第125回 中国共産党の結成~なぜ日本は大東亜戦争を起こしたのか~など、政治・経済を中心とした日常的な情報を、独自な視点で解析します。

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この記事のカテゴリー >>十五年戦争(日中戦争)の原因と結果


<前回の記事>
第124回 なぜ日本は大東亜戦争を起こしたのか~五四運動以降の中国(北洋政府)~

【前回までの振り返り】
清朝を滅ぼし、2000年以上にわたる中国の「帝政」に終止符を打った辛亥革命

辛亥革命後の中国(中華民国)で政権の中心に座ったのが袁世凱なのですが、彼は第一次世界大戦における日本への対応をめぐって、中国国民の中に「反日感情」を植え付けた挙句、自身の政権運営が中国国民の反発を買い、政権の座から脱落します。

袁世凱の後をついで「黎元江」が中華民国の大統領となります。
黎元江政権の下で副大統領となったのが「馮国璋」、国務総理となったのが「段祺瑞」なのですが、中華民国の「憲法」に当たる「約法」の取り扱い方、第一次世界大戦への参戦を巡って黎元江と段祺瑞が対立

最終的にクーデータを起こした張勲の「張勲復辟」の鎮圧をめぐって黎元江は下野。
変わって馮国璋が大統領となります。(段祺瑞はそのまま国務総理の座に残ります。)

これに待ったをかけたのが孫文。彼は自身が考えた「中華民国臨時約法」の扱い方を巡って反発し、段と馮に国会の座を追われた議員と共に「広東軍政府」を設立。段&馮の北京政府に向かって戦争(護法戦争)を仕掛けます。

ところが、孫文は自身で広東軍政府を設立しておきながら、同時に広東軍政府に対してクーデターを起こします。
また、広東軍より戦争を仕掛けられた北洋政府内でも広東軍への対応をめぐって段と馮の間で対立が起こります。

護法戦争の終結後、孫文は広東軍政府を追われ、段と馮は下野。
第一次世界大戦が終結し、大戦の講和条約をめぐって、中国国民の不満が噴出し、「五四運動」が勃発。

五四運動以降の中国の動きを、第121回の記事では広東軍政府(孫文)側から、第124回の記事では北洋政府側から検証し、記事にしました。

【本日のテーマ】

五四事件

今回の記事では、この様な北洋政府と広東軍政府の対立の陰で動き始めていた民衆たちの「マルクス主義」への傾倒。ロシア革命の勃発による衝撃から中国国内に、醸造されつつあった『世論』。

袁世凱が醸造した『反日感情』に突き動かされるように、知識人や学生たちが中心となって設立した「中国共産党」。
その設立に至る過程を中心に記事を作成したいと思います。


陳独秀

中国共産党の設立に影響を与えた人物の中で、最も早く名前が登場するのが「陳独秀」という人物です。
陳独秀
【陳独秀:Wikiより】

彼は、「民族主義者」で、満州族の国家である清朝政府を倒し、漢民族による国家を復興させることを目指していた人物です。
辛亥革命により清朝が滅ぼされ、中華民国が設立されたとき、彼は政府要職に就くのですが、、大統領となった袁世凱の強権的な姿勢に彼は食を辞し、日本に亡命します。

彼が清朝打倒の思想に傾倒したのも日本における出来事であり、彼は清朝期に日本に留学し、この時に他の留学生たちの影響で民族主義思想を抱くようになります。

彼は、中国的に考えると、「愛国者」の一人だったんですね。
ですが、彼は中国の現実に絶望し、日本において、とても悲観的な文章ばかり書いていたようなのですが、そんな彼に影響を与えたのが「李大釗(りだいしょう)」という人物。陳は李より、国を愛する気持ちを大切にするべきだと諭されます。

そんな彼が1915年、中国に帰って創刊した雑誌が「青年雑誌(のちの新青年)」という雑誌でした。

新青年
【新青年】

ここで彼は、

『伝統的な文化や社会体制が中国の近代化を妨げる元凶であるとして徹底的に否定し、中国を滅亡させないためには、もはや現代社会にそぐわない儒教や家族制度を廃絶して、「民主」や「科学」といった西洋文明の原理を全面的に取り入れるべきだ』

と主張します。
この「新青年」に投稿した人物として先ほどご紹介した「李大釗」やあの「毛沢東」の名前も登場します。

この当時、「新青年」の影響を受け、学生や青年層を中心に巻き起こったムーブメントのことを「新文化運動」と呼ぶのだそうです。
この時に巻き起こったムーブメントが後に政治的な主張・要求へと直結し、「五四運動」や「中国共産党」の結成へとつながっていきます。

1917年にロシア革命が起こり、そんな彼らの感情を焚き付けます。
同年、彼は北京大学の文科学長に就任します。

李大釗

李大釗
【李大釗:Wikiより】

さて、もう一人の中国共産党の「立役者」である李大釗。
彼は、1913年に日本に留学し、早稲田大学に入学しています。彼が陳独秀に接触するのはこの時ですね。

彼は、日本から対華21か条要求が出されたとき、日本に居ながらにして中国人に対して日本に抵抗するよう啓蒙活動を行っています。
袁世凱に反対する活動を開始するのは対華21か条要求以前のことで、彼が反発したのは「反日感情」とはまた別のものもあったように感じます。

袁世凱が帝政を断行したころより、李大釗は袁世凱に対する反発心を抑えられなくなり、翌1916年初夏、勉学を中断して中国に帰国するものの、袁世凱は6月に病没。

彼が「新青年(青年雑誌)」に初投稿するのがこの年の9月1日。
1917年からは、合わせて「甲寅」という雑誌の編集も行うようになります。

そんな彼が、「新青年」にて初めて「マルクス主義」についての論説を寄稿するのが1919年9月のこと。
五四運動が勃発するのが1919年5月4日ですから、五四運動勃発後、ということになります。

1920年、彼は北京大学の学生たちと共に「マルクス学説研究会」なるものを作り、中国におけるマルクス主義運動の先駆者となります。

毛沢東

毛沢東
【毛沢東:Wikiより】

さて。中国共産党の設立に絡んだもう一人の人物、「毛沢東」。
彼はのちに中華人民共和国を設立し、死去するまで最高指導者としての立場にあり続けた人物です。

彼は農民の出身。彼の父親は地主で、比較的裕福な家庭の出であったようです。
ですが、彼は陳や李とは違い、日本に留学することはなく、中国国内の事情しか知らない人物です。
彼もまた、新青年の熱心な寄稿者の一人でした。

彼は1918年。学生時代に、当時所属していた師範学校で、「新民学会」という学生団体を立ち上げます。
元々は学生同士がお互いに助け合ったり、学術の向上、品行を磨くことなどを会の理念としていたのですが、五四運動の勃発以降、北京大学で教鞭をとる李大釗が「新青年」に寄稿し、盛んにマルクス主義を煽ったり、「マルクス学説研究会」を立ち上げるなど、学生たちがマルクス主義に影響されやすい状況にあったことから、新民学会の理念もまた、マルクス主義に影響を受けた内容に変更されるようになります。

1918年夏、師範学校を卒業した毛沢東は、恩師である楊昌済と共に、北京へと上京します。
彼が「新青年」の熱心な寄稿者となるのはこのころ。北京大学では李大釗と共に司書補佐として北京大学の図書館に努めます。

毛沢東は北京大学の聴講生となり、陳独秀らと共に講義やセミナーに参加するようになります。
彼が共産主義に傾倒するようになる過程には、このような流れがあった、ということですね。

亡くなった父の遺産や事業から、収入は非常に安定していました。

中国共産党の設立

袁世凱没後の中国には、二つの「政府」が誕生しました。
一つが袁世凱の北洋軍閥の系譜を引き継ぐ「北洋政府」。もう一つは孫文率いる革命軍が樹立した「広東軍政府」。

軍閥政府は当然なのですが、孫文も民間から革命家としてのし上がったとはいえ、彼もまた「政治家」。
ですから「政府」対「政府」という構図も成り立ったわけです。

ですが・・・いかがでしょう。
今回の記事でテーマとしている「中国共産党」。少し毛色が違いますね。

陳独秀も、李大釗も、毛沢東も、ともに「文筆家」。
「学徒」または「教師」という立場であり、これまでの政治家たちの様に「武力」を以てことの解決に当たるような立場にある人たちではありませんね?

フランス革命の時もそうでしたが、中国の「共産主義者」たちもまた、「民衆」の中から生まれます。
ただ、この中国の場合、「暴力」という手段に訴えたわけではなく、中国共産党は、ソビエトコミンテルンの主導により、実に平和的に誕生しました。

1921年7月23日~31日。陳独秀、李大釗、毛沢東らが個別に結成していた共産党組織を合体させる形で、上海のフランス租界にて開催された「中国共産党第一次全国代表大会」により、中国共産党は結成されました。(租界=外国人居留地)

この後、1924年、1月24日、中国共産党は中国国民党と提携し、第一次国共合作により、軍閥および北京政府に対抗する共同戦線が張られることは第121回の記事でもお伝えした通りです。

1924年9月、第二次奉直戦争の勃発、馮玉祥によるクーデター、「北京政変」後、中国共産党と提携した中国国民党党首、孫文は北京に入城します。翌1925年3月12日、孫文は病没。

ついに蒋介石が時代の表舞台へと登場します。

【次回テーマ】
次回記事では、蒋介石による「北伐」の開始。
北京政府攻略後、南京政府の誕生、上海クーデーターによる国共分断へと話題を進めていきます。

満州事変の勃発が1931年。目的としていた時代にいよいよ近づいてきましたね。
次回記事を、どうぞお楽しみに。


このシリーズの過去の記事
>> 第124回 五四運動以降の中国(北洋政府)~なぜ日本は大東亜戦争を起こしたのか~
このシリーズの新しい記事
>> 第127回 蒋介石という人物(前編)~なぜ日本は大東亜戦争を起こしたのか~

このシリーズの一覧をご覧になりたい方は >>十五年戦争(日中戦争)の原因と結果 よりご確認ください


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