第135回 張作霖爆殺事件の理由/河本大作の思い、田中義一の思い~なぜ日本は大東亜戦争を起こしたのか~など、政治・経済を中心とした日常的な情報を、独自な視点で解析します。

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【前回までの振り返り】

今回掲載する「張作霖(ちょうさくりん)爆殺事件」とは、日中十五年戦争のきっかけとなる「満州事変」。
日本側から見ると、その伏線ともなる事件です。

前回までの記事では、今回の張作霖爆殺事件が起きるその背景となる中国人の気質。
煽られた反日感情と共産党員による工作が原因となって勃発した「南京事件」と「済南事件」という二つの事件について掲載しました。

キーパーソンとなる人物は「蒋介石」と「馮玉祥」。
蒋介石は元々日本で軍事教育を受けた規律正しい人物で、おそらくこのような残虐な行為を行う人物ではなかったのだと考えられます。
ところが、もう一人の「馮玉祥」という人物は元々北洋政府側の人間であり、ソ連共産党にも傾倒してた様に見受けられます。

後にこの二人は対立することとなるのですが、これらの事件のいきさつから、日本側は蒋介石のことを一貫して信頼していたこともわかります。
日本側にも、一連の騒動は「蒋介石を貶めようとする中国共産党員の仕業である」という認識はあったようですから。

日本としても、いっそのこと蒋介石に中国全土を統一させた方が、日本にとっての国益となるのではないか、とする考えもあったのではないかと考えられます。

一方、北洋政府では張作霖と馮玉祥が対立構造にあったわけですが、北洋政府において日本は張作霖を支援していました。
馮玉祥は、北京政変後、張作霖に対して起こしたクーデターの最中、前線から逃亡し、ソビエトに逃げ込んでいました。

ソ連で(ソ連が支援する)国民党への入党を宣言し、帰国後、自軍を国民党として改編し、蒋介石軍に合流したわけですが、馮玉祥率いる国民党軍に対しては、やはりその背後にある「ソ連」と「共産党勢力」の影響を強く感じ取っていたわけです。

結果、馮玉祥と連携し、張作霖と対峙していた郭松齢(彼は元々奉天派であり、張作霖を裏切った人物です)は、日本から派遣された関東(満州)軍の支援を受けた張作霖に敗れてしまいます。

その後、南京事件の勃発により、欧米は蒋介石軍(国民革命軍)の背後にある共産党勢力=ソ連の存在を感じ取り、次第に張作霖を支援するようになります。このころから、張作霖は日本よりも欧米に追従する様になました。

南京事件を受けて、張作霖軍は日本と欧米からの要請を受け、ソ連大使館を捜索。多数のロシア人や中国人が検挙され、武器やビラが押収されます。このことにより、中ソは国交を断絶。この直後、蒋介石による上海クーデターが勃発しました。

上海クーデター後、蒋介石は馮玉祥をも自軍の勢力下に加え、張作霖はとても蒋介石軍に対抗しうる勢力とはなり得なくなります。張作霖軍は欧米の支持を失い、一方で日本も、蒋介石軍より「満州地域には攻め込まない」との確約を取り、これ以降張作霖を積極的には支援しなくなります。(済南事件後)

1928年6月4日、張作霖は北京を脱出し、自身の元々の本拠地である奉天へと向かいます。

【本日のテーマ】

張作霖爆殺事件はこの後、張作霖が北京から奉天へと逃亡している間に起こります。
この事件を引き起こしたのは関東軍の参謀である、河本大作大佐が中心となって引き起こした・・・というのが定説になっています。

【河本大作:Wikiより】
河本大作

他にも異説はあるのですが、今回の私の記事では、あくまでもこの事件を引き起こしたのは河本大作であり、このことによって起きた様々な人間関係の変遷を下に作成していきます。

河本大作がなぜこのような事件を引き起こしたのか。
一方で張作霖とは旧知の関係であった当時の田中義一首相は、どのような気持ちでこの事件を受け止めたのか。

この後勃発する「満州事変」に向けて、張作霖爆殺事件の歴史的な意義を検証してみたいと思います。


張作霖爆殺事件勃発に至る背景

張作霖爆殺事件が発生したのは、1928年6月4日。
先に掲載した通り、蒋介石軍によって北京を追われた張作霖が、北京から奉天へと脱出する道中において起きた事件です。

事件を計画し、自身の部下に命じて計画を実行させた人物が河本大作。
事件当時、関東軍参謀という役職にあった人物です。

彼の計画は政府には認証されておらず、事件としては河本が勝手にやった事件、ということになります。
一方、首相である田中義一は、この事件への対応をめぐって昭和天皇より叱責され、総辞職することになります。

ではなぜ河本大作はこのような『暴挙』へと及んだのでしょうか。】


【事件当時の満州に対する日本の権益】

張作霖爆破事件現場】
張作霖爆破事件現場

少しおさらいをします。
日露戦争において勝利した日本は、当時のロシアとの間で、ロシアに対して満州地域に対するいくつかの「権益」を承認させました。

一方で、当時の清国との間でも、日本は「満州善後条約」という条約を締結しており、日本がポーツマス条約によってロシアから獲得した権益を清国にも承認させていました。

この条約により、日本は満州地域に対して、

 関東州租借権
 関東州以北の中立地帯に関する権利
 満州鉄道附属地行政権
 満州鉄道平行線敷設禁止権

という主に4つの権益を保有していました。
一部地域に関しては事実上占領下においていたわけです。

思い出していただきたいのは、日本がこれらの地域に対して権益を保有することになった最大の理由は、当時南下政策をとっていた強国「ロシア」の存在にありました。

当時のあまりにも情けない朝鮮や清国に代わって朝鮮半島や満州地域を事実上占有し、南下するロシアに対抗する目的があったわけです。
これは、この時点でもそう変わったものではなく、特に「共産国」となったソ連の脅威はここから日本が撤退すれば、さらにその威力を増すことは容易に想像できました。これは、第133回の記事でご紹介した「尼港事件」のことを考えていただければよくわかりますね?

当時、満州地域には約20万人にも上る日本人が居留していましたし、特に当時の軍人たちにとってみれば、「日清戦争や日露戦争によって、同胞が多くの地を流して獲得した土地」であるという認識もありました。

「日本の領土」としての認識もあったのですね。

ところが、袁世凱があおった「反日感情」は満州という地域においても極めて高まっており、実際に被害にあう日本人も少なくはありませんでした。

また、「満州善後条約」という条約は、当時の日本と清国の間で結ばれた条約であり、ポーツマス条約は日本とロシアの下で結ばれた条約であり、日本と中華民国、日本とソ連との間で結ばれた条約ではない、とする発想から、張作霖は満州に「満州包囲鉄道(欧米の資本)」なるものを敷設し、日本が経営権を持つ南満州鉄道の利益を明らかに圧迫していました。

この時の張作霖は、完全に日本に対して敵対する行動をとっていたのですね。
また、満州の中国人たちによる日本人への侮蔑もすでに我慢の限界に達していました。

河本大作は、特に南満州鉄道に対する中国側の権益の圧迫は、既に看過できるものではなく、武力によって解決する以外に方法はない、と考えていました。ちなみに、このことは田中首相も承諾していました。

また、河本が予測していた通り、北伐軍に敗戦した張作霖軍は敗走し、満州と中国本土との境に当たる「山海関」というところまで大量に押し寄せていました。

張作霖は元々「馬賊(ギャング)」であり、その部下の粗暴も決して褒められたものではありませんでした。
日本の軍隊で教育された蒋介石率いる北伐軍の統制と比較しても雲泥の差であり、彼らが関を超え、満州になだれ込んだときに日本の在留民が受ける被害も相当のものが予測されました。

奉天にとどまっている関東軍は、いつでも治安維持のための出動の準備はできていたのですが、この時日本の本土から「奉勅命令」は一向に降りてきませんでした。

「奉勅命令」とは、日本にいる田中義一首相が、出動が必要であることを天皇陛下に上奏し、これに基づいて陛下が軍隊の出動命令を出す勅命のことです。

これがないと、関東軍は身動きが取れなかったのです。
田中首相が上奏を渋ったのは、日本と米国他中国も含む九カ国の間で結ばれた「九カ国条約」が原因でした。

この条約の下、米国から日本に対して、「満州は中国の領土である(だから干渉するな)」という圧力がかかってたんですね。

そんな中、ついに敗戦兵たちが次々と奉天にまで帰還するようになります。
戻ってきた敗戦兵たちは袁世凱によって醸造されたままの「反日思想」を抱いたまま。奉天城内はあまりにも危険すぎて、日本人は外出すらできないような状況にありました。

河本参謀長は、「張作霖さえいなければ、このような敗戦兵等烏合の衆だ。満州人の反日感情もあいつによって誘発されたものだ。張作霖さえいなければ敗戦兵等一網打尽にできるし、満州人の反日感情も収束するに違いない」と考えるようになります。

そこで、日本人の仕業だとはわからない様に鉄道を爆破し、張作霖を殺害し、事態を収束しよう・・・と考え、実行したのがあの張作霖爆破事件でした。


田中義一と張作霖

張作霖は、日露戦争当時、ロシア側のスパイとして暗躍していた時代がありました。
日本軍に発見され、とらえられるわけですが、この時陸軍参謀次長であった児玉源太郎という人物により、張作霖は処刑をまぬかれました。

その能力を買われたんですね。児玉の進言を受け、彼の上司であった田中義一当時少佐は、逆に張作霖を日本側のスパイとして利用し、この時張作霖は日本側にとって有益な情報を数多くもたらしました。

田中義一としては、このような経緯があり、この時に至ってもなお張作霖を「利用価値のある人物だ」と考えていました。
彼を満州統治のために間接的に利用しよう、とする腹があったんですね。

ですが、当時の関東軍としては、とてもそんな余裕がある状態にはありませんでした。
冷静に考えれば、張作霖を殺害したからと言って事態が回復するとはまず考えられないのですが、当時の関東軍はそこまで追い込まれていた、と考えるのが一番正しい考え方なのではないかと私は思います。

結果的に張作霖の息子である張学良が、父親の爆殺事件に対して激怒。
父が支配していた満州を彼が継承し、蒋介石軍に対して満州には攻め込まないことを約束させ、引き換えに国民党軍に合流します。

このことで北洋軍は消滅し、蒋介石による中国統一は成し遂げられました。


【次回テーマ】

この後、事態はついに「満州事変」へと進むことになるのですが、実は満州事変は張作霖爆破事件によって実現しようとしていたことを再度、関東軍が計画的に実行仕様とした事件です。

満州事変を実行した「関東軍」と、今回の記事で搭乗した関東軍とはずいぶん雰囲気が変わっています。

次回記事では、満州事変に先駆けて、舞台をいったん日本に戻し、第一次世界大戦の日本に於ける経済政策を、「高橋是清」という人物にフォーカスしてまとめた後、満州事変を起こした「関東軍」がなぜ生まれたのか。この部分へと記事を勧められればと考えています。




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