第141回 濱口雄幸内閣の失態(昭和恐慌と井上準之助の財政政策)など、政治・経済を中心とした日常的な情報を、独自な視点で解析します。

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この記事のカテゴリー >>十五年戦争(日中戦争)の原因と結果


<継承する記事>
第139回 満州事変の正体/バーデンバーデンの密約~一夕会の結成

【前回までの振り返り】
前回の記事では、舞台を日本から中国に移し、「中国史」としては「張作霖爆破事件」の次に勃発する大事件である「満州事変」に着目して記事を作ってみました。

ですが、「張作霖爆破事件」~「満州事変」の間において、我が国日本でもまた全世界的に見てもいくつかの変遷や大きな事件がありました。その中でも最大のものが「世界恐慌」。

日本は、この「世界恐慌」を通じて後の英米開戦へと至る道筋を付けさせられてしまいます。

【世界恐慌時のウォール街】
ウォール街

【今回のテーマ】
カテゴリー的には「十五年戦争(日中戦争)の原因と結果」となっていますので、カテゴリーとは直接関係がないように見えるかもしれませんが、日本と中国との争いは、この二国間だけが原因で起きたものでもありません。

日本がいくつかの重大な決定を行う過程において、この「世界恐慌」に伴う日本の財政状況が影響を与えていたことも事実ですし、結果的に日本の軍部暴走の原因を作ってしまったことも事実です。

そこで、今回の記事では、昭和金融恐慌 後の日本の変遷を追いかけながら、世界恐慌が勃発するまで、その政権を担当し続けた「濱口 雄幸(はまぐち おさち)内閣の「失政」について記事にできればと思います。


昭和金融恐慌後の日本

第137回 の記事では、昭和金融恐慌の責任を取って総辞職した若槻内閣に引き続き日本の政治を担うこととなった田中義一内閣(1927年4月20日)。この内閣で「大蔵大臣」としての役職を務めることになった高橋是清が、実に鮮やかな手腕で昭和金融恐慌の影響を市場から消し去ってしまう様子を記事にしました。

ですが、そんな高橋是清は、昭和金融恐慌を鎮静化させてしまうとすぐに、大蔵大臣の座を辞任してしまいます。
元々「昭和金融恐慌を鎮静化するまで」という条件付きで大蔵大臣を担っていましたから、彼が辞任したのはこれが理由だったようです。

さて。是清が去った後の田中義一内閣ですが、これまでの若槻内閣における「協調外交」から一転。蒋介石が「北伐」に邁進する中、危機が迫った「山東省」に対して 日本や大陸より兵士を派遣。 済南事件の勃発を受けて、またさらに二次三次と出兵を行います。

ただ、張作霖爆破事件が勃発する前の「満州」という地域に対する及び腰ぶりは、個人的に幣原のことをあまり責められたものではないかな、とも思います。勿論関東軍を構成する軍人たちの姿勢があまりに恐慌であったこともあるのでしょうが、やはりもう少し現地で被害にあっている邦人や、邦人を守らんとして危機感に苛まれる軍人たちの心情への配慮も必要だったのではないでしょうか。

結果として張作霖爆破事件が勃発し、その責任者たちの処罰に対して田中義一が躊躇したことに対してついに昭和天皇まで激怒させてしまい、田中義一内閣は総辞職に追い込まれます。(1929年7月2日)

そんな田中義一内閣の後を継いだのが「 第27代 濱口雄幸内閣総理大臣」です。第137回 記事でも登場しましたね?

第137回 記事でもご紹介したように、彼は是清とは真逆の「緊縮財政派」。「積極財政政策」=「軍拡」であると考え、軍事費の増大は国民の生活を貧困にし、また軍拡はアメリカやイギリスとの「軍拡競争」につながるとも考えていた人物です。

彼は、大蔵大臣として「井上準之助」を、外務大臣として「幣原喜重郎」を登用しました。
濱口は、自身が凶弾に倒れるまでの間に、のちの日本を奈落の底に突き落とすこととなる、二つの「失政」を行います。


【ロンドン海軍軍縮会議】

一つ目がこの「ロンドン海軍軍縮会議」。第137回 記事で、「ワシントン海軍軍縮条約」のことを話題にしましたが、この発展版です。

ワシントン軍縮会議で署名国が建造に制限を設けられたのが「主力艦の建造」でしたが、この条約の中に主力艦以外の規定は設けられておらず、「基準排水量1万トン以下、備砲の口径は20.3cm(8インチ)以下」という規定さえ満たせば、いくらでも建造が可能であることになっていました。(条約型巡洋艦)

【軍艦 陸奥】
軍艦「陸奥」

で、日本も当然開発と建造を行い続けていたわけですが、日本製の巡洋艦は英米の巡洋艦と比較してもかなり性能が良かったようで、これを制限するために英米が持ち出してきたのが「ロンドン海軍軍縮会議」です。(1930年1月21日~4月22日)

この会議で、これまで規定していなかった他の軍艦についても規定しようじゃないか、という交渉を持ち掛けてきたのです。
この会議に「全権委任」されて派遣されたのがあの若槻禮次郎。そして幣原喜十郎です。

最初に言っておきますが、彼らが批准した「ロンドン海軍軍縮条約」に関しては、決して不当なものではなかったと思います。

当時も、今もそうですが、日本には十分な「資源」がありませんから、たとえ軍艦を大量に建造したとしても、これを動かすための燃料が調達できなければガラクタ同然。また、この当時は1929年10月24日に勃発したニューヨークウォール街株価大暴落(暗黒の木曜日)を引き金とした「世界恐慌」の影響下、その真っただ中にありました。

財政不足、資金不足の状況の中で軍拡競争を行い続けることは、日本にとっても決して好ましいことではありません。
条約を締結し、各国間でそこに上限を設けることは、日本にとっても決して悪い話ではなかったはずです。

これはワシントン海軍軍縮条約が結ばれたときと同じだと思います。
自国を守るためには、強豪国と同様の戦力を保有し、「攻め込まれない体制=抑止力」を身に着ける必要がありますから。

ただし、この時に問題とされたのはその妥協点。米英と比較して7割の戦力を保有することを日本としては最低ラインとしていました。7割の根拠については、日露戦争の経験を下にした、「戦術論」が根拠にあったようです。

結果的に、ほぼ7割までもっていきはしたものの、7割のラインを死守することができなかった=妥協したことなどから、日本海軍の中の「艦隊派」と呼ばれる人々から強烈な反発を受けることになります。

艦隊派は、「海軍の統帥権は陛下にあるのに、これを総理が勝手に決めるなんて、まさしく越権行為じゃないか!」という「統帥権干犯問題」でも濱口を責め立てます。


【「金輸出」解禁】

濱口内閣の起こしたもう一つの「失策」。それがこの「金輸出解禁」です。

当時の通貨制度は、全世界的に「金本位制」という通貨制度がとられていました。
紙幣の価値を「金」に固定することで保証し、流通させる、という考え方です。

第一次世界大戦中、欧米各国は相次いで「金輸出」を禁止しました。日本も同様です。
ところが戦争が終わって、欧米の景気が回復してくると、欧米ではこの「金輸出」を相次いで解禁するようになりました。

日本では、この金輸出解禁に反対するグループ(是清ら立憲政友会)と解禁をしたい、と考えるグループ(若槻や濱口ら憲政会→のちに政友本党と合流して立憲民政党)に別れていました。

【「金輸出」の考え方】
(※関心がある人は目を通してください)
仮に、ここに「5千円の価値がある『1gの金』」があったとします。
金本位制とは、この金貨と交換することが可能な、「兌換紙幣」と呼ばれる紙幣を流通させるシステムです。

日本が海外と取引を行うときは、この「金」の価値に「紙幣」の価値を統合させて売買するわけですが、当然「金」を海外に対して売ったり買ったりすれば、国内の「金」の価値も変動します。金の量が少なくなってくると、例えば今まで1グラム5000円で変えていた金も、8千円だとか1万円だとか言った金額がなければ買えなくなってしまいます。

つまり、「物価が高騰する」ことになるのです。
海外と貿易をするときも一緒で、その国が保有している金の量が多ければものを安く売ることができますし、逆に少なければ高くしか売れないことになります。

第一次世界大戦の時、各国が金輸出を禁止したのは、このような理由があります。
不景気の時は国内にお金がありませんから、金を輸入することができないんですね。

「金輸出」を禁止していると、国内で保有している金の量は変動しませんから、物価も大きく変動することはありません。
「金輸出」が解禁できる状況にあるということは、その国の景気が良いことを示していますから、海外と取引をするときも好材料となります。

日本は、戦後不況と昭和金融恐慌によって「不景気」な状況にありましたから、国内経済が回復するまで「金輸出を解禁するべきではない」と言っていたのが立憲政友会。「第一次世界大戦も終わったんだから、世界基準に合わせて解禁するべきだ」と言っていたのが憲政会。

どちらが日本の現状をきちんと理解できているのか、というと、そこは想像に難くありませんね?
井上準之助とは、濱口内閣において、ついにこの「金輸出解禁」を実行してしまった人物です。

【井上準之助】
井上準之助

ちなみに、「金本位制」は金に対して通貨の価格を固定しますから、事実上の「固定相場制」ですが、金輸出を禁止している間の通貨の価値は「為替」によって変動しますから、「変動相場制」になります。

また、井上準之助の金輸出解禁は、その解禁方法にも非常に問題がありました。

日本が金輸出を停止したのは1917年9月。井上が解禁したのが1929年11月ですから、実に12年以上の月日が経過しています。
当然その期間、金の価値は大幅に変動していますから、金輸出を「停止する前の価値」で輸出を解禁するのか、それとも「現在の相場に合わせて」解禁するのかで全く意味が違います。

実際、このタイミングでの「金の価値」は輸出を停止する前と比較しても安くなっていました。
ですから、現在の金の価値で金輸出を解禁すれば、日本の物資は適正な価格で輸出することができるのですが、停止する前の相場で解禁してしまえば、当然日本の物資の価格は高くなってしまいます。

事実上の「レートの切り上げ」になるのです。輸出物価は高騰し、海外で物が売れなくなってしまいまいした。
まして彼が輸出を解禁した1929年11月(11月22日)とは、ウォール街で株価が大暴落した1929年10月24日の1か月後。ピンポイントで「直後」です。

井上準之助の金輸出解禁によって勃発したのが「昭和恐慌」です。
日本国内では、金輸出を解禁するための財政資金を確保するため、「緊縮財政政策」をゴリゴリ進めていましたから、国民の生活もままならず、当然にして「デフレ不況」が日本国経済に押し寄せます。

一方、緊縮財政政策においては、海軍の予算も大幅に削っていましたから海軍軍縮会議問題とダブルで海軍兵を切れさせてしまいます。

濱口雄幸は、このロンドン海軍軍縮会議問題と、「金輸出」解禁という二つの問題をもって「愛国社」という右翼団体社員の佐郷屋留雄という人物によって放たれた凶弾(?)によって倒れます。「愛国社」・・・一応、Wikiでは「右翼団体」と書かれていますが、一体どういう立場の「右翼」なのか。

関心がある方はぜひ調べてみてください。

彼の後を引き継いだのが・・・若槻禮次郎。
戦前の日本の悲劇はまだまだ継続します。

【次回テーマ】
次回記事では、いよいよ「世界恐慌」と「高橋是清の財政政策」についての項目に突入します。



このシリーズの過去の記事
>> 第139回 満州事変の正体/バーデンバーデンの密約~一夕会の結成
このシリーズの新しい記事
>> 第142回 世界恐慌の原因と高橋是清の経済対策(日銀国債直接引受)

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