第226回 南京事件と国際社会(ABCD包囲網に至る経緯)/日中戦争のその後①など、政治・経済を中心とした日常的な情報を、独自な視点で解析します。

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この記事のカテゴリー >>十五年戦争(日中戦争)の原因と結果


<継承する記事>
第155回 南京事件(南京大虐殺)の真相を2つの視点から検証する。

このところのキーワード検索で、「日中戦争の結果」というキーワードからの検索が多くなっています。
特に、ここ1か月間のキーワードランキングで見れば、実は首位という・・・。

第156回の記事でいったん シリーズ 十五年戦争(日中戦争)の原因と結果 については終了させるつもりでいたのですが、確かにカテゴリー名で「原因と結果」と謳っておきながら、実は記事にできているのは「原因」までで、「結果」に関しては一切触れていません。

検索をかけてくれる人に非常に申し訳ないなと感じまして、再びシリーズを再開することにしました。
ただ、私自身が元々この事情の背景に詳しくないため、極力誤った情報を掲載しないようにしければならないため、緻密な調査を行いながら出なければ記事を作成することができません。

現時点では、「何を調べればよいのか」という部分をも私自身が理解できていないことも事実です。
裏付けを行うのに膨大な時間と体力を必要としますので、シリーズをこれまでのようなペースで更新し続けることは少し難しいですので、私が比較的情報に慣れている経済関連の記事を挟みながら、マイペースでの更新いたします。


南京事件と国際社会

さて。皆様は「ABCD包囲網」についてはご存知でしょうか。
ABCD包囲網

シリーズ第1回目の記事 等で何度かご紹介した動画から画像は拝借しました。

動画中でも述べられている様に、日本が「第二次世界大戦」へ巻き込まれていく過程の中で、世界で最も早く世界恐慌の災厄から脱却した日本が、自国では生産することができない「原油」を手に入れるため、生糸を中心とする輸出品を海外に輸出しようとした時に、この輸出品に対して高関税をかける「ブロック経済政策」。

そして、更には鉄鋼やゴム、原油などの資源を日本に向けて輸出することを禁止する「経済制裁」を「A(アメリカ」「B(イギリス)」「C(中国)」「D(オランダ)」の4国が共同して行ったもの。これが「ABCD包囲網」です。

命名者は日本です。

さて、このABCD包囲網ですが、そもそもこのABCD包囲網が結成される根本的な原因を作ったのがタイトルにもある南京事件(1937年)であり、しかも中国がばらまいたデマを欧米の国々が鵜呑みにしてしまったことが原因だった・・・としたらどのような印象を受けるでしょうか。

実は、外務省ホームページに、このことで参考になる資料が掲載されていましたので、この内容をベースに記事は作ってみたいと思います。

勿論、これだけが原因とは言いませんが、日本に対して経済政策が課せられる経緯としては、結構説得力があると思います。
文章としては読みにくいかもしれません。あとで引用してご説明していただきますので、まずは読み飛ばしてください。

『日本外交文書 日中戦争』
四 国際連盟の動向と九国条約関係国会議

 項目「四」では,日中紛争をめぐる国際連盟の動向と九国条約関係国会議に関する文書を三つの時期区分を設けて採録しています。

1 中国の連盟提訴と日中紛争報告書の総会採択

 昭和12年9月12日,中国政府は事変を国際連盟に提訴し,連盟理事会は中国の提訴を議題に追加して問題を諮問委員会に付託しました。同委員会は日中独豪4国に対して参加を招請しましたが,日本は日中間の問題は二国間において解決方法を発見しうるとの理由をもって参加拒絶を回答しました。9月27日に開催された諮問委員会は,利害関係国に局限した小委員会を設置して審議を行い,日中紛争報告書草案と決議案を作成し,諮問委員会に提出しました。諮問委員会はこれを採択して総会に回付し,10月6日,総会も全会一致で採択しました。

 採択された日中紛争報告書は,第1報告書と第2報告書に分かれており,第1報告書は日本の軍事行動は自衛の範囲を超え,九国条約および不戦条約の義務に違反すると断定しました。第2報告書は日中直接交渉では紛争の解決は不可能であるとし,九国条約締約国による会議開催を提案しました。また決議は九国条約締約国会議の招集に必要な措置をとるべきと要請し,中国に対する精神的援助の意を表し,中国の抵抗力を弱める一切の行為を差し控え,各個における対中援助の考慮を勧奨したものでした。本項目ではこれら関係文書を採録しています。(11文書)

2 九国条約関係国会議

 連盟総会決議を受け,ベルギーのブリュッセルで九国条約関係国会議が開催されることとなり,日本政府に対しても昭和12年10月21日にベルギー政府より招請状が届けられましたが,日本は27日,参加拒絶を回答しました。この間,ベルギーはもとより英米仏の各国は盛んに日本に会議へ参加するよう働きかけを行いましたが,日本は応じませんでした。

 日本は10月27日,参加拒絶の回答発出と同時に,内外に向けて声明を発出しました。この声明では,日本は盧溝橋事件以来,事態不拡大を図ったが,中国の挑発行為によってやむなく自衛のため反撃したと事変の経緯を説明し,さらに九国条約成立の当時に比して東亜の事態は著しく変化しているにもかかわらず,連盟は日本を九国条約違反と断定し,しかも会議参加国は連盟の諸決議に拘束されるので,そのような状況で日本が会議に参加しても公正な結果は期待できないと,参加拒絶の理由を説明しました。

 九国条約関係国会議(ブリュッセル会議)は日本を除く九国条約締約国とソ連が参加して11月3日に開会し,日本に再度招請を行いましたが,日本は再びこれを拒絶しました。結局,同会議は,日本が主張する日中直接交渉では紛争は解決できず,日本が条約の規定を無視するのであれば共同態度について考慮しなければならないとの宣言を採択したものの,それ以外には何ら具体的な成果をみることなく,11月24日に会議経過を詳述した報告書を採択して無期休会となりました。本項目ではこれら関係文書を採録しています。(67文書)

3 連盟規約第十六条適用問題と日本の連盟協力終止

 ブリュッセル会議閉幕後,日中紛争をめぐる連盟討議が活性化することはありませんでしたが,昭和13年9月11日,中国は対日制裁を実現するため,連盟理事会に対し連盟規約第17条(連盟国と非連盟国との紛争に関する規定)の適用を要求しました。これに対して理事会は,第17条に基づく日本の招請を決定し,招請状を発出しました。日本は9月22日,連盟規約の手続きでは事変の円満な解決を招来することはできず,かえって事態を紛糾させ,解決を阻害するとの理由から,理事会の招請を受諾できない旨を回答しました。

 理事会は日本の拒絶回答を受けて決議案の作成を進めましたが,連盟規約第16条の制裁措置について議論が紛糾し,結局,制裁は各国の自由において適用しうるという議長報告を採択しました。同議長報告では,制裁の適用条件である戦争状態の存在について,前年以来の総会および理事会の決議に明らかなとおり,条件は満たされていると認定しました。

 日本は10月3日の外務省情報部長談話をもって,理事会の決定に従って日本に対し制裁措置を実行する国があれば日本は対抗措置をとる決意がある旨と,日本が連盟脱退後も行ってきた連盟の平和的,社会的,および技術的分野における事業への協力を今後も維持することは困難となった旨を表明しました。その後日本は,連盟機関への協力終止を閣議決定し,枢密院の審議を経て,11月2日,連盟事務総長に対し協力終止を通告しました。本項目ではこれら関係文書を採録しています。(50文書)

まずご覧いただきたいのは、冒頭の部分。
1 中国の連盟提訴と日中紛争報告書の総会採択

 昭和12年9月12日,中国政府は事変を国際連盟に提訴し,連盟理事会は中国の提訴を議題に追加して問題を諮問委員会に付託しました。同委員会は日中独豪4国に対して参加を招請しましたが,日本は日中間の問題は二国間において解決方法を発見しうるとの理由をもって参加拒絶を回答しました。9月27日に開催された諮問委員会は,利害関係国に局限した小委員会を設置して審議を行い,日中紛争報告書草案と決議案を作成し,諮問委員会に提出しました。諮問委員会はこれを採択して総会に回付し,10月6日,総会も全会一致で採択しました。

この時、日本に対して行われた非難とは、以下のような内容です。

【国際連盟非難決議内容】
日本軍による中国の都市への空爆に対する非難決議を満場一致で採択。8月15日から9月25日までの合計11次に及ぶ日本軍による「無差別攻撃」は同年4月26日のゲルニカ爆撃と並んで、世界航空戦史未曾有の大空襲だとされた。

ここに記されている11次に及ぶ日本軍による空襲は、

・15日~16日 「南昌」「南京」「広徳」「広州」への渡洋爆撃。
・8月20日 漢口爆撃
・9月15日~22日 広東方面空爆
・9月21日~22日 太原飛行場爆撃
・9月23日 南昌爆撃
・9月24日 漢口爆撃

と、このような内容になっています。
勿論日本軍が狙ったのは主に政府施設や軍事施設であり、「無差別攻撃」ではありませんし、「世界航空戦史未曾有の大空襲」と呼べるほどの空爆ではありません。

また、ここに記されてある「ゲルニカ爆撃」。

どの記述を信用するのかというその信ぴょう性はさておき、事件としては、簡単に言えばドイツ軍がスペインにあるゲルニカという都市で、近隣の農村から農民が集まって開いていた市場に対して、余にも凄惨な爆撃を行った事件です。

Wikiベースの内容にはなりますが、用いられたのは250キロの爆弾が54発、50キロの爆弾が158発、焼夷弾が5948。
加えてイタリア空軍からも飛行機や爆薬が提供された、とこのように記されています。

少なくともここで議決された非難決議に記された「ゲルニカ爆撃」とはこのような状況が想定されているということです。
確かに日本軍が行った空爆でも民間人は犠牲になっていますし、相応の人の命が奪われていはいます。

ですが、本当にこのような凄惨な空爆を行ったのでしょうか?


記事が長くなりますので、分けて掲載します。

次の記事 第227回 南京事件と国際社会(ABCD包囲網に至る経緯)/日中戦争のその後②(公開後、閲覧できます)

このエントリーにお寄せ頂いたコメント

ABCD包囲網の原因となった最大の原因は、当時の日本軍が中国全土に200数十箇所に麻薬製造の拠点を作り、中国を麻薬漬けにしていた事実である。製造していた麻薬は、覚醒剤とアヘンである。そして、麻薬製造の総帥が東条英機である。東条英機は、麻薬販売で得た収益を日本軍に供給し、中国戦争を継続していたのだ。皇軍? とんでもない!東条英機は、天皇の軍隊を勝手に動かし、あろう事か、麻薬で得た利益を本国へ報告せず、戦争に用いていたのである。東条英機は、反乱罪で死刑にされてもおかしくない重罪を犯していたのだ。

国際連盟は、これを重視して、日本に経済制裁を課したのである。

戦前の日本は、21世紀現在の北朝鮮と同じ、いや、北朝鮮よりもひどい国家体制だったのだ。

この事は、戦後の日本政府が完全に無視を決め込んでいる。諸外国では常識の事実が、日本では語られていないのである。

戦後、初めてこの事が語られたのは、2000年初頭の書籍と、NHKスペシャル(阿片と戦争・2008年頃?)である。
PAL at 2016/12/15(木) 11:09 | URL

中々興味深いお話、ありがとうございます。

正直なお話、過去の記事でもたびたび掲載はしていますが、私自身、このような問題に元々精通している人間ではありません。
記事そのものも、私がとあるSNSサイトで行われている議論の内容に関心を持ち、もっと勉強してみたいと感じたことがこのような記事を作成している理由です。

満州事変において日本が満州を占領し、その後満州国を打ち立てた後、その満州においてアヘンが栽培され、これを関東軍が流通させていた、という情報は確かに見たことがあります。

ただ、これが「ABCD包囲網の原因であった」とするご主張にはいささか違和感を覚えます。
また、「アヘン王」と呼ばれていたのは東条英機ではなく里見甫なる人物であった、との記述を多く見かけます。
後に総理大臣となった東条が、このことにどの程度関わっていたのか、ということにもなるでしょうが、もう少し客観的な資料を集めることが必要かな、と感じています。

ABCD包囲網の原因については、やはりルーズベルトの隔離演説の内容から考えても、中国が連盟に送った租界地域空爆における自作自演劇こそがその原因だと考えるのが一番説得力があるのではないかと思います。

後、現在調べている真っ只中の「仏印進駐」の問題についても、もう少し検証してみたいと思います。

貴重な情報、ありがとうございました。
nonkinonki at 2016/12/19(月) 17:27 | URL

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