第122回 なぜ日本は大東亜戦争を起こしたのか~辛亥革命後の中国の近代史年表~など、政治・経済を中心とした日常的な情報を、独自な視点で解析します。

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<前回の記事 第121回 なぜ日本は大東亜戦争を起こしたのか~中国近代史における孫文の役割-中国共産党の誕生~

前回の記事では、孫文の設立した「広東軍政府」。第119回の記事では、袁世凱没後の中国政府を、正式に継承した北洋政府側から見てみましたが、前回の記事では、同じ時代の中国を、孫文の設立した「広東軍政府」側から見てみました。

【中華民国の地図:Wikiより】
中華民国の地図

【今回の記事のテーマ】
前回の記事では、今回の記事において五四運動後の北洋政府や中国共産党設立に至る経緯等をお伝えすることをお約束していましたが、実際私も一連の経緯を整理しきれていない部分も
ございますので、改めて、辛亥革命から五四運動勃発までの経緯を、「年表」でまとめてみたいと思います。

年表を参考に、気になる部分を改めて振り返るつもりでシリーズ第二次世界大戦 記事をご参照いただければ、幸いです。


【辛亥革命以降の中国の年表】

<清朝時代>
【1911年】
10月10日 辛亥革命勃発
10月11日 反乱軍、武漢市武昌区を制圧、中華民国軍政府鄂軍都督府が置かれ、「中華民国」が発足する
       「清朝政府」と「中華民国政府(革命政府)」が同時に存在する時代に突入する。
11月1日  袁世凱、清朝政府内閣総理大臣に任じられる。(袁世凱、時代の表舞台へ。)
11月2日  清朝政府総理である袁世凱、革命政府と講和会議をスタートする
12月2日  イギリス駐漢口領事館の斡旋により、清朝政府と革命政府の間で停戦協定が結ばれる。
12月25日 フランスマルセイユに亡命していた孫文が帰還

<清朝・中華民国政府並立時代>
【1912年】
1月1日  選挙により孫文が初代臨時大統領として選ばれ、「中華民国」の成立を宣言する。
2月12日 宣統帝溥儀(ラストエンペラー)、皇帝の座を退位し、共和制府へと権限を委譲する。
      同時に清朝が滅亡し、2000年に渡り続いた中国の「帝政」が終焉を迎える。

<中華民国(北洋政府)時代>
2月15日 孫文は辞表を提出し、袁世凱が2代目臨時大統領として就任

【1913年】
7月13日 旧清朝政府メンバー(北洋政府:袁世凱)と旧革命政府メンバーとの対立が鮮明化し、旧革命政府側メンバーによる武装蜂起、『第二革命』勃発。(日本を訪問していた孫文もメンバーに加わる)
8月18日 北洋政府により鎮圧され、孫文らは再び日本に逃亡する。

【1914年】
6月23日 孫文は日本にて「中国革命党(のちの中国国民党)」を立ち上げる
7月28日 第一次世界大戦勃発
8月28日 日本参戦(ドイツに宣戦布告)
10月31日 『青島の戦い(日本による青島奪還戦)』勃発
11月7日 青島を陥落。

【1915年】
1月    中国(袁世凱)より、日本に対し、青島一帯よりの撤退が要求される
1月18日 大隈重信内閣より、中国に「14か条の要求」が行われ、合わせて「7か条の希望」も提示される。(袁世凱により、『対華21か条要求』とされる)
5月7日  中国(袁世凱)からの要望に応じて日本から中国に「最後通告」が行われる。
5月9日  対華21か条要求のうち、14か条の要求のみ、中国が受諾する。
6月22日 袁世凱により、中国国民に対し「懲弁国賊条例」が公布される。
12月12日 袁世凱により、「中華帝国」が設立される。

<中華帝国時代>
12月25日 「護国戦争」勃発

【1916年】
3月22日  袁世凱、帝政を取り消し、自らを大統領に戻す。

<中華民国時代に戻る>

6月6日   袁世凱病没
6月9日   孫文により、中華民国臨時約法の復活が宣言され、副大統領の黎元江が大統領に就任する。
       副大統領に馮国璋が、国務総理に段祺瑞が就任する

【1917年】
7月1日  張勲のクーデターにより清朝が復活

<清朝の復活>

7月12日 段祺瑞によって編成された「討伐軍」により北京政府を奪還。
      宣統帝が皇帝を辞任し、清朝は再び滅亡する。
      黎元江、大統領を辞任し、馮国璋が臨時大統領となる。
      国会解散

<中華民国(北洋政府)時代に戻る>

7月22日 孫文広州に到着
8月14日 段内閣により、対ドイツ宣戦布告(第一次世界大戦参戦)<北洋政府>
8月25日 孫文、広州にて国会非常会議を開催する。
      中華民国軍政府を作ることが決定する。
9月1日  選挙により、『中華民国軍政府(広東軍政府)』誕生

<北洋政府・広東軍政府並立時代>
11月   湖南省にて広東軍政府勝利

【1918年】
4月    湖南省にて広東軍敗北
5月    広東軍政府改組。孫文は広州を後にする。<広東軍政府>
5月16日 日支共同防敵軍事協定締結<北洋政府:第一次世界大戦参戦にて>
7月    南北和議(北洋政府・広東軍政府和議)
10月   馮国璋、段祺瑞、下野<北洋政府>
      徐世昌大統領に就任
11月11日 第一次世界大戦終結

【1919年】
1月28日 パリ講和会議開会
4月26日 日本に山東省権益が譲渡されることが決まる
5月4日  五四運動勃発   

ここまでが、五四運動勃発に至るまでの経緯です。
そして、五四運動に参加した「マルクス主義研究会」なる団体が母体となって後に中国共産党が誕生します。

いや・・・しかし凄まじい。
中国の混迷はこの後も引き続き継続します。

【次回テーマ】
次回は改めてこの五四運動以降の「北洋政府」の動き、そして「中国共産党誕生」に至る経緯を記事にしたいと思います。
このシリーズの過去の記事
>> 第168回 日本銀行の新しい金融政策を検証する/黒田総裁会見を受けて
このシリーズの新しい記事
>> 第55回 情報を捏造する方法

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