6月までの間に、日本軍は中国北部を軒並み制圧するに至るわけですが、日本軍が鄭州市の攻略に入ったとき、中国国民党軍は黄河の堤防を決壊させ、洪水を起こすことで日本軍を阻止しようとしました。(黄河決壊事件)

ですが、この作戦で日本軍が受けた被害はほとんどなく、その代償として大量の中国人の命が失われました。
具体的にこれを裏付ける資料は見つけていませんが、Wikiをはじめとするいくつかのネット上の資料を参考にしますと、

『水没範囲は11都市と4000村に及び、3省の農地が農作物ごと破壊され、水死者は100万人、被害者は600万人と言われる(Wikiより)』

とのことで、所謂『南京大虐殺』で中国側が「1937年12月13日から40日間の間に日本軍が行った」とする虐殺者の数が30万人ですから、この「黄河決壊事件」による被害者の数はその数倍に上るわけです。ちなみにこの事件が起きたのは6月9日と6月11日のたった二日間です。

日本軍は12日には堤防の修復に乗り出し、現地人の救助にかかりました。敵国であるはずの中国の被災者たちを、です。
中国国民党軍はこの救出活動を妨害したばかりか、「決壊は日本軍の空爆によって引き起こされたものであり、日本軍の暴挙である」として国内外のメディアに対して発信しました。

ですが、アメリカ以外のメディアはこのことを中国のプロパガンダ、自作自演であることを早々に見抜き、イギリスのメディアでもこれが中国によって自ら行われたものであることが報道されています。

このころのアメリカは、どうも日本を敵対視している様子が見て取れますので、わかっていながらあえて国内向けには正確に報道しなっただけなのかもしれませんが、少なくともそれ以外の国々は、そこまで日本に対して偏った見方をしていたわけでは、必ずしもなかったのではなかったかと思います。

では、どうしてイギリスやオランダは日本に対する経済制裁をアメリカと共に実施するに至ったのか、その経緯を調べてみたいと思います。


米英にとっての十五年戦争

これ、内容としては royalbloodの日記 というブログに非常に詳しく掲載されていましたので、ここから引用する形で掲載したいと思います。勿論、こちらのサイトをそのまま鵜呑みにする形にはせず、極力出典等を検証できる項目については検証しながら進めてみます。

尤も、筆者であるroyalblood氏の記事そのものが、明確に引用元を掲載してくださっているので、個人的には記事を一次ソース的に扱っても問題はないかな、と思っています。

まず、着目したいのは、以下のページにある記載内容です。

ABCD包囲網考【11】・リデル・ハートの叙述 より引用
From 1931 onward the Japanese were aggressively engaged in expanding their footholds on the Asiatic mainland at the expense of the Chinese, who were weakened by internal conflict, and to the detriment of American and British interests in that sphere.

「1931からの日本の前進は、攻撃的な交戦であり、内戦により弱くなっていた中国の犠牲のもとに、勢力範囲をアジアの主地域に拡大させ、アメリカとイギリスの権益を損なっていた」

In that year they had invaded Manchuria and converted it into a Japanese satellite state. In 1932 they penetrated China itself, and from 1937 on pursued a consistent effort to establish their control of that vast area

「これらの年月の内に満州は日本の衛星国となった、1932年には彼らは中国本土を貫通し、そして1937年からは広大なエリアを日本のコントロール下にしようという努力が一貫して追求された」

引用元タイトルにもある通り、この文章は「リデル・ハート」という人物が記した記述を引用したものです。

リデル・ハート著書
第二次世界大戦〈上〉

リデル・ハートとは、イギリスの新聞紙上で執筆活動も行った軍事評論家、なのだそうです。

内容としては、後日実際に起こった歴史を客観的に検証するとこういう風に見えるだろう、というような視点で書かれた記載内容ですね。「1931からの日本の前進」というのは、つまり満州事変のことです。

記載は、「イギリス人」の視点から書かれています。

第227回の記事 でも記しましたように、日本が満州事変へと突入した最大の理由は、余りにも中国が弱すぎること。弱いくせに同族間で争いを繰り広げ、お互いに潰しあいを果てしなく繰り返すこと。そして日本の民間人に対する「目に余る」という次元をはるかに凌駕した狼藉ぶり。

そして、何よりもそのことが北方にある「ソビエトの脅威」をより日本に対して増大させていたことにありました。
あの地域を独立させ、中国の影響の影響下から遠ざけ、日本が直接指導を行うことでしか、ソビエトの脅威を遠ざける方法がなかったからだといっても過言ではありません。

ですが、これをイギリスの視点から見れば、「内戦で弱体化した中国を犠牲にしてアジアでの影響力を増大させ、『アメリカとイギリスの権益を脅かしている』」と、このように映っていたわけですね。

royalblood氏の記述によれば、リデル・ハートという人物は、それでも日本の立場を理解した上で文章を作成していたのですが、当時の米英から見れば、確かに日本の行動はそのように映っていたのかもしれませんね。

「1937年からは広大なエリアを日本のコントロール下にしようという努力が一貫して追求された」
という記述は、第二次上海事変以降の日本の姿勢を示しています。

現在において、よく台湾の人から日本が感謝されている、東南アジアの人も親日家が多い、といった意見を耳にすることがあります。その理由として、日本が現地で現地人に教育を施し、公共設備の建設に当たったこと、現地人に『財産』を残したことが挙げられます。

ですが、よくよく考えてみると、当時の中国人の様に現地で殺し合いを続け、人権を凌辱し、一刻の安定すらままならないような状況にされたのでは、日本人としてもたまったもんじゃありません。

日本軍、日本政府がその視線、延長線上に見ていたのは「日本」という国の安定と発展だったのではないでしょうか。
恐らく、日本軍が中国政治に介入しなければ、あっという間に中国は共産主義勢力=ソ連に席巻され、支配されていたに違いありません。

中国から朝鮮半島を経て、やがてその力が日本にまで押し寄せることは想像に難くはないでしょう。
それは、第二次世界大戦後の東アジア情勢を見れば一目瞭然です。

朝鮮戦争において、辛うじて米国が介入し、38度線で共産主義勢力の南下を食い止めたのです。

ですが、当時の中国情勢は、そもそも欧州からインド洋を経て、またはアメリカから太平洋を超えて態々中国を支配しにやってきた欧米にとっては、日本の行為は結局「自分たちの権益を脅かしている」様にしか映らなかったということですね。


文章が長くなりますので、記事は次回に委ねます。

<次回記事>第230回 ABCD包囲網に至る日本とオランダとイギリスの関係② (公開後、閲覧できます)

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