第113回 軍閥政治とは?:袁世凱没後の中国~なぜ日本は大東亜戦争を起こしたのか~など、政治・経済を中心とした日常的な情報を、独自な視点で解析します。

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この記事のカテゴリー >>十五年戦争(日中戦争)の原因と結果


<継承する記事 第107回 なぜ日本は大東亜戦争を起こしたのか~五四運動(中国人の反日感情)~

第107回の記事では、中国人の中に芽生えた「反日感情」に着目し、権力欲に取りつかれた袁世凱が、自作自演の「対華21か条要求」を締結するまでの流れの中で、「虚偽」と「偏向」情報により、中国国内と日本のことを快くは思っていなかったアメリカとドイツの「国内世論」を利用して反日感情を煽りまくり、彼の死後に結ばれた第一次世界大戦後の講和条約、「ヴェルサイユ条約」。

ここに中国側の要望が一切認められなかった・・・ということで中国国民の「反日感情」が爆発した、ここまでの経緯をご説明しました。
ただ・・・誤解なきように。当時の世情から考えて、日本が何か特別妙なことをしたとか、そういうわけではありません。
袁世凱が「帝位」という権力欲に取りつかれ、ドイツを巻き込んで日米関係をかき乱した結果、ねつ造された中国国内の「世論」が暴発しただけのことにすぎません。(詳細は第107回記事をご参照ください)

【軍閥政治時代の中国】
軍閥政治時代の中国
「軍閥政治」とは、袁世凱の没後1916年~1925年にかけて、中国国内で繰り広げられた、北の北洋軍閥中心の北京政府南の孫文の革命派との間の長期にわたる内戦時代のことを言うのだそうです。

【今回のテーマ】
今回の記事では、第107回の記事を補完する形で、袁世凱の死後、中国(中華民国)が突入した「軍閥政治」。
では、どのような経緯で中国がこの「軍閥政治」に突入したのか。軍閥政治~五四運動勃発までの流れを記事にしたいと思います。


「北の北洋軍閥」

五四運動が勃発する原因の一つとなった「日支共同防敵軍事協定(107回の記事を参照」。
この、「日支共同防敵軍事協定」を日本と締結した人物が、「段祺瑞(だん きずい)」という人物であったことを第107回の記事ではお示ししました。

私が107回の記事を作成しながら感じていた疑問点は、

「当時の中国は、『軍閥政治』と呼ばれる政治状況にあり、内政はとても不安定であったはずなのに、なぜ段祺瑞(だん きずい)は単独で日本と『日支共同防敵軍事協定』を締結できたのだろうか」

ということでした。

サブタイトルにある「北洋軍閥」とは、袁世凱が清朝時代に就任した「北洋通称大臣」時代に設立した「北洋軍」。
これを母体とする勢力のことです。
ちなみに「北洋」とは、「奉天」「直隷(華北)」「山東」という三つの地域の総称のことなのだそうです。

【当時の中国】
北洋

現在の「中華人民共和国」の方が作成したサイトからしか適切な地図が見つからなかったので、そのサイトから拝借したものを掲載します。

【奉天】
「奉天」とは、右上のグレーの部分、所謂「満州」地域下部に、「奉天」と記されています。
ここは「奉天市」なのですが、この周辺のエリア(おそらくは以南)が「奉天省」だと思ってください。

【直隷】
その左下に薄紫の部分がありますね?
この地域が「直隷」。北京がある地域です。

【山東】
その右下、オレンジ色の地域が「山東」。「山東省」の名称は、ドイツに占領された地域としてこのブログでもよく名前が登場していますね?

この、3つの地域を「北洋」と呼び、清末期の中国において、この地域の管理を任された袁世凱がこの地域に新設した軍隊が「北洋軍」です。
北洋軍は新設後、その他の地域にも勢力を拡大したわけですが、この北洋軍を根拠に権力の座に就いたのが「北洋軍閥」。

ところが、北洋軍閥では、「自分は〇〇省出身の政治家だ!」「いや。自分たちの〇〇省のほうが偉い!」みたいな感じで、袁世凱の死後、この「北洋軍閥(北京政府)」の覇権争いが発生します。

ちなみに段祺瑞(だん きずい)の出身地は安徽省であり、彼の所属した派閥は「安徽派」。(安徽省は山東省の真南の地域です)

袁世凱没後の中国

袁世凱政権で副大統領の座についていた黎元洪が昇格して大統領になった後、副総統となったのが馮 国璋(ふう こくしょう)、国務総理となったのが段祺瑞(だん きずい)です。

黎元洪を大統領とすることに決めたのは北洋軍閥の出身者たち。
出身地の違う自分たちの誰が大統領となったとしても、その後の政権内にしこりが残るだろうし、北洋軍閥出身ではなく、現副総統でもある黎元洪を大統領に据えるのが、一番無難だろう・・・と考えたのがその理由なのだそうです。


【黎元洪と段祺瑞の対立】

ところが、この黎元洪という人物。意外とプライドの高い人だったようで、「北洋軍閥出身」ということで、自身を見下す傾向にあった「段祺瑞」との間で、少しずつ対立が表面化するようになります。

段祺瑞もまた、黎元洪同様に、やはりプライドの高い人物だったんでしょうね。
例えば、「約法(憲法に相当するもの)」の取り扱い方についても二人は対立し、袁世凱が大統領となる前、孫文によって起草された「中華民国臨時約法」と、袁世凱が大統領就任後に制定した「中華民国約法」のどちらを「約法」として採用するのか、ということについても二人は対立します。

黎元洪を支持する立場の人たちは、そもそも帝政を復活させ、皇帝に就任した袁世凱を認めておらず、「大統領就任」そのものが「無効」であると考えていました。
ところが、段祺瑞ら北洋軍閥の出身者たちは、黎元洪の大統領就任そのものが新法に基づいたものだと考えていて、ここで双方の対立が発生します。

旧法では「内閣」とされていたものが袁世凱の時代に「政事堂」と改名され、その代表者を旧法では「総理」と呼称していたものを、袁世凱の時代に「国務卿」という名称に改名されていたことから、この当時「政事堂国務卿」という立場にあった段祺瑞は、黎元洪側の人間より、「旧法時代にはなかった役職であるお前の役職そのものが違法だ」とまで指摘されます。

結局黎元洪は旧法を採用し、段祺瑞に対しては、改めて「国務総理」という名称で内閣総理に就任させました。

【中国の第一次世界大戦参戦に至る経緯】

黎と段の対立は、大戦への参戦(対独参戦)に至ってもやはり顕著であったようです。

107回の記事でもお伝えしましたように、ロシアがドイツと講和条約を締結したことや、その直前、アメリカがドイツとの国交を断行したことなどをきっかけに、中国国内でも大戦への参戦を主張する声が上がり始めます。

その中心にあったのが段祺瑞だったのですが、肝心の大統領であった黎元洪は参戦には消極的でした。(国内世論がそうであったため)
これに対して、段は内閣総辞職を断行。焦った黎元洪は同じ北洋軍閥出身者である馮国璋や徐世昌らに国務大臣への就任を要請するものの、立て続けに固辞され、「ドイツとの国交断行」を条件に再度段に組閣を依頼しました。

段はさらに危機感を抱く13省の軍隊を使って、参戦討議を行う国会を包囲させます。
段のこの行為に他の議員たちが憤慨し、黎は段を罷免します。

段が罷免されるや否や、今度は13省の軍隊(督軍)は次々と中華民国からの独立を宣言。

慌てた黎は、同じ北洋軍閥の督軍で、参戦には反対であった張勲という人物に調停を依頼します。張勲は黎に国会を解散させ、黎はこれに従います。ところが、その後・・・








張勲はなんと愛新覚羅溥儀を「皇帝」として復権させ、「清朝」を復活させてしまうのです。

これはちょっとびっくりですね。こんなことが簡単にできてしまう当時の中国政府とは一体・・・

黎元洪にも役職が与えられるのですが、彼は協力を拒否。日本大使館に逃げ込みます。
黎元洪は大使館から電報で各省段祺瑞と馮国璋に出兵を依頼。(1917年7月3日)
段を再度国務総理に任命し、馮を大統領代理に任命。(7月5日~7月7日)

段祺瑞が討逆軍を組織し、北京に入場。張勲から北京を奪還します。
溥儀は張勲の辞職と自身の退位を宣言し、たった11日間で復活した清朝は消え去ってしまいます。

同日(7月12日)、黎元洪は大統領総辞職を宣言し、政治の舞台から一線を引くことになります。
忘れてはいけないのは、あくまでもこれは「第一次大戦への参戦」に至る経緯だということ。

中国は何にしても起きることがダイナミックすぎます。
そして8月14日、中華民国は正式にドイツに対して宣戦布告を行います。

まとめ

さて。いろいろな情報に目を通していると、中華民国が第一次世界大戦に参戦した最大の理由は、「日本からお金を借りることにあった」との記載を目にします。

これもまたびっくりなんですが・・・。
色々と想像の斜め上をいく国ですね、中国は。その後、段は日本から手にした借款を元手に、自身の御用会派である「安福倶楽部」を設立し、「参戦軍」という名称の軍隊を組織したのだそうです。

「張勲復辟」と呼ばれる一連の騒動の後、段は国会を解散し、孫文の作った臨時約法はすでに存在しないとし、新政府を樹立します。
これに反発して、解散させられた国会議員らと共に段政府とは別の政府を組織するよう画策したのが、ずっとなりをひそめていた「孫文」です。

【次回記事のテーマ】
次回記事では、この孫文が作った政府と段が作った政府との対立を軸に、改めて「北洋軍閥」についても検証してみたいと思います。





このシリーズの過去の記事
>> 第107回 五四運動の影響をわかりやすく考える(中国人の反日感情)~なぜ日本は大東亜戦争を起こしたのか~
このシリーズの新しい記事
>> 第119回 北洋政府V.S.広東軍政府(国民政府):護法戦争~なぜ日本は大東亜戦争を起こしたのか~

このシリーズの一覧をご覧になりたい方は >>十五年戦争(日中戦争)の原因と結果 よりご確認ください


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